第20話 忠誠と愛の哲学
霧林の応援演説は二年の男子生徒が行った。内容は、一年生からクラスメイトとして優等生の霧林をずっと見てきており、困った時には必ず助けてくれて頼りになる人である、と霧林を褒めちぎったものだった。この応援演説はそこまで観衆を沸かせたわけでもなく無難に終わった。
『生徒会副会長立候補者、霧林拓馬。壇上へ』
「はい」
問題はこの男だ。果たしてどんな演説をするのか…。
『…俺はかつてサッカー部に所属していた』
霧林が語り始める。
『だが、高校一年の秋に引退を余儀なくされた。理由は単純、膝が使い物にならなくなってしまったからだ。オーバーユース症候群、いわば膝の酷使で慢性的な痛みが起こり、走ることもままならなくなった』
中学の時、同じ理由でバスケ部を辞めた先輩がいたことを思い出した。
『小学校からずっと続けてきたサッカーが出来なくなり、洛陽の仲間と全国大会に出るという俺の夢は絶たれた。…本当に辛かった。大好きだったサッカーをもうやることが出来ない悲しみで俺は自分を喪失した。生きる意味がなくなった気すらした』
観衆はみな霧林の話に耳を傾けている。
『そんな時、神宮寺会長が声をかけてくれた。「生徒会に入らないか」と。部活をやめたせいで放課後は暇だったし、誘いに乗って生徒会に入ってみた』
霧林は言葉を続ける。
『生徒会の仕事はとても大変で、一気に忙しい日々になった。だが、そのおかげで俺は絶望から這い上がれた。新たに没頭出来ることを見つけて、毎日が楽しくなったんだ。そしてこれは俺を生徒会に勧誘してくれた神宮寺会長のおかげだ。彼女は俺に光をくれた。だから、今度は俺が彼女に恩返しをすると決めた』
一拍置き、再び口を開く。
『俺は神宮寺会長にどこまでもついて行く。彼女の為なら、手となり足となりどんな職務でも全うしてみせる。その為にも俺は副会長という座を譲ることは出来ない。一番側で、彼女を支える為に。…終始個人的な事情になってしまい申し訳ない。だが、この選挙に勝ちたいという気持ちはここにいる誰にも負けてないと断言出来る。どうか、この俺に清き一票を』
演説後、大歓声と拍手が巻き起こった。
個人的なエピソードを織り交ぜ、当選したいという意志の強さをアピールした霧林。
まさに大衆の心を掴む演説だったと言えるだろう。ここから丹波さんと音羽がいかに巻き返すか。
「いよいよ私の番ね」
丹波さんは気合いを入れるために両頬を手で叩く。
「気張りすぎるなよ」
声をかける豪。
『では、応援演説人、丹波千鶴。壇上へ』
「頼むわ、ちーちゃん」
「任せて」
音羽と目を合わせ、演台に上がった丹波さん。
音羽は胸の前で両手を組み、心配そうに見つめている。
『副会長立候補者、逢坂音羽の応援演説人を務めます、丹波千鶴です。私は逢坂さんと同じクラスで、入学してすぐに仲良くなりました。彼女は学業成績も非常に優秀で行動力もあり…』
丹波さんは言い淀むことなく、落ち着いた口調で演説を行った。一緒に選挙活動をした時、友人として過ごした時など、具体的な状況下で垣間見えた音羽の高い能力や優れた人間性をアピールした。
候補者を引き立てるのが目的の応援演説としてはこの上ない出来だった。無事演説を終えた後は会場に暖かな拍手が起こった。
「ナイス丹波さん」 「よかったぜ千鶴」
舞台袖に戻った丹波さんを労う俺と豪。丹波さんはにこっと笑い、次にステージに立つ音羽の肩をぽんと叩いた。
『では副会長立候補者、逢坂音羽。壇上へ』
「ご武運を」 「頑張って下さい」
「やったれ音っち〜!」
軍艦、神山、三島さんがエールを送る。音羽は俺達を振り返ることなく、ゆったりとステージに歩を進めた。
俺は拳を握りしめた。頑張れ音羽…!
