第12話 本当の強さ

軍艦司を仲間に引き入れ、山を降りた俺達は自転車を走らせて駅前に戻った。


時刻は既に十八時を過ぎていた。沈みかけの夕陽の下、俺達は明日以降の戦略を立てた。


ひとまず残り九日間のうちに書記と事務に立候補してくれる一年生を探すことが最優先。メンバーが揃ったらマニフェストの具体的内容を決めていくことになった。



話に区切りがついた頃には、夕陽が沈みあたりは真っ暗になっていた。


「そろそろ帰るか。俺と千鶴は同じ方角だけど、春希と逢坂はバラバラか?」



豪が自転車にまたがり、俺と逢坂さんを交互に見た。


「杉崎くん、まさかこんな暗闇の中、女の子を一人で帰らせるつもりじゃないでしょーね」


丹波さんがジト目を向けてくる。


「…家まで送るよ、逢坂さん」


圧に屈した俺は見送りをすることに決めた。


「いいの?迷惑じゃない?」


「迷惑だなんてとんでもない。さ、行こうか」


俺も自転車にまたがり、ペダルを踏み込む。


「じゃあな、また明日」 「ばいばーい」


別れの言葉を告げる豪と丹波さんに手を振り、俺は逢坂さんと一緒に自転車を漕ぎ始める。


「私の家、十分くらい漕いだら着くから。わざわざありがとね」


ポニーテールを揺らしながら、逢坂さんが話しかけてくる。


「気にしないでくれ。それより、今日一日でかなり進捗があったな」


「そうね。高宮くんと丹波さんってほんとに優しい人だと思った。私達のために一生懸命考えてくれて」


「だな。豪のおかげで、早速仲間も一人増えたわけだし。…なんつーか、強いよな、あいつら」


「強い?」


逢坂さんが俺の顔を見てくる。


「ああ。豪って、いい加減に見えて自分のことも周りのことも俯瞰して考えてて、行動力もある。丹波さんも冷静に状況を見つめて、的確なアドバイスをくれる。きっとあいつらは、大抵のことなら何でもこなしちまうんだろうな」


これは本心だ。出会って間もないが、あの2人には感心させられてばかりだ。そして感心と同時に、俺なんかじゃ絶対にこいつらには敵わないという壁のようなものも感じてしまうのだ。


「あの二人もすごいけど、私は杉崎くんの事もすごいなって思ってるよ」


真っ暗な道に、逢坂さんの声と自転車のチェーンの音が響き渡る。


「それは嬉しい言葉だな。でも、俺は弱いよ。あいつらなんかより、全然。前話したろ?中学の時、俺は幼馴染を助けられなかった。イジメを見て見ぬ振りしたんだ。もし豪や丹波さんが俺だったら、そんなことすると思う?俺は、あいつらなら何が何でも大切な人を…明里を、助けたと思う」


