第9話 絶対零度

「神宮寺会長…!」


逢坂さんが驚いた顔で言った。すると神宮寺会長はいつものポーカーフェイスを崩して少し微笑み、


「音羽、ここは学校ではないのだからそんな堅苦しい呼び名はやめてくれよ」


と、肩をすくめて言った。


「あ、じゃあ怜子ちゃん、どうしてこんなとこにいるの?」


「どうしても何も、私だってファミレスに来ることぐらいあるさ」


「他に誰か来るの?」


「私一人だが?」


澄ました顔で答える神宮寺会長。


…あの神宮寺会長が、一人でファミレスに来るだと??人形のような端正な顔立ちだが、他者を近寄らせない圧倒的なオーラと相手を凍らせてしまいそうな氷のような冷たい眼光を放つ彼女が、一体何をしにこんなファミレスに?



……怪しすぎる。もしかして俺達つけられていたとか?



「杉崎くん、訝しげな視線を私に向けるのはやめてくれないかな?」


「!いえっ、会長の美貌につい見惚れてしまっただけです」


自分でも気づかぬ内に疑わしげな視線を送ってしまっていたらしい。神宮寺会長は俺の口から出まかせな発言がお気に召さなかったのか、いつもの冷たい目に戻り、


「…個人的に図書館のような無音空間より、カフェやファミレスのような少し雑音がある空間の方が勉強が捗るタチでね。このファミレスには結構よく来るんだ」


「さ、さいでございますか…」


「杉崎くん、さっき音羽にも言ったがここは学校ではない。従って、君と音羽が二人きりでいようが『生徒会長として』私が君にとやかく口を挟むことはないので安心したまえ。私は『たまたまプライベートで』このファミレスに立ち寄っただけなので、私に構わず話を続けるといい」


「は、はい…」


やけに含みのある言い方をした神宮寺会長は、俺達の真後ろの席に腰を下ろした。ちなみに店内はガラガラであり、俺達三人の他に一人窓際の席でエロ雑誌を読んでいるご年配の男性がいるだけである。なぜわざわざ近くの席を選んだのかはまだ死にたくないので聞かないでおこう。


「杉崎くん、私ちょっとお手洗い行ってくるね」


逢坂さんが席から立ち上がって言った。さっきまでアイスティーが入っていた彼女のコップを見ると空になっていた。


「わかった。飲み物、おかわり入れとこうか?」


「じゃあお願いするね。またアイスティーで」


「おっけー」


さっきちょうどコーラを飲み干してしまったのでそのついでだ。俺は二人分のグラスを手に取り、ドリンクバーへ向かおうと席を立つと…



「杉崎くん、私はミルクティーで頼む」


何故か真後ろから命令が下った。


「神宮寺会長、自分が飲む分くらい自分で入れてくださいよ…」


俺は嘆息しながら言った。するとまたもや氷の視線が俺を捉えて、


「君の辞書にはレディーファーストという言葉がないのかな?だとしたらその辞書は今流行りの自己啓発本と同じくらいのガラクタだな。今すぐ燃やしたまえ」


…引きこもり時代、せめてもの自己研鑽として一時期自己啓発本を読み漁っていた俺は、たった今全否定された。


「あのですね…そもそもレディーファーストの使い方間違ってるような気がするんですが」



「いいから行け。三十秒以内に持ってこなければ……わかるな?」


鋭い眼光に射抜かれ、これ以上の反抗は意味を成さないと悟った俺は仕方なくコーラとアイスティーとミルクティーをグラスに入れた。


ひとまず自分達のテーブルに飲み物を置き、後ろにミルクティーを持っていく。


すると、さっきまで綺麗だったテーブル上には大量のプリントが広げられていた。そして、そのプリント一枚一枚にはびっしりと数式やら文章やらが書きこまれていた。


「会長、ミルクティーです」


「む、ご苦労」


会長は短い返事と共にミルクティーを受け取る。俺の方は一瞥もすることなく。どうやら会長の脳味噌は既に勉強モードに切り替わっているらしかった。目線は既にプリントの数式にあり、邪魔したら殺されそうな予感しかしないので俺が自分の席へ戻ろうとすると、