演台に立った音羽は一度ゆっくり深呼吸した。音羽の美少女っぷりに若干会場が色めき立つ。
『…元々私は引っ込み思案で、本来このような場で演説を行うことは大の苦手でした。なので、今も若干緊張で胸が苦しいです』
一度会場を見渡してから、言葉を続ける。
『私が今この場に立てているのは、ある二人の男子のおかげです。一人は私に「自分に正直であること」の大切さを教えてくれました。そしてもう1人は私に「明日を追いかけること」の大切さを教えてくれました』
前者は心当たりがあるが…後者は一体誰なのだろうか。
『「自分に正直である」、これは簡単なようでとても難しいです。なぜなら人間は嘘を吐く生き物だからです。例えば欲しい服が手に入らない時、「自分にはあの服は似合わない」といって合理化を図ることがあります。これは欲求不満から自分を守る為に無意識に働く防衛本能ですが、「あの服を手に入れたい」という自分の気持ちに嘘を吐いていることに変わりはありません』
「仕方ないよね」と思って自分を納得させる。
やらない言い訳をもっともらしく並べ立てる。
心当たりのない人間はいないだろう。
『私は、絶対に嘘を吐かずに生きていける人間は一人もいないと思います。自分と他人はどこまで行っても別の人間であり、考え方や価値観の違う者同士では争いや衝突が絶えません。そして、他人との争いを避ける為に人間は嘘を吐きます。嘘を吐くことは人間の悲しき性なのです』
そう。他者との衝突を恐れ、人間は嘘を吐く。
しかしそれは他人に対しての嘘だ。では、自分に対して吐く嘘はどうなのか。
『…だけど私は思うんです。せめて自分に対してだけは嘘を吐かずにいられたら、と。先程の欲しい服が手に入らない話では、欲求不満を解消する為に自分に嘘を吐きました。ではなぜそもそも人間に欲求があるのでしょうか。答えは「不安」や「恐怖」を感じるからです。汚い服を着ていれば周りから貶されるかもという「不安」。良い大学に入らなければ将来の自分が苦しむという「恐怖」。そこから逃れる為に、私達は良い服を着たいと思い、良い大学に進学したいと思うのです。食欲や睡眠欲だって、「死への不安」からきています。そしてこの不安と恐怖こそが人間に嘘を吐かせているものの正体です』
他者と衝突する「恐怖」が他人に嘘を吐かせ、
「不安」から生じる欲求が満たされない時、自分自身に嘘を吐く。
『だからこそ、自分に対して嘘を吐かない為には不安や恐怖を打ち消さなければいけません。そしてその為に、自分に問いを投げかけてみてほしいんです。「自分らしくいられているか?」 「後悔のないよう生きれてるか?」「本当に今のままでいいのか?」と。こうして自問自答することで、不安や恐怖は薄らいでいきます。そうしたら自然に、自分に対して正直でいられるようになるのです。皆さんも、自分に対して嘘を吐いていませんか?「あれは出来ない」「そんなの無理だ」と自分で自分の可能性を殺していませんか?もし私の言葉にハッとしたなら、一度でいいから自分に問うことで、自らと向き合ってみてほしいです』
舞台袖の俺達含め、会場にいる人間は全員が音羽の演説に聞き入っていた。
『私自身もそうして自問自答しました。「本当に今のままでいいのか」「自分らしくいられているか」と。…答えはノーでした。私は途方にくれました。一体どうすればいいのだろうかと。そんな時、私はこの学園である男子に出会いました。その男子はすごく真っ直ぐに前を見つめて、自分の弱さを克服しようと必死に努力していました。思い描く明日に向かって、ずっと走り続けていました。そして私はそんな彼に、勇気を貰いました。…私は彼の姿を見て、もう一歩だけ踏み出してみようと思えたんです。それこそが、私が今この場に立てている理由です』
音羽は一度言葉を止め、会場全体をゆっくりと見渡した。
『皆さん、ぜひ自分の胸に手を当てて考えてみてほしいです。「自分の望む明日とは」と。そうしたら理想への道筋が見えてくるはずです。そして私は、皆さんが思い描く理想に少しでも近づくお手伝いが出来たらと思っています。その為にも私は副会長として新たな生徒会を発足し、洛陽学園をより良い場所にしていきます。…ご清聴ありがとうございました』
静寂に包まれていた会場に、大きな歓声と拍手が広がっていく。今日初めてのスタンディングオベーション。
「逢坂のやつ、やりやがったな…」
拍手をする豪が呟いた。演説を終えた音羽がゆっくりと舞台袖へ帰ってきた。その顔には安堵の色が見て取れる。
「音羽…」
「あとは高宮くんと春希くんの番よ。頑張ってね」
そう言った音羽は丹波さん達のもとへ行き、みんなから感嘆の言葉をかけられた。
「そのバトン、しっかりと受け取ったよ」
俺は呟き、向こう側の舞台袖に佇む神宮寺会長を見つめた。
絶対に、神宮寺怜子を越えてみせる。
*******
音羽の演説は素晴らしかった。
会場にも今日一番と言っていい拍手喝采が鳴り響き、皆が心を打たれたことがよく分かる。
次の演説は私。応援演説人はあえてつけなかった。自分自身の力でこの勝負を…杉崎春希を終わらせると決めていたからだ。
「会長…ついに来ましたね」
霧林がやや曇った表情で語りかける。春華、鬼塚、つぐみもそれぞれの顔に緊張を浮かばせて私を見つめてくる。
「どれだけ足掻こうが、ウサギはウサギだ。ライオンには勝てやしない。…私の演説で全て終わらせる」
「勿論です会長。俺はあなたを信じています。どこまでだってついていきますよ」
「ああ。まあ見ていてくれ」
霧林拓馬…。どこまでも私に忠実で優秀な男。だが逆に言えばそこ以外の価値は全くない。春華、鬼塚、つぐみも同じだ。私にとってこの戦いは音羽を手に入れるための戦いであり、今の生徒会メンバーで勝利を掴みたいとか、そういう臭いことは一切抜きだ。
これは私個人による、私個人のための戦い。
『では…会長選に移ります。生徒会長立候補者、神宮寺怜子。壇上へ』
さあ…今からこの会場は、杉崎春希を裁く公開法廷となる。さしずめ検察官は私、ジャッジはここにいる大衆といったところか。
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