第83話 ふたたびの……

 東雲さんの様子がおかしい。それに気付いたのは、俺だけではなかった。


 東雲さんをレンズに収めているカメラマンさんは当たり前として、撮影の様子をよく見ている榊さんも即座に気付いた。


 しかし、気付いたのは彼らだけではなかった。他のスタッフさん達も、東雲さんの動きがどこか固く、昨日のようなキレが無い事に気付く。


 そして、それには東雲さん自身も気付いていた。どこか無理をしている様子で撮影を続ける東雲さんを見て、昨日の俺の姿とどこか重なるところがあるのを感じる。


「東雲さん、どうしたんでしょうか……?」


 スタイリストさんが心配そうに呟く。


「さぁ……」


 けれど、俺には何も答える事が出来ない。俺は東雲さんが不調の理由を知らないし、憶測も思い浮かばない。


 一旦撮影が止まり、東雲さんにカメラマンさんや榊さんが何やら尋ねている。


 ここからでは何を話しているのか分からないし、わざわざどうしたのかと聞きに行くのも東雲さんにとってはカンに障る行動だと思うので、俺は椅子に座ったまま事の成り行きを見守る。


 五分ほど何やら話し合い、結局、そのまま撮影は進んだ。


 ただ、撮影が進んだからといって東雲さんの固さが取れた訳ではない。東雲さんが不調なままピンでの撮影は終わりまで続いた。


 東雲さんを休めるために、少しの休憩を挟み、それからペアでの撮影ツーショットをする事に。


 先ほどはあえて聞きには行かなかったけれど、やっぱり東雲さんが心配だ。プロである彼女がこんなに不調になるなんて、よっぽどの事があったに違いない。


 俺は椅子から立ち上がり、少しだけ俯きがちの東雲さんの元へ向かう。


「あの、東雲さん」


「……なによ」


 ちらりと俺に視線を向け、すぐに下に戻す。


「どこか、お身体の具合でも悪いんですか?」


「……なんでも無いわよ」


「でも、どこか無理なされてるように見えます。お身体の具合が悪いのでしたら、一度榊さんに――」


「何でもないって言ってるでしょ!! いいから放っておいてよ!!」


 声を荒げ、俺を睨みつける東雲さん。でも、どうしてだろう。声を荒げているのに、俺を睨みつけているのに、今の東雲さんはちっとも怖くなかった。これなら、昨日睨まれた時の方が怖かった。


 声を荒げる東雲さんに、周囲に居たスタッフさん達は一瞬驚くも、触らぬ神に祟り無しとばかりに気まずそうにしながら各々の作業に戻る。


「……分かりました。不躾に、申し訳ありませんでした」


「……いいから、行って」


 俺が謝れば、力無く言う東雲さん。


 昨日までの東雲さんだったら、多分文句の一つや二つは言っている事だろう。いや、三つは言ってるかも。


 でも、今の東雲さんにその気力は無いらしい。


 本当に、どうしたんだろう? 熱中症とか、風邪とかだったら大変だし……。よしっ、決めた。


 俺は近くのスタッフさんを捕まえる。


「あの」


「はい、どうしました?」


「ちょっと、コンビニに行ってきますね。すぐに戻ってきますので」


「何か入り用ですか? なら、誰か手の空いてる者に行かせますが」


「いえ、大丈夫です! 私も手が空いてるので!」


「え、でも……」


「では、行ってきますので!」


「あ、ちょっと!」


 椅子に引っ掛けていたパーカーを羽織り、財布とスマホを持ってコンビニへと向かう。


 スタッフさん達が何やらざわついているけれど、コンビニに行くくらいなら大丈夫だろう。お金はそこそこ入ってるから大丈夫だと思うし。


 ビーチサンダルなので走りづらいけれど、休憩時間中に戻らなくてはいけないので、小走りでコンビニへ向かう。


 ぺったぺったとビーチサンダルを鳴らしながら、ビーチに程近い位置にあるコンビニへと向かう。


 コンビニに入ればひんやりとした冷房の冷たさが肌を刺す。


「いらっさいませぇ……え……?」


 店員さんの視線が俺に向くけれど、構わず商品棚にカゴを持って向かう。


 熱中症対策の塩分補給タブレットやスポーツドリンクをどんどんカゴの中に入れる。後は、きゅうりの漬物とか、とにかく、塩っけのあるものを買う。


 カゴに入るだけ入れて、レジに向かう。


「お願いします」


「は、はい」


 レジカウンターにカゴを置けば、店員さんは少し惚けたような顔をしながらも、すぐにレジ打ちをしてくれる。


 お会計を済ませ、食べ物やら飲み物やらがいっぱい入ったビニール袋を両手に持ち、撮影場所に向かって小走りで移動する。こういうとき、ブラックローズで良かったと思う。黒奈だったらこんなに大荷物持ちながら走れない。


