第88話 暗躍、そして、最終日

 闇夜の中、一人の女が一軒の料亭を見る。


 そこでは、先ほどブラックローズが入って行き、今頃楽しく食事会をしているであろう事は想像にかたくない。


 その楽しい時間を今から壊そう。完膚無かんぷなきまでに壊してやろう。それがオレ・・の役目だ。それがオレの仕事だ。


 意気を篭め、一歩踏み出す。しかし、その進行方向上に二つの影が立ちはだかる。


「「何するつもり?」」


 重なる二つの声に、女は驚く。が、それも一瞬。冷めきった声で尋ねる。


「――っ! ……それはこっちの台詞だぜ。お前ら、いったいどういうつもりだ?」


 声は冷めきっているのに、闘志だけは剥き出しになっている。


 圧倒的威圧感を放つ女に、しかし、二つの影は動じない。


「「……わかんない」」


「はぁ? わかんねぇだぁ? はっ、なら退け! 目的も無くオレの前に立つんじゃねぇ!」


 苛立ったように、女が言う。


「「わかんないから、少しだけ時間が欲しいんだ」」


「そうか、なら好きに考えてりゃ良い」


 言いながら、歩き出す。


「「待って」」


「待たねぇ」


「「待ってよ!!」」


「待たねぇよ!! 俺達の敵が目の前にいんだ!! 誰が待つか!!」


「「む~~~~っ!!」」


 唸りながら、二つの影は臨戦体勢をとる。


 その瞬間、女から少しだけあった優しさが消える。


 スッと目に冷たさを宿し、二つの影を見る。


「お前ら、自分がなにしてっか分かってんのか……?」


 冷たい声。けれど、二つの影は退かない。


「「分かってる! でも……」」


「でももくそもねぇ!! オレ達を裏切んのか? 双子座ツヴィリング?」


「「裏切る……訳じゃない。ただ、僕達は……!!」」


「……その辺にすると良い」


 対立する二人と一人。その間に、すっと一つの影が入り込む。


「てめぇ……何しに来やがった?」


「……仲裁ちゅうさい


「んなこたぁ見りゃ分かる。そうじゃねぇだろ? なんでお前がここにいる? 持ち場はどうした?」


「……もう終わった。だから、様子を見に来た」


「ならすっこんでろ。今からオレはブラックローズと戦うんだからよ」


「……後にする。今は、まずい」


「はぁ? なんでだよ」


 女の質問に答えず、視線をある方向に向ける。


「……出て来ると良い。出歯亀でばがめは良い趣味とは言えない」


 そう言えば、すっと影から姿を現したのは、変身用のベルトを装着した深紅だった。


「なっ!? クリムゾンフレア!?」


「「――っ」」


 驚愕する女と二つの影。けれど、割り込んだ女だけは驚かない。当たり前だ、なにせ、気付いていたのだから。


「よく分かったな、俺が隠れてるって」


「……お前の考えなどお見通し」

 

