第69話 桜 デート2
駅前で突如として人に囲まれてしまった。周囲には、人、人、人、人――人ばっかり! かつてこんなに人に囲まれた事があっただろうか! いや、無い!
写真良いですか、握手してください、サインください、SNSに載せても良いですか、等々。たくさんの人の声が飛び交う。
やばい、こんな事になるなら嘘吐いておけば良かった! あ、やっぱり嘘! 嘘は良くない! けど、この騒ぎは予想外!
わたわたと慌てながらも、どうすれば良いのかちっとも分からない。
最初に声をかけてきた二人はいつのまにか居なくなっているし、俺に抱き着いてきた少女は依然俺に抱き着いたままだし。
本当にどうしよう! なんか凄い騒ぎになってる!
俺が心中で混乱していると、
「と、通してください! ブラックローズ! 大丈夫ですか!?」
人垣を掻き分けて俺の前に現れたのは、本日待ち合わせをしていた相手――桜ちゃんである。
「さ、桜ちゃん! う、うん。大丈夫と言えば、大丈夫だけど……」
大丈夫じゃないと言えば大丈夫じゃない。既に凄い騒ぎになってるし。
「み、皆さーん! すみません! ブラックローズは今日はオフなので! これから用事あるので! 解散してもらえると助かりまーす!」
俺の言葉を聞いた桜ちゃんは即座に俺を背に庇って、集まる人々に対して声を張り上げる。
後輩で妹分だけれど、俺を背に庇って声を張り上げてくれる桜ちゃんはとても頼もしく見えた。けれど、逆に桜ちゃんにこんな事をさせてしまうのは申し訳無く思ってしまう。本当は、男であり先輩である俺がしっかりしなくてはいけないのに……。
俺が心中で落ち込んでいる間も、桜ちゃんは声を張り上げている。
「ブラックローズ人に囲まれるの苦手なので! このままだと泣いちゃいますよ! ブラックローズ、泣いちゃいますよ!?」
泣かないよ? 流石に俺も人に囲まれたくらいじゃ泣かないよ? 困るけど、泣きはしないからね? 本当だからね?
というか、流石にこんな言葉じゃ誰も騙されないだろう。ブラックローズに変身した際に、ファントムを倒した後は何回か大勢の人に囲まれている。感謝の言葉だったり、ファンサービスを求めたりだの、場合は色々だけれど。
ブラックローズは人混み程度では泣きはしない。それは、皆分かっているはずだ。
「え、ブラックローズ泣いちゃうって」「マジで、やべ、泣かせたくないから俺離れるわ」「泣くところ見てみたいけど……うぅ、泣かれたくはない……」「涙を頂戴したいけど、ブラックローズには笑顔が似合う……くっ、撤退する!」「泣いたら可哀相だしね」「うん、ブラックローズ、オフだしね」
分かっているはずなのに、彼らは桜ちゃんの言葉を
……おい、誰だ俺の涙が欲しいって言った奴は。本気か? 本気なのか? あと泣くところ見てみたいってなんだ。どんなフェチだ。若干心配だよ。
時折ヤバい声も聞こえて来たけれど、俺を囲っていた人達は続々と俺の側から離れて行った。嬉しいし安堵したけれど、なんだか複雑である。
「それじゃあ、君もブラックローズから離れようか。ブラックローズ、これから用事があるからさ」
最後に、桜ちゃんはしゃがみ込んで俺の足に抱き着いている少女に言い聞かせる。
少女は一度ちらりと桜ちゃんを見たあと、俺の顔を見る。
そして、多分俺は困った顔をしていたのだろう。少女は俺から素直に離れると俺にばいばいと言って名残惜しそうにしながらも俺達から離れて行った。
ううっ、心が痛い……。ファンサービスを断る時は心が痛むけど、無邪気な子供相手だと更に心が痛む……。ごめんよ少女! 次会ったら抱っこしてあげるから許して!
しかして、これで俺は自由の身! あいむ、ふりーだむ!
