第32話 お姫様と王子様と後輩

 一週間が終わり、学生にとって、いや、社会人にとっても嬉しい休日がやってきた。


 そして、今日は待ちに待った日でもある。


 ちょっとお洒落な恰好に着替え、鏡の前でくるりと回る。うん。どこもおかしいところは無いな。


 最近少し陽射しが強くなってきたので、帽子を被る。服装も、それに合わせて薄着だ。


 飲み物やタオルなどを入れたショルダーバッグを背負って準備完了。


「おーい、準備終わったー?」


「うん、今終わった」


 部屋を出て花蓮の部屋の方に声をかければ、花蓮も部屋から出てきてサムズアップ。どうやら、準備万端のようだ。


「タオル持った?」


「持った」


「飲み物は?」


「持った」


「帽子は?」


「ちゃんと被ってるでしょ? どう? 似合う?」


「うん、バッチリ」


「ふふっ、兄さんも似合ってる」


「ありがとう」


 お互い、持ち物と恰好を確認し、完全に準備完了。


 家を出て、待ち合わせの場所へと向かう。


 待ち合わせである駅前に向かえば、そこにはもう待ち合わせのメンバーがいた。


「おっす。おはよ」


「おはようございます!」


 待ち合わせ場所には、深紅と桜ちゃんが日陰にあるベンチに座りながら待っていた。


 うん。深紅が居るおかげで良いナンパ除けになった。深紅ほど有名で顔が良い奴はそうはいない。そこらへんのちゃらちゃらしてる男共じゃあ、気後れして安易に手は出せないだろう。


「おはよう。深紅は良いナンパ除けになるな」


「開口一番がそれかよ……」


「開口一番はおはようだろ?」


「それは挨拶だ。その後から開口一番」


「深紅、細かいんだー」


「そりゃあお前の方だろうが」


「二人とも、そんなことどっちでも良いでしょう? 桜、おはよう。深紅さんも、おはよう」


 花蓮が呆れた顔をしながら二人に挨拶をする。


「おはよう、花蓮ちゃん」


「おはようさん」


 二人も、花蓮に挨拶をする。


「さて、全員揃った事だし、移動するか」


「うん」


 俺達は予定通り、乗る予定の時間の電車に乗り込み、目的地を目指す。


 目的地は二駅隣の町にある大きなミュージックホールである。


 花蓮と桜ちゃんを座らせて、俺と深紅は二人の前に立つ。深紅は吊り革に掴まり、俺は吊り革だと腕が疲れてしまうので、深紅の腕を掴む。深紅と電車で移動するときは、立つときはいつもこうしている。


 電車が揺れると、ぐっと手に力を入れなくてはいけないので、俺に掴まれている深紅には不評だ。しかし、俺の安全のために深紅には犠牲になってもらう他無い。尊い犠牲だ。コラテラルダメージというやつだ。


「しっかし、星空さんも気前良いよな。チケット六枚・・もくれるなんてさ」


「そうだね。急な事だったろうにね。今度お礼しなくちゃ」


「一番のお礼は、兄さんがステージに上がることなんじゃない?」


「しかも、ブラックローズになって」


「うーん……それは、お礼とはまた別のような気がするんだよなぁ……」


「そう言っとかないと、友情出演とお礼の二回ステージに立たなくちゃいけなくなりますよ? まあ、わたしとしては、美味しいですが。じゅるり」


「う、それもそうかぁ……」


「桜、本当によだれ垂らさないでよ……」


 確かに、ステージに二回も上がるのは嫌だなぁ……。でも、俺が星空さんのお願いを叶えて上げたいと思ってステージに上がっても良いかなって思ったわけだし、やっぱり、お礼にステージに上がるね、っていうのは違う気がする。それに、なんだか上から目線で嫌だ。


「ま、お礼の事は後で考えれば良いだろ。今日は、せっかくチケット貰ったんだから、目一杯ライブを楽しもうぜ」


「……うん。それもそうだね」


 そうだ。お礼のことは後で考えれば良い。


 一緒にステージに上がることはもう決めたことだけど、お礼については後でゆっくり考えよう。


 今日は、余計なことは考えずに、目一杯ライブを楽しもう!


 バッグをあさり、ライブチケットを取り出す。


 そこには『星空輝夜スペシャルライブ! ~夏を迎えて恋せよ乙女!~』と書かれている。


 そう、俺達はこれから、星空さんのライブを見に行くのだ! 


