第6話 桜の木の下で
昼休憩。現在俺は校舎裏で逢坂さんを待っている。周りにはソメイヨシノが何本か立ってお
り、もうじき終わってしまう命を惜しんでいるのか、これでもかと言わんばかりにピンクの花を咲かせている。
ぽかぽかと暖かい春の陽気が眠気を誘う。俺は一瞬意識を失いかけたが、左耳につけたイヤホンから流れる声によって、現実に引き戻された。
「春希、逢坂は来たか?」
「いや、まだ来てない。俺達、ちょっと早すぎたかもな」
さて、ここで俺達の作戦を説明しよう。
現在俺が装着しているイヤホンは、豪が携帯しているトランシーバーと接続されており、豪とは常に通話可能な状態である。さらに豪のトランシーバーは、丹波さんが持つもう一台のトランシーバーとも接続していて、二人は相互に連絡を取り合える。要するに、豪と丹波さんは二手に別れて生徒会の様子を見張り、もし奴らが現れたらトランシーバーを介して俺に奴らの位置情報を伝えてくれるというわけだ。必要に応じて俺は逢坂さんと近くの茂みに隠れればよい。豪と丹波さんはお互い離れた距離にいるため、誰かに見られたとしても何の問題もない。
中々良い作戦ではないだろうか。ちなみにこのイヤホンとトランシーバーは、他クラスにいる豪の友達のミリタリーオタクからの借り物だ。
なんでもゲリラ戦に備えて日頃から持ち歩いているらしい。なんかあいつの友達、ちょっとヤバいやつ多くないか?
そうこうしているうちに、ついに逢坂さんの姿が見えた。小走りでこちらに向かってきている。手にはなんと弁当箱を抱えていた。
「逢坂さんの姿が見えた。弁当持ってきたみたいだぜ…無事に食えるかな」
「俺達が見張ってるから大丈夫だ。春希、頼むから『あーん』は勘弁しろよ。丸聞こえだからな。羨ましすぎて俺発狂しちまうかも」
「発狂するのは構わんがイヤホンとの接続だけは絶対に切らないでくれ」
少し息を切らして俺の前に現れた逢坂さん。風で乱れた髪からシャンプーの良い香りが漂ってくる。
「ごめん杉崎くん。クラスの女の子に話しかけられて遅くなっちゃった…。それで、お弁当外で食べるからって言って出たから、持ってきちゃった…」
少し申し訳なさそうな顔がすごく可愛い。一体この可愛さを前にして誰が責められようか。
「いいよ全然!俺もちょうどさっき来たところだから。とりあえず立ち話もなんだしその辺に座らない?」
「ありがとう。そうだね、座ろっか」
俺と逢坂さんは桜の木の下に腰を下ろす。
俺はあぐらをかき、逢坂さんは正座した。
「やっぱり杉崎くん来てくれたね。私の予想通りだった」
「ああ。すっぽかしなんかしないさ」
俺が来ることは予想していたのか。そうするとやはり逢坂さんは俺を試していたのか?
「ごめんね。今朝生徒会に釘を刺されたばかりなのに、こんな危険なマネしちゃって。実はね、これは私なりの意思表示なの」
「意思表示?」
「うん。私は自分の気持ちにだけはウソをつかないと決めてるの。納得のいかない規則に、自分の感情を押し殺してまで従うことは出来ない。だからあえてこの状況を選んだの」
逢坂さんはどこか遠くを見ながら言った。
自分の気持ちにウソをつかない、か…。
「ただ、杉崎くんを危険な目に巻き込む形になったのは反省してる。本当にごめんね」
「いいよ、そんなことは。それより、呼び出したってことは何か話が…」
「杉崎くん、今朝は私の為に怒ってくれてありがとう」
「え?」
「ほら、私が失礼なこと言ったせいで霧林副会長怒らせたでしょ。あの時、私怖くなっちゃってすぐに言い返せなくて…その時杉崎くんが怒ってくれて」
「逢坂さんは失礼なことなんて何一つ言ってなかったよ。むしろ、失礼だったのは生徒会のやつらじゃないか。勝手なルールを俺達に押しつけて、後輩を脅して…」
「そうだね。私もまだ納得いってない所がたくさんある。ただ、何の考えなしに生徒会長が恋愛禁止なんてルールを作ったとは思えないんだ。勉強の妨げってだけじゃなく、他にもっと深い意味があるような気がするの」
「随分と生徒会長を買ってるんだね。何か理由があるの?」
「うん。実は私、生徒会長と知り合いなの」
「え!?そうだったの?」
衝撃の事実。だが今思い返せば、逢坂さんを見る生徒会長の顔は、明らかに動揺の色が見えたし、何回か「音羽」と下の名前で呼びそうになっていた。
「幼馴染って感じかな?母親同士が親友で、小さい頃からよく一緒に遊んでたの。小学生の頃からすごく頭が良くて、中学生の時にはピアノと空手で全国大会にも出てる。一見冷たい感じに見えるけど、仲良くなるとすごく優しいの。ほんとに、怜子ちゃん…いや、神宮寺会長は数少ない私の憧れの人なの」
