黒衣(くろご)①

『異能持ちは「自分が生まれた場所・世界」と「他の世界」を行き来できる人のことを言うんだって。だから光井君も、私と同じようにあっちの世界に入れるようになって、デブリも見えるようになったと思う』


 直人は、メッセージアプリ≪CALLIN’≫の、冬璃との個人チャット画面にある文面を見つめていた。

 寝ころんだ態勢で、天井と携帯の画面を見つめている直人は現在、澤杜高校の保健室にいる。




 『向こうの世界』での一連の出来事の後。

 予鈴のチャイムに急かされるように校舎に戻り、教室へ戻ろうとした直人と冬璃だったが、教室へ向かう階段を昇っていた途中で、直人が不調をきたし始めた。

 飛び降りからの自由落下、着地した際の身体に蓄積された負荷。そして――『向こう』にいた時は必死だったため直人自身も気付かなかったが――炎を出してからこと。

 それらの積み重なりが、「危機を乗り越えた」と認識した瞬間に、直人に体調不良という形で、どっと押し寄せた。

 そんなわけで、教室まであと少しという距離で、蹲って動けなくなった直人は保健室に行かざるを得なくなり。

  直人を助け起こそうとしていた冬璃は、通りがかった予鈴を聞いて教室に戻ろうとしていた他クラスの生徒に言付けを頼んで、直人を保健室へ運んだのであった。

 保健室へ再び現れた冬璃と直人に、養護教諭は首を傾げたが、直人の顔色が今朝よりも悪かったからか特に二人へ何かを言及することはなかった。

 …喋ることすらままならなくなっていた直人は、ベッドに横になった瞬間に意識を飛ばし、そこから約一時間後に目を覚ました。いつも通り悪夢を見て、目を覚ましてしばらく、直人は保健室の天井を見つめ、ぼうっとする。


 辺り一面の火。倒れ伏す人々。足元に広がる血痕。そして金髪の女性――――ローゼ。ぼんやりした夢であったのが幸いし、寝起きでもそれほど取り乱すことはなかった。


「正夢だったりすんのか、これ…」


 夢の最後に、どん、と衝撃を感じて目が覚める瞬間と、ローゼに刺された時の衝撃がリンクし、直人は不気味がりながら呟いた。無意識に、胸の刺された箇所をさする。

 気分を変えるために、直人は制服のポケットに突っ込んだままだったスマホを取り出し、メッセージアプリを開いた。

 一番最近の通知に出ている『原川冬璃』の欄をタップし、『いま起きた。そっちは大丈夫か?』と冬璃へメッセージを送り、

「あッ、やべ」

 送ったあとで、しまった、と直人は額をおさえた。スマホの画面に表示されている時刻は11:05。澤杜高校は一コマ50分授業。今は既に3限目に突入している時間帯だった。

 直人が「ぼーっとしすぎだろ…」と小さく舌を打って独り言ちていると、そう間を置かずに、直人のスマホが振動した。

 見れば、冬璃が直人のメッセージに対して返信している。


『大丈夫だよ!気がついてよかった、体調は大丈夫?体調不良だって、私からも先生に伝えてるから、ゆっくりして!』


「大丈夫って…授業中だろ」

 冬璃のメッセージを見て、思わず直人は苦笑する。

 どうやら冬璃は、堂々と授業中でも携帯を触れる神経を持っていたらしい。しかも文章量を見ると、隙を見て書いたにしては割と速筆である。

 授業を受けている冬璃に、これ以上メッセージを送るのは憚られたが、メッセージに既読をつけてしまったこともあり、直人は『悪い、授業中だったよな。またあとで連絡する』と返信した。


『じゃあ授業終わりに返信するから、聞きたいことをここに書いておいて』

『それか、光井くんの体調が良くなったタイミングで直接会って話す?』

 

 冬理の返信内容に直人は一瞬迷うも、直接会うとなるとまたクラスの注目を集めてしまうと思い、『いつ良くなるか分からねえし、ここに書いてくな』とメッセージを飛ばした。

 メッセージ欄に聞きたいことを書き溜めていく途中に、冬璃から『OK』というスタンプのみ返ってくる。親指を立ててカメラ目線をしているシュールなデザインのキャラスタンプに、直人はまた苦笑した。

