第28話 天丼
息の合ったちょっと待ったコールを受け、視線を向けてみれば、そこには花蓮と桜ちゃんがいた。
二人は少し怒ったような顔をして俺……というよりも、俺の手をとっている星空さんを見ていた。
「あなた……どうしてここに?」
二人に声をかけられた星空さんは驚いたように、少し気の抜けた声で問う。
「深紅さんの撮影を見に来たんです……じゃなくて! 黒奈さんから離れてください!」
「そう。さっさと離れて」
最初は驚いていた星空さんであったが、二人の反応を見ると常の余裕のある表情になる。
「あら? アタシが黒奈とどうしようが、勝手じゃない? これから
「え、あれ? 俺は?」
「それじゃあね~」
「え、星空さん、俺は?」
頭数に入れられていなかった深紅が星空さんにたずねるが、星空さんはスルー。目線は二人にだけ向いている。
「待ってください。兄さんのこの後の予定は私達が占領してるんです。横入りしないでください」
「待って花蓮。その話、俺聞いてないよ?」
「兄さん……? あなた、黒奈の妹?」
「そうです」
俺の言葉はスルーされ、花蓮は強気に胸を張る。
「そう、なら、一日くらいアタシに時間をくれたって良いわよね? 妹なんだから、いつでも黒奈と遊べるでしょう?」
「ダメです。譲りません」
「あら、心が狭いのね」
「ええ」
真顔と笑顔で言葉を交わす両者。口撃合戦に乗り遅れた桜ちゃんはわたわたしながら自分も何か言おうとしていた。
「そ、そもそも! なんであなたが黒奈さんと一緒に居るんですか!?」
ようやっと言葉を絞り出した桜ちゃんの疑問は当然と言えた。
「黒奈が痴漢されていたところを助けたのよ。で、流れでアタシが一日マネージャーになったのよ」
「く、黒奈さん! 痴漢されたんですか!? だ、大丈夫ですか!? 泣いたりしませんでしたか!?」
痴漢というワードを聞いた桜ちゃんが慌てて寄ってきて、けれど、どうすればいいのかわからずにわたわたしながらも俺のことを心配してくれた。
そんな桜ちゃんが可愛らしく、俺は空いている手で桜ちゃんの頭を撫でながら言う。
「大丈夫だよ。特に問題は無かったから」
「いや、痴漢された時点で問題だからな?」
「深紅、うるさい」
「理不尽……」
俺の言葉に、深紅はしょぼーんと落ち込んだように言う。先程は苛立ったように言葉を返していたけれど、二人を心配させないためにあえてふざけたように言っているのだろう。
「兄さん……またなのね……」
花蓮は桜ちゃんとは対照的に、俺の方を半眼で見ていた。
「花蓮ちゃん、その説教はもう俺達がしたから大丈夫だよ」
「そうそう。三十分くらい叱ったから」
説教という単語に、俺は無意識に背筋がピンと伸びる。
痴漢、怖い、ダメ、絶対。
「兄さん……」
「な、なに?」
「中学二年生の頃の事、憶えてる?」
「えっと……具体的にはどの時期でしょう……」
「冬」
「…………まったくもって憶えてません」
その時、俺は花蓮のナニカがブチっと音を立てて切れたのを幻聴した。
花蓮が無表情で近づいて来る。
「兄さん、冬に一度不審者に詰め寄られた事があるよね?」
言われ、思い返せば、確かにそんなこともあった。
不審者が俺を女の子と間違えて詰め寄ってきたのだ。幸にして、通行人が声を荒げて不審者を恫喝して追っ払ってくれたので事なきをえた。その時から、私服では極力芋臭い服を着ようと決めたのだ。
「あ、あります……」
花蓮の言葉を肯定すると、途端に、周囲の音が静まり返る。
え、なに? なになに?