「へぇ……」


 冷めた視線を向ける深紅。深紅は、相手に最大限の警戒を向ける。


「はっ! 丁度良い!! クリムゾンフレアとブラックローズをいっぺんに仕留めるチャンスじゃねぇか!!」


「……やめておくのが吉。チェリーブロッサムも、近くに居る」


「だからどうした! 三対三だ!! 丁度良いじゃねぇか!!」


「……双子座ツヴィリングに戦意は無い。そして、私も戦うつもりは無い」


「はぁ!? なんでだよ!!」


「……今戦う事程無意味な事は無い。私は双子座ツヴィリングを連れて帰る」


「あぁ!?」


「……双子座ツヴィリング、帰る」


「「……うん」」


「うん、じゃねぇ!! おい、マジで帰んのか!?」


 割り込んだ女が淡い碧色の魔力で練られたゲートを開く。


 両手で二つの影の手を引きながら、割り込んだ女はゲートの中へと歩き出す。


「「……バイバイ、お姉ちゃん」」


 名残惜しそうに料亭の方を見ながら言って、三人はゲートの中へと消えた。


「あ、おい!! くっそ!! おい!! 次に会ったら覚悟しておけ!! 次は、次こそは問答無用でぶっ殺すからなぁ!!」


 消えて行った三人を見て、女は捨て台詞を吐きながら、慌てて三人の後を追ってゲートを潜った。





 四人がいなくなり、殺気立った空気が無散すれば、俺はようやく緊張を解いて変身ベルトを外す。


 危なかった……アクアリウスクラスの敵が三人・・も居たんじゃ、さすがの俺もキツイわ……。


 まぁ、黒奈と桜ちゃんを頼れば良いんだけど……二人とも楽しんでる真っ最中だしなぁ。


「はぁ……俺ってば貧乏くじ」


 言いながら、俺は自身のスマホを見る。


 そこには差出人不明の謎のメールが届いていた。


『ブラックローズを護れ』


 それだけの、簡潔な文。


 差出人が不明だし、ただのイタズラメールかとも思ったけれど、こんなにピンポイントで俺に関連するイタズラメールがあるか? もちろん、まったくの偶然かもしれない。けれど、意図された物かもしれない。


 差出人の意図通りに動くのはしゃくだけれど、黒奈に何かがあっても嫌だったため、変身ベルトを装着して見張っていた。そうすればどうだ? メールの通りに怪しい影が到来したじゃないか。


 あいつらが何者だったのかは定かではない。予想は付くけれど、予想の域を出ない。


 しかし、実際にブラックローズを狙おうとしたのは事実だ。このイタズラメールの差出人が何を考えて送って来たのかは知らないが、嘘を言っている訳ではない事は証明されてしまった。


「……ったく、何がなんだか……」


 何か、思わしくない事態が進行しているのかもしれない。そう考えると、自然と溜息が出る。


 それに、持ち場と言っていた。担当地域があるのか? それに、終わらせたと言っていた。何をした? 何をするつもりだ? 何が目的なんだ?


 疑問と謎が増えるばかり。まったく、解決編はいつになるやら……。


「っと、そろそろ俺も戻るか。……方々ほうぼうに上手く使われてんなぁ、俺」


 近くに止めてあるバイクまで向かう。


 はぁ……夏休みだってのに、全然休んでない。



 〇 〇 〇



 ピピピ、ピピピ、ピピピ。


 耳障りな電子音が耳朶じだに触れる。


「ん、ぅ……」


 なんだろうと思って手で周囲を探るけれど、返って来るのは柔らかい感触・・・・・・だけだ。


「……んぅ?」


 ……なに、これ? やわい……。


「……あんた、なにしてんの……?」


 呆れたような声が聞こえて来る。


 ん、誰だ……? でも、聞き覚えが……。


 俺は声の正体を確かめるべく、重いまぶたを開く。


 そこには、声の通り呆れた顔をしている東雲さんの顔があった。あぁ、東雲さんか……って、東雲さん!? 


 俺は思わず飛び起きる。眠気なんて遠い彼方かなたに飛んで行ってしまった。


「なんで東雲さんがここに!?」


「なんでって、ここ私の部屋だし」


 言いながら、東雲さんも起き上がる・・・・・。そう、東雲さんは寝そべっていたのだ。どこに? 決まっている、俺の目の前にだ。


 ……なんだ。俺は何を触ってしまったんだ……!?


 い、いや、それよりも! ここ東雲さんの部屋なのか!? なんで俺はここにいるんだ!?


「あんた、昨日の事憶えてる?」


 東雲さんが眠たそうに目を擦りながら聞いてくる。


 昨日の事? ……確か、料亭に行って……。ひえっ!? お、おおおおおおお思い出した!! 思い出してしまったぁあ!!?


