第19話 人民の人民による人民のための生徒会

五月十二日、ついに選挙本番がやってきた。


八時に学校からバスが出るため、いつもより早く家を出る。文化センターは学校から片道一時間程度の市街地に位置し、学園側によるとかなりの来客が見込まれるとのこと。学園のホームページなど、インターネットを駆使して広く宣伝を行ったらしい。地元のテレビ局も取材に訪れるとかで、もはや一高校の生徒会選挙の規模を遥かに越えている。


学園に着くと、既に駐車場には何台ものバスが停車していた。教室には上がらず、そのままバスに乗り込む。


既にクラスの半数以上の生徒が乗っていた。音羽もいて、隣に座っている女子と話していた。俺と目が合うと笑顔で手を振ってくれた。


一番後ろから二番目の席に腰を下ろす。案の定豪はまだ来ていない。丹波さんもまだなので、二人一緒に来るパターンか?


七時五十五分。残り五分でバスは出発してしまう。もし豪と丹波さんが来なければ、俺と音羽の演説は一気に不利になってしまう。


なぜなら、今日あの二人には俺と音羽の応援演説という大役を任せているからだ。生徒会長と副会長のみ、候補者自身の演説の他に一人まで応援演説人を登壇させることが出来る。


俺は豪、音羽は丹波さんを応援演説人に選んだ。高校生になってからずっと一緒に活動してきた二人だ。あいつら以外に適役などいない。


七時五十九分。運転手が「そろそろ出発します」と言った瞬間、豪と丹波さんが車内に駆け込んだ。


「なんとか間に合ったぜ」


少し息を切らした豪が俺の隣に座った。


「来ないんじゃないかとヒヤヒヤしたよ」


「このバカが全っ然家から出てこないからさ!ほんとに焦ったわもう」


通路を挟んで一つ隣に座る丹波さんが頬を膨らませて言った。


「鏡の前で演説の練習してたら遅くなっちまったよ」


豪が申し訳なさそうに手を合わせる。


「演説の練習?」


「俺、実は人前でスピーチするのとか苦手なんだよ」


「そうだったのかよ。悪いな、知らずに頼んでしまって」 


「いいんだよ。とにかく今日は頑張ろうぜ」


「…ああ」


今から数時間後にステージに立って演説する自分を思い浮かべる。今になって緊張してきたが、ここまで来たらやるしかない。俺は拳を握りしめた。



それから一時間ほどバスに揺られ、俺達は文化センターに着いた。


駐車場にはかなりの数の車が停まっており、大人や制服を着た他校の生徒で賑やかだった。


「思ってたより多いな」


「だな」


バスを降りた俺と豪は周りを見渡した。


「杉崎くん、豪!あんた達はこっちよ!」


丹波さんが俺達を呼んだ。立候補者とその応援演説人は、先に会場に入って舞台袖で待機しなければならない。


「行くか」 「おう」


俺達は手を振る丹波さんの元へ駆け出した。



*******


九時五十分。俺達は舞台袖で待機していた。まだ幕は下りているため大衆の顔は見えないが、聞こえてくるざわめきはかなりのものだ。


ステージ下手に一年立候補者、上手に二年立候補者が待機する。演説の際は一人ずつステージ中央の演台に上がる流れだ。


「うっ…緊張で吐きそうだ」


豪が口元を手で押さえて言った。


「お前…意外と緊張屋なんだな」


「大勢の前で喋る時だけな…」


「こんな調子で大丈夫かしら…」


丹波さんが腰に手を当て心配そうに呟く。


俺は後ろを振り返る。頭に日の丸ハチマキを巻いた軍艦は目を閉じて正座している。神山はこんな時にも分厚い本を読んでいる。そして一番最初の演説を務める三島さんは、ベッドホンをつけて音楽を聴いていた。


対して向こう側で待機する生徒会連中は、みな落ち着いた様子で会話を交わしている。


おいおい…俺達大丈夫か…?


