第16話 人生は芸術を模倣する

四月二十五日木曜日。昼休憩、俺と豪は二人で廊下を歩いていた。昼飯はさっき済ませて、放送室に向かっている。目的は放送で生徒達に演説会の宣伝をすること。


そう。ついに今日の放課後、俺達の演説会を開くのである。


「なあ豪」


俺はぼんやりと窓の外を眺めて言った。


「どした?」


豪は耳をほじりながら答える。


「単刀直入に聞くけど、丹波さんのことどう思ってる?」


俺はずっと気になっていたことをついに質問した。


「好きだよ」


「え?」


「だから、好きだよ。千鶴のこと。普通に異性としてな」


予想より遥かにあっさりかつ真っ直ぐな返答につい聞き返してしまった。答えづらい質問なため、多少の言い淀みはあると踏んでいた。


「…なんかこう、照れたりとかないのかよ。そんなにあっさりと好きとか言えるのか」


「うーん…。そこ、自分でもちょっと悩んでんだよな」


「悩んでる?」


「おう。なんか俺、千鶴のこと好きなのにあんまりドキドキしないんだよ。物心ついた時からずっと一緒っていうのもあるけど、多分安心し切ってるんだと思う。俺の前から千鶴がいなくなることはないって」


「実際丹波さんは明らかにお前のことを好いてるしな」


豪は少し笑ってこくり、と頷く。


「やっぱ、春希からもそう見えるか」


「ああ。だがそれと同時に豪が結構酷薄な感じに見える時もある」


「俺が酷薄に?」


豪が俺の顔を見る。俺は頷き、


「なんつーか、温度差を感じるんだよ。丹波さんが豪に向けてる気持ちは熱が籠っててアツアツだけど、豪が丹波さんに向けてる気持ちはぬるま湯というか。もちろん、お前が丹波さんを大切に想ってることは伝わるんだが…」


なんとなくで感じていたことを言葉にする。もっと分かりやすく伝えられたらいいのに。


「なるほどな。だから俺が酷薄に見えるってことか」


「ああ。…なんか悪いな。豪の気持ちも知らずに勝手な印象で話して」


「気にするな。俺自身、他人から見た俺と千鶴ってどんな感じか気になってたし」


豪はひらひらと手を振って「大丈夫だ」と意思表示する。それから数秒間無言が続き、豪が再び口を開いた。


「春希、俺はどうすればいいと思う?」


俺は数秒ほど考えてから言葉を発した。


「丹波さんにちゃんと伝わる形で、豪の『好き』って気持ちをぶつければいいんじゃないか。多分丹波さんめちゃくちゃ喜ぶぜ」


「…そうか。ふっ、まさか春希に恋愛のことでアドバイスをもらう日が来るとはな」


「それもこれも全部音羽のおかげだ」


俺と豪は目を合わせた。そして、なぜか笑顔でお互いの拳をぶつけ合った。



*******


六限の授業終了を告げるチャイムが鳴った。

やっと放課後だ。俺達の演説会は校庭でやることになっている。


自分の席でリュックに荷物を詰め込んでいると、丹波さんが俺のもとにやって来た。


「ねえ杉崎くん。今日の演説会のことなんだけどさ」


「ああ。何か変更点でも?」


「変更点というか何というか…。まあちょっとしたお願いがあるんだけど」


「お願い?」


「うん。杉崎くん、演説会の最初の十分間ほどは、観衆の方に紛れ込んでてくれない?」


突然の頼みに、俺は目を丸くした。


「観衆の方に?別にいいけど、理由は?」


俺が尋ねると、丹波さんにしては珍しく少し焦った感じで、


「え…えっと、あれよあれ。そう!私達の演説を客観的に見て評価してほしいのよ」


「客観的にねえ…。まあ観衆の視点を持つことは大切だしな。了解したよ」


少し不信感が残るものの、俺は承諾した。「じゃあお願いね」と言って丹波さんは去っていった。


「おい、何言われたんだ?」


後ろの席の豪が問うてくる。


「なんか、客観的に演説を見てほしいから少しの間だけ観衆側に紛れてくれって」


豪は首をかしげた。


「生徒会長立候補者の春希がいないとダメだろ。そんなの神山か司にやらせりゃいいのに」


「俺もそう思うんだが…。まあいいよ。演説の最初は、女子達でなんかパフォーマンスやるんだろ?そこだけ観衆の一人として見させてもらうよ」


「それが終わったら戻ってこいよ。俺達のリーダーは春希なんだから」


「ああ」


俺は頷き、リュックを背負った。さて、一足早く観衆の方に向かうとするか。


俺は一人で教室を出て、校庭を目指した。

 


