第8話 開花・魔法少女

「兄さんっ!!」


「黒奈さんっ!!」


 二人の驚愕を含みながらも、俺を心配した声が急激に遠ざかっていく。


 受け身を取る間も無く地面に叩き付けられる。


「――がっ!」


 痛みに呻き声を上げる。


 なんだ? いったい何が起こったんだ!?


 突然の衝撃に混乱しながらも、俺は原因を求めて必死に視線を彷徨わせる。


 しかし、その原因は、視線を彷徨わせるまでもなくすぐさま俺の視界に入ってきた。


「なっ!?」


 そいつは、ここに居るには似つかわしくなく、けれどここに居ることをあり得ないと否定できない存在であった。


 そいつの衣装は、時代錯誤か、それともどこぞのイベント会場かと思うくらいに、ただの一般人が集まる場所には不釣り合いであった。


 皺ひとつない燕尾服に、本物に近いヤギの頭。いや、近いではない。本物なのだろう。その目は瞬きをし、鼻はひくひくと動いている。


 ともすれば、ヤギの被り物にも見えるそいつは、けれどただならぬ雰囲気がそんな不審者紛いの者では無いことを知らしめる。


「ファントム……ッ!」


『ご名答だメェ』


 慇懃に一礼をするファントム。そこで、ようやく場の異常性を理解した周囲の一般人が叫び声を上げながら逃げようとする。が――


『動くなメェッ!!』


 ヤギのファントムが一つ怒号を上げる。それと同時に、今まで抑えていた魔力を放出する。


「くっ……!」


 魔力は、常人には感知できない。けれど、目に見えない威圧感として襲ってくるのだ。


 その威圧感にやられ、皆は一様に足を止める。いや、本能が勝手に自身の負けを悟って、逃げる足を止めてしまうのだ。


 逃げたいのに、足が動かない。皆、その場にへたり込んでしまう。


「お前は、一体……」


 突如現れた今まで相対したことの無いタイプのファントムに、思わず誰何の声が漏れる。


『おお、メェとしたことが、自己紹介がまだだったメェ。我が名はツィーゲ。以後、お見知りおきをメェ』


「……ツィーゲ?」


 黒ヤギが言っていたのとは違う名前だ。黒ヤギが言ってたのは、ツィーゲではなくヴァーゲだった。


 上役では無いのだろうけれど、ツィーゲも油断が出来る相手では無い。


 所作や雰囲気が通常ファントムのそれとは大きく異なる。


 自身の実力に対する絶対的な自身があるからか、その姿勢に揺らぎは無い。それに、ツィーゲから感じる魔力量が俺が今まで出会って来たファントムの中の誰よりも多い。恐らく、俺やクリムゾンフレアよりも格上だ。ベテランであれば勝てるかもしれないけれど、俺では勝算は低い。


『おや、もしやご存知無いかメェ?』


「……ちょっと知る機会が無くてね」


『ふむふむ。なるほどメェ』


 俺の答えを聞くと、ツィーゲは思案するように顎に手を当てる。


 その所作にすら隙は無く、ツィーゲの注意が反れたときに二人の元に行こうと考えていたが、それも二人の安全上断念せざるを得ない。


『ふむ、まあいいメェ。今回の標的は君じゃないからメェ』


「……標的? まさか!」


 俺には思い当たる節があった。この間黒ヤギのファントムが言っていたのだ。


『メェはその子を襲うように言われてるメェ!』


 黒ヤギが言っていたその子とは、その場にいた桜ちゃんのことだろう。あの場には俺と桜ちゃんしかいなかったのだから。


 そして、ツィーゲは黒ヤギのファントムの上役だ。つまり、ツィーゲの言う標的は、必然的に桜ちゃんということになる。


「させるか!」


 俺は答えを導き出すと同時に駆け出す。


 衆人環視のこの場では変身は出来ない。生身でやるしかない!