 コンセプトは、夏を迎えるために最高に弾けて盛り上がろう、とのことらしい。決起会みたいな感じかもしれない。


「兄さん、チケット無くすかもしれないんだから、ちゃんとしまっておいて」


「あ、ごめん」


 花蓮に言われ、俺はいそいそとチケットをしまう。


 そんなにドジなつもりは無いけれど、万が一もあるもんな。


 それに、電車の中って結構揺れるからな。今日も結構混んでるし、手元を離れられたら怖い。


 その後、俺達は雑談に興じながら、がたんごとんと電車に揺られ、無事に目的地に到着した。


 今日は痴漢をされることもなく、駅員さんのお世話になるようなことも無い。


 電車を降り、駅を出れば、すぐそばに見えるミュージックホール。


 人の波はミュージックホールまで続いており、皆一様に楽しげな笑みを浮かべていた。


 人の波に身を任せ、俺達もホールに向かう。


 ミュージックホールまで徒歩五分程の道のりを歩き、ホール前に到着して驚いた。


 ホールに向かう人が多いとは思っていたけれど、ホール前はもうすでに大勢の人で溢れ返っていた。


 どこを見ても、人、人、人。すんごい一杯だ。


「ふえ~、人が一杯だ」


「開演までまだ一時間もあるのに……」


「こういうライブイベントには物販がつきものだからな。早めに来て、物販で目当ての物を買っていく人もいるんだ」


「「へ~」」


 俺と花蓮はこういったライブに来たのは初めてなので、物販があるだなんて知らなかった。


「俺達も、物販に列ぶか?」


「ううん。今日はそんなにお金も持ってきてないし、またの機会にするよ」


「うん。それに、星空さんに呼ばれてますし」


 俺達が開演一時間前に来たのは、星空さんに呼ばれているからだ。


 裏口まで行って、星空さんにメッセージを送れば迎えに来てくれるみたいだけど……。


「星空さん、俺達に用事でもあるのかな?」


「さあ? ただ単に俺達に会いたいだけかもな」


「輝夜さん、黒奈さんのこと気に入っていたみたいだから、ただ単に会いたいだけっていうのはありえますね。メッセージでも、黒奈さんの事ばかり話しますし」


「……兄さん、もてもてね」


「なんでそうなる」


 機嫌悪そうにじとっとした目を向けて来る花蓮。今の会話のどこに怒る要素があったんだ?


「なんにせよ、行ってみようぜ。来いって言われてんだろ?」


「うん。そうだね。聞いてみれば分かることだしね」


 俺達は、関係者が出入りする、関係者出入口の方に向かおうと歩を進めようとした――――が、不意に、声をかけられた。


「あ、如月先輩!」


 元気の良い男の子の声。


 見やれば、見知った顔がそこにはあった。


「ああ、七ヶ岳なながたけくん。それに、陵本おかもとくん」


「どーもです、如月先輩! それに、和泉先輩も!」


「どもっす」


 七ヶ岳くんが元気に挨拶をし、陵本くんがぺこりと頭を下げて挨拶をした。


 彼らは、俺が痴漢にあったときに、犯人を取り押さえてくれた子達だ。


 七ヶ岳明弘あきひろくんは元気で明るく、クラスでもムードメイカー的存在らしい。成績は中の下。頭が良いとは言えないけれど、反して、運動は得意らしい。


 陵本尚人なおとくんは物静かでクールなイメージ。七ヶ岳くんのストッパー役らしく、冷静で、よく周りを見ているらしい。成績は上の上。一学期の中間テストでは十番以内に入っているとか。運動もそつなくこなせるらしい。


 以上、美樹さん沙紀さんからの情報である。


 桜ちゃんにも聞いたのだけれど、違うクラスの子はよくわからないとか。クラスどころか学年すら違うのに、二人はどうやって情報を集めたのだろうか……謎である。


 ともあれ、二人とも良い子だ。助けて貰ったお礼に、クッキーと星空さんから貰ったチケットをあげたら、とても頭を下げて喜んでもらえた。クッキーも美味しい美味しいと目の前でたいらげてしまった。