「杉崎くん…」


今だって、俺はあいつらに頼ってばかりだ。勿論一人で解決出来る問題なんてないけど、あいつらの強さが、その反転像としての俺の弱さを映し出してしまう。


「…ごめんな、なんか暗い話して。でも、俺は弱いなりに一生懸命足掻いていくよ」


俺は自嘲気味に呟く。真っ暗な空にカラスの鳴き声が響いた。


「……」


無言の逢坂さん。



前方に、街灯に照らされて闇に佇む公園があった。遊具も何もない、ただベンチだけがぽつんと置いてある公園。


「杉崎くん、あの公園に寄っていい?」


逢坂さんが自転車から降りて言った。


「別にいいけど…どうした?」


俺の言葉には答えず、自転車を押して公園に入っていく逢坂さん。俺は後に続く。


ベンチのそばに自転車を停める。


「座らない?」


と、既にベンチに腰を下ろす逢坂さんが俺を見上げて言った。俺は「ああ」とだけ言って隣に座る。



もう夜だから既に気温は下がっており、肌寒かった。俺は少し身震いする。すると、冷たくなった俺の手に逢坂さんが自分の手をぴとっと重ねてきた。


「あの…手…」


動揺する俺を気にもせず、逢坂さんは虚空を見つめたまま口を動かした。



「杉崎くん…少しだけ、私の話をしていい?」


逢坂さんは俺の目を見ないままだ。


「うん、いいよ」


俺が答える。すると逢坂さんは、公園の入り口を指差した。いや、正確に言うなら公園の入り口前の道路を指差した。


「私ね…中学二年生の時、そこの道路で事故にあったの」


「事故…」



それから、逢坂さんの過去の話が始まった。


 


*******




私– 逢坂音羽は、引っ込み思案で無口な子どもだった。


小さい頃から勉強だけは人よりできた。けど、それ以外はからっきし。足が遅くてスポーツも苦手で、知らない人と仲良くなることがすごく苦手だった。特に嫌だったのは、人前で喋ること。


小学生の時、体育館で全校生徒の前でスピーチをする役目に、ほとんど押し付けられた形で抜擢された。みんなの前に立つだけで足が震えるのに、さらに話さなきゃいけないなんて。



結局私は緊張で声が出なくなって、何も話せなかった。先生は私を慰めてくれたけど、クラスメイトからの視線は冷たいものだった。


私はそれがトラウマになり、それ以降「自分は人前に立てない」 「誰かに自分の意見を主張するなんて無理」と思うようになった。



中学に上がり、私は自分と似たような性格の子達と仲良くなることが出来た。それ以外の友達は、幼馴染の怜子ちゃんだけだった。



ある日、事件が起きた。クラスの中心人物の女子がいつも大切に着けていたヘアピンがなくなったのだ。体育が終わって、着替えに教室に戻った時にはなかったらしい。


男子は女子の着替える教室には入れないため、必然的に盗んだ犯人は女子の誰かとなった。


運悪く、私はその日遅れて学校に登校したため、体育の授業も途中参加だった。つまり、誰もいない教室に入った証拠があるのは私1人だった。



すぐに私は犯人扱いされた。最初は「私じゃない」と主張したが、クラスメイト達に責め立てられる内に怖くなってまた声が出なくなってしまった。何も言わない私にイライラした女子達は、教科書やリュックをぶつけ出した。


私はかがみ込んでしまい、物をぶつけられ続ける痛みにただ耐えた。私と仲良くしてくれてた友達は誰一人として私を助けなかった。


だけど、ついに私を庇う人が現れた。同じクラスの男子の一人、和人(かずと)くんだった。


かっこいいと女子に評判だった和人くんの「やめろ!」という一声で女子は私に物を投げるのをやめた。和人くんは「盗んだという確実な証拠がないのに決めつけるのはおかしい」と言って私を擁護した。やがて罪悪感に耐えられなかったのか、真犯人がついに名乗り出た。男子が悪ふざけで窓から教室に侵入して盗ったのだった。