「いよいよね」


俺の隣に立つ音羽が言った。その表情は固く、緊張を感じているようだ。


「ああ。俺達ならきっとやれるさ。頑張ろう」


「もちろんよ」


その時、ブーという長い音が鳴り響いた。

開演ブザーだ。幕が上がり、ついに今から演説が始まる。



『それではこれより次期生徒会役員立候補者による公約発表を執り行いたいと思います』


司会の総務委員長が開戦を告げた。


舞台袖から客席を覗いてみる。大観衆が会場を埋め尽くしていた。


『発表は生徒会事務、生徒会書記、生徒会会計、生徒会副会長、最後に生徒会長立候補者の順に行います。なお、生徒会副会長と会長は、最大1名までの応援演説人による発表も含みます』


総務委員長は一拍置き、言葉を続けた。


『では生徒会事務立候補者、三島由紀子。壇上へ』


「いっちょやりますかぁ〜!」


三島さんは特に緊張した素振りも見せず、笑顔でステージに上がった。


『どうもみなさーん!今回生徒会事務に立候補させてもらった、三島由紀子でーす!』


「ヒューヒュー!」 「頑張れ由紀子〜!」


三島さんの元気溢れる挨拶に会場は沸いた。


『今日はどうしてもみんなに私から伝えたいことがあります!』


一拍置き、三島さんは言葉を続けた。


『みんなはさ、高校生といったら何を思い浮かべる?ちょっと考えてみてほしいの』


「高校生といったら…?」 「色々あるよな」


首を捻る観衆達。


『はいそこの君!高校生といったら?』


突然三島さんが前方に座る男子生徒をびっ!と指差した。指名された男子生徒は少し困惑しながらも言葉を発した。


「勉強ですかね…」


『そうだよね!私も一番最初に思い浮かべたのは勉強のことかな。じゃあごめんけどもっかい質問ね。なんで勉強が思い浮かんだの?』


「そりゃ、毎日やってることだから?」


『じゃあどうして毎日勉強するの?』


「受験があるからに決まってるじゃないか」


禅問答のようなやり取りが続く。三島さんはうんうんと頷き、


『そうだよね。私達高校生は日々受験に向けて勉強に励んでる。良い大学に入って、良い会社に入って、たくさんお金を稼いで、幸せになる為に。でもさ、そんな社会が敷いたレールを走るだけの人生、ほんとに幸せ?』


三島さんが観衆に問いかける。


『私は勉強自体は全く否定しないよ。そりゃもちろん勉強出来た方が得すること多いし、それだけ努力が出来るっていう証明にもなるしね。ただ、今しかない高校生活を全てそこに費やす必要があるの?とは思うな』


「高校生のうちは勉強して大学生になったら遊べばいいじゃん」


誰かが言葉を発した。


『あーそれ親や先生がよく言うやつね。そういう人って大学に入ったら「就活があるから」ってまた勉強し出して、会社に入ったら「若いうちにたくさん働いて引退後に余裕をもちたいから」って感じでずっとお金の為に働き続けるんじゃない?なんかそういうの虚しくない?』


会場は静寂に包まれた。何かを悟ってしまい、言葉が出てこない観衆達。


『私が伝えたいのはさ、現在を未来の為の道具にして欲しくないってことなんだよね。今という時間はどう足掻いたってもう戻らないでしょ?高校生の今っていうかけがえのない時間を「将来のため」とか言って勉強にだけ費やすのはさ、もうやめにしようよ』


三島さんは言葉を続ける。


『だから私が生徒会の一員になることが出来たら、今の恋愛禁止の規則を絶対に廃止します。どうか清き一票を、私とこの後演説する音っちや杉崎っちに入れてください!以上で演説をおわりますっ!』


三島さんが一礼して頭を上げる。会場には熱のこもった拍手と歓声が鳴り響いた。



「恋愛をしたいから」という私利私欲にまみれた動機を「今しかできない青春」に昇華させた見事な演説だった。


いくら勉強で忙しいとはいえ、思春期真っ盛りの高校生には純粋な「アオハル」を訴える三島さんの言葉が刺さったのだろう。三島さんに送られた歓声と拍手は続く鬼塚のものを遥かに上回っていた。