「ありがとう、桜ちゃん。おかげで助かったよ」
「いえ! ブラックローズのためですから! ……まぁ、ブラックローズとのデートの時間が削れるのが嫌だった、ていうのもありますけど」
「あはは、正直だねぇ」
自分の欲求に正直な桜ちゃんに思わず苦笑を浮かべてしまうけれど、しかし、今回はそのおかげで助かったのだ。それに、今日は桜ちゃんが先約であり、優先だ。そこを間違えてはいけない。
「じゃあ、行こうか。私、ケーキバイキングとか行った事無いから、今日すっごく楽しみだったんだぁ」
「ふふっ、それなら良かったです。じゃあ、行きましょう! あ、その前に、ブラックローズの事なんて呼べば良いですか?」
「ああ、そっか」
確かに、ブラックローズとも黒奈とも呼べない。ブラックローズと呼んでしまえばさっきみたいな騒ぎになってしまうし、黒奈と呼べば身バレの危険が出てくる。
かといって、完全に偽名だと俺が反応できないし……俺が呼ばれなれてる呼称の方が良いよな……。
しばし考え、やがて、あまり好ましくはないけれど、俺が少しだけ呼ばれなれてしまった呼称を思い出す。
「じゃあ、姉さん、とか? ほら、桜ちゃんは私の妹分な訳だし」
「ね、ねねねね姉さん!? わ、わたしは願ったり叶ったりですが! よ、よろしいので……?」
「うん、良いよ」
「で、ではお姉ちゃんと……呼ばせていただきまぶっ!?」
「桜ちゃん!?」
唐突にその場に倒れ込む桜ちゃんを、俺は慌てて抱き留める。
いったい何があったの!? 誰からも攻撃されてないよね!?
「だ、大丈夫桜ちゃん?!」
「は、はい……幸せ過ぎて幸せタンクから幸せが溢れて身体にダメージを受けました……ああ、現在進行形で更に幸せ……」
「し、幸せって、溢れるとダメージ受けるんだ……」
それって本当に幸せが溢れているのだろうか? ちょっと心配である。
「このままではわたしの身体がもちません。ので、早速ケーキバイキングに行きましょう!」
「う、うん……そうだね、行こうか」
急に起き上がって元気良く言う桜ちゃんに少しだけ困惑しながらも俺は頷く。
ともあれ、俺達はようやくケーキバイキングへと向かった。
「わぁ~! 凄いね! ケーキいっぱいだ!」
お店に入った途端目に入ってきたたくさん並べられたケーキ達に、思わず俺もテンションが上がってしまう。
「ふふっ、喜んでいただけ何よりです」
店員さんにチケットを渡しながら、桜ちゃんが微笑む。
俺だけはしゃいでしまったのが恥ずかしく、俺は慌てて居住まいを正す。桜ちゃんだけじゃなくて店員さんも微笑んでいて恥ずかしかった。
店員さんに席に案内された後、俺達は早速ケーキを取って食べはじめる。
モンブラン、ショートケーキ、タルト、チーズケーキ、ブッシュドノエル、などなど、多くの種類を食べられるように少しだけ小さなサイズの魅力的なケーキ達に思わず目を奪われる。
「お姉ちゃん、どれにします?」
「うーんと……とりあえず、はじから攻めていこうかな!」
「制覇する気ですか?」
「食べられるだけ食べようと思うの。どれも魅力的だし!」
「じゃあ、わたしもお付き合いします! はじから食べ尽くしてあげましょう、お姉ちゃん!」
「うん!」
二人ではしゃぎながら、はじのケースから数個トレーに乗せる。
席に着き、紅茶を用意してぱくりと食べはじめる。
「ん~~~~美味ひぃ~~~~!」
桜ちゃんが頬に手を当てて満足そうに笑みを浮かべる。
「本当だ、美味しい」
俺も美味しいケーキに思わず笑みを浮かべてしまう。
その瞬間、ぱしゃりとカメラのシャッターを切る音が聞こえてくる。見やれば、桜ちゃんがスマホで俺を撮影していた。
「お姉ちゃんの魅力的な笑顔いただきです! 花蓮ちゃんに頼まれたんです。可愛い写真いっぱい撮ってきてって!」
笑顔で言う桜ちゃんに俺も負けじとスマホを取り出してカメラのシャッターを切る。
「じゃあ、私も桜ちゃんの可愛い写真撮っちゃおうっと!」
「むむっ! 負けませんよー!」
言いながら、二人して食べてるところを写真におさめる。たまに二人で一緒に撮ったりもした。自撮り、というのだったろうか? 少し恥ずかしかったけれど、周囲の女性客達もやっていたので、あまり抵抗は無かった。
ケーキやお茶を何度も取ってきては食べ、そのたび写真を撮る。
今までやった事の無かった事だけに、楽しいと思う自分がいる。
そんな高揚感があったからだろうか。俺は桜ちゃんの頬についているクリームを見て、ちょっと試してみたかった事を特に何も考えずに実行してしまった。
「ふふ、かーわいい。ほっぺにクリーム付いてるよー」
言いながら、俺は桜ちゃんの頬に付いたクリームを指で拭い、指に付いたクリームをぺろりと舐めとる。
俺の行動に笑みを消して呆然とする桜ちゃんを見て、俺は気付いた。
今はブラックローズだけど、俺元は男じゃん!
