第72話 東雲雨音

 サービスエリアに寄ったりして休憩を挟みつつも、俺と榊さんは一時間前に撮影場所である御浜ビーチの駐車場に到着していた。


 駐車場にはすでに撮影機材を乗せたバンが到着しており、スタッフさんが準備と打ち合わせを進めていた。


「ありがとうございました」


 車から降りて、榊さんにお礼を言う。


「いえ。お礼を言うのは私の方です。本日は、ご足労そくろういただきましてありがとうございます」


「いえいえ。こっちも渡りに舟というかなんというか……」


「渡りに舟?」


「いえ! こっちの話です!」


 なんでもないですと手を振る。


 いかんいかん。榊さんは俺を頼って仕事を依頼してきたんだ。それを私的な動機で受けたと言われればあまり良い気はしないだろう。


「そういえば、一つ注意してほしい事がございまして」


「なんでしょう?」


 榊さんは周囲を確認してから俺の方に距離を詰める。


 そして、小声で話を始める。


「昨日お話した通り、今日の撮影は如月さん一人ではありません」


「そういえば、そう言ってましたね」


 二人雇った内の一人が食中毒になってしまったので、俺におはちが回ってきたのだ。


「前回のポスターモデルの撮影陣も、今日は半数程です。ですので、如月さんが男だと知っている者はこの場に居る約半数のみです」


「え、そうなんですか?」


 言われて確認してみれば、確かに、以前会った人達とは違う顔触れが多かった。


「その上、もう一人のモデルの方が、その、言いづらいのですが……」


 そう言った榊さんは本当に言いづらそうな表情かおをする。あまり表情に出さない榊さんがここまで顔に出ているのだ。余程の事なのだろう。


「如月さんの事を、あまりよろしく思われてはいません」


「え、でも、俺多分会った事も無いですけど……」


 それに、多分相手方だって俺の事をよくも知らないだろう。俺はモデルではないし、黒奈おれとブラックローズとの関連性だって全くない。だから、ブラックローズ関連で俺の事がばれる事も無いはずだ。


 だというのに、なぜ俺の事をよく思っていないのだろう?


「如月さんはEternity Aliceうちのポスターモデルに関してのジンクスのようなものを聞いた事がありますか?」


「はい。輝夜さんに聞きました。確か、Eternityエタニティー Aliceアリスのポスターモデルをするとその業界では仕事に困らない……ていうやつですよね?」


「その通りです。実際のところ、うちのポスターモデルを勤めた方は業界では売れっ子になる確率が高いです。ですが、それは本人のやる気と資質ありきです」


 ポスターモデルに選ばれる事はきっかけに過ぎない、という事だろうか? 確かに、その後慢心して仕事を雑にこなしてしまえば評価は簡単にくつがえってしまう。本人の上昇思考、熱意などが無いと意味が無い。


「ともあれ、うちにはそんなジンクスがあります。ですが、如月さんはそのジンクスに沿っていません。如月さんのメディアへの露出は前回の一回きりです」


「そう、ですね」


 一般人である俺にそうそうモデルの仕事が来てたまるか。モデルをしている深紅ならともかく、俺は、如月黒奈は一般人なのだから。


「それが、彼女は気に食わなかったみたいで……」


「えっと……つまり?」


「せっかくのチャンスを棒に振った如月さんが気に食わない、といったところでしょう。それと、正規のモデルではなく、一般登用だったのも、お気に召さなかったようです」


「え、えぇ……」


 それって、つまりはただの嫉妬っていうこと? 確かに、そんなジンクスがあるなら嫉妬されても仕方ないけど……。


「一応、私の方からも説明をしたのですが……火に油を注いでしまったみたいで」


 すみませんと謝ってくる榊さん。


「い、いえ! 榊さんは悪くありませんよ! 多分、間が悪かっただけですよ。多分……」


 本当に間が悪かっただけなのかは分からない。けど、榊さんが悪くない事は事実だ。榊さんが謝る必要はこれっぽっちもない。


「ありがとうございます。……それで、彼女に如月さんが男だとばれてしまうと、色々騒がれてしまう可能性があります。ですので、この撮影の間だけ、如月さんには女性として振る舞ってほしいのです。無茶を言っているのは承知ですが、なにとぞ、よろしくおねがいします」


