第22話 それでも世界は廻っている
『私は…草薙明里です。春希の、幼馴染の』
「え…?」
演台に立つ少女はわずかな淀みもなく告げた。
『杉崎春希の…幼馴染…?』
見知らぬ少女の登場に神宮寺会長も困惑して、目を点にする。しかしすぐにハッとしたように目を見開き、
『ま…まさか…っ!』
『そのまさかです。私が、春希と同じ中学でイジメに遭い、転校して姿を消した草薙明里です』
『…っ!』
会場に衝撃が走る。どよめきが波紋のように広がる。
「本当に…明里…なのか…?」
俺は目の前の光景を信じられずにいた。
どうして明里がこんなところに?
どこか遠い町に行ってしまったはずなのに。
なぜ再び俺の前に?
様々な疑問が頭を駆け巡る。しかしその少女の姿は記憶にある明里と確実に一致していた。唯一、長かった黒髪がばっさり切られて短くなっていることを除いて。
『正真正銘私よ。久しぶりだね、春希』
演台に立つ少女-明里は、俺ににっこりと微笑んだ。
俺は震える足を立たせて、実に二年と百一日ぶりに再会を遂げた明里に問うた。
「なんで、ここにいるんだ?どうして、俺の前に?」
俺の質問に明里は苦笑した。
『本当は質問に答えてあげたいとこだけど…。今は春希の身の潔白を証明するのが最優先よ』
明里はそう言って、きりっと神宮寺会長に向き直る。
『先程も言いました通り、ここにいる杉崎春希は無罪です!私が中学の部活でイジメに遭ったのは本当ですが、私をイジメた犯人は部活の先輩達であって、春希はイジメには全く加担していません!会場の皆さん、これこそが嘘偽りのない真実です!』
明里の発言に観衆は再びざわめきを起こした。
神宮寺会長は苦悶の表情を浮かべたが、すぐにいつもの冷静な様子を取り戻し、ふっと笑みを浮かべた。
『…なるほど。まさかイジメの被害者本人のご登場とはな。予想だにしていなかった展開に腰を抜かしてしまったよ』
会長はおどけた様子で言ってみせた。それからくるっと体を観衆に向けた。
『会場の皆さん、騙されてはいけません!この話にはまだ不審な点が残っています!』
神宮寺会長は大仰に両手を広げてみせた。
『不審な点…?』
明里が訝しげな顔を作る。会長は明里に向き直った。
『私が杉崎春希と同じ中学だった人間に話を聞いたのは事実だ。疑うのならば後で名前を出してもいい。そして一人ならず何人もの人間が口を揃えて「杉崎がイジメていた」と証言した。仮にこれが真実ではないにしろ、なぜここまでデマが広まっているのだ?火のないところに煙は立たないのではないのか?』
「そうだ!怪しいぞ!」
「どうして真相を知ってる人間があなた一人なのよ?」
不審に思った観客達が野次を飛ばす。
『それは事件の真相が闇に葬られたからよ。私のイジメが発覚した時、イジメの犯人である先輩達はグルになって春希を主犯に仕立て上げた。そして学校側はその嘘を信じてしまった。私は後からこの事を知って抗議したけど、大人達は不祥事を明るみにしたくないばっかりに犯人を春希ということにして事件を終わらせていた。そのせいで、春希が悪者というデマが学校中に広まってしまったの』
そう。これこそがイジメ事件の真相であるのだが、俺が主犯というデマは回収不可能なほど学校中に広まってしまった。さらに俺はその頃不登校状態だったので弁明の機も逃した。よって真相を知るのは俺と明里、そして明里をイジメていた先輩達のみなのだ。
『ではデマが広まったことと、杉崎春希が不登校になったことは関係しているのか?』
『それは…』
明里が口ごもり、俺の顔を見た。この質問に答えるべきなのは俺だろう。
「そうだ!俺は冤罪をかけられたショックで学校に行くことが出来なくなってしまったんだ」
あの時、無慈悲で残酷な現実を目の当たりにした俺は、完全に心が折れてしまった。
ちらりと舞台袖を見やる。豪、丹波さん、神山、軍艦、三島さん、そして音羽がステージ上の俺達を見つめていた。みんなそれぞれの顔に複雑な色を浮かべている。
『クク…。草薙明里、たった今貴様という人間が全て見えてしまったな。貴様はどうしようもないクズのようだ』
『…!』
「な…っ!?」
突然の明里への罵倒。神宮寺会長は唇の端を吊り上げ、明里へと一歩距離を詰めた。
『貴様がどんな理由でイジメを受けたのかは知らんが、罪をなすりつけられた幼馴染が不登校にまで追い込まれる姿を見て何も感じることはなかったのか?』
一歩、また一歩と距離を詰める会長。
『それは…っ!』
明里は頬に汗を滲ませる。
『それとも自分が助かったからラッキーとでも思ったか?幼馴染を見捨て、自分は転校して他の学校に逃げて今まで安寧に暮らしてきたわけか?これじゃあ杉崎春希があまりにも不憫じゃないか?』
「お前が…っ!お前が俺や明里を語るんじゃねえよ!」
俺は湧き上がる怒りにまかせて叫ぶ。しかし神宮寺会長は意に介する様子もない。
『どうなんだ?答えてみろ草薙明里。杉崎春希を…幼馴染を見捨てたその胸の内を、曝け出してみせろ!』
神宮寺会長が叫んだ。俺はその声に、ただ明里を追い込むための意図ではない、何か会長自身が持つ信念のようなものを感じた。
「幼馴染を見捨てるような奴信用できるか!」
「もう部外者は引っ込んじまえ!」
会場中から非難の声が飛んでくる。
明里はぷるぷると震える拳を握りしめていた。
「明里…!」
俺は駆け出そうとする。明里のもとへ。
『私は…っ…私は…っ!』
今度こそ俺は明里を守る…っ!