*******


時刻は十五時五十分。十六時から演説会を始めたい俺達は、早足で校舎を歩いていた。


「千鶴、なんで春希を観衆側に行かせたのさ」


俺は隣を歩く千鶴に尋ねる。


「それは後で教えるわ。まあ、杉崎くんを一人にさせるよう言い出したのは由紀子なんだけどね」


「三島が?なんか変なこと企んでるんじゃないだろうな」


「そんなことないわ。由紀子なりの応援よ。杉崎くんと逢坂さんに対してのね」


千鶴はなぜか微笑ましそうに口元を緩めた。


「女子の思考はよくわからんな…」


玄関に着いた俺達は靴を履き替え、駆け足で校庭に向かう。


俺達、というか春希達が演説する朝礼台の後ろには既に他のメンバーがスタンバイしていた。


ざっと見渡したところ、観衆は三十人くらいだった。昨日の春希の話によると、神宮寺の演説には百五十人以上もの生徒が集まったらしいから、軽く五倍の差だ。


俺と千鶴は逢坂達と合流した。二本あるマイクは逢坂と三島が握っている。この二人でパフォーマンスを行うつもりか。


と、ここで俺はあることに気付く。朝礼台の左右になぜかスピーカーが二つ設置してある。しかも音楽室にありそうなかなり大きいやつ。


俺は神山と司のもとへ駆け寄った。


「おい、何だこのスピーカー」


「先程三島に頼まれて運ばされた。何に使うのかは知らんな」


司が肩をすくめて答えた。


「スピーカーですから、何かしらの音を流すつもりでしょうか。まさか近所の巨乳お姉さんの囁きボイスを…」


「黙れ変態」


また変なことを言い出した神山の背中を軽くどつく。


女子達の方を見る。楽しそうに笑う三島とは対照的に逢坂は緊張しているのか、表情が固い。

マイクを持つ手も少し震えている。千鶴は何やらスマホを操作している。スピーカーとの接続を試みているのだろうか。


時刻は十五時五十八分。間もなく演説会が始まる時間だ。観衆もガヤガヤと騒がしくなってきた。


俺は逢坂のもとへ駆け寄った。


「逢坂、何やるつもりか知らねーが、大丈夫か?あんまり無理すんなよ」


「ありがとう高宮くん。確かに私は今、緊張しているわ。だけど大丈夫よ。やり切ってみせるから、見ててね」


綺麗な瞳で真っ直ぐ俺を見る逢坂。


「もちろん見てるさ。頑張れよ」


俺は逢坂のもとを離れた。観衆の方に目を向けてみると、春希の姿があった。


「春希、逢坂のことしっかり見ててやれよ」


俺はぼそっと独り言を呟いた。



校舎に設置されている時計の針が十六時を指した。同時に三島と逢坂が朝礼台に上がる。



「はいはーい!みんな注目!」


三島が大きな声で観衆に呼びかけた。各々好きに話していた生徒達の視線が、三島と逢坂に集まる。


「私は今度の選挙で生徒会事務に立候補する、一年の三島由紀子でーす!みんなよろしくね〜」


三島が観衆に手を振る。男子生徒から歓声が上がった。


「同じく一年の逢坂音羽です。私は生徒会副会長に立候補します。よろしくお願いします」


自己紹介をして、逢坂はぺこりと頭を下げた。


「今日は演説会っていうことでみんなに集まってもらいましたけどぉ、演説を始まる前に私と音っちでパフォーマンスを披露したいと思いまーす!」


三島が手を挙げるとそれに呼応して観衆も手を挙げた。


俺は三島のことを過小評価していたようだ。彼女は場を盛り上げる術を心得ていた。さて、一体何をやろうというのか。




「じゃあ、私と音っちのデュエットをみんなにお披露目しちゃいます!最初の一曲は…」


パフォーマンスの題目の発表に観衆が沸いた。


「デュ、デュエットですと!?」

「デュエ…デュエル?なんだ、三島と逢坂は今から決闘でもするのか?」


鼻息を荒くする神山と、小首を傾げる司。


三島が逢坂にちらりと視線を送る。逢坂はこくりと小さく頷き、


「二人だけのシャトルラン」


