第100話 俺と碧の数日間

 それぞれがそれぞれのメークをしている間、俺は完全に暇になってしまう。だって、俺やる事無いし。生徒でもなければ先生でもないし。


 ごろーんと絨毯の上で寝転がりながら東雲さんや東堂さんのSNSを覗いている間に、うとうとと目蓋が重くなってきた。


 ……眠い……。


 眠いと自覚すれば更に眠気は加速していく。そして、気付けば俺の意識は夢の世界へと向かってしまった。





「ねぇ、くーちゃん。アタシ、くーちゃんとずっと一緒に居たい」


 幼い少女が俺に向かって言う。


 ああ、懐かしいなぁ。小っちゃい頃の碧だ。


 幼い碧の言葉に、俺はこくんと頷く。


「いーよー。俺も、碧ちゃん大好きだから」


 俺の声も、幼い。多分、これはあの時の記憶だ。懐かしいなぁ。あの時は、碧ちゃんって呼んでたっけ。


「本当? じゃあ、今日から一緒に住もうね!」


「うん!」


 俺はこの時、碧と一緒に居られるという事が嬉しくて、ただひたすらに素直に頷いていた。


 この時は、この後どうなるかなんて知らなかったっけ。


「こっち! 来て!」


 碧に手を引かれ、俺はとある部屋に連れていかれる。


 その部屋は普通の部屋だった。けれど、トイレもお風呂もあり、キッチンもある。その部屋だけで生活が出来そうな程充実した部屋だった。


「ここ! 今日からくーちゃんとアタシのおうち!」


「わーっ、すごーい!」


 トイレやお風呂があり、キッチンもある。一つの部屋で生活が完結しているその部屋を、俺はその時秘密基地みたいだって思ったんだ。


 俺が部屋に入ると、後ろからガチャっと音がした。振り向けば、碧が鍵を閉めていた。それも、ただの鍵ではない。特定のナンバーを打ち込まないと開かない鍵だ。


「……碧ちゃん?」


 なんで鍵を閉めたのという思いを込めて碧に問いかければ、碧は光を失くした真剣な・・・目で俺を見た。


「今日からここがくーちゃんのおうち。だから、くーちゃんはここでくらすの」


「うーん……うん! 分かった!」


 碧の言葉に、俺は無邪気に頷いた。


 俺が頷けば、碧は凄くほっとしたような顔を――え、あれ? 碧、こんな表情かおしてたっけ……?



 場面が切り替わる。



「ねぇ碧ちゃん」


「ん、なーに?」


 あの部屋で、俺と碧は絵本を読んでいた。


 一緒に絵本を読む碧に、俺は尋ねたんだ。


「そろそろ花蓮ちゃんに会いたい」


 俺の、正直で、無邪気で、純粋な気持ち。可愛い妹、大好きな妹、大切な妹。そんな存在である花蓮に、会いたかったんだ。


「ダメ! 絶対ダメ!!」


 けど、碧は慌てたように俺のお願いを認めない。


「どうして?」


「ダメったらダメ! くーちゃんはここにいるの! ここがくーちゃんのおうちなの!!」


 必死に、碧は俺がこの部屋から出ていくのを止めようとする。


 癇癪かんしゃくを起しているようにも見えたし、我が儘を言っているようにも見えた。けど、今は碧が何かを恐れているのだと分かる。俺がこの部屋から出ていく事を恐れているのか、それとも別の何かがあるのか。


 この時の俺には分からなかった。ただ、いつも優しい碧がこんなに声を荒げたのは初めてだったので、それがちょっと怖かった。


「ダメ! ダメダメダメ! くーちゃんはここにいるの! ここから出たらダメなの!」


 目から光を失くし、碧は俺がこの部屋から出ていく事を拒む。


 そんな碧が怖くて、碧を困らせたくなくて、俺は頷く。


「う、うん……分かった……」


 俺が頷けば、碧は安心したように息を吐いてから、にっこりと微笑んだ。



 場面が切り替わる。



 長いようで、短い数日間だった。


 弓馬きゅうまさんが俺の父さんに頭を下げて、|美弦(みつる)さんが駄々をこねる碧を抱き上げている。


 俺は父さんの腕に抱かれ、ぽけっと父さんを見る。


「すまない、まさか、碧がこんな事をするなんて……」


「いや、弓馬のせいじゃない。それに、事件に巻き込まれた訳じゃなかったんだ。今回の事は、俺達共々、良い教訓にしよう」


「……すまない」


「謝るなよ。碧ちゃんも、黒奈のため・・・・・を思って・・・・した事だ・・・・。頭ごなしに責める気にもなれんよ」


 二人は泣きじゃくって俺に手を伸ばす碧に視線を向ける。


「やだー!! くーちゃんと一緒にいるのー!!」


 やだやだやだと駄々をこねる碧。俺はこの時、碧が俺と離れたくないのだと分かったけれど、帰りたいと言っても帰してもらえなかった事が怖くて、碧から目を逸らしてしまっていた。


 俺が目を逸らしても、碧は俺の名前を呼ぶ。


「くーちゃん! くーちゃん!」


 俺を呼ぶ碧を見て、二人は困ったような顔をする。


「私から、碧にはよく言っておく」


「あまりきつく言うなよ? 碧ちゃんなりに考えた結果なんだから」


「それでも行き過ぎだ。子供だからと甘やかして良い事ではない」


「……なら、責め苦を受けるのは碧ちゃんだけじゃないだろう。そうだろう、メポル?」


 …………え? メポル?