「怜子ちゃんこれ全部文字?一瞬写経かと思ったよ」


いつの間にか戻ってきた逢坂さんが俺の後ろから会長のテーブルを覗き込んだ。かなり

の近距離だったので俺は慌てて飛び退いた。


「ゴールデンウィーク明けに模試があるからな。そこに向けてだ」


目線はプリントに向けたまま、会長は答えた。


「そうなんだ。怜子ちゃん前回の模試全国一位だったんでしょ?そんなに勉強しなくても余裕じゃない?」


「ぜ、全国一位!?」


俺は驚きの余り素っ頓狂な声を出してしまう。


「いや、一位だったのは前々回だ。前回は二位だった。まさか私を負かす奴がいたとはな。まあ、今回はそうはさせないが 」


会長は顔色一つ変えず、淡々と告げた。


「やっぱ怜子ちゃんすごいなぁ。私も勉強頑張らなくっちゃ」


逢坂さんは尊敬の眼差しを会長に向けている。正直、俺程度の学力しかない人間からしたら尊敬の対象にすらならないんだがな。模試で全国トップを取れる学力、すなわち日本最高峰の学力を目の前のこの人は有しているということなのだ。もはや別世界の住人だろう。


「音羽だって、勉強は十分やっているだろう?入試の順位も三位だったと聞いたが」


「え、それマジなのか逢坂さん」


思わず逢坂さんの顔を見つめてしまう俺。ちなみに俺の入試順位は、点数開示を行なってないため不明だが、かなりギリギリのところにいる気がする。


「うん。開示したら三位だった。あ〜一位二位とも僅差だったから凡ミスさえしなければなぁ」


「ケアレスミスは私でもするからな。見直しを怠らないことだ」



日本トップの学力を持つ神宮寺会長に、スーパー進学校洛陽学園の入試三位で悔しがる逢坂さん。なんだか俺一人置いて行かれた気分だ。



「杉崎くんが退屈そうだぞ。席に戻った方がいいんじゃないか、音羽」


わずかに口角を上げてちらっと俺の顔を向いて会長が言った。「お前みたいなバカは私達の話について来れないだろ?」とでも言いたげな顔だ。実際本当だから何も言い返せない…



「あっ、ごめんね。勉強の話なんてしてもつまんないよね。座ろっか」


神宮寺会長のイヤミったらしい視線には全く気づかず、無邪気に俺に笑いかける逢坂さん。



「あ、ああ。そうだな…」


俺達はとりあえず席に着いた。

 


******* 


それからの時間は、正直本当に居心地が悪かった。生徒会役員選挙に向けた戦略会議は真後ろに宿敵がいるため出来ないので、他愛もない雑談をすることになった。


逢坂さんとコーラ片手に二人きりでお喋りするという夢のような時間は、神宮寺会長に台無しにされた。というのも、俺から逢坂さんに対して何か質問しようとすると、必ず神宮寺会長の長い足が俺の椅子を蹴って妨害してくるのだ。特に恋愛に関する話になると蹴られる頻度が上がった。


