第82話 ブラックローズで在る事

 撮影テントに戻る頃にはとっくに休憩時間を過ぎてしまっており、俺はスタッフさん全員に頭を下げて回った。


 俺が勝手な事をして撮影を遅らせてしまったのは言い訳のしようも無い程の事実なので、ここはきちんと謝っておくべきだと思ったのだ。


 それでも後悔はしていない。あのまま俺が見て見ぬ振りをしていたらツヴィは助からなかったのかもしれないからだ。だから、ツヴィを助けた事には後悔は無い。ただ、それはそれとして、撮影スタッフに迷惑をかけてしまった事にも申し訳なさを覚えているのもまた事実なのだ。


 スタッフさん達は、俺の謝罪に対して戸惑いながらも許してくれた。榊さんに事情を聞いたのか、子供を助けるためだったのだから仕方ないとも言ってくれた。


 責任者である榊さんも、笑顔で俺を許してくれた。


「如月さんが誰かのために動くのは当たり前の事です。如月さんはブラックローズですからね。仕方ありませんよ。それに、思わぬ形ですが、良い宣伝にもなりましたし」


 そう言って笑った榊さんに俺は思わず苦笑をしてしまう。商魂逞しいかぎりだ。


 とりあえず、全員に許しをもらえた。ただ、東雲さんに謝りに行ったとき、東雲さんは青い顔をしながら元気も無く俺の言葉に適当に答えていた。うん、分かったとしか言わなかった。東雲さんなら、もっと言ってくるのかと思ってたけど……。


 若干、東雲さんの事が心配になったけれど、時間も差し迫っている事だし、俺はトレーラーに戻ってすぐさま着替えをした。髪の毛は変身をした影響で伸びきったままだけれど、そのままでも良いとの事なのでそのままの撮影となった。


 多少の化粧をした自分を鏡越しに見る。


「……うん。完全に水着姿のブラックローズだ……」


「ですねぇ」


 俺の言葉に、スタイリストさんが頷く。


 これはまごうことなくただのブラックローズだ。如月黒奈の面影は無いに等しい。


「それにしても、本当にブラックローズですねぇ」


「まぁ、ブラックローズですから」


「いえ、そうでなく。黒奈さんとブラックローズって顔付きが似てるのに、ブラックローズの姿だと完全にブラックローズとして認識しちゃうなぁって」

 

 不思議だなぁと俺の顔をまじまじと見るスタイリストさん。


 確かに、そこは俺も常々不思議に思っている事だ。しかして、今はそんな不思議現象に気を割いている余裕は無い。今は、撮影を済ませなければならないのだ。


 それに、俺の身バレを防いでくれているのだ。あまり気にしても仕方がない。


「準備も出来ましたし、行きましょう」


「そうですね。午後の撮影、頑張ってください!」


「はい!」


 スタイリストさんの激励を受けながら、俺はトレーラーを後にする。


 ビーチに到着すれば、早速撮影が開始される。まずは、俺から撮影をすることになった。


 ちらりと野次馬に目を向ければ、午前中の倍以上の数が集まっている事が分かる。ううっ、ブラックローズだって露呈したからか? 人が増えるとやっぱりその分恥ずかしいなぁ……。


 って、恥ずかしがってる場合じゃない。撮影に集中しないと!


 俺は自分の頬を軽く叩いて気合いを入れ直す。よしっ、大丈夫!


「お願いします!」


「はいよ!」


 俺の言葉に、カメラマンさんが良い返事をくれる。その事に、少しだけ強張こわばっていた心が弛緩するのが分かる。


 如月黒奈の事を知っている人が、この場にはそこそこに居る。俺が男だと知っていて、そのうえでブラックローズの正体が如月黒奈だと知っている人が居るということだ。


 やっぱり、男が魔法少女になるのは気持ち悪いだろうか? 皆、俺の事を軽蔑するだろうか……?


 そんな事を考えると、自然と心が強張ってしまう。


 心が強張れば、表情も動きも強張ってしまう。


 ああ、ダメだ。せっかく考えないようにしてたのに……。撮影が終わるまでは、何も気にせずに全力で頑張ろうって思ってたのに……。


 ポーズや表情にキレが無い事を、カメラマンさんは即座に見抜き、一瞬顔をしかめる。けれど、次の瞬間には笑みを浮かべて言う。


「奈黒ちゃん、顔強張ってるよ! スマイルスマイル! 俺は可愛い奈黒ちゃんの方が、撮ってて楽しいぞー!」


 言って、カメラマンさんは笑顔で写真を撮影する。


「正体バレちまって不安なのも分かるが、気にしなさんな! 誰も気にしちゃいないし、誰も正体を漏らすつもりはないからよ!」


「――っ」


 思わず、一瞬表情と思考が固まる。けれど、一瞬の後にはカメラマンさんが言った言葉の意味をちゃんと理解する。


 如月黒奈がブラックローズだということを誰も気にしていないと、カメラマンさんは言っているのだ。


 スタッフさんの顔を見れば、俺が男だと知っている人達は皆一様に俺と目が合うと笑顔で力強く頷いてくれる。それ以外のスタッフさんも、それぞれ俺に向かってアクションをとってくれる。