 聞きなれた、呼びなれた名前。


「まったくメポ。もう本当に申し訳ないメポ」


 そして、俺の予想違わず、俺の相棒が声を上げた。


 俺は宙を浮く白い熊のような生物を見る。


 その姿は完全に俺の契約精霊であるメポルだ。


「メポルがついていながら、本当に申し訳ないメポ」


「メポルも閉じ込められていたんだろう? なら仕方ないさ」


「そもそも護衛・・であるメポルが閉じ込められるっていうのが失態だけどな」


「うぐぅ……面目ないメポぉ……」


 悲しそうな声を上げるメポル。


 いや、ちょっと待って。なんでここにメポルがいるの? 俺、この時はメポルと契約してないよ?


 俺の中で、疑念が生まれる。


「もう……そういう話は子供がいない時にしてください」


「そうだな。今日はもう帰ろうか」


「そうするメポ。弓馬、また来るメポ」


「ああ。杏介きょうすけ、本当にすまなかった」


「それはもう聞いた。俺にも非はあるんだ、お前だけが謝るな。まぁ、申し訳ないと思うんなら、今度一杯付き合えよ」


「それはいつもの事だろうに、まったく……」


 父さんの提案に、弓馬さんは苦笑しながらも了承した。


「やだ!! やーだー!!」


 俺達が帰るという空気を察したのか、碧が激しく暴れだす。


「ちょっと、碧。暴れないの!」


「やだー!! いっちゃやだー!! くぅーちゃん!!」


 碧は必死に俺を呼ぶ。


 俺を呼ぶ碧の声があまりにも必死だったから、俺は思わず碧の方を見た。


 碧は泣きながら俺を見ていた。女の子なのに、鼻水を垂らしながら、必死に俺を呼ぶ。


「くーちゃんは! くーちゃんはぁ! アタシが・・・・守るんだぁ・・・・・――!!」


 言って、碧は必死に俺に手を伸ばす。


 待って。守る? 守るって何? 何から俺を守るの?


 碧はなおも何かを言っている。けれど、その何かは聞こえない。まるでスピーカーだけ壊れてしまったテレビのように、映像だけが俺には見える。


 段々と、夢の光景が遠ざかる。


 待って! まだ知りたい事が――――!!


 俺の願いもむなしく、過去の光景は徐々に小さくなって消えて行った。





 少しずつ、目蓋が上がる。


「……ぅ……」


 くわぁっと大きく欠伸をしながら、俺は起き上がる。


 ……何か、物凄く大切な夢を見た気がするけど、おぼろげにしか思い出せない。


 なんだっけ? かなり大事な夢だったと思うんだけど……。


「あ、あんたようやく起きたの?」


 呆れたように俺にそう言ったのは、可愛くお化粧を施された戦さんだった。


「……おはよ」


「こんばんはの時間帯だけどね」


 時計を見れば、午後七時に差し掛かろうとしていた。もうお夕飯時だ。


「くーちゃん起きた? そろそろご飯だよー」


 化粧道具を片付けていたのか、碧がとことこと俺の元にやって来る。


「碧ちゃん……」


「――っ」


 碧の顔を見て、思わず昔使っていた呼び方で呼んでしまう。


「あんたねぇ、その歳で同級生をちゃん付けって……恥ずかしくないわけ?」


 戦さんが呆れたように言う。


「あ、うん……ちょっと、懐かしくて」


 本当に、何故か、碧の顔を見ると懐かしいと感じてしまう。


 碧は驚いたような顔からいつもの笑顔に戻ると、からかうように俺に言う。


「くーちゃんが昔みたいにアタシを碧ちゃんって呼びたいなら、アタシは全然良いよ? むしろウェルカム~!」


「まぁ、あんたはそうでしょうね」


「ううん、ちょっと懐かしくなっただけだから。俺はいつも通り碧って呼ぶよ」


「そう? 残念」


 言って、少しだけ残念そうに微笑む。


 けれど、それも一瞬の事。すぐにいつも通りの笑顔に戻る。


「さ、ご飯だよ。食堂に行こうかー」


 にこにこ笑顔で碧は言う。


「うん」


「ええ。浅見家の食卓だから、滅茶苦茶豪華なんでしょうね……」


「まっさかー。ちょっとステーキ奮発するくらいだよー」


「一般家庭は同級生にステーキ振舞ったりしないのよ」


 至極ごもっともな事を言う戦さん。


 二人の会話を聞きながら、俺はとある部屋の前で足を止める。


 そこは、俺と碧が一緒に暮らした、数日間だけの俺と碧の|部屋(いえ)だ。


「……ねぇ、碧」


 ぼそりと、碧に聞こえるか聞こえないかくらいの声音。


「んー、なーにー?」


 けれど、碧はちゃんと聞いていたようで、にこにこ笑顔で振り返る。


 俺はその部屋の扉を見たまま、碧に言う。


「碧、俺に隠してる事無い?」


「……隠し事? うーん、特にないけど……あっ、スリーサイズは内緒にしてる!」


「それは乙女として当たり前でしょう。っていうか、如月、急にどうしたの?」


「…………ううん、なんでもない。ちょっと昔の事を思い出しただけ」


 部屋の前で立ち止まれば、少しだけ昔の事を思い出した。


 本当に少しだけだ。朧気なのは変わらない。


 けど、思い出した記憶の中の碧は……。


「ん? アタシ見つめてどーしたの? もしかして惚れちゃった?」


「ほの字なのはあんたでしょう。ていうか、如月もぼーっとしてないでよ。私お腹空いたんだから」


「あ、ご、ごめん」


 慌てて、二人の元へ歩み寄る。


 朧気ながら、これだけは確実に言える。


 あの数日間の碧はずっと笑顔で、たまに目から光が消えたりもしたけれど、いつになく真剣だった。


 何か、覚悟をしたような。そんな目をしていたんだ。

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