見た目だけでなく、中身もハイスペックか。俺みたいな引きこもりだった奴からすれば、住む世界が違う人だな。
「ごめん。ほんとに、私の個人的な想いになってしまうのだけれど…どうしても、神宮寺会長が意味のないことをする人には思えないの」
「そうなんだね。確かにそんな優秀な人が考えたことなら深い意味がありそうだ。でも、それを確かめる術がないよな」
俺がそう言うと、逢坂さんは興奮したように身を乗り出した。
「そう!そこなのよ杉崎くん!私、どうすればいいのかな?今のままじゃ恋愛禁止なんて決まり納得出来ない。けど、直接会長に確かめようにも立場上私なんか相手にしてくれないだろうし、それ以前に霧林副会長や他の生徒会役員に阻止されるかもしれないし…ほんとにどうすればいいのかわからなくて」
「何をすればいいのか、明確には俺にも分からない。…あの逢坂さん、話の腰を折るようで悪いんだけど、俺を呼び出したのって…」
「今朝の事、杉崎くんに感謝を伝えたかった。それと、私は何をするべきかを相談したかった。杉崎くんなら、何か大切な事を教えてくれるような気がしたから…。ごめん、私ほんとに自分勝手だね。杉崎くんの気持ち全然考えてなかった」
「それは俺も一緒だよ。俺も自分のことしか考えてなかった。呼び出されたのだって、てっきり別の話なんじゃないかと…」
「別の話?」
「ほら、人目のない校舎裏なんかに呼び出されたらさ、ドラマとかでよく見るあれかと…」
俺の言葉で全てを悟った逢坂さんの顔がみるみる赤くなっていく。
「ご、誤解だよ!全然そんなつもりじゃなくて!確かにあんな呼び出し方されたらそう思っちゃうよね…もうほんとに私の馬鹿!」
「そんなつもりじゃない」とばっさり切られ、かなり心にダメージを与えられた。まあ、勝手に期待した俺が悪いんだけど…
「はは…。そういえば逢坂さん、弁当食べないでいいの?」
気を取り直して会話を続けることにする。豪からの連絡は入ってないため、生徒会の連中の心配はいらないし、休憩時間もまだたっぷりある。
「あ…すっかり忘れてた。杉崎くんは食べてから来た?」
「いや、食べてない。帰りに売店で買って食べようかなって感じ」
「お弁当ないの?」
「うち、シングルマザーなんだ。母さん仕事で忙しいから、昼飯くらいは自分でなんとかしようかなって」
俺がそう言うと、逢坂さんは何か思案げな様子で自分の弁当箱を見つめ、
「…よかったら、私のお弁当食べる?」
「え!?マジで?」
なんてことだ。下手に告白されるよりも、こっちの方が嬉しい気がする。イヤホンの奥でうめき声がしたがスルーする。
「うん、いいよ。まあ、今日は私が作ったお弁当だからあんまりおいしくないかもだけど…」
逢坂さんは弁当箱の蓋を開けた。
まさかの手作りかよ!?これはもう今日が命日でもいいかもしれない。
「じゃ…じゃあ卵焼きを一つもらおうかな」
「おっけー。はい、あーんして?」
逢坂さんが箸で卵焼きをつまみ、俺の顔に向けた。
あーんキタ!すまん豪、お前との約束は果たせそうにない……
*******
同時刻、丹波千鶴は西側の校舎裏で見張りを続けていた。
「はあ、お腹空いたわ…」
なんでお弁当も食べずに生徒会の連中が来ないかどうかを見張る羽目になったのかな…。しかも遠目ながら杉崎君と逢坂さんのイチャイチャを見せつけられながら!これも全部豪のせいよ…全くもう…
「あれ?あそこでフラフラ歩いてるアイツ…
霧林副会長じゃないの!」
校舎の壁に隠れて、私は校庭の方をちらっと見た。
そこにはなんと、豪と舌戦を繰り広げた霧林副会長が、一人でさまよい歩いていた。
なんか、今朝教室で見た迫力がまるでないわね。精気がないというか、目が死んでいるわ。
おまけに何かぶつぶつ呟いてるし。
これは、一応豪に報告しておこう。
私は右手に持つトランシーバーを口元に寄せた。
「もしもし、豪?霧林副会長が校庭にいるわ。まるで覇気がない様子だけど…」
ガガッと一瞬ノイズが入り、トランシーバーごしに豪の声が聞こえてきた。
「ああ、俺も見えた。まあ春希達には気づいてないようだし、今あいつら絶賛お取り込み中だからもう少し様子を見よう。あの感じじゃ、すぐに立ち去りそうだしな。というか今にも昇天するんじゃないか?」
「そうね。どうしたんだろ、あの人」
霧林副会長はついにかがみ込んだ。本当に何があったのだろう。頭がキレて抜け目がない人という印象だったんだけどな…
「あ!なんか急に走り出した!」
突如立ち上がった霧林副会長は、何かに取り憑かれたかのように猛ダッシュし出した。向かう先は……杉崎君達の方向だ!