 えっほえっほと小走りしていると、不意に進行方向を塞がれる。


「え、ブラックローズじゃん。何、重そうなの持ってるね。一緒に持ってあげよっか?」


「ていうか実物マジ可愛い。え、写真一枚いい?」


「ねね、それより俺とSNS交換しない? 今度デートしよーよー」


 進路を塞ぐ三人の男性。水着を着てるから、多分海水浴にきた人達だと思うけど……。


「すみません。ちょっと急いでますので」


「じゃあさ、その荷物俺が持ってあげるよ。一緒に戻ろうぜ?」


「いーねそれ! ほら、俺達紳士だからさ! 女の子に重いもの持たせるのも見過ごせないし?」


「いえ、大丈夫ですので」


「いーからいーから。それ貸してみ? ね?」


 俺の手から荷物を奪い取ろうとする男から、俺は一歩下がって荷物を守る。


 ……もう、面倒臭い。強行突破できるけど、怪我させちゃったらやだし……。あまり人間離れした動きをして俺が変身してる状態だってばれるのもやだし……。


 絡んでくる男達をあしらいながら、どうしようかと悩んでいると、俺と男達の間に誰かが割って入る。


「お兄さん達、こいつに何の用かな?」


「え、お、お前は……」


「あれ、俺の事知ってる? そいつは光栄だな。じゃあさ、ここは俺に免じて引いてくれないかな? そっちの方が良いと思うけど……どうかな?」


 どうかなと問い掛けるけれど、そこに反論の余地も、別の選択肢も用意されていない。ここは大人しく引け。そう言外に男達に伝えていた。


 男達はもごもごしながらも、一つ舌打ちをして去って行った。


「はぁ……で、お前何してんの?」


 呆れたようにそう言って振り向いたのは、俺の良く知る人物であった。


「それはこっちの台詞。そっちこそ、何してんの?」

 

「バカ。お前が面倒な状況になってるから、わざわざ来てやったんだろうが」


 そう言って俺の頭に手刀を一つ落としたのは、俺の幼馴染みであり我等がクリムゾンフレアでもある、和泉深紅であった。


「いたい」


「バカ。お前の状況考えろ。お前、今は正体バレてんだぞ? 守ってくれる集団から外れたら、今みたいな奴らに絡まれるだろうが」


「いたかった」


「痛くしたんだから当たり前だっつの。ったく……」


「むぅ……いたかった……」


 二度文句を言えば、深紅は謝る事もなくこれまた呆れたように言う。


「はぁ……で、何してんだ? そんな大荷物抱えて」


「……皆に食べてもらおうと思って」


 言って、袋の中身を深紅に見せる。


「なるほど、熱中症対策ね。で、これをお前が買いに出る理由は?」


「私が手が空いてたから……」


「手が空いてたからって被写体がいなくなってどうすんだよ。それに、そういうのは事前に用意しておくものだ。思い付いたならお金だけ渡して、申し訳ないけど他のスタッフさんに買ってきてもらえって」


「でも、皆忙しそうだったし……それに、東雲さんも調子悪そうだったし……」


「それにしたって、お前が動く事じゃないだろ? 今回に限って言えば、ブラックローズの名前はお前が考えている以上に知れ渡ってるんだ。お前が一人で動く事のリスクをもっとよく考えろ。お前が思ってる以上に、お前は有名人なんだぞ?」


「でも……」


「でもじゃない」


「だって……」


「だっても禁止」


「むぅ……」


 だって、俺がしてあげたいって思ったんだもん……。皆忙しそうだし、どうにかしなきゃって思ったんだもん……。


「……だって……私が直ぐに動けたし……」


「直ぐに動けるからっていってもな、その人が動いて良い場面と悪い場面があるんだよ。今は悪い場面。いつものお前ならこんな事にはなってなかっただろうけど、今のお前は違うんだ。ブラックローズである事を自覚しろ」


 反骨心から出た言葉も、深紅の正論で素早く打ち崩される。


 なんで皆のためにしようと思った事を怒られなくちゃいけないんだ。深紅のバカ。ばーか! あほ!


 心中で悪態を着きながら、俺は決まりが悪くて深紅から視線を逸らす。


 そうすると、深紅は一つ溜息を吐いてから言う。


「別にお前の好意が悪いって言ってる訳じゃない。ただな、お前も、ブラックローズの知名度を考えて動けって事。それと、その好意の動かし方を考えろって事。お前が動くことだけが、好意の表し方じゃないだろう?」


「……そんなの、わかんないし……」


「お前がこれからもブラックローズとしているつもりなら、拗ねてないでよく考えろ」


「……はーい……」


 確かに、深紅の言うことも一理あるけど……別に今言わなくても良いじゃん。深紅のばか。


 俺がそうしてぶすくれていると、不意に両手に持った荷物の重みが消える。


 気付けば、深紅が俺の持っていた荷物をその手に持って歩き出していた。


「ほら、行くぞ。休憩時間終わっちまうぞ」


「う、うん」


 頷き、慌てて深紅の後を着いていく。


 そこで、俺は深紅が用事があるにも関わらず来てくれた事に対して、まだお礼を言っていない事に気付く。色々言われたけど、深紅が俺を心配して来てくれたのには変わり無いのだから。


「し、深紅、あの……」


「ん、なんだよ」


「……ありがと、来てくれて……」


「いーよ。いつもの事だろ」


 何でもないように言うけれど、それに俺がどれだけ救われているか、深紅は分かっているのだろうか? まぁ、恥ずかしいから、直接口には出さないけど。……今度、何かお礼しなくちゃいけないかな。


「ていうか、これ重い。お前買いすぎ」


「うっ、ごめん……」


「ふっ。まぁ、お前のぽかもいつもの事か」


 そう言って、深紅は笑う。


 俺も、つられて笑みを浮かべてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る