第18話 着替え

 俺の撮影日が決まった日から一夜が明けた。


 あれから、俺は三人に散々「仕事の邪魔になっちゃうから来ないように!」と強く言い含めた。一応頷いてはくれたけれど、最後までニヤニヤしていたから言うことを聞いてくれるかは微妙なところである。


 しかして、ついに撮影の日取りが決まってしまった。通学中に思わず何度も溜息を吐いてしまうくらいには憂鬱な気分である。


 出来れば撮影なんてものはしたくない。しかもそれがレディース服での撮影となればなおさらだ。何が嬉しくて女装した姿を写真に撮られて、果てはポスターにされて全国に貼られなくてはならないのか。


 まあ、原因は俺にあるから、文句なんて言えないけどね……。


 けれど、それとこれとは話が別。文句は言えなくても、嫌なものは嫌なのだ。


「はぁ……」


 またも溜息を吐く。


「今日は溜息吐きっぱなしだな」


 深紅が目の前の席に座ってにやけ面をして俺を見る。


 ただいま、授業と授業の合間の休み時間。次の授業は体育なので女子は女子更衣室に向かい、男子は教室に残って着替えている。


 深紅はとうに着替えを済ませているので、俺の目の前の席に座ってのんびりと俺が着替え終わるのを待っている。


「そりゃあ、溜息も吐きたくなるよ……」


 俺はブレザーを脱ぎ、綺麗に畳むと机の上に置く。次いで、ワイシャツのボタンに手をかける。


「まぁ、事が事だけに断ることも出来ないしな。ご愁傷さま」


「もう、人ごとだと思って」


「実際人ごとだしな」


 深紅の笑い含んだ言葉に思わずムッとして乱暴にワイシャツを脱ぐ。でも、綺麗に畳んでブレザーの上に置く。


「絶対に見に来ないでね。いい、絶対だからね?」


「はいはい。大丈夫だって。見には・・・行かないから」


「怪しい……」


 俺はジト目を向けたまま、ベルトを外してチャックを下ろしてズボンを脱ぐ。これも勿論綺麗に畳んで机の上に置く。


 肌着と下着だけになった俺は次に体操服を手に取って着替え始める。


「なんで怪しむんだよ。見に行かないって言ってるだろ?」


「でも怪しい。深紅はそう言って何か企んでるんだ。絶対そうだ」


「企んでないって。なんで幼馴染をそんなに疑うかね?」


「幼馴染だからだよ!」


 幼馴染だからこそ深紅がどういう性格をしてるのか分かる。深紅は俺をからかうことにためらいは無いし、多少の無茶ならしでかす男だ。長年幼馴染をやってるから知っている。


 ジトーと深紅を見るけれど、爽やかな笑顔を返されるばかり。


「本当になに企んでるのさ」


「だから、企んでないって」


「嘘だね。深紅嘘つくとき笑顔になるし」


「それこそ嘘だな。俺はいつでもスマイルだ」


「いつもはゼロ円スマイル。今のはハッピーセット付きのスマイルだ」


「なんだその例えは……」


「胡散臭いってこと」


「さいで」


 はぁ、全くなんで信用してくれないかねと言いながら、やれやれと肩をすくめる深紅。


 普段は信用してるけど、こういう時のお前は絶対に信用しない。どうせ俺をからかって遊ぼうとしてるに決まってるんだ。


 普段は信用しているだなんて恥ずかしくて言えないから、心中にだけとどめておく。


 そんなことを話していると、俺の着替えももう終わった。体操服のズボンを穿きおわり、最後に上のシャツを着れば着替え終了だ。


「よし、それじゃあ行こうか。今日の体育なんだっけ?」


「サッカーだよ。て言うか、毎回毎回思うこと言ってもいいか?」


「ん? なに?」


「なんでお前って体操服に着替えるだけなのにそんなに色気があるの?」


「は?」


 突然わけのわからないことを言ってくる深紅に、俺は思わず呆けた声を出してしまう。


「え、何言ってんのお前」