『私は……春希のことが、ずっとずっと好きだったのよ!!』
『……!』
「え…っ?」
この場にいる全員が、一瞬言葉を失った。
「明里が…俺のことを…好き…?」
初めて知る明里の気持ちに、俺は驚きを隠しきれなかった。
『好きだからイジメられてることを相談することすら出来なかった!心配かけたくないから…
好きだから私のせいで心を閉ざした春希の顔を見れなかった!嫌われるのが怖いから…』
顔を真っ赤にして、目には涙を浮かべ、今まで知る由もなかった本当の気持ちを叫ぶ明里がそこにはいた。
『好きだから…春希を傷つけた私には、もう春希と顔を合わせる資格なんてないと思った。だから、転校して…もう忘れようって…』
そんな…。違うんだ明里。俺は、俺自身の弱さのせいで塞ぎ込んでしまっただけで、自業自得なんだよ。傷つく明里に手を差し伸べられなかった、本当の最低野郎は、俺なんだよ…。
会場中が明里の叫び…否、告白に息を呑み、静寂に包まれる。
ぽた、ぽたと自分の足元が濡れた。それは俺の頬を伝った涙だった。
「明里…」
俺は声にならない声を発した。次の瞬間、舞台袖から突然、ある人影が飛び出した。
そして……
パンッ。
会場中に乾いた音が響いた。
それは、ステージに姿を現した音羽が、明里の頬にビンタをくらわした音だった。
「あなたね…春希くんが、春希くんが今までずっとどんな思いで過ごしてきたと思ってるのよ!春希くんはあなたに対して罪悪感を感じ続けて、強くなるために自分が壊れるくらいに頑張ってきたのよ!それを…それを知らずに今さら出てきて、好きだったから見捨てたなんて都合のいい言い訳ばかり並べないでよ!」
音羽は瞳に涙を滲ませ、明里に言葉を浴びせた。明里は俯き、床を見つめていた。
髪の長さ以外は瓜二つの少女達が、大観衆の前で互いの気持ちを叫んだのだ。
「なんで春希くんに好きって言ってあげなかったのよ!世の中にはね…好きって言いたくても、どうしても言いたくても、それが叶わない人だっているんだよ…っ!」
音羽が明里の肩を掴んで揺らした。明里は言われるがまま、顔を床に向け続けている。
「そこまでにしとけ逢坂…!」
「音羽、それ以上は…」
豪と丹波さんも舞台袖から飛び出してきた。
次の瞬間、俺の身体は勝手に駆け出していた。
「やめろ!」
俺は飛び出した豪と丹波さんより僅かに早く、音羽と明里の間に割って入った。
「春希くん…っ」
「春希…」
音羽と明里、二人がそれぞれに俺の顔を見る。
「もうやめてくれ、音羽…。俺は、責められる明里を、もう二度と見たくないんだ」
「わ、私はただ…」
音羽が言葉を詰まらせる。俺は明里の方を向いた。
「明里…。お前は何も悪くないんだ。俺はお前に傷つけられたなんてこれっぽっちも思ってない。だから気にするな」
「春希…私…」
明里は涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げた。
俺は久しぶりに至近距離で見る幼馴染に、そっと笑いかけた。
「また俺に姿を見せてくれてありがとう。そして、本当の気持ちを伝えてくれてありがとう」
「……っ!!」
明里は俺に抱きついてきた。シャンプーの良い香りと柔らかな感触に包まれる。俺は優しく明里を抱きしめ返した。
「うう…っ!春希、春希ぃ…!ごめんね、本当にごめんね…」
「だから謝らなくていいんだよ。俺の方こそ、あの時助けてあげられなくて本当にごめんな」
小さな子どものように泣きつく明里は、イジメられても決して弱音を吐かない、俺の知る強い幼馴染ではなかった。
「はる…き…うっ…うう」
「もう泣くなよ。俺、強くなれたんだぜ?」
いや違うな。明里は最初から強くなんてなかったのかもしれない。本当は、ずっとこうして誰かに泣きつきたかったんだ。ずっと自分の気持ちを押し殺して、現実という壁に立ち向かっていたんだ。
そして俺は、明里の涙を受け止められるくらいには、強くなれたんだな…
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