 俺はへたり込んでしまっている二人の元に向かう。


『『させないメェ!』』


「――なっ!」


 しかし、俺の前に二つの影が立ちふさがる。


 それはいつか相対した白と黒のヤギファントムであった。


 むやみやたらに突っ込んで行っても返り討ちにあうだけだと経験が警告を出す。俺は、足にブレーキをかけ、白と黒のヤギファントムと相対する形で止まる。


『メッメッメェ! ツィーゲ様の邪魔はさせないメェ!』


『お前はそこでおとなしく見てるメェ!』


 以前俺にやられたからか、そこら中ボロボロだが、しっかりとした動作で俺の行く手を阻む二体のファントム。


 そんな二体のファントムの後ろで、ツィーゲが余裕の仕草で言う。


『安心するメェ。直ぐにエネルギーを奪うようなことはしないメェ』


「どういうことだ!」


『ふむ。余興にはちょうどいいかメェ。こいつは囮だメェ』


 そう言って、ツィーゲは震えて寄り添い合う二人を見る。けれど、こいつと言うのが桜ちゃんを差すと言う事を俺は理解していた。


「囮、だと?」


『そうだメェ。こいつは、少なくともブラックローズと繋がりがあるメェ』


「ぶ、ブラックローズ……?」


 ブラックローズと言う単語に、俺では無く桜ちゃんが反応をする。


『こいつは、ブラックローズと縁を持ったメェ。言葉を交わし、一緒に写真を撮り、果てはお姫様抱っこをしてもらっていたメェ』


「それと囮にどんな関係があるんだ!」


『まだ分からないかメェ? こいつは、そこら辺の一般人よりもブラックローズと関係が深いメェ。だからこそ、ブラックローズはこいつを見捨てられない。少なくとも、見ず知らずの他人ではないからメェ』


「――ッ!」


 なるほどな。そう言うことか。


 つまりは、桜ちゃんは俺と――ブラックローズと関係を持たせるために襲われたと言うわけだ。


 一度助けるだけなら、ブラックローズにとっては……いや、全てのヒーローや魔法少女たちにとってはいつものことだ。けれど、二度目三度目と回数を重ねれば、俺たちもその人の顔を憶えてしまう。ましてや、ブラックローズと桜ちゃんは会話もしたし、桜ちゃんの入学式にも参加してしまった。