 本当に、誰も気にしてないの? だって、俺男だし、魔法少女だし……。


 心中で疑惑の芽が育とうとしたその時、カメラマンさんがなんでもないように言う。


「この業界は色んな事があるからな。何があってもそんなに驚かんし、まぁそんな事もあるよなでたいてい片付くもんだよ。それに、奈黒ちゃんが可愛い事に変わりはない。なら、俺はまったく問題ないね」


 言いながら、シャッターを押して写真に俺を収めるカメラマンさん。


 カメラマンさんはカメラから目を離すと、俺を見て笑う。


「ほら、呆けてるぞ! しっかり笑ってくれ」


「――っ、はいっ」


 カメラマンさんに言われて、俺は慌てて笑みを浮かべてポーズを取る。


 そうすれば、カメラマンさんは満足そうに頷いてカメラに目を戻す。


「そうそう! でもちょっと表情固いなぁ。もっとこう、笑顔で! 最近面白かった事思い出してみて!」


 言われ、俺は面白かった事を思い出してみる。思い出してみると、色々あるなぁ。


 学校帰りに皆でゲームセンターに行ったり、花蓮と一緒に映画を観に行ったり、桜ちゃんとケーキバイキングに行ったり、碧と動物園に行ったり。最近は特に面白いなぁ、楽しいなぁって思う事ばかりだ。


 それは多分、俺を俺として見てくれる人達が居るからだろう。如月黒奈だけでなく、俺をブラックローズとして知ってくれていて、それでもなお俺を俺として見てくれる人達が居るからだ。


 その事が、心底から嬉しい。


 最近はそれを知る人が増えている。俺の事を受け入れてくれる人が増えているのだ。


 ……俺は、自分がブラックローズだと知られるのが怖い。だって、俺は男で、ブラックローズは女の子だ。そこには越えられない大きな隔たりがあるし、如月黒奈よりもブラックローズの方が多くの人に知ってもらえている。


 だからこそ、ブラックローズの正体が男だと知られたら、嫌われると思った。ブラックローズは少なからず期待をされている。桜ちゃんや、耀夜さんみたいに憧れてくれている人もいる。

 

 俺が言うのもなんだけれど、ブラックローズは魅力的な人だ。俺とは違うと思うから、俺はブラックローズを客観的に見れる。そして、客観的に見れるからこそ、素直に魅力的な人だなと思うのだ。


 けれど、それに比べて俺はどうだろうか? 俺は、魅力的な人なのだろうか? ブラックローズと肩を並べられるほど、魅力的なのだろうか?


 俺は、そうは思わない。俺よりも、ブラックローズの方が魅力的だ。ブラックローズになると、自信がみなぎる。俺よりも強くなれた気がする。それは戦闘力の話しじゃなくて、人として強くなれたような気がするんだ。


 だから、ブラックローズよりも魅力の無い俺がブラックローズの正体だとばれたら、皆は幻滅すると思う。むしろ、俺だけじゃなくてブラックローズも嫌いになってしまうと思う。


 そんな思いがあるから、俺は自分がブラックローズであると打ち明けられない。


 けれど、皆は俺を嫌うどころか、友達で居てくれる。桜ちゃんや耀夜さんに至っては、憧れの存在であるブラックローズが俺だと分かったのに、友達で居てくれるのだ。


 俺を思ってくれる人がいる。こんなに……これほどまでに、嬉しい事は無い。


 だから、自然と笑みが浮かぶ。


「お、良い笑顔だねぇ! さすがは天下のブラックローズ!」


 そうだ。俺は今ブラックローズなのだ。皆が憧れだと、誇りだと言ってくれたブラックローズなのだ。


 ブラックローズはいつも笑顔で、自信満々で、絶対に弱った姿を見せない。最後まで、諦めない。それが、魔法少女・マジカルフラワー・ブラックローズなのだ。


「天下のじゃないですよ」


 天下はさすがに無い。そんな称号は、俺よりもクリムゾンフレアやムーンシャイニングの方が相応しい。


「私は、皆のブラックローズ、です」


 言って、ウィンクを一つ。ついでにポーズもとっておく。


 その瞬間をカメラマンさんは逃さない。素早くシャッターを切れば、満足そうに笑う。


「ははっ、そうか!」


 カメラマンさんとそんな会話をしながら、俺は最初の強張りも忘れて撮影に没頭する。


 ポーズも自然に取れる。笑顔も引き攣らない。


 そのまま俺単体ピンでの撮影は順調に進んでいった。次々とポーズが出て来て、段々と心もノリノリになる。


 そんな風に撮影が進み、十分に撮影も出来たので俺の番は終わった。


 続いて、東雲さんの番になった。東雲さんが撮影の間、俺はゆっくり身体を休めるべく、折り畳み椅子に深く腰をかける。


 スタッフさんから冷たいドリンクを受け取り、ごくごくと一気に飲む。


「ぷはぁっ」


「良い飲みっぷりですね」


「あ、あはは……」


 くすりと笑われて、少しだけ恥ずかしかった。


 東雲さんの撮影を見ながら、俺は食べ損ねたお昼ご飯を食べる。


 お昼を食べながら呑気に撮影を見ていたけれど、東雲さんがどこかおかしい事に気付く。


 表情どころか、ポーズも硬い。昨日や、午前中までのキレが無い。カメラマンさんも首を捻ってしまっている。


「東雲さん……?」

 

 やがて、東雲さんは表情どころか、ポーズをとれなくなってしまった。


 ざわめくスタッフさんや野次馬が見守る中、撮影は一時中断する事になった。

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