「いや、だからさ。なんで毎回体操服に着替えるだけなのに色気があるのかなってさ」


「いや、だから何言ってんのさ。野郎の着替えに色気があるわけないじゃん。頭大丈夫?」


「そう思ってるのはお前だけなんだよなぁ……周りよく見てみろ。皆顔真っ赤にしてそっぽ向いてるじゃねえか」


「……本当だ。大丈夫かな? 流行りの風邪とかじゃないよね?」


「お前と言う毒気ウィルスてられて、皆お熱になっちまったのさ」


「え、何言ってんの?」


 急にわけのわからないことを言い始める深紅。深紅はたまにわけのわからないことを言い始める。


「ほら、杉本を見てみろ。あんなに顔を真っ赤にしちまってるぞ?」


「ばっ! やめろ和泉いずみ!」


 そう言って深紅が指差す先は俺たちの近くの席で着替えているクラスメイトの杉本君だ。深紅に言われて慌てたように声を上げていたが、俺の方を見ると慌ててそっぽを向いた。


 本当だ。杉本君、他の皆よりも顔真っ赤だ。


「大丈夫、杉本君? 顔真っ赤だけど、保健室行く?」


 俺は杉本君に近寄り、杉本君の額と首に手を当てる。すると、元々熱かったのが更に温度が上昇した。


「ほ、本当に大丈夫杉本君!? 凄い熱いよ? 保健室行った方が良いって! て言うか行こう!」


「え、いや、だ、だだだ大丈夫だから! 何でもないから!」


「何でもないわけ無いでしょ! 絶対熱あるって! 体育が楽しみなのは分かるけど、無理しちゃダメだって!」


 男の子って言うのはいくつになっても体育が楽しみなものなんだ。だから多少の無理をしても体育に出ようとしちゃうんだ。


 だけど、それで倒れてしまっては元も子も無い。健康に気を遣って、適度な運動が一番良いのだ!


「ほら、行くよ! 今日の体育は我慢しなさい!」


 そう言って、杉本君の手を引っ張って保健室に連れて行こうとする。


「いや体育が楽しみなわけじゃないから! ちょ、本当に大丈夫だから!」


 けれど、なぜか杉本君は必至に抵抗をする。


 むっ、体育に出たいのは分かるけど、無理して倒れたら友達皆心配すると言うのに……杉本君結構頑固者だな?


「ダメだよ! 杉本君が倒れたりしたら、友達が心配するんだから! ほら、保険室行くよ!」


「ほ、本当に大丈夫だから! おい誰かヘルプ!! へ――――ルプ!!」


「ほら、ふざけてると熱上がっちゃうよ? いいから、大人しく保健室まで行くの!」


「熱無いから! 本当に無いから! おいお前ら! 顔赤くしてないで助けろ! ヘルプっつってんだろ!」


「すまん、日本語で頼む」


「ヘルプの前に助けろって日本語で言ったよな!?」


「じゃあ中国語で頼む」


「言ったところでお前ら分かんねぇだろうが!!」


「こら! あまり興奮するとまた熱上がっちゃうよ?」


「ねぇなんで今日の如月こんなにアクティブなの!? いつも和泉くらいしかこんなアクティブにならないじゃん!! て言うか和泉!! お前爆笑してないで助けろや! お前が元凶だろうが!!」


「悪い、フランス語で頼む」


「だから言ったところでお前理解できねぇだろう!? なんでどいつもこいつも自分が理解できねぇ言葉を言わせたがるんだよ!?」


 叫ぶ杉本君に、深紅が悪ふざけを言う。そして、杉本君の返しを聞いてお腹を抱えて笑う。


 そこで、ようやく俺も理解する。深紅に嵌められたのだと。


「深紅! お前、嵌めたな!」


「いやいや、黒奈が勝手に勘違いしただけだから。俺は黒奈の着替えが艶めかしい、その姿を見て皆顔を赤くしてるしか言ってないから」


 くふふふと笑いながら言う深紅。


「そんなわけ……」


 そんなふざけた態度の深紅に文句を言ってやろうと思ったけど、思い返してみれば確かに熱があるだなんて言っていない。俺が勝手に熱でもあるのかと心配してしまっただけだ。


 くっ! 俺の早とちりか!