 その上、それだけでも無いのだ。桜ちゃんは俺とも関係を持っている。しかも、妹の友人であり、俺と妹の仲を取り持ってくれる協力者と言う、俺が決して無視できない関係だ。


 ツィーゲには知らぬことだろうが、なるほど、確かに俺は桜ちゃんをただの一般人とは見れないし、彼女を助けるために他の一般人よりも執着を見せるだろう。


 ツィーゲの考えが分かり、俺は思わず奥歯を噛みしめる。


『まあ、理由の一つはそれだメェ』


「理由の一つ……? まだ何かあるのか?」


『ふむ。どうせなら、全部話してしまうかメェ。そちらの方が、面白そうだメェ』


 メッメッと楽し気に喉を鳴らすと、桜ちゃんの頭を乱暴に掴む。桜ちゃんは、涙を流しながらビクリと身を震わせる。


『こいつには、精霊と契約できる可能性があるメェ。魔力保有量も他の魔法少女らよりも多いメェ。だからこそ、魔法少女になる前に潰しておけば後々楽だメェ』


「ワタシが、魔法少女に……?」


『可能性があるだけだメェ。精霊と契約できなければ、魔法少女にはなれないメェ』


 そう、魔法少女やヒーローになるには、精霊との契約が必要だ。しかも、精霊はその者の適正だけでは無く、自分との相性と好みを考慮して選ぶのだ。


 精霊の純粋な思いに強く共鳴できれば出来るほど、魔法少女の力は増大する。


 だから、ただ素質があるだけでは、魔法少女になることはできないのだ。


 けれど、これでなぜ桜ちゃんが狙われたのかが分かった。


 桜ちゃんは恐らく、候補の中の一人であった。そして、桜ちゃんは運良く、もしくは、運悪く俺に助けられてしまった。だからこそ、今回の人質に選ばれてしまったのだ。


 これで、桜ちゃんが狙われた理由は分かった。けれど、ツィーゲが俺を標的に選んだ理由がまだ分からない。


 ネームバリューで言えば、俺よりもクリムゾンフレアの方が上だ。それに、実力も、ファントムから見た脅威度も、俺は他の魔法少女やヒーローよりも断然低い。


 俺は、活動こそしているものの、俺以外の誰かがいれば、その誰かに任せてしまっているのだから。


 ネームバリューも脅威度も無い俺を狙う理由が分からない。


「お前は、なんでブラックローズを狙う」


『ああ、それを言ってなかったメェ。なぜメェがブラックローズを狙うか。それはいたって単純だメェ』


 そう言ったツィーゲは、ヤギ頭にも関わらず、俺にも理解できるほどの嗜虐的な笑みを浮かべて、長い舌を唇に這わせる。


『ブラックローズのエネルギーが、至極美味しそうだからメェ』


 そう言ったツィーゲは恍惚の表情を浮かべる。


『遠目からでも分かったメェ。明るく、純粋な光を宿したブラックローズのエネルギーは今まで出会ったことの無いほど極上の美食に見えたメェ』


 ツィーゲの表情に、思わず身震いをしてしまう。


 なるほど。どうやら俺は食料として狙われていたらしい。


『ブラックローズの心をこの場で濁らせ、民衆の前で喰らってやるメェ! 最高の美食として食されるところを、民衆に見られる! これほど食材としての名誉は無いメェ!』


 落ち着いたイメージのツィーゲからは想像もできないほど、感情をあらわにした声を上げる。


 あんなことを言っているのだ。俺が馬鹿正直に出て行けば、二人を含めた一般人は解放してくれるだろうか?


 ……いや、無理だな。ツィーゲは俺の心を濁すと言っていた。俺の予想が正しければ、こいつはそのために花蓮と桜ちゃんを最大限利用するだろう。おそらく、あらゆる方法を使ってくるはずだ。それこそ、腕を切り落とすくらいはやりそうだ。


