(3)

「まぁ、こういう時は無理に思い出そうとしない方が宜しいですよ」


 ティアがハッキリと目覚めてから、頭の中が真っ白だった。

 冷凍睡眠装置に入る以前の全ての記憶……なぜ冷凍睡眠装置に入っていたのか、自分が何者なのか、まったく思い出せなかった。

 言葉を発するのも難しく、最初は地に足が付かないような状態だった。


 博士曰く―――


『おそらく痴呆とかの部類ではないでしょうか。長い間睡眠していたので、脳みそ……頭を使っていなかったので、脳の機能が欠落してしまったのではと。これは冷凍睡眠を行う上で指摘されていた問題ではあります。忘れてしまった記憶を取り戻すことは難しいです。ただ、目覚めてからの脳波などは正常で活発ですし、異常や障害などは見当たりませんので、今後については心配ありません』


 その話を聞いたデンジャーは、ほくそ笑んでいた。


 なぜなら、記憶を失ったティアに自分たちの都合が良いことを信じこませて、従順に自分の言うことを聞かせる……そんな思惑があった。だから、ティアが記憶を失っているのは、都合が良かったのである。


 診察が一通り終わり、博士が診断を下した。


「不眠なのは今まで長期間睡眠のせいかと……。ですが、生活バランスが良くなれば徐々にに改善するかと思います。それ以外に関しても、このまま適度な運動とバランスの良い食事を摂っていけば大丈夫かと思います」


 ティアの体調が順調に回復しているのを見て、満足そうなデンジャー。部下たちの前では決して見せない笑顔をティアに向けた。


「そうか。ならば、ティア。食事だ」


 テーブル上には、彩り豊かで豪勢な食べ物が置かれていた。


 メイドが運んできたワゴンカートから食べ物などを取り出して用意したのだ。最後にナイフやフォークなどが置かれて、食事の用意が完了した。


「さぁ、ティア様」


 メイドはティアを椅子へと先導し、着席させる。

 目の前には豪華な食事が並んでいた。


 しかし、ティアはそれらのものに対して特に喜ばなかった。いつもと同じラインナップだったからだ。


 しかし、これらの食事をスラム街で暮らすモノたちにとって、滅多に口には出来ない貴重なものばかりなのだが、それをティアは知らない。

 デンジャーは高貴な者には下賎な者たちの暮らしを知る必要はないと考えて、話してくれなかったのだ。


「ねぇ。博士も、たまには一緒にご飯を食べようよ」


 帰り仕度をする博士に、ティアが食事に誘った。恩人とはいえ強面のデンジャーと、いつも一緒に食事をしても楽しくは無かったからだ。


「お誘いはありがたいのですが……あいにく、天然モノは口に合わなくて……」


 丁重に断られ、残念そうな表情を浮かべるティアの隣で、デンジャーが鋭い目付きで博士を睨んでいた。

 博士は、それに物怖じした訳ではない。言葉の通りだった。劣悪な環境となった現代で、天然の食材は希少だった。いや、ほとんど手に入ることは出来ないものとなっていた。


 今、テーブルに並んでいる食材は、デンジャータワー内に存在する植物工場(閉鎖的な空間や室内で、人工光で植物を生産する方式)で作られたものばかりである。今の時代では、これが天然物扱いだった。

 博士はいつもビタミン剤などのサプリメントを食べていた。しかし、今の時代を生きる“大半の人間”にとってはそれだけで充分なのである。


「それでは、私はこれで……」


 軽く会釈すると早々に部屋を出ていった。

 残念そうに落ち込んだティアは、今度はメイドを誘ったが博士と同様に断れてしまい、渋々とデンジャーと共に食事を摂ったのであった。

 特に会話の花が咲くことはなく、形式的な食事。それをメイドは黙々と眺めていた。


 ハンバーグのようなものを口にするティア。味気ない味が口に広がり、手にしたフォークをテーブルに置く。

 食が進まないティアに、メイドが声をかけた。


「ティア様、お味が気に入りませんでしたか?」


 ティアは静かに首を縦に振った。

 当然ながら牛肉のみではなく、全ての肉は貴重な食材になっており、下々の者が滅多に口にすることが出来ない物である。


(ふん。この味が解からんとは、つまらん小娘だ……)


 デンジャーは肉の貴重性を知らないティアに呆れつつ、豪快に肉を口にする。

 メイドはスープや他の食べ物をティアに勧められ、ティアは仕方なく口に運ぶ。どれもティアにとっては、今ひとつだった。


 ティアの心にはふと、昔……記憶を失う前には、もっと楽しく美味しい食事をしていたような気がした。でも、ティアの記憶はそれだけでは完全には戻らなかった。



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