High,pause!
櫛見ミツルはなかなか電話に出ない。彼が四六時中携帯を持ち歩いていることをよく知っているからこそ、それが不思議で仕方ない。八回くらい無機質なコール音を聞く。
「もしもし」
「寝てたの?」
「いや、なんで」
「いつもに増して出るのが遅いから」
返答はない。何かマズイことを訊いただろうか。
「おーい」
「ごめん、ここ、電波が悪いみたい」
「一体何処にいるのさ」
「樹海? とにかく、あとで掛け直す、じゃね」
さっさと切られてしまった。にしても樹海で何をしているんだキミは。携帯をポケットにしまい、万歳の姿勢で芝生に倒れ込む。羽が邪魔じゃないのかと訊かれたことがあって、羽が邪魔かもしれないと思ったことすらなかった事実に気づいた。アイはたしかに人間ではなく、でも人ならざる者なんてそこらじゅうにいるので。よい天気だ、と思いながらウトウトしていると、ポケットが不満げにブーブー鳴った。
「もしもし」
「オレだ。柳瀬か」
やぁな上司でした。ポケットも不満げなわけだ。
「オレオレ詐欺ですか?」
「違う。櫛見ミツルの件はどうなってる? 今月中には完了させられそうか」
渾身のユーモアをぶつけるも無碍にされ、こちらも不満げになった。急かされてうまくいく仕事などありませんと言ってやりたい気持ちをぐっと堪え、テキトーに間を持たせる返事を繰り出す。
「さぁ、どうでしょねえ」
「やる気がないなら辞めてもらうぞ」
効かなかった。
「んん。そうしましょかねえ」
実際やる気はないので辞めちゃうことにした。邪魔かもしんない羽ともお別れ。
「は?」
ブツッ。怒りの発露のような赤いボタンを押して通話を終了する。はーやれやれ。と思ったそばから手がワナワナ震えだす。
「何すか」
「うわ機嫌悪いな」
「なんだ櫛見か」
「なんだって何だよ」
「こっちの話どす。で、何の用?」
「最初にかけてきたのはそっちじゃん」
「そうだっけ」
なんでかけたんだっけ? 本当に忘れてしまった。やぁな上司のせいで。
「忘れたんかい」
「そうっぽい。でも樹海で何してたの?」
「えーと」
そのあとが続かない。本当にマズイことを訊いたのかもしれない。
「おーい、まだ樹海にいる?」
電波を探して手をバタバタ振ってみる。特に意味はない。
「いや、もうすぐそこにいるんだけど」
両サイドから声が聞こえる。右手に携帯、左手を見ると遊歩道の入り口に櫛見が立っていた。なんか観光客みたいな派手な着物を着ている。
「なにー、どしたのさ」
電話を切って駆け寄る。遊歩道は砂利が敷かれていてジャックジャック。翼があるなら飛べばいいと事あるごとに言われるが、短距離なら足を使ったほうが効率的だ。近づくとより一層、煌びやかなグレーの袴姿、キメキメの前髪、全然櫛見じゃないみたい。
「前撮り。成人式の」
「はぁ、張り切ってんのね」
それで樹海にいたのか。なるほどね。そうかぁ?
「両親がね」
両親ね。よい育ての親に恵まれて幸いというべきか、何というか。でも櫛見が(というよりはミツルが)愛されているという事実は動かしようがないらしく、それはそれとして喜ばしいことなのだ。
「で、着替えないまま来たの? アイに会いたくて?」
「別に。通りかかっただけ」
「ふーん。でもちょうどいいや、写真撮ろ。記念撮影」
「なんで? 今散々撮ってきたんだけど」
「アイとは撮ってないでしょー」
ぱしゃ。ぱしゃぱしゃぱしゃ。櫛見が呆れからか半目になっているが気にしない。もうこんな写真は二度と撮れないのだ。あとで見返した時にハロウィンパーティと勘違いしそうだが。
「あのさ、来週柳瀬の友達に会うってやつ……」
「あーあれ、ごめん、ナシでいいよ」
「え」
「向こうも都合悪くなっちゃったみたいで」
嘘だけど。でももう辞めるし、こんなこと。少し猫背な櫛見の肩を叩く。
「それならいいけど……」
「ていうか、やぁ、馬子にも衣装ってやつだね」
「褒めてないでしょそれ」
「成人おめでと」
「誕生日もまだだよ」
「その時まで待ってたら結局言えないかもじゃん」
「何を物騒な」
仕事だからキミに近づいて仲良くしてたなんて、知ったらどう思うかな。でも仲良くなってしまったから、仕事のためにキミを失うのが惜しくなっちゃった。
「疲れたでしょ。帰って着替えな」
「そうする」
くるりと帰途に着く彼の背から、かつて自分が射た矢を引き抜いた。そのまま見送る。結局誰にも振り返ってくれなかったその背中を。
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