 自分で作ったので目の前で良い食べっぷりを見せられるととても嬉しいのだ。


「どーもね。二人も来てたんだね」


「当たり前ですよ! あの星空輝夜のライブですよ? もー超楽しみにしてました!」


「せっかくいただいたんで、来てみようかなって」


「何言ってんだよ! お前だって、楽しみだって言ってたじゃんか!」


「――っ! 馬鹿! 余計なこと言うなよ!」


 七ヶ岳くんの言葉に、顔を赤くして言い返す陵本くん。


「ふふっ、二人とも、楽しみにしてくれてたみたいで良かった」


「あ、いえ……はい。楽しみ、でした……」


 二人の様子を見て、思わず微笑みながら言えば、陵本くんは照れたように顔を赤くして、少し俯きながら応えた。


 そんな陵本くんに、七ヶ岳くんが意地の悪い顔をして、肘でちょんちょんと陵本くんをつっつく。


「照れてんなよ」


「照れてねぇし!」


 声を荒げて否定する陵本くんに、七ヶ岳くんはひひっと悪い笑みを浮かべる。


「そ、そんなことより! そちらの二人は? お友達ですか?」


 これ以上からかわれたら堪らないと思ったのか、こちらに会話を振って来る陵本くん。


 俺としても、これ以上からかわれたらかわいそうなので、この話題に乗ることにする。


「桜ちゃんはお友達。花蓮は俺の妹だよ」


「あ、妹さんでしたか」


「って、尚人知らなかったのか? うちのクラスでも話題じゃんか」


「話題……なってたか?」


「なってた! 魔法少女になった甘崎さんに、姫の妹の如月さんって」


「あ、馬鹿!」


「ん? あっ!?」


 話の途中で、二人はしまったといった顔をする。そして、恐る恐るこちらを確認する。


「あ、あはは……」


 ……ごめん、バッチリ聞こえてたよ……。


 乾いた笑い声しかでないけれど、俺よりも気まずそうな顔をしている二人の方がかわいそうだ。ここは、年長者として余裕を持った態度を見せなければ!


「お、俺って一年生に姫って呼ばれてるの?」


「え、あ、そのぉ……」


「大丈夫だよ二人とも。黒奈はそんなことで怒ったりしないから」


 言いづらそうにしている二人に、深紅が助け舟を出す。まったく怒ってないと言わんばかりの爽やかな笑顔だ。実際、深紅は怒ってないし、むしろこの話題を根掘り葉掘り聞き出したいくらいだろう。だって、目が普段よりちょっと邪悪だもん。


 深紅は良いとして、花蓮と桜ちゃんはどういう反応なのだろうかと、ちらりと見てみれば桜ちゃんは興味津々と言った顔で、花蓮は少し同情的な顔をしていた。


 ともあれ、深紅の優しげな笑顔を見た二人は少しだけ落ち着いて話しを始めた。


「和泉先輩って、有名人じゃないですか?」


「俺か? まあ、他の人よりは有名だとは思ってるよ」


「それで、カッコイイし、ヒーローだしで、女子が教室まで見に行ったみたいなんですよ」


 ああ、確かに、学期始めの頃に女子が何人も教室を覗きに来てたなぁ。その時、深紅と一緒にいたから、深紅を見に来たんだろって話題にしたから憶えてる。


 でも、それと俺が姫と呼ばれる原因と、何の関係が?


「それで、如月先輩と和泉先輩がよく一緒にいるのを女子達が見てて、何か、如月先輩をよく気にかけて、かいがいしく面倒を見ている和泉先輩と」


「和泉先輩によく笑いかけて、頼りにしてると見ていて分かる如月先輩を見ていると」


「物語の中の執事とお嬢様みたいだって言ってて……」


「それから、それだと役不足だってことになって、如月先輩のことをお姫様と、和泉先輩のことを王子様と呼ぶようになりました」


「ちなみに、一年の中での共通認識になってます」


「「……」」


 二人の話しを聞いて、思わず痛くも無い頭を押さえる俺と深紅。


 なんだよ、王子様とお姫様って……。


「でも、王子様とお姫様って呼ぶようになったのは、つい最近ですね」


「なんでも、この間の校門前の騒ぎの時に和泉先輩に声をかけられたっていう女子が、和泉先輩王子様みたいだった! ていうか、お姫様みたいな彼女いた! って言ってて、それからですね」


 あの子か……。俺を深紅の彼女だと間違えた、あの子か……。


 全てを話したはいいものの、俺達の反応を見て気まずそうに視線をあちこちに飛ばす七ヶ岳くん。


「あ、俺達、物販列ぼうと思ってたので、そろそろ行きますね」


 七ヶ岳くんをフォローするわけではないだろうけれど、陵本くんが俺達に申し訳なさそうな顔をしながら言う。


 先輩として、というより、人としてここで恨めしげに彼らを見ても仕方がない。今日は彼らも楽しみにしていたライブだ。ここはちゃんと楽しめるように笑顔で送らないと。


 俺はブラックローズの時の営業スマイルを意識して、にこっと笑う。


「うん、行ってらっしゃい。俺が言うのも変だけど、今日のライブ、楽しんでいってね」


 途端、陵本くんの顔がかあっと赤くなり、先程の七ヶ岳くんのように視線があっちこっちに飛んでいく。


「は、はい。それでは、失礼します。ほら、明弘、行くぞ」


「お、おう。それじゃあ先輩方、また後で!」


 顔を赤くしたまま物販の方へと向かっていく二人。


 おそらく、今日のライブを楽しみにしていたことを俺が蒸し返してしまったから、それで赤くなったのだろう。


「お前、そんなんだから姫とか言われるんだぞ?」


「? なんのこと?」


「はぁ……もういい……」


 一つ疲れたように溜め息を吐く深紅。


 いったいどういうことかと、花蓮と桜ちゃんにも視線で問い掛けるが、二人も呆れたように微笑むだけだった。

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