第73話 撮影開始
「むむむ……」
化粧台や衣装の積み込まれたトレーラーは二台。その一台に乗り込んで、俺は早速唸ってしまう。
ハンガーにかけられた衣装は計三着。女子の服に興味の無い俺には分からないけれど、なんだか可愛らしい衣装が一着。そして、今回の仕事の最大の課題である水着が二着。
服は良い。露出が少ないから。でも、水着はダメだ! 露出が多い! こればれちゃうんじゃないの!?
俺が水着を見て戦々恐々としていると、スタイリストさんが笑顔で俺の肩を叩く。
「だいじょーぶですよー!
「いや、水着はダメでしょう! こっちは良いとして、こっちはばれちゃいますよ!? 俺も一応おと――」
「すっとぷぅー!」
スタイリストさんは慌てて俺の口を手で押さえる。そして、声を落として言う。
「誰が聞いてるか分からないんですから、不用意な発言は控えてください!」
「……す、すみません……」
手を離してもらえたので、俺は素直に謝る。確かに、トレーラーの中とは言え、完全に防音ではない。外で誰が聞いてるか分からないのだ。
「とりあえず、午前は普通の服です! ちゃっちゃとメークしちゃいましょう!」
「りょ、了解です」
スタイリストさんに促されて、
「さ、始めますよー」
「お、お手柔らかに……」
「いえ、本気でいきます!」
言って、スタイリストさんは慣れた手つきで俺にメークを
メークされている間、俺は水着の事を考える。
二着ある内の一着。これはいわゆるトランクスタイプと言われる水着で、下がショートパンツのような形状になっている。上は普通の水着だけど、パッドとか入れておけば大丈夫だろう。
こちらは問題無いのだ。ズボンを履いているから。
問題は、もう一つの方だ……。
俺は、鏡越しに見える水着を睨む。
もう一つの方、それは、黒色のワンピースタイプの水着だ。ふりふりと可愛らしいフリルがあるけれど、背面は大胆に空いているちょっと大人びた水着だ。
フリルが太ももまであるので問題ないように思える。が、しかし! 物事にはハプニングというものがつきものだ! もしフリルがめくれてしまったら即ばれしてしまう!
だって、俺は、男の子、なのだから!
たらーっと冷や汗が流れる。
まずい。あの水着を着て、もしもフリルがめくれてしまったらまずい……! すぐにばれる! 皆にばれる!
それに、今回の撮影は御浜ビーチの
って、そういえばうちの学校の人も来るんだった!? どうしよう、クラスメイトなら俺のこと知ってるし、最悪ばれちゃうかも……!!
ばれたらまずい……色々と……!!
今更ながらの危機感を覚えた俺は、スタイリストさんに声をかける。
「あ、あの!」
「はい、なんです?」
「ちょっと、顔の印象を変える事出来ますか?」
「ええ、お茶の子さいさいです! 普段とまったく違う印象にしたいんですか?」
「はい。もう、普段の俺だと分からないように……」
「あぁ。身バレはお互い困りますからねー。分かりました。ちょっといじってみますねー」
「よろしくお願いします……」
これで少しは分かりにくくなるはずだ。クラスメイトにばれる心配も無い……はず。
……いや、クラスメイト達にばれるばれないは、もう考えたって仕方ない。スタイリストさんのメーク術を信用する他無い。
問題は、水着だ。
フリルのスカート部分があるとはいえ、水着だけあってかなり短い。ちょっと風に煽られればすぐにめくれてしまう。
どうしよう……? ワンピースタイプだけ東雲さんに着てもらう? いや、東雲さんも二着水着があるはずだ。それに、わざわざ別のモデルを起用したって事は、印象の問題もあるんだろう。
確かに、明るくて華やかな東雲さんに、俺のトレーラーに用意されている衣服はあまり合わないだろう。
俺に用意された衣服は大人しめなデザインだ。多分、東堂さんは大人しめな美人さんなのだろう。
って、そうじゃない。水着をどうやって凌ぐかだ。
俺はメークされている間にうんうん唸って考える。けれど、結局具体的な打開策は思い浮かばず、俺は用意された衣装に着替えてトレーラーの外に出た。
俺の方が早かったようで、外には東雲さんの姿は無い。
ちなみに、俺の格好はショートパンツにシャツ、サマーカーディガンだ。足にはサンダルを履いていて、ヒールがあって少し歩きづらい。
それに、デザイン的にサマーカーディガンのせいでショートパンツが隠れ気味になるから、ちょっとだけ恥ずかしい。まるで俺が下を履いてないように見えるし。
後は、細かなアクセサリーを所々に、アクセントとして付けている。
東雲さんの準備が整うまで、俺は帽子を被って日陰で待つ。
じーじーと蝉の鳴き声が聞こえて来る。
今日は真夏もかくやという程の猛暑日。水分補給はしっかりしないといけない。
スマホをトレーラーの中に置いてきたので手持ちぶさたな俺は、ぼーっと海を眺める。正確には、海で遊ぶ人達だ。