 さて、と直人は先程より冴えてきた頭で、これまでの出来事に関する疑問をメッセージ欄に打ち込んだ。


『答えられることだけでも良い。今はとりあえずこれだけ聞きたい。

・あのでけえ虫みたいな奴らは何者なのか

・異能持ちっていうのはなんなのか、原川もそうなのか

・俺が炎を出したことについて

・ローゼがこっちをスルーしたことについて何か知っているか

・あの世界は、高所から飛び降りたら行けるのか

・他に行ける奴、もしくは知ってる奴はいるのか』


(………一応聞いておきたいのは、これくらいか)

 いざ聞こうとすると、疑問に思うことが多すぎて、うまくまとまらない。

 書き出してみた文面が思ったより少なく、直人は「他にも聞きたいことがあるのではないか?」と自身の脳内を何度も逡巡する。けれども、やはり考えてもぱっと出て来ず「これでいいか」と、後で思いついたら聞けばいいと考え、直人はメッセージを冬璃へ送信した。

 ふう、と一息ついてスマホを手放し、直人は再び保健室の天井へ視線をうつす。

 まだ授業に出られるほどの気分ではない。

 もうひと眠り、というのは悪夢のこともあり気が進まない。

 目を閉じるだけでも幾らかマシだろうか、と直人は脱力して、視界を閉ざした。

 時計の秒針がカチカチと鳴り、風に揺れるカーテンが衣擦れの音を立て、遠くで体育の授業を受けるクラスのざわめきが聞こえてくる。


 そうしてしばらく、直人は眠る一歩手前くらいまで意識を沈めて過ごし、どれくらいか経った後。

 耳元でム゛ーとスマホの振動音がして、直人はぱちり、と目を開いた。

 ム゛ー、ム゛ーと振動し続ける音を頼りに、手を彷徨わせてスマホをひっつかむ。

 寝ころんだ態勢のまま、スマホの画面を確認すると、時刻は3限の終わりにさしかかった時間帯を表示していた。

 思ったよりも疲れてたんだな、と直人は時間の過ぎ去る速さに目を瞬かせた。

 目を閉じて過ごしていただけで、こんなに早く時間が過ぎたのは初めてだった。

 画面のロックを解除すると、冬璃からの返信メッセージが並んでいる。



『一番上から順番に説明するね』

『まず、襲ってきてたやつら。あいつらを「デブリ」って呼んでる。破片って意味らしいんだけど、ローゼが言うには「破片というより残骸のようなもの」なんだって。何の残骸なのか、は分からないけど…』

『生き物だったり、人間ぽい形のもたまにいる。大体は襲ってくるから、見つけたら撃退するか、無視するかのどっちかになる。何が目的とか、どうして襲って来るのかとかは分からない』



『私も能力者だよ。生まれつきそうだったんだ』



『異能持ちは「自分が生まれた場所・世界」と「他の世界」を行き来できる人のことを言うんだって。だから光井君も、私と同じようにあっちの世界に入れるようになって、デブリも見えるようになったと思う』

『行き来できるって話は、ローゼから聞いたんだけど…正直はっきりとそれを証明するものはないし、本当なのか分からない。私も向こうの世界以外、行った事が無くて』

『なんだかあやふやでごめんね』



『光井君は火を出して、操る能力かな?それを獲得したんだと思う。私は他の異能持ちの人に会ったことないんだけど、素質を持ってる人は、普通に生活してる人達の中にも沢山いるらしいの』

『光井君もその中の一人だったけど、今回のことで覚醒した…ってことかも?』



『ローゼのことだけど、あれからずっと反応ないの。なんだか振り回してごめんね。また聞きだせる時、ちゃんと聞きだしておくから』



『飛び降りたら入れるってよく気付いたね!?

 向こうの世界は、本当は色んな所に入口みたいなところがあるそうなの。

 誰も目を向けてない場所とか、絶対にここを通ろうとする人はいないだろうって所とかに。

 でも日によって入口の場所が変わったりするらしくて、いざとなった時にその場所を探すよりは飛び降りた方が早いから、私はそうしてる』

『ビルの屋上にいたのもそれが理由だったの。デブリに追いかけられてたのもあったけど…あの時はびっくりさせてごめん!』



『他に行ける人は、私は知らない。

 もしかしたらいるのかもしれないけど、見たことない。

 光井君が初めてだよ』



 『こんな感じです。あまり詳しく説明できてないかも…ごめんなさい。また分からないことがあれば聞いて』と締めくくり、冬璃のメッセージはそこで終了した。

 直人は、冬璃のメッセージ内容を反芻しながら読み込み、自分の中へと落とし込む。


(今いる世界と別の世界を行き来できる…ってことは、ああいう『異世界』みてーの、フツーにこの世に存在してるってことなんだな…)