事態は一見落着したが、私はなぜかその後和人くんに呼び出された。


「お前さ、違うんなら違うってハッキリ言わないとダメだろ?」


「うん…ごめん…」


「すぐ謝るなって!逢坂ってさ、か…可愛いんだから、笑ってる方がいいよ」


和人くんはそう言って、去っていった。


私はその日を境に変わった。


嫌なことは嫌とハッキリ言うし、おかしいと思ったことはおかしいと主張するようになった。


いつまでも引っ込み思案なだけじゃダメだと思ったから。今までずっと「私なんか何も言わない方がいいんだ」と自分に言い聞かせて、自分で自分の可能性を殺していたのだ。


そして、それに気づかせてくれたのは和人くんだった。


間もなく私は、和人くんのことを好きになってしまった。どうやら和人くんも私に気があったらしく、週末に二人で遊んだりもした。


前より明るくなって友達も増えて、和人くんとも日々少しずつ仲を深めていって、私はとても幸せな日々を送った。



だけどそんなある日。


人気者だった和人くんと仲良くしていた私に嫉妬した女子達が、公園のベンチで和人くんを待っていた私に突然迫ってきた。


女子達は私を道路に引っ張り出して、「お得意のお色気芸使ってさ、ヒッチハイクでもやってみてよ」とわけのわからない事を言い出した。


侮辱発言に我慢出来なかった私は、思い切り罵声を浴びせた。すると頭にきた女子達が私を取り囲み、殴る蹴るの暴行が始まった。


私を痛ぶるのに夢中だった女子達は、背後から迫るトラックにすんでのところで気づき、なんとか飛び退いた。私は道路に倒れ込んでいたのでもう間に合わなかった。



ああ、私死んじゃうんだ…




そう思った時、誰かが私を抱き抱えて道端に投げた。おかげで、私は僅かにトラックの車体にかすっただけで済んだ。急ハンドルを切ったトラックは電柱に突っ込んでいた。




顔を上げると、私の目の前にはトラックに轢かれて血まみれの和人くんの姿があった。


「和人くん!」


私は和人くんの体を抱き抱えた。噴き出る血は生温かったけど、和人くんはもう息をしていなかった。すぐに救急車を呼び、遅れて警察も駆けつけてきた。



結局、和人くんは帰らぬ人となった。




ここまで話し終えて、私は初めて杉崎くんの顔を見た。まさに蒼白といった色をしている。


「そんな…逢坂さんに、そんな過去があったなんて…」


私の手に重ねられている杉崎くんの手は、微かに震えていた。


「和人くんにはもう会えなくなっちゃったけど、和人くんが教えてくれたことは絶対に忘れたくないんだ」


和人くんが教えてくれたこと。それは、「自分に嘘をつかないこと」。救急車を待っている間、私はずっと和人くんのそばに居続けた。すると、本当に一瞬だけ、和人くんが微かに意識を取り戻した。


私は和人くんの顔に着いた血を拭って、


「何で助けたのよ」と言った。


和人くんは、少しだけ笑って、


「逢坂に、生きてほしかったから」と言って、再び意識を失った。そしてその意識は二度と戻らなかった。



「和人くんはね、私に生きてほしいという気持ちにどこまでも正直だったんだと思う。普通さ、自分が死ぬかもしれないのに迷わず誰かを助けられる?私は…正直わからない。足がすくんで動けないかも」


「…俺もだ」


「私は、自分に正直でありたい。和人くんみたいに。自分にだけは嘘を吐きたくないの。だから、怜子ちゃんが何を思ってるのか知らないけど、納得の出来ない決まりには従いたくない。だから私は、選挙に出る。この戦いは、自分に正直である為に、和人くんの意志を継ぐために、絶対に負けられない」


私がそう言うと、杉崎くんは膝に置く拳を固く握りしめた。


「逢坂さん…。俺だって負けたくねえ。この戦いに勝つことで、俺は…強くなれる…そんな気がするから」


杉崎くんがどこか辛そうな顔で言った。私はそんな顔を見て、あることを確信する。


「違うよ杉崎くん。それは間違ってる」



私は隣に座る杉崎くんを、力いっぱい抱きしめた。


「え…?ちょっと逢坂さん?」


杉崎くんは明らかに困惑した様子だが、今はそんなこと関係ない。私は、この人にどうしても伝えないといけないことがある。構わず私は抱きしめ続ける。



「杉崎くんは、弱くなんてない。過去のあなたは、確かに弱かったかもしれない。だけど、あなたはもう立派に強くなってるよ」


私は杉崎くんを抱きしめる腕に力をこめる。男の子のがっしりとした体と、私の体が密着する。私は心臓の鼓動が早まるのを感じた。


「そ、そんなことない!俺は…だって豪や丹波さんと比べたら全然…」



「誰かと比べて強いか弱いかなんて意味があるの?この広い世界、高宮くんや丹波さんより強い人なんてたくさんいる。そうやって、ずっと自分と他人を比較し続けてたら、いつかあなたが壊れちゃうよ…」