泳ぐ人。ビーチバレーをする人。砂で遊ぶ人。日焼けをする人。様々いるけれど、まだ花蓮達は来ていない様子。
楽しそうに海で泳ぐ子供達を見て、良いなぁと思う。俺も海に入りたい。積極的に海やプールに行こうと思うタイプでも無いけど、暑い日に目の前に海があれば入りたいとは人並みに思う。
でも、プールかぁ……。前に、深紅と一緒にプールに行った時は、なぜか監視員さんに無理矢理パーカーを着させられたし、男子更衣室に入ったら皆に驚かれたし……うん、プールじゃなくて海だな。海なら監視員さんいないし。代わりにライフセーバーさんいるけど。
そんなどうでもいい事を思い出していると、どうやら東雲さんの準備が終わったらしく、俺達はようやくビーチに移動する事になった。
トレーラーから降りてきた東雲さんは、柄付きのロングスカートにオフショルダーのシャツを着ており、俺の服とは違い、どこか大人っぽさがあった。
俺と同様に帽子を被り、サングラスをした東雲さんは最初の印象よりも数段大人っぽく見えた。
多分、俺の格好と対比になるようにあえてなのだろうけれど、自分が子供っぽく見えてしまう。いや、プロのモデルさんと張り合うつもりは無いけど。
感嘆して東雲さんを見ていると、東雲さんも俺が見ている事に気付いたのか、根眉を寄せて不機嫌さを隠しもしないで俺に言う。
「なに」
「あ、いえ。大人っぽくて、素敵だなと……」
「ふんっ。あっそ」
一つ詰まらなそうに鼻を鳴らして先に歩いて行ってしまう東雲さん。
俺がおべっかを言ったと思ったのだろう。しかし、俺はおべっかを言える程器用じゃない。普通に、素敵だなと思った。
が、東堂さんの代わりに入った俺に、東雲さんが良い印象を持っていない事はもう分かりきっている。俺の発言一つ一つが気にくわないのだろう。
東雲さんの心境を考えれば仕方ない事とはいえ、ちょっとへこむ。
「ほら、奈黒ちゃん行くよー! 今日もよろしく!」
カメラマンさんが俺の肩を叩いて歩いていく。カメラマンさんは前回と同じ人なので、ちょっと安心。俺の事もフォローしてくれるだろうし。
俺は皆の後に着いていく。
駐車場とビーチはそこそこ近く、歩いてすぐにビーチに到着する。
「びーっち」
ぼそっと言いながら、ジャンプで第一歩。砂浜に足跡をつける。海とかに積極的に来る性格じゃないけど、やっぱりこういう
視線を上げると、ニヤッと笑ってカメラを構えるカメラマンさんと目が合う。
「~~~~っ!!」
途端、かーっと顔が赤くなっていくのが自分でも分かる。
「良い一枚いただき! 幸先良いなー!」
言いながら、上機嫌に笑うカメラマンさん。
さ、最後尾だからやったのに! 誰も見てないと思ったのにー!!
俺は恥ずかしさから、帽子を深く被って歩く。
俺達がビーチに入れば、自然と一般客の視線が集まる。
ビーチに仰々しい撮影機材を抱えた人達が入ってきた事により、一般の人達の感心が俺達に向くのは当たり前で、皆が興味深そうにこちらをうかがっている。
しかし、あらかじめカラーコーンなどで仕切りをしてあるので、誰かが入ってくる事は無いようだ。
それに、注目される事は悪い事ではない。
撮影を|人気(ひとけ)の無い所でやらないのは、そういったメリットも加味しての事だろう。不審者等の心配はあるけれど、SNS等で写真付きで拡散されればそれだけで宣伝になるし、注目度も上がる。
まぁ、注目の方は東雲さんがいっぱい引いてくれるだろう。なにせあれだけ綺麗なのだ。男子なら東雲さんをガン見だろう。
「それじゃあ、まずは一人ずつね! 東雲さん、お手本見せてあげて!」
「分かりました」
カメラマンさんの言葉に、東雲さんが笑顔で頷く。
そして、多くの視線を集めながら撮影が始まる。
しかし、東雲さんは視線に臆する事無く一つ一つポーズを丁寧に、時には大胆に、時には可愛らしくとっていく。
魅力的なポーズや表情を即座に作り出す東雲さんは、素直に凄いと思った。
俺は思わず、東雲さんに目を奪われる。
こんなにも魅力的な被写体は見た事が無い。深紅もモデルだけど、深紅なんか比べものにならないだろう。
一度、深紅の撮影を見学しに行った事があるけれど、いつもの深紅と変わらず、そつなくこなしているようであった。周りの人は褒めてたけど、俺には深紅がただポーズをとっているだけだったのであまり面白みは無かった。
深紅はそつなくこなすだけ。けど、東雲さんは違う。
東雲さんは、ポーズや表情の一つ一つに全力なのだ。だからこそこんなにも引き付けられるし、魅了されるのだろう。
深紅のように、及第点をもらうための撮影じゃない。一つ一つに満点を取りに行っているのだ。
こりゃあ、俺が敵視されるのも頷ける……。
それだけ、東雲さんは真剣なのだ。多分、東堂さんも。
パラソルの下で涼みながらも、俺は真夏の太陽にも負けない東雲さんの熱量にすっかり当てられた。
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