舞台袖に戻ってきた三島さんは嬉し気にピースをしてみせた。


「いい演説だったよ」


俺は労いの言葉をかけた。


「でしょお?流れは作ったから、後はみんなに任せたよっ!」



「ついに僕の番が巡ってきたようですね」


神山が歩を進めた。俺はこの男に対してどうしても不安な点が一つあったため、声をかけることにした。


「神山。コンプライアンスに引っかかるような発言は控えとけよ」


俺の言葉に神山はフッと笑った。


「まあ見ていて下さい」


『生徒会書記立候補者、神山総悟。壇上へ』


「はい!」


ステージに上がった神山。この変態の一挙手一投足には目が離せない。


『ただいまご紹介に預かりました、今年度の洛陽学園首席入学の神山総悟です』


「あいつが今年の首席…?」


「神山総悟ってあの全国模試にも名前が載ってた…?」


「マジモンの天才じゃん!」


会場にどよめきが響く。不敵に笑った神山は言葉を続ける。


『現在の生徒会は恋愛禁止とかいった規則を定めているようですが…洛陽学園首席の僕からしたらあまりにも愚かな決まりです』


またもや会場はどよめく。


『なぜなら、僕は中学三年生の一年間で十人もの女性と付き合いつつも、洛陽に首席入学を遂げたからです。なぜか毎度一回目のデートで振られてしまうんですが…とにかく、勉強と恋愛が両立可能であることは僕が既に証明しています』


たった一回のデートで終わってしまうような恋愛を恋愛とカウントしていいのかは微妙だろ…


『もし僕が書記に当選した暁には、いつでもどこでも誰にでも勉強を教えましょう。特にレディーには手取り足取り付きっきりね。気軽に生徒会室に寄っていただけたら嬉しいです。僕はいつでも待っています。以上です』


神山がぺこりと礼をする。女性陣から大きな拍手が送られた。ルックスも良くて頭も良い(変態だけど)神山に勉強を教われるとなれば、この上ないメリットだろう。


「どうでしたか?僕の演説は」


舞台袖に戻った神山が問うてくる。


「自分の強みをいかんなく発揮した演説だったな…。お疲れ様」


俺は苦笑いで応えた。悪くはない演説だったが…なんか知能の無駄遣い感がすごかった。


同じく生徒会書記立候補者、七草先輩の演説は素晴らしかった。内容自体は無難にマニフェストを紹介するだけのものだったが、柔らかな語り口とどこか舞踊を思わせる美しい身振り手振りに、会場は幻想的な雰囲気に包まれた。


演説後は大きな拍手と歓声が上がった。神山、ヤバいかもな…。


『では生徒会会計立候補者、軍艦司。壇上へ』


コールされた軍艦はきびきびとステージへ歩みを進めた。


頭に日の丸を巻いた軍艦は、演台に上がるとびっ!と敬礼した。


『親愛なる生徒諸君、そしてご来場の一般の方々。私は今の洛陽学園に危機を感じている』


「危機…?」

「なんでハチマキ巻いてんだアイツ…」


会場がどよめく。軍艦はどよめきが止んで完全に会場が静かになってからようやく口を開いた。


『私が感じる危機とは、民主主義の形骸化に他ならない。現生徒会を見てみろ。「恋愛禁止」の規則を我々に押し付け、少し男女で会話した程度で処罰を喰らわせる。校内ではうかつに男女で肩を並べて歩くことすら出来ない。これは権力の濫用であり、有権者である我々一般生徒に対する裏切り行為だ』


「ちょっと!怜子様を侮辱する気?」


何人かの女子生徒が立ち上がった。


『演説中です。静粛に』


司会の総務委員長が宥める。


『このような独裁政治を許していいのか?最大多数の最大幸福が崩壊している現状を見過ごしていいのか?否、断じて許してはならぬ。見過ごしてはならぬ。我々は…立ち上がらなければならない!』


軍艦は拳を空に掲げた。


『この学園に再び民主主義を取り戻そうではないか!富める者よ、貧しき者よ!賢き者よ、学なき者よ!立ち上がるのだ!我々で、全員が幸せになれるような学園を作っていこうではないか!』


