第25話 片翼のアモーレ

ついに演説が終わった。これで俺のやれることは全てやり切った。もう後悔はない。


勝負の行方は…最後の一人、神宮寺会長に委ねられた。


『では、最後の演説となります。神宮寺怜子、壇上へ』


「……」


会長は無言で立ち上がり、すたすたと歩いて演台に上がった。俺は膝の上に置いた手を握りしめる。昨日のように、俺を追い詰めるような演説をまたやられる可能性があったので、一瞬たりとも気が抜けなかった。


神宮寺会長は何も喋ることなく立ったままだ。目は空虚を見つめているように見える。


「はやく喋れよホラ吹き」


「ビビって何も言えねーのかぁ?」


生徒達からブーイングが飛んだ。昨日の件で神宮寺会長はかなりの生徒達からの信用を失ったことが見て取れる。


『汚い野次はやめて下さい!…神宮寺候補、演説をお願いします』


総務委員長が生徒達を咎め、神宮寺会長に演説を促す。


『ふん。昨日までは私を神のごとく崇めてたくせに、今じゃ立派な私のアンチか?本当に見事な手のひら返しだな。いやぁ、お前らの無能さにはつくづく感心してしまうな』


会長はおどけた様子で拍手をしながら言った。いきなり飛び出した罵倒に観衆がどよめく。


「馬鹿にしてんのかテメー!」


「デマ拡声器のくせによ!」


先ほど野次を飛ばした男子生徒が立ち上がる。


『気に入らないのならいつでもかかって来い。言っとくが私は空手黒帯だ。女だと思ってナメてると再起不能にして病院送りにしてやるぞ』


会長は肩をすくめる。確かにいくら女子とはいえ、一般人が武道経験者にケンカで勝つことは難しいだろう。


『私はお前らみたいな誰かに縋らないと生きていけない寄生虫みたいなのは大嫌いなんだ。控え目に言って反吐が出る。もう二度とその薄汚い顔面を私に見せないでくれたまえ』


綺麗でスタイルも良くて勉強もスポーツもできる才色兼備の会長が絶対に言いそうにない罵詈雑言がペラペラと繰り出される。


言葉の刃でグサグサと刺された男子生徒達は「ぐ……っ!」と悔しそうに顔を歪め、大人しく座り直した。


神宮寺会長は一度息を吐き出し、くるりと体の向きを変えた。そしてその方向は観衆達ではなく、ステージ上のパイプ椅子に座る俺だった。


「……っ!?」


また何か都合の悪いことを言われるのだろうか。俺は身構えた。


『…杉崎春希くん。昨日はデマを流してしまい、本当にすまなかった』


「…え?」


俺はキョトンとした顔になる。謝罪を述べた会長はさらに深々と頭を下げた。


会長の謎の行動に生徒達はどよめきを広げた。

俺自身、今目の前で頭を下げているのがあの神宮寺会長という事実を飲み込めなかった。


「どうしたんだよ神宮寺のやつ」


豪が汗を滲ませながら言う。


「俺が知るかよ」


五秒ほどして頭を上げた会長は、観衆に向き直る。


『私は今この場で選挙を辞退する。従って、次期生徒会長は、杉崎春希だ。…これで私の演説を終わる』


「…は!?」


会長はマイクを床にゴトッと投げ、足早にステージを降りてしまった。


『ちょ…ちょっと神宮寺候補!?』


総務委員長が慌てて会長の名前を呼ぶ。

生徒達も突然の辞退に騒然となっている。


「待って下さい神宮寺会長!」


俺はガタッと椅子を立ち上がる。


「お…おい春希っ!」


豪が困惑したように呼び止める。


「俺は会長を追う!後は任せた!」


そう告げて、俺は講堂を出て行った神宮寺会長の背中を走って追いかけた。


「ふざけんなよっ…!こんな終わり方ねーだろって…!」


俺は独り言を言いながら廊下を駆け抜ける。遠くの方に、階段を上がる会長の背中が見えた。


会長の昇る速度が異常に早いため、俺は見失わないよう必死で階段を上がっていく。


二階……三階……そして、最上階の四階へ。さらに廊下を奥まで進み、会長は屋上へ通じる階段に消えていった。


「屋上…?」


俺は眉根を寄せながらも、階段を駆け上がり、屋上への扉を勢いよく開いた。


「!…杉崎、くん。何の用だね?」


そこには、一人フェンスに佇む会長の姿。


「何の用って……。辞退ってどういうことなんですか!?」


上がった息を落ち着かせながら、俺は問うた。


「そのままの意味だよ。私は会長選を辞退する。投票されるまでもなく、次期生徒会長は君に決定だよ」


「じゃあ俺達の勝負はどうなるんですか!?」


「君の勝ちに決まっているだろう。私が試合放棄したわけだからな」


肩をすくめる会長。俺はギリリと歯軋りする。


「なんで…っ!なんで放棄するんですか!こんな形で終わるなんて俺は納得出来ないです!」


「君が納得しようがしまいが決着はもうついたんだ。私にとって、もはや生徒会長なんてどうでもよくなった」


「そんな…!くそっ…!」


会長の言葉に、俺は地団駄を踏む。


こんな終わり方あんまりだ。素直に「勝った」なんて言って喜べない。


会長はフェンスに手をかけ、青空を見つめていた。その姿は、何か悲壮感が漂っていた。


「私は、君に完全敗北したんだ。選挙でも…恋でも…」


会長が呟く。俺は会長を見つめ、怪訝そうに口を開いた。


「恋…?どういう意味ですか?」


俺の質問に会長はふっと笑い、空を見つめたまま口を開いた。


「私と音羽が幼馴染なのは知ってるか?」


「はい。彼女から聞きました」


俺は頷く。


「私は…音羽のことが、昔からずっと好きなんだ」


「……!」


俺は思わず絶句する。


神宮寺会長が…音羽のことを…好き…?