「……確かに、言ってない」


「だろう? まったく黒奈は早とちりするんだからなぁ。俺はちゃんと言ったぜ? 黒奈の艶めかしい着替え姿を見て皆顔を赤くしてるんだって」


「おい止めろ和泉!」


「それ以上俺たちを陥れるんじゃない!」


「違うんだ如月さん! 別に如月さんの着替えを見て興奮したわけじゃないんだ!」


「そうそう! 今日ちょっと熱いだろ? それでちょっと体温上がっちゃっただけなんだ!」


 深紅がニヤリと意地の悪い笑みをして言えば、皆が慌てたように深紅を止めて俺に弁明してくる。


 しかし、俺はちゃんと分かっている。深紅がああいう顔をしている時は、大抵何かを面白がって言っている時だ。俺をからかう時は大抵ああいう顔をしてる。


「大丈夫、深紅が悪ふざけで言ってるだけだってちゃんと分かってるから」


「ほ、本当か?」


「本当本当」


 俺が頷きながら言えば、皆、明らかにほっとした顔で胸を撫で下ろした。


 そうだよな。皆、男の着替えを見て興奮しただなんて、冗句でも言われたくないもんな。もしたまたま女子が聞いてて誤解されちゃったら嫌だもんな。うんうん。


 俺は皆の心情に共感し、うんうんと頷いて納得を示す。


 けれど、ここでもうひと押ししておいた方が良いだろう。俺が皆を誤解したままだと思われても嫌だしな。


「大丈夫。安心して。俺は皆が男の着替えを見て興奮したわけじゃないってちゃんと理解してるから」


「そ、それは良かったよ」


「うんうん。だって、俺の着替えなんて見たところで何も面白くないし、艶めかしくなんて無いもんね」


「う、うんうん」


「それに、色気なんて全くないし、可愛げもない」


「……う、ん」


「それに、どこからどう見ても俺は男だからね!」


「………………」


「うん! 皆が興奮する要素なんて何一つないな! はっはっは――――」


「「「「それは無い!!」」」」


「はえ!?」


 俺がこの微妙な空気を笑い飛ばして終わりにしようとすれば、なぜか最後の最後で全員が声を揃えて否定をしてきた。


「な、なんだよ! 驚いて変な声出ちゃったじゃんか!!」


「んなこたぁどうでもいい! いいか如月さん、君はとても魅力的だ!」


「ふぇ!?」


 お、俺、今凄いこと言われなかった!?


「よく聞け如月。良いか、君は確かに男だ。けれど! 君の見た目は女の子っぽいんだ! つまり、君は男の娘と言うジャンルになる!」


「そんな男の娘である君はプロポーションも抜群だ!」


「男子には無い少し女性的なくびれ!」


「色白で雪のように透き通る肌!」


「そして男子の平均よりも小さいその体躯たいく!」


「更に女子と男子の丁度中間地点のような中性的なアルトボイス!!」


「まっさしく!! パーフェクトな男の娘と言っても過言じゃない!!」


「つまり!!」


「「「「「普通に興奮してました!! すみませんでした!!」」」」」


 怒涛の勢いで何かを言ったと思えば、最後に一同頭を下げて謝罪をする。


 その様子を見た深紅はお腹を抱えて爆笑し、終いには涙を流している。


 へー……ふーん……そうなんだー……。男の俺に、興奮してたんだー……ふーん……。


 俺は皆が頭を下げていることをいいことに、じりじりと後ろに後退する。そして、教室の扉の前に到着する。丁度その時、沙汰を待って頭を下げていた皆が顔を上げる。


 そんな皆に俺は思わず目に涙を溜めて、自身の身体を抱きしめながら言った。


「この見境の無い盛りの付いたけだものども――――――――!!」


 最後に捨て台詞を残して教室から走り去る。


 俺が走り去った後、教室内が騒がしかったが、俺は気せず走り続けた。


 俺が校庭に着く頃に本鈴ほんれいが鳴ったけれど、男子たちは降りてこず、普通に遅刻扱いになっていた。


 俺はその日の体育を女子と一緒に受け、男子たちは一時間説教をくらったと言う。


 因みに余談だが、俺が走り去った後クラスに碧が乱入し、男子生徒全員の鳩尾みぞおちを殴って回って再起不能にさせていたとか。それを阻止するために、深紅が一人碧と戦っていたとか。


 授業の後スッキリした顔の碧と出会い、「くーちゃんの事厭らしい目で見る男どもに天誅してきたぞ☆」と言われたので、事実なのだろう。


 その後はなんだか疲れ切った顔をした深紅がからかい過ぎたことを謝ってきたり、男子たちが俺に謝ってきたりなどということがあった。


 男子たち曰く、俺が普通にブレザーを着ている時はちゃんと男だと、なんとか認識できているのだが、性差の感じられない服やそういった状態になるとどうにも認識が曖昧になるのだとか。


 皆もすまなそうに謝ってきたので、俺はこのことを水に流すことにした。だって、思春期だもん、どんなことに興奮するかなんて分からない。仕方ないさ、うん。


 そう言って俺が許せば、皆更に申し訳なさそうな顔で謝ってきた。因みに、事の元凶である深紅には小説十冊とアイス一ダース――花蓮の分を含む――を買ってもらうことにした。


 高校生にとっては死活問題になりかねない額だけれど、深紅は雑誌の取材とか、モデルやったりとかで結構稼いでいるので問題は無い。むしろこれでも安い方だ。


 ちゃっかり映画を一緒に見に行く約束なんかも取り付けたり、ランチもディナーもご馳走になったりもしようと思う。それくらいは許してくれるだろう。


 そして、最後に更に余談だが、俺は今後、着替えは別室で行うことになった。解せぬ……。

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