会場は今日一番の大歓声に包まれた。軍艦は再び敬礼をし、きびきびと舞台袖へ帰ってきた。


「軍艦、お前すげーな」


「アドルフ・ヒトラーの演説を参考にしただけだ。大衆は強い言葉に流されやすい」


かつてのナチス・ドイツ最高指導者ヒトラー。ホロコースト等、犯した人道上の罪には残虐極まりないものがあるが、演説の達人としても名を轟かせていた。


「さて。六本木先輩の演説はどんなものやら」


軍艦は腕を組み、会計の座を争う六本木の姿を見据えた。


『六本木春華、壇上へ』


「はい」


背の小さいツインテールの女子生徒がステージに現れる。キュートな見た目に似合わぬ殺気めいたオーラを纏って。


『…六本木春華よ。全くどこのどいつかしらね。私達を独裁者呼ばわりするような輩の演説に盛り上がっているのは』


六本木はゴミを見るような目で会場を見渡す。

場内の空気が一瞬にして凍りついた。


『たった今確信したわ。絶対にこの1年連中に生徒会は任せられないと。他党批判はよくあることにしても、日々学園の為に職務を全うしている私達を貶める発言を平気でするなんて、人として終わってるんじゃない?』


六本木は呆れたような笑い顔を舞台袖の俺達に向けてきた。


『…まあいいわ。あなた達に一つ、私から頼みがあるの』


六本木が観衆を見つめ、改まった調子になる。


『正直、私自身はこの選挙に落選したって構わないと思っているわ。だって、それは私一人の敗北だもの。許せないのは、私達生徒会のリーダーである怜子が負けることよ。怜子の敗北は怜子一人の敗北ではないの。私達生徒会、いや、今まで怜子を支持してきた人間全員の敗北なのよ!』


六本木の必死の叫びに会場全体がどよめく。

そうなのだ。神宮寺会長は入学以来、常に生徒達の支持を集め続けてきた。つまり、それだけ彼女を支持する熱狂的信者が大勢いるのだ。おそらく六本木はマジョリティである神宮寺派の有権者の票を確実に獲得したいのだろう。


『あなた達、怜子が今まで学園にした貢献を忘れたの?成果なんて挙げ出したらキリがないわ』


俺達に傾きつつあった勢いが、徐々に引き戻される。


『そのご恩は、山よりも高く、海よりも深いわ。今こそ、そのご恩にこたえるときよ。どうか清き一票を怜子に、そしてもし私を支持してくれるというのなら、私にも』


演説を終え、六本木が一礼する。会場は拍手と歓声に包まれた。どことなく一体感を感じさせることから、勢いは完全に生徒会連中に持っていかれたようだ。


『それではこれから十分間の休憩を挟みます。再開は十一時十分からとなります』


前半戦終了。副会長候補者と会長候補者の演説は後半にもつれ込む。


「やはり只者ではなかったな。大衆の意識を自分にではなく、神宮寺会長に移した。大局的に自らのチームが優位になるよう舵を切ったということか」


軍艦が感心したように言った。


「くそっ…!せっかく流れが来てたってのによ…」


俺は唇を噛み締める。軍艦が作り出してくれた熱狂も、今や神宮寺会長達へと向けられている。


「まずいわね…しかも次の演説は霧林の応援演説よ。そしてその次は霧林。奴らに有利だわ」


丹波さんが汗を垂らしながら言った。後半の演説順は霧林、音羽、神宮寺会長、俺となり、各候補者の応援演説が候補者の前に行われる。


「そんなもんプラマイゼロじゃねえか。元々俺達は不利な立場だってのに、何を狼狽てんだ」


吐き気がおさまり元気を取り戻した豪が言った。


「そうですよ。僕だけのハーレム王国を作る為にもあなた達に落選してもらうわけにはいきません」


「諦めムードとかまじ有り得ないし!」


「『勝負は下駄を履くまでわからない』だぞ。最後まで希望を持ち続けようではないか」


神山、三島さん、軍艦も励ましの言葉を送る。


「お前ら…」


俺は焦っていた心が徐々に落ち着くのを感じた。


「みんなの言う通りよ。むしろここからが本番だわ」


音羽が言い放つ。その顔には覚悟の色があった。


そうだ。まだ焦るような時間じゃない。ここまでやって来た自分達を信じろ。


俺は拳を固く握りしめる。


『十一時十分となりましたので、演説会を再開します。生徒の皆さん、並びに観客の皆様は席にお戻りください』


総務委員長が休憩時間の終了を告げた。

騒がしかった会場が徐々に静まっていく。



『ではこれより副会長立候補者、生徒会長立候補者の演説を始めます』


後半戦の幕が上がる。俺と音羽は顔を見合わせ、互いの拳を合わせた。





































  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る