 昨日仕出かしてしまった事を思い出した俺は、ベッドの上で東雲さんに土下座をする。


「ご、ごごごごごごめんなさい!! 東雲さんにとんだご迷惑を……!!」


「ああ、憶えてるのね。まぁ、場酔いだったし」


 くわぁっと欠伸をする東雲さん。


「……怒って、ないんですか?」


 ちらりと頭を上げて見てみれば、なんでもないふうに言ってベッドから降りる東雲さん。


「別に? 可愛いあんたも見れたしね。あ、でも、あんた二十歳になっても男の前でお酒飲んじゃダメよ? 良い?」


「? 分かりました……」


 なんでダメなんだろう? ま、いっか。


 東雲さんが許してくれたので、俺は土下座をやめる。そして、改めてお礼を言う。


「えっと、あの、ありがとうございます。ここまで運んできてくれて」


「いいわよ、別に。それよりも、体調は大丈夫そう? 頭とか痛くない?」


「大丈夫です。よく食べてよく寝たので、とても元気です」


「そ、なら良いわ。さて、今日は頑張るわよ~! もう今日しかチャンス残されてないしね!」


 ん~っと伸びをしながら張り切る東雲さん。


 その姿は、昨日、一昨日よりも、活力に満ちあふれているように見えた。


「コンディション抜群!! やる気満々!! 天気良好!! うん!! 絶好の撮影日和びよりじゃない!!」


 言って、ばっとお服を脱ぎ捨てる東雲さん――って、なんで脱いでんのぉ!?


 思わず顔を手で覆ってしまう。けど、これが正しい判断だ。指の隙間なんて開けない。ぴっちり閉じて俺の視界を塞いでやる!! バッチリ見えちゃったけどさ!!


「ねぇ、黒奈」


「……なんですか?」


「絶対に成功させましょう。……ううん、違うわね。絶対に成功させるわ。誰が見ても、完璧な絵を仕上げてみせるわ」


 こちらを振り返る気配。俺は、目隠しをしているのが失礼に思えて、手をそっと下げる。


 そうすれば、真摯な瞳が俺を射抜く。今までで一番真に迫る、モデルとしての格の違いを思い知らされる、そんな瞳。


「だから、あんたも私にこたえて欲しい。私とあんたなら、最高の一枚が出来るわ。最初はそうは思わなかったけど、今はそんな気しかしないの」


「……はい。私も、同じ気持ちです」


 東雲さんとなら、最高の一枚が出来る。おかしな話だけど、確証は無いのに確信がある。


 俺の返事を聞くと、東雲さんは花が咲いたように笑う。


「そ、気が合うわね、私達」


「はい」


 頷き、そっと目隠しを再開。だって、東雲さん下着姿なんだもん!!


「ぷっ……なにしてんの?」


「目隠しです」


「なぁに? 恥ずかしいの?」


「とっても!! 早くお洋服来てください!!」


「ふふっ、はいはい」


 笑いながら、バスルームに東雲さんが消えていく気配。


「あっ、黒奈」


「なんでしょうか!?」


 目隠しを外そうとしたタイミングで、東雲さんがバスルームから出て来る。もう、この人は、もう!


「詩織が悔しがるくらいの、最高の一枚を撮りましょう」


 一瞬、頷けなかった。それは、この撮影に来れなかった東堂さんに対して、余りにも酷なんじゃ……いや、そうじゃない。最高の結果に終わらせるなら、どちらにしろ、最高の一枚を撮らなくてはいけないのだ。それを、東雲さんも分かっているのだ。


 東堂さんにとって酷だろうと、東雲さんは最高の一枚を撮る。それは、東雲さんの覚悟の表れだ。


「……分かりました。最高の一枚、絶対に撮りましょう。いえ、撮ります」


「ふふっ、その意気よ」


 笑って、東雲さんは今度こそバスルームに入る。 


 俺は再度気合いを入れる。


 よしっ! 頑張るぞ!!


 そうして、ポスター撮影、最後の一日が始まった。なんでか、もう失敗する気はしなかった。

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