「分かりました。頑張ってみます」


 俺が頷けば、榊さんは驚いたような、呆気に取られたような顔をする。


「どうかしましたか?」


「い、いえ。ずいぶんとあっさり承諾するものだと思いまして……」


「まぁ、この仕事を受けた時点で女性のように振る舞う必要がある事は分かっていたので」


 それに、ブラックローズになっている俺にとって、女性になる事も、女性のように振る舞う事も慣れている。特に難しい注文でもない。


 まぁ、ばれるかばれないかは正直分からないし、緊張感はあるけど。


「意外と肝が据わってるのですね」


「諦めてるだけですよ」


 花蓮に変な虫がつかないように監視するためには仕方ない。モデルだろうが女性のふりだろうが、なんだってやってやるとも。


「そうだ。一応、撮影の間は奈黒なくろって呼んでください。身バレのリスクは少ない方が良いですから」


「分かりました」


 まぁ、基本的に皆苗字で呼ぶだろうけれど。最初の自己紹介もあるだろうし、少しでも誤魔化しておいた方が良いだろう。


「一応、私ども事情を知っているスタッフは全力で如月さんのフォローに当たらせていただきます。何かあったら、お申しつけください」


「分かりました。よろしくお願いします」


「はい。それでは、そろそろ顔合わせの時間ですので、行きましょうか」


「はい」


 榊さんの後に続いて、スタッフさんの集まるところに向かう。


「おはようございます」


「ああ、おはようございます、榊さん。顔合わせ、始めます?」


「はい。少し早いですが」


「分かりました。いったん集合してくださーい! 顔合わせ始めまーす!」


 スタッフさんの一人がスタッフ全員を呼ぶ。


 その内の一人、綺麗な女性が俺の隣に並ぶ。多分、この人が今回の正規のモデルさんなんだろう。


 ちらりと視線をやれば、ジロリと睨まれる。


 俺は思わず視線を逸らしてしまう。毎回思うけど、顔が整ってる人ってどうしてただ睨んだだけで凄みがあるんだろう? 正直すっごく怖い。


 隣の人にびくびくしながら、顔合わせの挨拶が始まる。


 以前一緒に仕事をしたスタッフさん。今日が初対面のスタッフさん。……あ、良かった。スタイリストさんは以前と同じ人だ。


 なんて、安堵しながらも、とうとう俺達モデルの自己紹介が来てしまった。


 どちらが先に自己紹介をするのだろうかと戸惑っていると、すっと隣の人が一歩前に出る。


東雲しののめ雨音あまねです。どうぞよろしくお願いします!」


 俺の隣の人――東雲さんが魅力的な笑顔で挨拶をする。


 東雲さんが挨拶をすれば皆笑顔になる。特に、男性陣はでれっでれの笑顔だ。鼻の下を伸ばしてるし。


 東雲さんの挨拶が終わり、皆の視線が俺に移る。


 ううっ……やっぱり、大勢の人の視線が集まると緊張するなぁ……。


 俺は東雲さんのように一歩前に出るような事はせず、その場で笑顔を浮かべて挨拶をする。


「如月奈黒・・です。ご迷惑をおかけすると思いますが、精一杯やらせていただきます」


 ぺこりと一礼する。


「撮影は十時からになります。それまで、準備を進めてください」


 俺の挨拶が終わると、榊さんが言う。今は九時なので、開始まで一時間はある。多分、準備だけじゃなくてスケジュールのすり合わせもあるのだろう。


 榊さんの言葉で各々準備に入る。


 準備に入る前に、以前一緒に仕事をしたスタッフさんが声をかけてくれる。一回きりの仕事なのに、ちゃんと憶えていてくれた事が嬉しい。


「それでは、如月さんも準備の方をお願いします。午前は夏服の撮影。午後は水着になります。上手くいけば今日で撮影は終了になります」


「え、でも二泊三日じゃ……」


「明日、明後日は予備日ですね。クリエイターから写真のリテイクがあれば撮り直しです。急な事ではありますが、スケジュールに全く余裕が無いわけではないので。それに、撮影に遅れが生じる事もあるので」


「なるほど」


 榊さんの言葉に頷けば、隣からはぁと深い溜息が聞こえてくる。


 見やれば、東雲さんが呆れたような顔をしていた。


「榊さん。この子大丈夫なんですか? 見るからにど素人ですけど」


「そうですね。如月さんは今回が二回目の撮影になりますので」


 榊さんは東雲さんの言葉を否定はしない。まぁ、俺も否定はしない。だって本当に素人だし。


「ですが、仕事はきちんとこなしてくださいます。如月さんが勤めてくださったポスターのお陰で、売上がだいぶ伸びましたからね」


「あれは和泉くんが一緒だったからじゃないですか? 彼、ヒーローとしてもモデルとしても人気ですから」


「いえ。如月さんが着てくださった新作の売上も伸びてます。それに、一度成功した実績があるからこそ、私は東堂とうどうさんの変わりに彼女を選びました。彼女なら東堂さんのように上手くやってくれると信じておりますので」


「――っ!! 詩織しおりの方が上手くやれます!! こんな――っ!」


 言いかけて、言葉を飲み込む東雲さん。


 しかし、キッと俺の方を一つ睨むと、足音荒くトレーラーの方へと行ってしまった。


「まぁ、あんな感じです……」


 榊さんが額に手を当てながら言う。


「あ、はは……随分嫌われてますね、俺……」


「嫌われているというよりは、感情の向け所を無くしているというのもあるかもしれません」


「どういう事ですか?」


「東雲さんと一緒に撮影をする予定だった、東堂さんは東雲さんの友人なんです」


「ああ、なるほど……」


 つまり、友人のチャンスの場が無くなり、東雲さんはその事を気にかけているのだろう。そこに、俺のような素人が来て、元々良い感情を持っていた訳でもないために、あんな態度になってしまった、と。


 仲の良い友人同士で、しかも同じモデルであれば、ポッと出の俺に対してあんな態度になってしまうのも仕方ないだろう。


「面倒な役を押し付けてしまって、申し訳ありません」


「いえ。俺が決めた事でもありますから。気にしないでください」


 謝る榊さんにそう返す。


 三日間我慢すれば良い話だ。永遠に憎まれ口が続く訳でもない。


 そう、この三日間を乗り切れば良いだけだ!


 なるべくポジティブに考える。しかし、そう簡単に物事が進まない事を、この時の俺は気付いていなかった。

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