少し離れたところでは普通におしゃべりをしている人たちがいて、雑踏の音もあるというのに、この一帯だけがやけに静かだった。心なしか、温度も幾分か下がったように思う。
そんな周りの異状など知らぬとばかりに花蓮が続ける。
「私、言ったよね? 兄さんは隙が多いんだから気をつけてねって」
「い、言いました……?」
言われたような気がする。しかし、気がするていどで、定かではない。
花蓮の額に青筋が浮かぶ。
「兄さんその時笑って大丈夫だよって言ってたよね?」
「い、言いました」
「なにが大丈夫だったのかな?」
「い、芋臭い服を着たので、大丈夫かと……」
「で? 今日なにされたの?」
「ち、痴漢です……」
花蓮の額に青筋が増える。
「兄さん、私の気のせいじゃなかったら、痴漢されたの、今日だけじゃないよね?」
「き、気のせいだから、痴漢されたのは今日だけだよ?」
「そんなわけないよね?」
「は、はぃ……」
真顔で俺との距離を詰めて来る花蓮が恐ろしくて、俺は情けない声で肯定する。
「兄さん、ちょっとお説教」
「だ、大丈夫! 二人に怒られたから! ちゃ、ちゃんと、分かったから!」
「いや、ダメだ」
言われ、ガシッと後ろから肩を掴まれる。
「俺が言ったのは高校に入ってからの話だ。中学の時にそんな事があったなんて聞いてない」
珍しく、本当に怒ったような声を出す深紅。
や、やばい! 経験上、本気で怒った深紅はめちゃくちゃ怖い! 普段怒らない分、怒った姿がとても怖い!
「深紅さん、高校に入ってからってどういうこと?」
「こいつ、電車とか、祭の人混みとかで痴漢されてたんだよ」
「へー、そうなんだー……」
ジーッと花蓮が見つめて来る。
「兄さん」
「な、なんでひょう……」
「お説教」
「え、えっと、星空さんとお買い物に……」
「黒奈」
「な、なんでしょう……?」
「お説教よ」
どうやら逃げ場は無いらしい。
星空さんが掴んでいた手の圧力が強くなり、深紅は両肩を押さえて逃げられないようにしているし、花蓮は真っ正面に立って俺に圧力をかけて来る。
唯一の頼みの綱である桜ちゃんに目を向けるも、いつのまにか俺の手をとって逃げられないようにしている。
「黒奈さん」
「は、はい」
「お説教です」
「や、やだ!」
じたばたと暴れて逃げようとするが、もやしっ子の俺では三人の拘束から逃れることはできない。どう逃れようかと焦る頭で思案していると、声をかけられた。
「皆さん、ここでは他のお客様のご迷惑になりますよ」
俺の惨状を見かねたのか、榊さんが声をかけてくれた。
「ですので、事務所をお貸ししますので、そこでどうぞ」
違う、参戦してきただけだった。
「すみません。では、遠慮なく」
深紅がぺこりと頭を下げ、Eternity Aliceまで連行していく。
「し、深紅! 遠慮しよう! 迷惑になるから! ね!?」
「いえ、閉店までいてくださっても構いませんよ」
「やだ! そんなに怒られたくない!」
「じゃあ、早く行こう。手っ取り早く叱ってやるから」
「そういう問題じゃない!」
喚きながらも抵抗をしたが、数には勝てず、ずるずると引きずられてしまった。
約三十分後。
Eternity Aliceの事務所で、俺はぐったりとしていた。
四人に口々に怒られ、他のスタッフさんにも怒られ、俺の心のライフポイントはもうゼロです。
「天丼って、ダメだと思うんですよ……」
「あら、アタシは好きよ、天丼」
「俺はロースカツ丼の方が好きです……」
力無く言って、俺はEternity Aliceのスタッフさんが出してくれたお茶を飲む。
「買い物に行こうと思ってたけど、もう夕ご飯時ね」
星空さんが腕時計を確認しながら言う。
そうか。もうそんな時間なのか。一日が目まぐるしくて全然時間を気にしてなかった。
「兄さん、今日のお夕飯どうする?」
「……どうしようか」
正直言って今は胃がご飯を受け付けてくれない。
皆が怒ったのは、俺を心配してのことだというのは理解している。皆が俺を心配してこんなにも怒ってくれた事が嬉しく、逆にこんなにも心配させてしまった自分の軽率さに酷く気落ちしているのだ。
疲れてお腹は空いているけれど、なにかを食べる気分にはなれそうにない。
「黒奈、よかったらどこかで食べない?」
星空さんに誘われて、考える。
今から帰って夕飯を作るのはちょっと面倒だ。それに、モールにはフードコートもあるし、俺は軽食を頼めば良いだろう。
「じゃあ、是非。花蓮も、それでいい?」
「うん。星空さんと話したいこともあるし」
そう言った花蓮の目は友好的とは言えず、相手を探るような目をしていた。
対して星空さんはサングラスをかけていてわかりづらいけれど、自信満々の表情だ。
「あ、あの! わたしもご一緒しても良いですか?」
