第8話 ここにいる理由
四月十二日午後四時三十分。俺は逢坂さんと二人で、学校近くのファミレスの席に座っていた。
メニュー表を手に取り、正面の逢坂さんに声をかける。
「奢るから、好きなの頼みなよ」
「いいよ。私、奢られるのあまり好きじゃないから。杉崎くんは何か食べるの?」
「そうか?…うーん、俺はドリンクバーだけでいいかな」
「なら、私もそれで」
お互い飲み物だけで十分なことがわかったので、俺はメニュー表を閉じ、店員を呼びにベルを鳴らした。
ぱたぱたと小柄な女性店員がやって来る。
「ご注文承ります」
「ドリンクバー二つ、お願いします」
「かしこまりました」
注文を済ませ、店員がいなくなったことを確認すると、逢坂さんはぐっと前のめりの姿勢で俺を見つめる。
「杉崎くん、ほんとうに、ほんとうに生徒会長に立候補するの?」
「ああ、するよ。」
まさに今日俺が神宮寺会長に申し込んだ勝負について尋ねられる。
目をキラキラ輝かせて、興味深々といった様子の逢坂さん。こちらから話を切り出す必要はなさそうだ。なぜなら、俺が放課後に逢坂さんと二人でファミレスにいる理由はまさにその勝負、来月に控えた生徒会役員選挙について話すためだからだ。
少し時間は遡る。他学年の生徒も見守る中、神宮寺会長に勝負を持ちかけた俺は、六限の現代社会の授業を受けていた。担当教師は淡々と教科書を朗読する授業スタイルだったので、後ろの豪はいびきをかいて爆睡している。
眉毛との区別がつかないくらいの細目を凝らしてモンテスキューの三権分立のページを読む教師をよそに、俺はカバンからスッとスマホを取り出した。
「今日の放課後空いてる?」
というLINEを逢坂さんに送信。授業中に教師の目を盗んで女の子とLINEをするなんて健全かつ優良な学生にあるまじき行為だが、俺にはやむを得ない事情があった。
果たして俺からのLINEに気付いてくれるだろうか…
心配になった俺は視線を左斜め後ろ、逢坂さんが座っている席の方角へ向ける。
スマホをカバンではなく引き出しに入れていたのだろう。通知による振動を感じた逢坂さんはすぐにスマホを確認した。それから五秒後には俺のスマホに
「特に予定はないけど、どうしたの?」
というLINEが届いていた。授業中に女子とLINEをやり取りする背徳感を味わいながら、俺はすぐに返信の文章を打つ。
「二人で学校近くのファミレスにでも寄らない?少し話したいことがある」
…文面だけ見ると非常に勘違いされそうなLINEだな。ただ、女子にお誘いの連絡をする機会なんてあるはずもない不登校引きこもりの中学時代を過ごした俺には他の誘い文句が見つからなかった。物は試しだ。気にせず送信しよう。
再び五秒後には返信が届いた。
「いいよ。四時二十五分に現地集合で。」
という文章と可愛げなネコのスタンプが添えられていた。現地集合はおそらく生徒会対策だろう。とりあえず二人で会う約束を取り付けられたことに安心した俺は胸を撫で下ろした。昨晩逢坂さんのLINEをゲットしておいたのは、まさにこのお誘いをすることが目的だった。お誘いといっても決してデートではなく、あくまで自分が来月の生徒会役員選挙に出馬することを彼女に伝えるためのものだ(と、自分に言い聞かせている)。予期せず逢坂さんどころか全校生徒の面前で宣戦布告してしまったが、本来ならばまず最初に逢坂さんにだけ伝えて、その後に豪や丹波さんに伝える算段だった。
まあどの道、逢坂さんとゆっくり二人で話す機会は欲しかったところだ。そういうわけで、俺達はファミレスにいるのだ。
「逢坂さん、昨日の昼休憩の時俺に話してくれたこと覚えてる?」
先程入れたアイスティーを片手に持った逢坂さんはまっすぐ俺の目を見て、
「忘れるわけないよ。神宮寺会長を信用したいけど、恋愛禁止のルールも納得出来ない私はどうしたらいいのか、って相談したよね」
「ああ。あの時は何もいい案が浮かばなかったけど、昨日一晩考えたんだ。で、なんとか辿り着いた結論が…」
「杉崎くんが生徒会長に立候補すること?」
口にしようとしたことを先回りされたため少し驚く。
「そうなんだ。隠された会長の真意を問おうにも、逢坂さんの言う通り俺達一般生徒じゃ生徒会に相手にされない。だからといって、何も行動を起こさなければ理不尽な決まりに縛られ続けるだけ。だったら、理不尽な決まりを作った今の生徒会を解体してやればいい。もし選挙で負ければ、奴らもただの一般生徒に成り下がる。そうなれば今の力関係はなくなって、会長と対等に話をすることも出来る。……これがベストなプランだと思うんだけど、どう思う?」
ごくり、とアイスティーを一口飲み込んだ逢坂さんは、数秒ほど間を開けてから口を開いた。
「杉崎くんの言うことはわかった。新しい生徒会を発足出来れば、それが一番だと私も思う。だけど、どうして杉崎くんが生徒会長に立候補することに繋がるのかがよくわからないの」
「え?」