桜ちゃんがお姉ちゃんと呼んでくれるから、ついつい花蓮と接している時のように対応してしまったけれど、相手は女の子だ。元が男にこんな事をされてドン引きしないはずが無い。深紅のようなイケメンならともかくとしてだ。
「ご、ごめん! ちょっと気安かったね。ごめんね?」
俺は慌てて謝るけれど、桜ちゃんは呆然としたままだ。
「さ、桜ちゃん……?」
俺は呆然とする桜ちゃんにもう一度声をかけるけれど、桜ちゃんは俺に答えてはくれない。
それほどまでにショックだったのだろう。当たり前だ。憧れてくれているブラックローズだとはいえ、今の行為は気安すぎた。
「ほ、本当にごめんね、桜ちゃ――」
俺が謝ろうとしたところで、桜ちゃんが急に動きだし、自分の頬にクリームをくっつけた。
そして、スマホのカメラを俺に向けて、興奮した様子で言う。
「お、お姉ちゃん! い、今の! もう一回! もう一回お願いします! さ、さあ! クリーム付いちゃったんで、もう一回!!」
「え、ええ!?」
突然のリクエストに、俺は思わず困惑してしまう。
「い、嫌だったから固まってたんじゃ無いの?」
「そんな訳無いじゃないですか! 脳があまりの幸せを処理できていなかっただけです! さぁ! ワンモアプリーズ! 今度は脳にも動画にも記録するので!」
興奮気味に迫ってくる桜ちゃんに、俺は顔を赤らめながらも、結局は乞われた事をしてしまった。一度目は無意識だけれど、二度目は意識してだ。それはもう恥ずかしくて、周りのお客さんも笑みを浮かべて見ていて……もう、ほんっとうに恥ずかしかった!
けど、桜ちゃんは嬉しそうだったので、まぁ、良いかなとも思う。
それと、これからは俺も軽率な行動は控えよう。妹感覚でなんでもしてたらセクハラって言われても仕方ない。
一騒動あったけれど、俺達はその後もケーキバイキングを楽しんだ。
ケーキバイキングを楽しんでお店を出る頃にはもうすぐ日が暮れはじめようとしていた。
今日お夕飯入るかなと不安になりつつ、花蓮へのお土産を手に帰路に着く。
「今日はありがとうね。すっごく楽しかった」
「わたしもです! 今日は来てくれてありがとうございました!」
「ううん、こっちこそ誘ってくれてありがとう。それにしても、まさか、本当に制覇出来るとは思わなかったね」
「そうですね。どれも美味しかったですね!」
「うん。……今度は、皆で来ようか」
「はい! あっ、女子会しませんか? 輝夜さんとも時間を合わせて!」
「あー……うん、分かった。しよっか、女子会」
ブラックローズの姿で外に出るのは今日限りにしようと思っていたのだけれど、今日が楽しかったのもまた事実だ。
うん、またこの姿で来ても良いかも……。
「じゃあ、約束です! また来ましょうね!」
「うん、また来ようね」
俺達は約束を交わしながら帰路を歩く。
また楽しい時間を過ごそう。今度は、皆と一緒に。
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