 それに、周りには巻き込まれただけの一般人もいる。その人たちも利用される可能性がある。


 どうするか……。


 俺は、どうにか二人を含めた一般人を助けようと画策していると、ツィーゲが表情を元に戻して俺を見据えてくる。


『それにしても、お前は大したもんだメェ。メェを前にして、こうも普通でいられるなんて』


「お褒めにあずかり光栄だよ。褒賞として、二人を解放してくれてもいいんだよ?」


『それとこれとは話が別だメェ』


「ははっ、だよねぇ……」


 ちょっとだけ期待したけれど、ダメなようだ。まあ、当然か。桜ちゃんは魔法少女になれる可能性があるのだから、ここで潰しておかない手は無いのだし。


『それにしても、ブラックローズはおろか、他の連中も来ないメェ』


 それは恐らく、人質が居ることを知っているから突入を躊躇っているのだろう。ショッピングモールの外には何人かの魔法少女とヒーローがいるはずだ。


『……まあいいメェ。それなら、ブラックローズが来るまでの余興をするメェ』


「余興?」


 その言葉を聞いた俺は、嫌な予感を覚えて身構える。


『そうだメェ。お前、この場から逃げたくないかメェ? この二人を解放することは出来ないが、お前の度胸に免じて、お前だけは逃がしてやるメェ』


「は?」


 俺はツィーゲが何を言っているのか一瞬理解できず、呆けた声を上げてしまう。


『どうだメェ? お前一人なら逃がしてやるメェ。この――』


 そう言って、ツィーゲは両手を広げて、まるで舞台に立つ役者のように大仰な身振りで示す。


『――大勢の一般人を、お前の大事な妹を、見捨てるんだメェ』


 そうすれば、見逃してやる。言葉にはしなくとも、ツィーゲの目はそう語っていた。


 俺はツィーゲの目を見て確信する。ツィーゲは、本気だ。本気で、俺が逃げることを選べば、俺を逃がすつもりなのだ。


 余興、とツィーゲは言った。つまりは、俺が自分の命と妹とその友人、そしてその他大勢の命を天秤にかけて苦悩する様を楽しむつもりなのだ。


 この場の全員の視線が俺に突き刺さる。


 その視線の感情は様々で、俺が逃げることに対する羨望、憎悪、安堵、嫉妬、その他もろもろの感情が視線を介して俺に伝わってくる。


 恐らくは、この視線もツィーゲの望んだものなのだろう。ツィーゲは、満足そうに口角を上げている。


『さあ、どうするメェ?』


 にやにやといやらしい笑みを浮かべて問いかけてくるツィーゲ。


 どうする? そんなの決まっている。


「俺は、逃げ――」


「逃げてよ」


 ツィーゲに向けた俺の決意表明を、何者かが遮る。


 俺も、ツィーゲも、予想外の言葉に驚愕の表情を浮かべる。


「逃げてよ。逃げれば、いいじゃない」


 強気な視線を俺に向けてそう言うのは、俺にとって一番大事な家族である花蓮であった。


「なにを……」


「逃げればいいでしょ! 早く逃げてよ!」


 珍しく声を荒げて、みっともなく怒鳴り散らす花蓮。


 俺はそんな花蓮の姿を初めて見た。だから、驚きで言葉が出てこなかった。


「兄さんは私のこと嫌いなんでしょ!? 入学式にも来てくれなかったんだもんね!? 今日だって、どうせ私のご機嫌が取りたかったんでしょ!? 見え見えなのよ! そんなの無駄だから! だって、私も兄さんが大っ嫌いだもん!」


「か、花蓮ちゃん……」


 いきなり怒鳴り散らす花蓮に、桜ちゃんも思わず声を漏らす。


「さっさと逃げてよ! 私だって兄さんなんかに助けられたくないんだから! 兄さんに助けられるくらいなら死んだほうがマシよ!!」


 花蓮はそう言うと、キッと俺を睨み付ける。


 花蓮の急な行動に、俺は驚きを隠せない。けれど、心の奥底は冷静で、俺は冷静に花蓮を見ていた。だから、花蓮の真意が分かってしまった。でも多分、冷静に見ていたとか、そんなかっこいい理由じゃないのかもしれない。


 俺は花蓮の兄貴だから分かるのだ。花蓮が何を考えて言っているのか、誰を想って言っているのかを。


「……逃げないよ」


 俺は静かに、けれど、花蓮にちゃんと聞こえるように言う。


「は……?」


「俺は、逃げないよ」


「な、なんで……」


 俺の言葉に、今度は花蓮が戸惑った声を上げる。


 ほら、もうボロが出てる。


「俺は、逃げない。花蓮を……妹を見捨てて逃げたりしない」


 花蓮は優しい子だ。冷たい態度をとっていても、誰かのことを考えられる子だ。だから、花蓮が誰のことを想って言ったのか、直ぐに理解できた。


「に、逃げてよ! 馬鹿じゃないの! 聞いてなかった!? 私兄さんのこと大嫌いなんだから!」


 花蓮は必死に怒鳴り声を上げる。そんな態度が、花蓮の本音を表に出してしまっていることに、花蓮は気付いていない。


「入学式に来てくれない! 約束一つ守ってくれない兄さんなんて、大嫌いなんだから!」


「それは、ごめんね。言い訳はしない。入学式に行けなくてごめん。でも、行きたくなかったわけじゃないんだ」


「……言い訳なんて、聞きたくない! 兄さんは来なかったんだから! それが全てよ! 兄さんの言い訳なんて、聞いても意味なんだから!」


 花蓮は苦しそうに顔を歪めながら怒鳴る。花蓮にそんな顔をさせてしまっていることが酷く情けない。


「逃げてよ! 逃げればいいじゃない、馬鹿!」


 必死に言葉を並べる花蓮。けれど、その言葉もボキャブラリーが少なく、もうすでに言葉のストックが無いことを示している。


 逃げられるわけがない。花蓮に……妹にここまでさせておいて、逃げられるわけがない。


 俺は覚悟を決めて歩き出す。


 一歩一歩、覚悟を持って二人の元へ向かう。


 その行動を驚愕の表情で見る花蓮は、慌てて言葉を紡ぐ。


「逃げろって言ってるでしょ!? 別に助けてほしくなんて無いんだから!」


「ごめんね、花蓮」


 必死に怒鳴る彼女に、俺は精一杯の謝罪の意を込めて謝る。


「な、なにを……」


「不甲斐ない兄でごめんね。花蓮に、そんなことを言わせちゃう兄で、ごめんね」


「い、意味わかんない。良いから、逃げてって、言ってるでしょ……」


 俺が近づけば近づくたびに、花蓮の声は弱々しくなっていく。


 ごめんね、花蓮。折角頑張ってくれたけど、それは無理な相談だ。妹にここまでさせておいて、のうのうと逃げられるわけがないんだから。


 花蓮は、未だ俺と仲が悪いままだと思っているのだろう。だからこそ、こんな言葉を紡ぐのだ。


 けど、花蓮。気付いてるかい? さっき一緒にショッピングをしてる時、俺たちはいつも通りの俺たちのまま触れ合っていたんだよ? そんな姿を見てしまったら、花蓮の本音は分かっちゃうんだ。