曲名を告げた。観衆は「おお〜」と声を上げる。千鶴がスマホを操作すると、二台あるスピーカーから音楽が流れ出した。


聞き覚えのあるイントロが流れる。俺達世代が中学生の時に流行った曲だった。


まさか歌とはな…。どうりで逢坂も緊張するわけだ。だが、朝礼台に立つ逢坂の表情は柔らかかった。緊張した様子はなく、むしろリラックスして音楽に乗っている。



-振り向くと あなたはいつもそこにいた

-ぼんやりと どこを見てるのその瞳


二人が歌い出した。三島の元気な歌声と逢坂の綺麗な歌声が混じり合う。観衆達は第一声目で二人に釘付けになった。



-私だけ   見ていてほしいよホントはね

-こんなにも 呼吸が早くなるなんて


-いつ終わらせるかは私しだい

-だけどあなたとゴールしたい

-鉄の味する口の中

-なかなか踏めぬあのライン



音楽が転調し、サビを迎える。


-ああ二人だけのシャトルラン

-行ったり来たりで曖昧な

-胸の鼓動が止まらない


観衆は大盛り上がりを見せた。校庭に二人の伸び伸びとした声が響き渡る。


「千鶴は歌わないのか?」


俺は千鶴の隣に立った。


「…私が音痴なの知ってるでしょ。スピーカー担当で勘弁してもらったわ」


千鶴は少し俯いて言った。かすかに頬が赤くなっている。


「たしかに、お前は歌わない方がいいな」


「うるさいわね…どうせわたしはヘタクソですよっ!」


ぷいっと顔をそむける千鶴。俺は幼馴染のそんな姿に苦笑したが、すぐに真剣な表情になり、千鶴の顔を見つめた。


「下手だからじゃねーよ。…千鶴の歌声を、他の男なんかに聞かせたくねえ」


歯の浮くような台詞に千鶴は顔を赤らめた。


「は…ちょ、何よいきなり」


俺は千鶴の手をぎゅっと握った。突然手を取られた千鶴は少し困惑したように俺を見上げる。俺はそんな千鶴の顔を真正面から見つめた。


「俺はお前を手放したくない」


「豪…」


千鶴も握り返してくる。柔らかな感触と温かな体温が伝わる。俺の胸は、本当にいつ振りか分からないほど高鳴っていた。



*******


いきなり歌い出した三島さんと音羽。二人の綺麗な歌声は人々の注意を引き付け、観衆の数は徐々に増えていく。


-ああ二人きりのシャトルラン

-増えたり減ったり落ち着かない

-届きそうで届かない



そして、俺の心は完璧なまでに奪われていた。

校庭に響き渡る音楽に。目の前で歌う音羽に。



一曲目を歌い切ると、いつの間にか五十人以上は集まった観衆達による拍手と歓声に包まれた。


何かこう、魂を揺さぶられたような感覚に陥った俺の手は少し震えていた。


「いやーなんとか歌い切れました!音っち、どうだった?」


少し汗をかいて顔を赤らめた三島さんが、笑顔で音羽に話しかける。


「こんなに大勢の前で歌うのは初めてだったけど、すごく…楽しかったです」


歌っている時とは対照的に、少し恥じらいを見せながら音羽が答えた。


「ヒューヒュー!」と誰かが口笛を鳴らす。

「もっともっとー!」と、次の曲を急かすような声も聞こえてくる。



「もぉーみんなせっかちなんだから!じゃああと一曲だけ歌いたいと思うから、しっかり聴いててくださいね?」


三島の返答に観客は盛り上がる。二人はお互い目を合わせて頷いて、


「次の曲は…『Once again』」


音羽が曲名を告げる。すぐにスピーカーからイントロが流れた。


-一歩進んで二歩下がる

-きっと追いつく信じてた

-掴んだ糸は残酷に

-切れているとも知らぬまま


三島の明るくて伸びのある歌声と音羽の綺麗でどこか儚げな歌声がハーモニーを奏でる。


知らない歌だが、あっという間に俺の意識は音楽に取り込まれていく。


-どこかの誰かを見上げてたんだ

-自分で自分を見下ろして

-世界を見る目が広すぎた


俺は爪が食い込むくらいに拳を握りしめた。

頑張れ、音羽…!


