第84話 二日目終了

 深紅と一緒にビーチに戻れば、スタッフさん達だけではなく、一般のお客さんも深紅を見てざわめく。


「和泉さん。お久しぶりです」


 しかして、さすがは榊さん。驚きも数瞬でおさまり、直ぐに笑みを浮かべて深紅に挨拶をする。


「お久しぶりです、榊さん」


「様子を見に来たのですか?」


「ええ。こいつがやらかしたみたいなんで、ちょっと様子見に、ね」


「別にやらかしてないし……人助けだし……」


「分かってるよ。けど、お前がひた隠しにしてきた事が明るみになっちまったんだ。心配して様子も見に来るさ」


「それは……ありがとうだけど……」


 そんな事を言ってしまって良いのだろうか? 黒奈と深紅であれば問題無いだろうけれど、ブラックローズと深紅だと、色々と深紅に迷惑をかけてしまう。


「ふふっ、お二人は仲がよろしいのですね」


「まぁ、こいつ黒奈の従姉妹いとこですからね。黒奈と幼馴染みやってれば、自然と会う機会もありますし、仲良くもなりますよ」


 と、ここで深紅が会話の中にフェイクを交ぜる。ていうか、奈黒が黒奈と従姉妹設定なのどこで聞いたんだ? 花蓮? それとも、桜ちゃんかな?


「ああ、だからブラックローズとよくタッグを組んだりしているんですね」


「はい。元々知り合いな分、連携取りやすいですからね」


 榊さんも、深紅の嘘に乗って話しを進める。多分、黒奈とブラックローズが繋がらないようにしてくれてるんだと思う。


「それはそうと、こいつちゃんと止めてやってくださいよ。身バレしたにも関わらず、一人でコンビニ行ってたんですよ? 案の定、途中でナンパにあってたし」


 ナンパと聞き、榊さんの眉がぴくりと反応をする。


「ナンパ、ですか……。大丈夫ですか、如月さん? 不埒な事はされませんでしたか?」


「だ、大丈夫です。深紅が助けてくれましたから」


「そうですか。それは良かったです」


 ほっと安心したように胸を撫で下ろした後、榊さんは深紅に向き直る。


「すみませんでした。完全にこちらの不注意です」


「まぁ、こいつが考え足らずなのも原因ですけどね。ほら、お前もちゃんと謝っておけよ」


「え、ご、ごめんなさいでした……」


 深紅に急に言われ、俺は思わず変な言葉で謝罪してしまう。ううっ、なんだよごめんなさいでしたって……。子供じゃないんだから……。


「いえ。私どもの気が利かなかったのも事実です。ですが、今後は入り用の物がございましたらスタッフにお申しつけください」


「はい……」


「それで、そのビニール袋いっぱいに入った物はいったい何ですか?」


「あ、これ熱中症対策にと思って……」


 深紅の持ってる袋からスポーツドリンクとタブレットを取り出す。


「えっと……人数分、買ってきましたので。よかったら……」


 言いながら、とりあえず榊さんに渡す。


 そうすれば、榊さんは笑顔で受け取ってくれる。


「ありがとうございます。皆さん、如月さんから差し入れですよ!」


 榊さんが言えば、スタッフさん達がわらわらと集まってくる。


 まさか集まってくるとは思わず、俺は慌てながらも深紅の持ったビニール袋からスポーツドリンク等を取り出す。


「なぁ、これ下ろして良いか?」


「ダメ。砂が付いちゃうでしょ」


「そうかよ……」


 砂が付いた物を渡す訳にはいかないだろう? 椅子に置いたら俺の椅子が袋の外に付いた水滴で濡れちゃうし。せっかく持ってるんだったら最後まで持ってて。


 深紅が持ってるビニール袋から漬物やら塩分チャージのタブレットやらも取り出す。


 本当は冷えたスイカとかの方が嬉しいのだろうけれど、スイカはコンビニには売ってなかった。


 スタッフさん達に渡し終わり、残り一セットだけ残った状態に。誰が貰って無いかは、確認しないでも分かる。


 俺はスポーツドリンクと塩分補給用のタブレットを持って、東雲さんのところへ向かう。


「あの、東雲さん」


「……なによ」


 先ほどの同じ反応。やっぱり、ちょっと気まずい。


「あの、これ、良かったら……」


 言って、東雲さんにスポーツドリンク等を差し出す。


 東雲さんはそれを一瞥いちべつすると、視線を下に戻す。


「いらない。他の人にあげて」


「いえ、あの、人数分用意したので」


「だとしてもいらない」


「……でも」


 さっきから、東雲さんは飲み物を口にしていない。俺がツヴィのところに居る間に飲んでいたのかもしれないけれど、今日も真夏日だ。熱中症対策をしておいた方だ良いだろう。


 そう思って渡そうとしたのだけれど、東雲さんはキッと俺を睨んで俺の手を煩わしそうに叩いた。


「いらないって言ってるでしょ!!」


 叩かれた拍子に、手に持っていた物が地面に落ちる。未開封だから大丈夫だけれど、見事に砂まみれになってしまっている。


 けれど、俺は物が落ちてしまった事よりも、手を叩かれた事の方がショックで、思わず固まってしまう。


 東雲さんの荒げた声はスタッフさん達にもしっかりと聞こえており、皆一様に話しを止めて俺達に視線を向けてきた。


「あ、あの……ごめんなさい……」


 俺がしつこかったのだと思い、気落ちしながら素直に謝る。


 謝る俺を見た東雲さんは苛立たしげに俺を睨み、乱暴に椅子から立ち上がるとトレーラーの方へと歩いていってしまった。その後を、慌てて東雲さんの担当スタイリストさんが追う。