 って言っても、確証を得られたのは、桜ちゃんの言葉を聞いてからだけどね。かっこ悪い兄でごめんね。


 だから花蓮。花蓮のその言葉が、俺を逃がすための言葉だって、俺は分かってるんだよ。優しい花蓮が俺だけでも逃がそうとしてくれているのは、分かってるんだよ。


 だから、ごめん。兄である俺が守らなくちゃいけないのに、花蓮にそんなことを言わせてしまった。兄として、本当に情けないよ。


「花蓮、ちょっと待ってて。今助けるから」


 俺は花蓮を安心させるべく、優しく微笑みながら言う。そうすれば、花蓮はいやいやと首を横に振って、泣きそうな顔をする。


「逃げてよ…………お願いだから、逃げてよ……」


 涙と共に、ついに花蓮の本音が零れ落ちる。


「逃げるわけないだろ!!」


「――っ!」


 俺が何のために魔法少女になったと思ってる。俺は、花蓮の笑顔を見るために魔法少女になったんだ! 花蓮の喜んだ顔が見たくて、その笑顔を守りたくて魔法少女になったんだ! 


 そんな俺が、花蓮を置いて逃げるわけないだろうが!


「なんで、私なんか……」


「花蓮だから、大切な妹だからだよ」


 俺が花蓮を助ける理由なんて、それだけで十分だ。それ以外に、理由はいらない。


 俺の言葉に、花蓮が顔をくしゃりと歪めると、絞り出すように言葉を紡ぐ。


「……逃げてよ」


「逃げないよ。大切な妹を守るために背中を見せても、逃げる姿を見せるために背中を見せたりはしない」


 そうだ。俺は、誰かをその背に庇う時、その人に安心してほしいんだ。だから、背を向けて逃げたりしない。その背中に、不甲斐なさを見せたりしない。


「待ってて。すぐに終わらせるから」


 俺はようやく、覚悟を決めた。


 その覚悟はいささか遅すぎて、年をいくつもまたいでしまった。けれど、決して無駄では無い覚悟だ。


「メポ――」


 メポルを呼び出そうとしたその刹那、眩い光が視界を奪う。


『な、なんだメェ!?』


 ようやく再起動したツィーゲが驚愕の声を上げる。ということは、これはツィーゲとしても予想外のことなのだろう。


 ああ、それにしても、なんて暖かい光なのだろう。


 俺は今の状況を忘れて、一瞬そんなことを考える。


 春の麗らかな日差しに包まれたような、そんな温かさを感じる光。


『ゲメェ!?』


『ブメェ!?』


 眩い光の中、聞いたことのある呻き声が聞こえてきた。


 そして、光が収まると、そこには地面にひれ伏す白と黒のヤギファントムと、先ほどまでいたところよりも随分と後ろに下がっているツィーゲがいた。しかも、ツィーゲは両腕を顔の前で交差させており、まるで何かを防いだかのような格好をしていた。


「黒奈さん、逃げてください」


 唐突に隣から聞こえてくる声に、俺は驚きながらも声の方を向く。


 そこには、花蓮を横抱きにした桜ちゃんが立っていた。


 しかし、その格好は先ほどまでの可愛らしい私服では無く、綺麗な桜色をした髪に、これまた綺麗な桜色をしたふんわりとしたゴシックロリータな服であった。


 ただ、ブラックローズのそれとは異なり、露出は少なく、ブラックローズが艶やかならば、桜ちゃんのは愛嬌を感じる服装であった。


「桜……?」


 何がなんだか分からないような顔をしている花蓮。けれど、俺には分かる。


「黒奈さん、花蓮ちゃんをお願いします」


 そう言って、桜ちゃんは花蓮を俺に預ける。俺は素直に花蓮を受け取る。


 花蓮は、腰が抜けてしまっているのか、成すがままに俺に横抱きにされている。


「桜ちゃん、君は……」


 なったんだね、とは、言わなくても分かったようだ。


 桜ちゃんは力強く頷くと、目の前の敵を瞳を鋭くして見据える。


 そう、彼女は成ったのだ。俺と同じ――


「魔法少女・マジカルフラワー・チェリーブロッサム! 大切な人達の笑顔の花のために、アナタと戦います!」


 ――魔法少女に。

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