 冬璃の言を今更疑うことはしないが―――疑う前に色々と巻き込まれてしまったため疑う暇がなかったというのが正しいが―――常識外の事象が、この世にはさも当たり前のようにのさばっているらしい。

 それを理解した直人は、口から無意識に気の抜けた声を漏らした。

 直人は冬璃のメッセージの続きを読み込んでいく。

 残骸デブリ。冬璃の能力。自分の能力。異能持ち。「向こうの世界」への入口。入り方。

 重要そうな情報を片端から頭に入れていった。

 そして、懸念の一つである、ローゼに関するメッセージに視線を滑らせる。


(『反応ない』ってのが、また恐ろしいな)


 直人の脳裏に、剣のようなもので空間をすっぱり切り裂いたローゼの姿がよぎる。こちらに興味を失った、殺意はなくなった…ように見えたが、それでも直人の警戒心は安易に緩むことはない。

(まぁ、あの確実に殺れるって状況で、俺を無視したわけだから、次に会った時殺される可能性は低くなった、と思いてえけど……)

 そこまで考えて、直人はいや、と首を振った。

(こっちは原川に任せるしかねえ。俺がどうにもできることじゃねえし)

 ローゼの真意を探るにしろ、聞くにしろ、ローゼに唯一接触できるのは冬璃なのだ。冬璃からの答えを待つしかない。直人は一旦ローゼの件を横に置くことにした。

 冬璃自身にも分かっていない点が多く、まだ謎が残っているというのが正直なところではあるが、とりあえずは右も左も分からないような状況からは脱することができたので、直人は素直に冬璃へ感謝のメッセージを送る。

 感謝ついでに、再び質問を投げかけた。

『サンキューな。だいたいわかってきた。ついでで悪ぃんだけど、また質問いいか?』

 案の定、冬璃の返信は早かった。数秒後『どうぞ!』と返信がくる。

 返信を確認してから、直人はメッセージを打ち込み、送信した。

『デブリって、普段はどこにいるんだ?』


 直人がメッセージを送信したその時。

「!」

 コンコンコン、と保健室の扉がノックされた。「失礼します」と聞こえてきた女子の声に、直人は身を固くする。咄嗟にスマホの画面を消して、扉がある方向に背を向けるようにして寝ている振りをした。


「こんにちは篠原さん」

「こんにちは先生。あの、すみません、光井のことを聞いたんですけど…」

「ああ、そこのベッドで寝ているわ。だいぶ顔色が悪かったから…まだ具合が良くなさそうだったらそっとしておいてあげて」

「わかりました。ちょっと話してみます」


 ベッドカーテン越しに、女子生徒と養護教諭の会話が聞こえる。

 直人は女子の声と名前を聞いて(面倒な奴が来た)と眉間に皺を寄せた。

 そのまま寝たふりの姿勢で様子をうかがっていた直人だったが、ベッドカーテンがシャッと開き「なんだ、起きてるじゃない」と真上から声が降ってきたところで、観念したように目を開いた。


「今起きたんだよ…誰かさんの話し声でな…」

「あっそう。階段で動けなくなってたって聞いたけど、思ったより元気そうね」


 女子生徒―――篠原しのはらリョウはそう言い、肩より長く伸ばした茶髪をかき上げる。

「…誰から聞いた?」

「え?黒田君よ。アンタ言付け頼んだんでしょ?」

 直人はいや誰だよ、と思ったが、すぐに思い至る。冬璃が引き止めていた、あの時通りがかった他クラスの生徒のことだろう。

「怪我で保健室行きとか病院搬送とかならもう慣れたけど……アンタが『倒れる』なんて初めてだから驚いたわ」

 ふう、と息をついてベッドサイドの丸椅子に腰かけるリョウを、直人は「嘘吐け、そんな驚いてもねえだろ」と適当な返事をしながら見つめた。



 リョウと直人の付き合いは中学時代からのものだ。いわゆる腐れ縁というやつである。

 直人とリョウの出身中学には、『委員会に絶対所属しなくてはいけない』という謎のルールがあったのだが、リョウとはその委員会をきっかけに知り合った。…知り合ったというより、だいたいの生徒が諦めて委員会に所属を決める中、直人がどの委員会も選ばずにフラフラしていたのを捕まえ、強制的に委員会入りさせた、というのが正確な経緯だが。