「私は、私自身がどうすべきかを相談したのであって、杉崎くんに何かしてほしいと頼んだわけではないの。会長の真意を知ることは私個人の願望であって、それを杉崎くんに代わりに叶えてもらうようなこと、私はしたくない」
「逢坂さん…」
うつむき加減に下を向き、少し肩を震わせる逢坂さん。
「ごめん。私、自分勝手なこと言って杉崎くんを困らせてる。…ほんとにごめんね。だけど、これは私自身が解決すべき問題なの。だから…」
ドン、と俺は自分の手をテーブルに振り下ろした。
「違うよ、逢坂さん。自分一人で解決しなきゃいけない問題なんておかしい。困ってる時は助け合うのが人間だろ?それに恋愛禁止にはみんなが納得いってない。ルールを変えるチャンスがあるなら誰だって変えたいと思ってる。俺だって、恋愛禁止はまっぴらごめんだよ。せっかく逢坂さんみたいな可愛い女の子と同じ学校だっていうのに」
「え!?か、可愛いって…私、いや、そんな…」
真っ赤にした顔をブンブン横に振る逢坂さん。
「俺は本気で、逢坂さんともっと仲良くなれればと思ってる」
「わ、私も…杉崎くんと、もっと仲良くなれたら嬉しい、よ?」
最高に嬉しい台詞を上目遣いで言われたため、俺は自分の顔が熱くなるのを感じた。
「ありがとう、嬉しいな。…それにこの戦いは、俺自身のためでもあるんだ。俺には、倒さないといけないヤツがいる」
俺の言葉に逢坂さんは目を見開いた。
「倒さないといけないって…神宮寺会長?」
「会長は勿論そうなんだけど…」
「じゃあ、霧林副会長?」
「違う。…俺が倒さないといけない相手は、過去の自分なんだ」
「過去の自分?」
きょとんとした顔で逢坂さんが聞いてくる。
「うん。これは…ごめん、少し自分の話になっちゃうんだけど…」
俺は、自分の過去を全て逢坂さんに話した。
明里という幼馴染がいたこと。明里に惹かれていたこと。バスケ部のキャプテン達に明里がイジメられていたこと。明里を守ることが出来なかったこと。イジメの首謀者に仕立て上げられたこと。引きこもりになってしまったこと。…
そして過去の弱かった自分が、幼馴染を見殺しにした自分が、誰よりも許せないこと。そんな自分と決別するために、俺はこの勝負に挑み勝たなければならないことを。
「そんな、過去があったんだね…」
俺の話を一通り聞き終えた逢坂さん。その瞳にはうっすらと涙が滲んでいた。
「すまん、自分語りになっちゃったな」
「ううん。杉崎くんの気持ち…いや、覚悟って言った方がいいのかな。それが、すごく伝わってきた。私の考えてたことが、すごくちっぽけなことに思えてきちゃった」
「そんなことはないよ。ただ、俺が生徒会長に立候補するわけを知ってほしかったんだ。逢坂さんには…」
自分の過去のことを人に話すのは初めてだったため、すっかり気力を使い切ってしまった。ふぅ、と一息つくと、
「ねえ、杉崎くん」
言葉を発すると同時に、テーブルに置いていた俺の手の上にそっと逢坂さんが自分の手を重ね合わせてきた。
「え?お…逢坂さん?」
突然の温かな感触に動揺する俺の手を、今度はがっしりと両手で握りしめて、
「私、生徒会副会長に立候補するわ」
「え…!?」
俺の気の抜けた声が可笑しかったのか、逢坂さんは笑顔を作り、
「だって、新生徒会には新生徒会副会長も必要でしょ。杉崎くんが生徒会長になるんなら、私以外の誰が副会長になるの?」
逢坂さんは自信たっぷりといった目で俺を見る。
「まあ確かにそうだけど…」
「でしょ?私、杉崎くんとならこの戦いに勝てる気がするの。ねえいいでしょ、杉崎くん?」
逢坂さんがキュッと俺の手をキツく握る。俺は顔が熱くなるのを感じて、その手を離した。
「いいもなにも、逢坂さんが決めたことに俺が反対する理由はないよ」
「おっけー。それじゃ、今日から私たちの共同戦線を始めましょう」
逢坂さんはニコッと笑ってガッツポーズを作ってみせた。
まさか二人で選挙に出る展開になるとは…。そう感じつつも、俺はホッと胸を撫で下ろした。
逢坂さんは強い人だ。俺も、彼女が一緒に選挙に出てくれるのは非常に心強い。
「そうと決まったら、早速作戦立てなきゃね。私達の敵はなんといってもあの神宮寺怜子と霧林拓馬よ?それに選挙まで一ヵ月しかないわ」
「そうだな。戦略に勝る戦術はないっていうし。完璧なプランを練らなきゃな!」
今日から共同戦線を組むことになった俺達は、それぞれの戦う理由を胸に、熱い闘志を燃やしていた。
「コホン。すまないが、通行の邪魔なのでどいてもらっても構わないか?」
俺と逢坂さんは興奮のあまり、いつの間にか席を立って通路を塞いでいた。
「ああ、すみません…」
すぐに謝り、席に戻ろうとしたその時俺達の目に映ったのは…
「む?杉崎春希くんと音羽ではないか」
洛陽学園現生徒会長、神宮寺怜子だった。
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