-逃げたっていい 負けたっていい

-もう一度勝ち上がれるなら

-希望を添えたラブレター

-その宛先は自分自身


サビを迎えて観衆の興奮も最高潮に達した。高らかな歌声で、満面の笑みで歌う音羽。そこには人前で話す際に緊張で声を失っていた、かつての音羽の姿はなかった。


-泣いたっていい 転んだっていい

-もう一度立ち上がれるなら

-陰に佇むエキストラ

-私がなるのは主人公



観衆の数はさらに増え、校庭は生徒達で埋めつくされていた。昨日の神宮寺会長を上回る熱狂をもたらした二人のアイドルは、二曲目も見事に歌い切った。


再び拍手と大歓声に包まれた三島さんと音羽。

大仕事をやり切り、清々しい良い顔をしていた。


「こんなに歓声浴びたのは生まれて初めてです!みんなどうもありがとう〜」


「これで私達のパフォーマンスを終わります。引き続き選挙演説を行いますので、そのまま聞いていただくと嬉しいです」


音羽が観衆に待機を促す。


「あっ!つい聴きいってしまった…どうしよう」


音羽達の方へ戻って演説をしなければいけない。だが、周りにいる生徒達が多すぎて身動きがとれない。


「はいはーい!じゃあここからは、そこに立ってる生徒会長立候補者、杉崎っちがみんなに演説をしてくれるよー!!」


と、三島が身動きを取れずに困っている俺をビシッ!と指した。


みんなの視線が一斉に俺に集まる。これはいいチャンスだ。見せ場を作ってくれた三島には後で礼を言わないとな。


「ちょっとどいてくれ」


生徒達が避けて俺が通る道が出来る。


「あいつが一年の杉崎か…」 「会長に喧嘩売ったんだろ?」「なんで俺達に混ざってたんだ?」 と、どよめきが聞こえてくる。


俺は朝礼台に上がり、三島からマイクを手渡される。一度深呼吸して、まだ興奮冷めやらぬ観衆を見下ろした。


「俺が次期生徒会長に立候補する、杉崎春希だ!今日はこんなにもたくさん集まってくれて、みんなありがとう!」


半ば叫びに近い声で挨拶を述べる。観衆はパチパチと拍手を送ってくれた。


「今日は俺達が掲げるマニフェストを一つ、紹介したいと思う。三つあるうちの最も重要なものだ」


言葉を続ける。


「俺が生徒会長に当選し、ここにいる逢坂さんや三島さん、他に神山や軍艦がそれぞれの役職に当選して新生徒会を発足した暁には、この学園における『恋愛』を自由化する!」


「おお〜!!」 「いいぞいいぞー!」とかなりの歓声が上がった。しかし同時に「何言ってんのアイツ」 「怜子様に敵対してるのはホントみたいね」などと冷ややかな声も見受けられる。


俺はマイクを握る手に力を込める。


「今の生徒会は、恋愛禁止という規則を俺達に無理矢理押し付けてる。ちょっと男女で話してただけで奴らに文句をつけられて、運が悪けりゃ停学だ。俺達の高校生活、こんなに窮屈なものでいいのかよ!?」


「そうだそうだー!」と声が上がる。


「そもそも洛陽学園のブランドを守るために勉強しろってのもおかしいだろ?本来は自分が学びたいことがあるから勉強はやるはずなのに」


みんな真剣な眼差しで俺を見つめている。これはかなり好感触だ。


「俺達は今の洛陽学園を根底から覆す!そしてそれは生徒会の独裁政治ではなく、一般生徒も含めたみんなで決めていく民主政治だ!」


俺は空に向かって勢いよく拳を掲げた。それに呼応して多くの観衆も拳を掲げてくれた。同時に大きな歓声も上がった。


「大成功だね、春希くん」


音羽が俺に微笑んだ。


「これも音羽と三島さんが流れを作ってくれたおかげだよ。歌、すごくよかったよ。本当にありがとう」


「春希くんが見てるから、私頑張れたんだよ」


音羽がほんのり頬を赤らめて言った。


「えへへ。私の作戦は成功したっぽいねぇ」


俺と音羽のやり取りを見た三島が自慢気に呟いた。


俺は、否、俺達は予想を超える熱狂を作り出せたことに歓喜していた。今日の演説会は大成功といえるだろう。この調子で選挙運動に取り組んでいけば、政権交代も現実のものとなるのではないか。



…しかし、それは甘い考えだった。なぜなら、俺達は神宮寺会長のことを何も知らなかったからだ。なぜ彼女が生徒会長という地位にこだわり、恋愛禁止などという規則を導入したのかを俺達は知らない。



「ふっ…やってくれるね杉崎くん」


学園の校舎三階端にある生徒会室。カーテンの隙間から、春希達の演説を覗く瞳があった。


「だが君は何もわかっちゃいない。私にとって選挙に勝つこと自体は重要じゃないんだ。勝つことによって得られる付加価値こそが、私が真に欲するものなんだよ…」


そう。そもそも前提が違っていたのだ。この戦い、春希達は完全に「現生徒会 VS 一年反乱軍」といった二項対立として捉えていた。異なるイデオロギーを掲げる集団同士の戦いであると。


しかし、神宮寺怜子にとってみればこの戦いは彼女個人の欲望を叶えるための手段に過ぎなかった。そしてその欲望こそが、彼女に「恋愛禁止」などという規則を作らせるに至った唯一の理由だった…


























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