 睡眠不足も相まって普段から無気力な直人と対照的に、篠原リョウという人間は、いつも何事にも意欲的に取り組んでいる。

 中学時代、生活委員会と一定時期しか活動しない文化委員会の両方に所属していた彼女は、高校に進学した現在では風紀委員会に所属し、部活動にも精を出している。

 リョウのそんな姿を見るたびに、よくやるものだと直人はいつもそう思った。

『自分の時間を色んなものに割ける』。それを苦にしないリョウの精神性というか人間性には、直人は呆れと尊敬の両方を抱いていた。具体的に言うと、呆れ7割・尊敬3割の割合である。(こいつは変わらねえな…)と半目のまま直人はリョウを見た。

 リョウが「何よその目は」と、直人と同じく半目で言うのを「別に」と受け流す。


「変わらねえなお前は、と思って」


 直人がリョウに呆れる大きな理由はもう一つある。

 多忙にも関わらず、リョウが常に直人のことを気にかけ、事あるごとに様子を見に来ることだ。

 中学時代の直人が起こした『騒ぎ』のあれこれを、当然リョウも知っている。

 さすがに騒ぎの現場にいたことはなかったが、殆どの「騒ぎ」の経緯や事情まで知りえるほど、リョウは直人の近くにいた。

 警察に保護されようと、片腕に包帯を巻いたまま登校していようと、平然とした表情でリョウは直人の世話を焼いた。

 リョウの甲斐甲斐しい行動に対して、直人は最初不可解だと思う気持ちを隠しきれず、…今では疑念を強く抱くようになっている。

 なぜ自分に、ここまでするのかわからない。

 確かに中学時代は、ほとんどつるんでいたと言っていい関係だったが、高校に上がってまでその関係を持続する必要性があるかと問われると、直人は否だと答える。

 中学時代の直人の問題行動の数々を近くで見て知っているのなら、なおのこと直人から離れるのが自然だと、直人は考えていた。

 しかし、高校に進学してはや2ヶ月経った今も、リョウとの関係は中学時代の時と全く変わっていない。

「なぁ」

「ん?」

 なんでここまで俺に構うんだ、と言おうとして、……前に同じことを言った時に、はぐらかされたことを思いだして、言い方を変えて直人はリョウに問うた。


「お前さぁ、……暇なのか?」

「は?暇なわけないでしょ。放課後は委員会の仕事があるんだから、休み時間しか来れないの」

「いやそうじゃなくてよ…俺のことより、自分のことに専念した方がいいんじゃねえの」


 やりてえこととか、色々あるだろ、と続けた直人の言葉にリョウは一瞬押し黙る。しかし、ペシッと直人の額をはたくとすぐにリョウはいつも通りの振る舞いで答えた。


「何今更気を遣ってんの。あんたに言われなくても、自分のことはちゃんとやってるわよ」

「………」


 またはぐらかされた。

 直人は分かりやすくリョウをジト目で睨むが、リョウは動じないまま、保健室の時計を見やって立ち上がる。

「もう戻るわね。動けるようになったらCALLIN’で連絡して」

 また来るから、とベッドカーテンを元に戻してリョウは離れる。

 はあ、と長くため息をつき、直人はベッドから身を起こした。

「だから、そんな義理ねーだろって…」

 がしがしと頭をかきながらぼやく。

 リョウは必ずまた様子を見に保健室に来るだろう。

 直人は、リョウが来る前に早いところ保健室から移動しようと起き上がった。

 ベッドから動いてわかったが、体の調子は随分と良好になっているようだった。さっさと教室かサボり場に移動しておくべきかもしれない。

 直人は枕元のスマホを手に取り、制服のポケットに突っ込もうとして―――画面に通知が来ていたことに気付き、ロック画面を開く。

 冬璃からの返信だった。

『デブリって、普段はどこにいるんだ?』

 直人の送ったメッセージの下に、冬璃のメッセージがリプライで並んでいる。



『デブリは、』

『見えていないだけで、そこらじゅうにいる』 



「先生、話し――――」

 直人がメッセージを見たのとほぼ同時に、どんっ、とが聞こえた。


 






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