誰かがこのことに気づかせてあげない限り、杉崎くんは永遠に手に入れることのない強さを追い求める。ありもしない錬金術を信じて、死ぬまで研究を続けた昔の科学者のように。



「矛盾してるけれど、自分の弱さと向き合って努力してる時点でその人は強いのよ…」



*******



「逢坂さん…」


俺を抱きしめる彼女の手は力強く、彼女の温かな体温と柔らかな感触が直に伝わってくる。


風は冷たいのに、絡み合う熱が、俺達2人の周囲の空気を温かなものにしている。


「俺、今わかったよ。自分のどこが間違っていたのかが」


そう言って俺は、自分の腕を逢坂さんの背中に回した。体勢としては「抱きしめられている」から「抱きしめ合っている」に変わった。


「杉崎くん…」


俺は彼女を抱きしめる腕に力を込めて言った。


「さっき逢坂さんが言った事、正解だけど間違ってる。正解なのは、『自分の弱さと向き合えてる人は強い』ってこと。間違えてるのは『俺が強い』ってことだ。だって、俺は今の今まで自分の弱さと向き合っていなかった」


「……」


逢坂さんは無言だ。だけど、それでいい。今は、俺の告白を何も言わずに聴いてほしい。



「俺、明里と逢坂さんをずっと重ねてた。明里とそっくりな逢坂さんを明里に見立てて、逢坂さんを手助けすることで、過去の罪滅ぼしをずっとしてたんだ」


「……」


こんなこと言ったら幻滅されるかもしれない。だけど、それでもいい。俺だって、自分に対して正直でいたい。これ以上嘘を吐きたくない。



「俺は今までずっと、明里の幻影に囚われ続けていた。逢坂さんを、『逢坂音羽』として見ていなかったんだ。俺は、目の前の現実を幻にすり替えてるだけだった。だけど……俺はたった今、やっとそれに気づけた」



そして俺は、覚悟を決めた。




「音羽」



「!?」



俺は、逢坂さんを名前で呼んだ。


「杉崎くん…今、下の名前で…」


逢坂さんは、いや、音羽は俺を抱きしめていた手を離して俺の顔を見つめた。



「たった今、俺は過去の弱い自分と完全に向き合った。明里を追いかけ続ける自分と。そしてこれからの俺は、現実と…リアルと向き合う。

『逢坂音羽』と向き合う。」


「……!」


「だからもう今までの『逢坂さん』じゃない。これからは、『音羽』だ」



これが俺の覚悟。そして、ようやく辿り着いた「本当の強さ」だった。




「はぁ〜。随分長いこと抱きしめ合っちゃったね、私達」


音羽がベンチから立ち上がって言った。


「だな」


なんか今になって急に恥ずかしくなってきた。



「帰ろっか、春希くん」


「え!?」


突然名前で呼ばれ、驚きと恥ずかしさが同時にやって来た。


「い、今…名前で…」


俺がプルプル指を震わせて音羽の方を指すと、音羽はクスッと笑い、


「だって、私だけ名前で呼ばれるのはフェアじゃなくない?」


「まあ確かにそうだけど…」


俺もベンチから立ち上がり、音羽の隣に立つ。


二人で自転車を押して公園から出た。時間はもう十九時を過ぎていた。


「春希くん、私の家もうすぐそこだから、ここまででいいよ」


自転車にまたがった音羽が言う。


「わかった。気をつけて帰れよ」


「うん。また明日ね」


「ああ、また明日」



別れの挨拶をして、俺達は別れた。自転車で夜道を走りながら俺は思う。この選挙は、もう俺自身の為だけの戦いじゃないんだと。



音羽の為に、俺はこの戦いに必ず勝つ。












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