「そっ、それは幼馴染とか友達としてって意味ではなく…」


「恋愛対象としてだ」


「マ…マジすか…」


汗がダラダラと流れてくる。


「明確に恋愛感情を自覚したのは中三の時だが…音羽に依存していたという意味では小学生の頃からになる」


かなり長い期間音羽に惹かれ続けていたわけか。しかしまさかそうだったとは……


「はっ!?」


ここで俺はあることに気がつく。まさかこれが…いや、有り得ない。いやしかし…


数秒ほど逡巡した末、俺は会長に質問した。


「会長が恋愛禁止の規則を作ったのって…」


「ああ。音羽に彼氏を作らせないためだ」


「やっぱり…っ!」


俺の予感は見事に的中した。


「だが、君という男が現れてから全てが狂い出した。私にとって、君は音羽に近づく危険人物であり、排除しなければならない対象だった」


「……っ!」


「だからこの選挙で君を打ち負かすことに決めた。勝つために君の過去を探り、大勢の前でスキャンダルを暴露するという卑怯な手段も使った。これも全部、音羽を自分だけのものにしたかったからなんだ…!」


会長の語気が徐々に強まる。フェンスを掴む手が震えていた。


「だったら、なんで選挙を辞退なんか…」


「お前達が互いを想い合ってるからだよ!!」


会長が叫んだ。そしてその目には涙が滲んでいた。


「昨日の演説、音羽はお前の幼馴染に怒りをぶつけていた。その怒りは全部お前のことをちゃんと見ていないと湧かない怒りだったんだよ…!あの時私は確信した。音羽はお前を…杉崎春希を好きなんだと。そしてさっきのお前の演説…「強さを教えてくれた人」とは音羽のことだろ?本当に癪だが、お前が音羽を本気で大切に思っていることが伝わったんだよ…!」


顔を真っ赤にし、涙をポロポロと溢す会長。俺の知る氷のような冷たい表情の会長ではない。己の感情を剥き出しにした、丸裸の神宮寺怜子がそこにはいた。


「か、会長 …」


「私なんか、一切介入する余地がないほどに、二人は愛し合っている。そうなれば、もう私が生徒会長でいる意味なんてない。音羽を手に入れるために、今までずっとやって来たのに、もう音羽の気持ちは他の男にあるなんて…」


「そ、それは…音羽は俺のことを好きだなんて、そんな素振り…俺は見たこと…」


「私には分かるんだ!ひと時も音羽のことを忘れたことがないくらい、今までずっとあの子を想い続けてきた私には、分かるんだよ!」


神宮寺会長がそう叫んだ時。


キイッ…と、扉が開く音。


俺は振り返る。



「怜子ちゃん…」


「!?」


神宮寺会長が顔を上げる。



そこには、俺達の姿を呆然と見つめる、音羽の姿があった。


「お、音羽…」


俺は呟く。音羽は会長を見つめて、足を震わせていた。


「怜子ちゃん…私…私なんにも…なんにも気づいてなかった…」


「音羽…」


会長は涙が溜まった目を見開いている。


「怜子ちゃん!」


音羽は駆け出し、会長を思い切り抱きしめた。


「おいっ…音羽…」


「ごめんね…!今までこんなに一緒にいたのに、全然怜子ちゃんの気持ちに気づいてあげることができなくて!」


「わ、私は…そんな気づいてほしいなんて…」


会長はそこまで言って、言葉を止めた。


そして、綺麗な瞳から涙を流して、音羽を思い切り抱きしめ返した。


「私は……ずっと……ずっと気づいてほしかった…!!」


「怜子ちゃん…!」


二人は互いに涙を流しながら抱き合った。片方はようやく知ることが出来た幼馴染の気持ちに涙し、もう片方はようやく伝えることが出来た「好き」という気持ちに涙した。



「春希」


ポン、と俺の肩に手が置かれた。左隣を見ると豪が立っていた。


「『好き』というたった一言。そのたった一言が中々伝えられないのが、恋なのよね…」


右隣には丹波さんもいた。


俺は音羽と神宮寺会長を見つめたまま頷いた。


「そうだな…。もどかしくて、切なくて、苦しくて。だけどやっと伝えられたら嬉しくて、胸が弾んで。だけどすぐに怖くなって。葛藤して。落ち込んで。…恋って難しいな」


「ええ。本当に難しいわ…」


丹波さんが目を細めて言った。



「だからこそ面白いんだよな、恋って」


豪が空を見上げて呟いた。


いつもの氷のような冷たい表情を涙でぐちゃぐちゃにして、泣きじゃくる神宮寺会長。


敵であり、大切な幼馴染の本当の気持ちを知り、優しく抱きしめる音羽。


俺はそんな二人の姿を見つめて、ふと思う。


世界は常に廻っている。生きている限り、俺達は何度でも出会い、恋をする。今日が終われば、必ず明日が来る。


落ち込もうと、絶望しようと、世界は俺達を待ってくれない。だったらいっそのこと、前を向いて死ぬ気で突っ走ればいい。死ぬ気で誰かに恋をすればいい。死ぬ気でお前の「好き」を叫べばいい。











































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