おかげで豪が見たヘンテコな夢の話とか、クソどーでもいいことしか話せなかったのである。


それでも、逢坂さんは楽しそうに俺の話を笑顔で聞いてくれたのでかなり救われたのだが。




外がすっかり夕焼けのオレンジに染まった頃、俺達は店を出ることに決めた。会計を済まして外に出ると、吹き抜ける春風が若干冷たかった。


「杉崎くん、今日はありがとう。楽しかった。

…選挙、絶対勝とうね」


風になびく髪を手で押さえながら、逢坂さんが言葉を発した。


「ああ、絶対勝とうな。…選挙に向けての戦略とか、いいの思いついたらLINEしてもいい?」


「もちろん!私もいいアイディア思いついたらLINEするね。というか、近いうちにまたこうして話そうよ」


「え!まあ、そ、そうだな。現実で会った方が話も進みやすいしな…」


そう、これはあくまでも選挙に向けて話し合うために会おうという話なのだ。ここで下手に勘違いしては真面目に考えてくれてる逢坂さんに失礼だ。


「じゃ、そろそろ帰ろっか。杉崎君、このまま真っ直ぐでしょ?私、こっち曲がるから。じゃあね、また明日…じゃなくて月曜日!」


「ああ、またな」


そうか、今日は金曜日だったな。


別れの挨拶を告げた逢坂さんはくるりと踵を返し、長くて綺麗な髪を夕陽に照らされながら颯爽と歩いていった。



さてと…いつまでもファミレスの前にいると会長が出てきて鉢合わせなんて事態になりかねないからとっとと帰るか。


沈みゆく夕陽を見上げて、高校生活最初の三日間がずいぶんと濃いものだったことに対する充実感と疲れを感じていると、



「待って杉崎くん!」



後ろから呼び止める声。振り返ると、先程帰路についたはずの逢坂さんが立っていた。少し息を切らしている。急いで引き返して来たのだろうか。


「どうした?」


「その、ちょっと聞き忘れたことがあって…」


「俺にか?なんだよ?」


一体何を聞き忘れたのだろうか。なぜか逢坂さんはすぐには答えず、手を体の前に組んで少しもじもじしている。


「?なんか聞きづらいことか?答えられる範囲だったら何でも答えるから大丈夫だぞ」


俺がそう言うと、逢坂さんは少し俯いていた顔を上げて、


「ほ、ほんとに?じゃあ聞くけど…」


「お、おう」


どんな質問が飛んでくるのだろう。若干の緊張を覚えた俺は唾を飲み込んだ。




「杉崎くんって………綺麗系の人がタイプ?」



「へ?」



俺がポカーンとしていると、逢坂さんは顔を真っ赤にして手をブンブン振って、


「いや、だから!えっと、その!す、杉崎くんの好きなタイプの女性は、綺麗系の人なのかなぁって思って!た、例えば怜子ちゃんみたいな…」


「なんでそこで神宮寺会長が出てくるんだ?確かにあの人は綺麗だと思うが…」


「だって、杉崎くん怜子ちゃんに、『会長の美貌につい見惚れた』って言ってたし、私と話してる時も怜子ちゃんが座ってる方をずっと気にしてたから…」



なるほど。これはいろいろ勘違いされてるみたいだな。でも、あれは口から出まかせで、後ろを気にしてたのも会長が俺の椅子を蹴ってくるからとは言えないよなぁ…。


まあ、そこに関しては下手に深掘りせず純粋に俺のタイプを答えるか。自分のタイプとか正直よく分からないが、まあ多分初恋の人がそれに近いだろう。


俺の初恋の人は……明里だ。



「えーっと、まあ神宮寺会長みたいな綺麗な人も魅力的だと思うけど、俺はどちらかと言うと可愛い系の方が好きかな?あと、長くて綺麗な髪の人が好みなんだと思う」


明里の特徴に沿って正直に答えた。俺の返答を聞いた逢坂さんは、数秒間考え込んだ後、なぜか自分の腰まで伸びている長い髪を見つめて再度赤面した。


「あの…逢坂さん、これでいいか?」


「あ…う、うん。ごめんね急に変なこと聞いちゃって。えへへ。じゃ、今度こそまたね!」


「お、おう。またな…」


なぜか少し嬉しそうな表情をして、今度こそ帰路についていった逢坂さん。



「うーむ…俺とくに変なことは言ってないよなぁ」


正直に、初恋の人である明里の特徴を自分のタイプとして答えた俺。それを聞いて赤面して少し嬉し気な逢坂さん。………………………あ。





明里と逢坂さんって、見た目そっくりだった。





重大なミステイクを犯していた自分の馬鹿さ加減にあきれながら、今度こそ家に帰ろうとした時、



「待ちたまえ杉崎春希くん」


氷のような冷たい声で呼び止められた。


「なんなんすか神宮寺会長…」


疲労困憊で今すぐベッドにダイブしたい俺は、たった今ファミレスの扉を開けて出て来た神宮寺会長を見る。



会長は腕を組んで、いつも以上にピリピリとした雰囲気を纏っていた。ゆっくりと俺の眼前へと歩を進める。  



俺と会長の距離が鼻先五センチまで縮まった時、ようやく会長は歩みを止めた。俺がもう一歩詰めれば身体が触れ合う距離だ。


「なんですか?まさか、この場で殴り合いでもして前哨戦を始める気ですか?」



この近距離で対峙すると、改めて会長の圧の凄さを感じさせられる。すらっと背が高いため、男の俺とも大して身長差がなく、目線が近い。



「杉崎春希くん。君は…」


無言でここまで来た会長が沈黙を破る。





「君は、音羽のことが好きなのか?」




「え…?」




突然の質問。それに、内容が内容なだけに俺は返答に窮した。



「…まあ、この場で私の質問に答えることを求めているわけじゃない。私が言いたいことはただ一つだ」


「…なんですかね」



その時、会長の俺を見る目が変わった。

今までの氷のように冷たい、ある意味で感情がこもっていない目ではない。むしろ、それと対極に位置するような色が灯ったのだ。





「…もし君が音羽のことを好きならば、音羽のことを愛しているのならば、私は君を絶対に許さない。私の手で徹底的に叩き潰してやる」




俺を見つめる会長の目には、怒りや憎しみや嫉妬、その他人間が持ち得るあらゆる負の感情をごちゃ混ぜにしたような、ドス黒い色が灯っていた。

















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