「じゃあ、俺も良いかな? ていうか、俺達は元々その予定だったんだけどね」
「ええ、もちろん。アタシからも、聞きたいことがあるしね」
平和的とは言えないけれど、満場一致で外食をすることに決まった。
そうと決まれば、早々にここから出て行かなくては。というか、お夕飯のことなんて外で決めれば良いことだった。いつまでも事務所にいてはスタッフさんの邪魔になってしまう。
「それじゃあ、行こうか。すみません、場所をお借りしてしまって。後、お茶ありがとうございました」
俺は立ち上がるとスタッフさんにお礼を言う。
皆もお礼を言って頭を下げる。
「いえいえ。オーナーの指示ですから、気にしないでください。あ、服の方はご自宅に郵送しておきますね。後、今日のモデル代だそうです」
副店長さんが、代表して答える。そして、今日のモデル代を手渡される。服の方は花蓮が話を進めていて、自宅の方に郵送をしてくれることになったようだ。
「あ、ありがとうございます……」
俺はモデル代を受けとると、バッグの中にしまった。
本当にもらっても良いのだろうかと考えるけれど、向こうは頑として譲らないだろう。なら、ここは自分が折れて貰った方が良い。
「あ、あの」
副店長さんの後ろから、おずおずといった様子で、スタッフさんの一人が声をかけて来る。手には色紙が二枚とペンが二本。
「和泉さん、サインいただいても良いでしょうか……?」
副店長さんの視線が一瞬鋭くなるが、副店長さんがなにかを口にする前に深紅が笑顔を浮かべて言う。
「良いですよ。俺なんかのサインでよかったら是非」
「あ、ありがとうございます!」
深紅の答えを聞いて喜び勇んで深紅に色紙とペンを渡すスタッフさん。
お小言を言おうとした副店長さんが、はあと溜め息を吐く。
「事務所お借りしてしまったので、その迷惑料ということで」
「そういうことでしたら、出来上がったポスターにもサインしてくださいますか? 集客率が上がるので」
「ええ、俺なんかのサインでよかったら是非」
深紅がウィンク一つして言えば、副店長さんも冗談めかして言う。
深紅は副店長さんの言葉に頷くけれど、冗句ではなく本当にサインをするだろう。
ていうか、深紅はこういう対応本当に慣れてるな。さすがだよ本当に。
「迷惑料っていうなら、アタシもサインしましょうか?」
星空さんが前に出てスタッフさんに言う。
そっか。星空さん、モデルさんかなんかだもんね。
「え、い、いいいいいいいんですか!?」
「ええ、良いわよ」
「ぜ、是非!!」
バグったようにたずねるスタッフさんに笑顔で了承する星空さん。
「なんなら、店舗用に色紙でも置きましょうか?」
スタッフさんから色紙とペンを受け取ってサインをしながら、一瞬視線を副店長さんに移して星空さんが言う。
「……よろしいので?」
「ええ、迷惑料ですもの」
「それは、貰わないと罰が当たりますね……少しお待ちください」
副店長さんはそういうと、事務所の机の引き出しを漁る。そして、引き出しから色紙を取り出した。なんで引き出しに色紙が……。
「では、お願いします」
「ええ」
色紙を受けとると、星空さんはするするとサインを書いていく。
「星空さん、サイン書くの早いですね~」
「あなた、今までアタシが何回サイン書いてきたと思ってるの?」
「えー? 何回でしょう?」
「ふふっ、当てられたらご褒美あげるわよ?」
ご褒美という単語に釣られたわけではないけれど、ちょっと考えてみた。
星空さん、サイン書くのも慣れてるし、モデル業も慣れてるみたいだった。それに、今日撮影に関わったスタッフさん全員星空さんのこと知ってるみたいだったし……。
「五千回、とか……?」
「さあ、どうかしらね? 憶えきれないくらい書いたから、正直分からないのよね」
「星空さんが答えわかんなかったら意味ないじゃないですか!」
星空さんはふふっと楽しそうに笑った。
「でも、それだけ書いてるってことは、とても有名なんですね。いったい何のお仕事してるんですか?」
俺が出会ってから疑問に思っていたことをたずねる。最初ははぐらかされたけど、そろそろ教えてくれるだろうと思ったからだ。
「「「「え?」」」」
しかして、俺が疑問を口にした途端、事務所内の空気がぴたりと止まった。そして、なぜだか、皆して俺の方を見てきた。
「え? え?」
何故皆が俺の方を見るのかわからず、くすくすと笑っている星空さんと深紅を見る。笑っていると言うことはことの原因を知っているということだからだ。
「まさか、最後まで気付かないなんてね」
くすくすとおかしそうに笑う星空さんは、帽子とサングラスを優雅にとって自信満々の笑みを浮かべた。
「?」
俺は誰だか分からずに小首を傾げた。
「なんでよっ!!」
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