「大丈夫か?」


 言いながら、深紅が砂まみれになったスポーツドリンクとかを拾う。


「虫の居所が悪かったんだろ。今日暑いしな」


 まるで検討違いの事を言う深紅だけれど、それが俺を案じての言葉だと分かるから、俺はただただ頷いて返す。


「お前も休んでおけよ。俺、ちょっと花蓮ちゃん達のところ行ってくるから」


 砂を綺麗に落としたスポーツドリンクなどを置いて、花蓮達のところへ向かう。


「あの、大丈夫ですか……?」


「はい……」


 スタイリストさんが心配そうに声をかけてくる。俺はそれに出来るだけ気丈に振る舞う。


 俺、しつこかったかな? 東雲さんに悪い事しちゃったな……。


 手を叩かれたのは少しショックだったけれど、自分の行いがしつこかったかもと反省する。


 その後、休憩時間が終わる寸前で東雲さんが戻ってきて、東雲さんとツーショットを撮影したけれど、どうにもお互いに精彩を欠く動きをしていたように思う。


 東雲さんには昨日までの洗練された動きは無く、俺はまたぎこちなさが振り返した。


 その日の撮影は終了したけれど、午後の撮影の大部分が失敗に終わった事は、全員がきちんと理解していた。





 二日目が終了し、俺はホテルの部屋のベッドで寝っ転がる。


 撮影は終わったけど、あれじゃダメだ……。明日があるけど、逆に言えば明日しか無いんだ。今のままじゃ明日も上手くいかない。けど、どうすれば……。


 今日の……というより、午後の東雲さんは俺の目から見ても不調が目立った。動きはぎこちなく、笑顔に引き込まれるほどの魅力が無かった。


 何があったのかは分からない。けれど、東雲さんの心境に何かがあったのは確かだ。それも、調子を崩すような何かが……。


 けれど、考えたところで分かるはずも無い。俺は東雲さんの事をなにも知らない。知らない事に予想はつけられない。


 ごろんごろんとベッドを転がりながら、うんうん悩む。


「……ダメだ。全然わかんない……」


 起き上がり、財布とスマホを持つ。


 お夕飯にはまだ時間がある。気分転換に、ロビーにある売店に行って甘いものでも買おう。


 部屋の鍵を閉め、階段を使ってロビーに向かう。


 ロビーに到着し、売店を目指して歩く。


 そこで、外へと向かう東雲さんを偶然見かける。


 どこかへ出掛けるのだろうか? でも、もうすぐ暗くなるし……。


 夏とは言え、六時を過ぎれば日も暮れはじめる。それに、東雲さんはプロのモデルさんだ。ブラックローズよりも変な人に絡まれる可能性が高い。


 よし。ちょっと後をつけよう。危なくなりそうだったら助けないと。


 俺はそう決めると、東雲さんの後を追う。


 ばれないようにこそこそと後をつけ、物影に隠れて着いていく。


 東雲さんはスタスタと歩き、やがて、昼間に撮影のために訪れたビーチにたどり着くと、ビーチに降りるための階段に座り込む。


 そして、ぼーっと日の沈みはじめている海を眺める。


 ……海を眺めたかっただけ……かな? はっ、それとも一人になって心を落ち着けたかったとか……!! それなら、俺が居るのがばれたら東雲さんの気が散っちゃうな。ばれないようにそーっと帰ろう。


 そろーっとその場を離れようとしたその時、東雲さんが深い溜息を吐く。


「ねぇ、用があるならさっさと言って。後ろから見られてると落ち着かないから」


「ひうっ!?」


 思わず声をあげてしまう。


 東雲さんの方を見れば、東雲さんは不機嫌そうに俺の方を振り返っていた。


「えっと、その……すみません」


 どうして俺が後ろに居ることが分かったのか気になるところだけれど、それよりも先に背後を付け回すような事をしてしまったのを謝罪するべきだと思い、俺は正直に謝る。


 が、東雲さんのお気にはめさなかったようで、眉間に寄った眉が更に寄る。


「別に謝ってほしい訳じゃないんだけど。私は、何か言いたいことがあるんなら言ってって言ってんの」


 言いたい事……は、特にないけれど、聞きたい事はある。


 丁度良い機会だと思うことにして、俺は東雲さんの隣に少し間を空けて座る。


「……で、何? わざわざ後付け回してたんだから、言いたいことの一つや二つあるんでしょう?」


 不機嫌そうに海を眺めながら、東雲さんは言う。


 俺は少しだけ考えた後、東雲さんに尋ねる。


「あの、どこか具合でも悪いんですか?」


「平気よ。どこも具合なんか悪くないわ」


「でも、午後の撮影の時に、東雲さんらしくないって思いました」


「……私らしい? はっ、今日会ったばかりの人に何が分かるのよ」


「今日会ったばかりでも分かります。昨日の東雲さんは凄かったです。これがプロなんだって、実力の差を思い知らされました」


 だからこそ、俺は自信喪失してしまった。東雲さんの隣に並べる程に魅力的なのかと自分を追い詰めるような自問をしてしまった。


「でも、今日の東雲さんは…………」


 そこまで言って、口ごもる。はたして、言っていいのか。それを迷ってしまったのだ。


 けれど、そこまで言えば東雲さんも気付く。


「今日の私からは魅力が微塵も感じられなかったって?」


「…………はい」


 東雲さんの言葉に頷く。


 そうすれば、東雲さんは悔しそうに歯を食いしばって俺を睨む。


「あんたに、私の何が分かるの?」

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