(6)


 ティアが言う本は、青年が去年ティアの八歳の誕生日にプレゼントとして贈ったものだった。

 捕らわれのお姫様を救い出す騎士の冒険を描く……よくある騎士物語だが、ティアにとってはとてもお気に入りの本だった。


 しかし、その本はティアの手元には無かった。今回の騒動で、慌てて此処に避難してきたため、自分の部屋に置き忘れてしまっていたからだ。今から取りに戻ろうとしても通ってきた通路は耐圧シャッターなどで封鎖されていて、戻るのは不可能の状況だった。そもそも青年とティアが暮らしていた家は既に破壊されているだろう。


 青年は“叶えられない願い”だと分かっていながら、ティアのために答えた。


「解った。良い子にして寝たら、ちゃんと読んであげるよ」


「本当? 約束だよ」


「ああ、約束だ……ティア様」


 わざわざ様付けで呼んだのは、ティアは先ほどの本(姫と騎士の物語)に影響されて、自分のことをお姫様のように振る舞うのが好きだった。青年はティアを喜ばせるために、よくお姫様扱いをしてあげていた。


 ふと青年の目に涙が浮かんでくる。しかし、ティアの前で泣くものかと堪え、いつもの冷静な表情を作って、溢れそうな感情を抑え込んだ。


「だ、だから……ほら眠りなさい。たまには、騎士(ナイト)のお願いも聞き入れて欲しいな……」


「はーい」


 無邪気な声で返事すると、ティアは言う通りに静かに目を瞑った。


 青年はそれを見届けて、コンピューターの前に行き設置されているキーボタンを押した。ポッドの扉がゆっくりと閉じていき、ポッドは完全に密封された。


 他の各種設定を行い、青年は最後の実行キーを確信と確実をもって押した。

 冷たい空気がポッドの中に充満していく。ティアは思わず身震いをしてしまうが、すぐに気持良くなっていった。まるで暖かい木漏れ日を浴びてお昼寝をするかのように心地良い環境となり、ティアは深い眠りへと誘われていった。


 モニターに映し出される測定値は正常値を指しており、他のシステム状態もオールグリーン(正常)だった。ティアが完全なコールドスリープ状態に入ったことを確認した。


 青年は、ここに来て初めて安堵の息を吐いた。

 ポッドの中からは外の音は完全に遮断されて聞こえない。だから思いのままに口を開いた。


「ティア……。ここ(研究所施設)が破壊されたとしても、ポッド内に備え付けられている予備電力バッテリーで、電力は百年近く持つことが出来る。それにこの近辺に核爆発が起きたとしても、耐えられる……はずの設計となっている。そして、外の環境がある程度、良くなっていれば自動的にスリープが解除されるはずだ……その時まで……」


 ポッドの中で安らかな顔で眠るティアの顔が滲んで霞んだ。それは青年の瞳から、今まで我慢してきたものが溢れ出ていたからである。


「ティア……。あの本を読む、約束は守ることが出来ないけど……。ティアが目を覚めた時、世界が平和になっていることを、約束しよう……」


 そう一言を口にした後、青年は唐突に机を強く叩いた。


 悔しかった――

 苦しかった――

 悲しかった――


 そんな行き場のない思いの丈を、机にぶつけたのであった。


「ごめんな……ティア。そのポッドは、それ一つしかないんだ……。ごめんな……一緒にいられなくて……。だけど……おまえだけでも…ティアだけでも……生きて欲しいんだ……」


 涙混じりの声が虚しく響く。

 本当はティアと共に生きていたかった。ティアを冷凍睡眠させずに、ここでずっと救助されるまで避難する考えもあった。


 しかし、それはティアにとって幸せでは無いと判断したのである。そもそも、自分たちが生きている間に救助なんて来ない可能性の方が高かった。


 ならば、二人で死を選ぶという選択肢もあった。だが、見殺しに出来なかった。未来へ生きるたちの手段(装置)があるのなら、それにすがりたかった。


 その未来が、その世界が―――

 青年は両膝を地面に着き、胸の前で手を組んだ。神にへと祈りをするように願った。


 ティアが目覚める時が、世界がティアにとって、平和な世界であることを―――


   ***


 暫くして、地上では眩しい光が走った。その直後に、人類史上最大の爆発と衝撃が地球を襲った。


 地球の三分の一を覆うキノコ雲が噴き上がり、濁った闇に包まれた。やがて、黒い雨が降り注ぎ、大地や海……この世の命あるモノたちを汚していった。


 この日を境に世界は変わった。


 世界からミサイルはもとより、数々のものも消え去った。


 そして―――


 この世界で生きていた者たちも、大きく変わっていくことになった。

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