「まずいわ、豪!あいつ杉崎君達のとこに向かってる。多分見つかったんじゃないかな?すぐに隠れさせないと!」
「了解、春希に連絡する。千鶴も気をつけろよ。アイツ何か様子がおかしいぞ!」
豪がそう告げるとプツッと通話が切れた。
私は霧林副会長を再び見た。顔から何かキラキラした雫のようなものがこぼれ落ちている。
よく見ると、それは霧林副会長の瞳から流れ出る涙だった。
*******
「春希、霧林がお前の方に向かってる!今すぐ隠れろ!ヤツ、何か様子が変だ!」
「…マジかよ!?」
本日三回目のあーんとなるウインナーを口にしようとした時、豪からの連絡が入った。まずい。霧林副会長にだけは見つかりたくない。
「どうしたの?杉崎くん」
突然立ち上がった俺を不思議そうに逢坂さんが見上げる。
「まずい!俺たち、霧林副会長に見つかったかもしれない!今すぐ隠れなきゃ」
「え?霧林副会長?どうしよ…」
逢坂さんも焦ったように弁当箱をしまい、立ち上がる。
数メートル先にちょうど人間二人が隠れるのに最適な茂みがあった。霧林副会長と思われる叫び声が聞こえたので、俺は逢坂さんの手を取り、ダッシュで茂みに向かった。
「こっちだ逢坂さん!」
が、ここで俺はミスを犯してしまった。小石に躓き、俺の手を握っていた逢坂さんもろともすっ転んでしまった。
「うわっ!」 「きゃっ」
俺達は地面に思い切り倒れ込んだ。
偶然にも逢坂さんに覆い被さるように倒れてしまった俺は、逢坂さんを押し倒すような格好になってしまった。
霧林副会長は、「会長に嫌われてしまった僕はもう死ぬしかないんだ!!」などと涙を流しながら叫んで、俺達が座っていた桜の木を突っ切って行き、そのまま見えなくなってしまった。
奇跡的に茂みで隠された俺達のヤバい状況は見られずに済んだ。
「あの…ほんとにごめん」
俺は逢坂さんを押し倒したまま硬直していた。
「いいよ。わざとじゃないんだし。…とりあえず、どいてくれる?」
逢坂さんが恥ずかしそうに顔を逸らした。
「あっ!ごめん!」
慌ててがばっと離れる。
至近距離で見る逢坂さんの綺麗な顔や、伝わってくる体温、肉体の質感に俺の意識は奪われていた。
心臓がずっとばくばく鳴っている。
「今のは不可抗力だから、ほんとに気にしないでね?」
制服に着いた桜の花びらを落としながら、逢坂さんが言った。
「いえ、本当に反省してます…」
マジで申し訳なく感じ、俺はガックリと肩を落とした。
しかし、霧林副会長は一体何をしていたのだろうか。ただ、逢坂さんとのランチタイムを邪魔されたという事実に変わりはないためやはりあの人のことは好きになれそうにない。
「春希イィィィィ!!!」
またもや叫び声が聞こえたかと思うと、背後から思い切りヘッドロックをくらった。
「いきなり押し倒すとはちょっと飛び級が過ぎるんじゃねえのか?おい?このセクシャルモンスター!むっつりスケベ!性犯罪者予備軍!」
いつの間にかやって来た豪が鬼の形相を作って俺の頭を締め上げた。
「痛い!やめろっ!頭がちぎれる!」
「えっと…高宮君…だよね?なんでここに?」
逢坂さんが突然の豪の登場に驚く。
「すまん逢坂!うちの春希がほんとに破廉恥なことを…ほんとコイツスケベで!」
「あれは不可抗力だよ!馬鹿!離せてめえっ」
俺が抵抗を強めると、ようやく豪は俺の頭を離した。西側に潜伏していた丹波さんも俺達のもとに駆け寄ってきた。
「杉崎くん…あんたほんっと最低ね」
ゴミを見るような眼差しでそう言われた。だから俺は無罪なんだって!
「丹波さんまで…どうしてみんなここに?」
状況が飲み込めず、質問を繰り返す逢坂さん。
「実は私達、杉崎くんと逢坂さんが生徒会に見つからないよう見張ってたの。ごめんね、なんか監視してたみたいだよね…」
「そうだったの?なんでわざわざそんな事してくれたの…?」
「まあ、クラスメイトが生徒会の奴らに難癖つけられるのは我慢ならねえからな」
ここぞとばかりに豪が出しゃばる。実際こいつなしでは遂行出来ない作戦だったため、何も言えないのが腹立たしい。
「高宮くん、丹波さん、二人ともありがとね」
逢坂さんはとびきりの笑顔で感謝を述べた。
「べ、別にいいぜ。気にすんなよ」
さすがの豪も照れて頬をかいている。
「逢坂さん…可愛い!!」
「きゃっ。ちょっと丹波さん、いきなり飛びつかないでよ」
母性本能をくすぐられたのか、丹波さんは逢坂さんにいきなり抱きついた。
「やれやれだな…」
俺はぽりぽりと頭をかいた。
なにはともあれ、俺達の作戦は無事成功したといえるだろう。
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