第32話

 白を基調とした広々としたその間の奥に置かれる一つの玉座に座る者がいた。

 まだ若いが堂々とした様子ははこの国を治める皇帝を象徴しており、貫禄すら感じる。

 その皇帝の前に膝をついて畏まる一人の男の姿がいた。

 その男の名はベイオ・グランツ。この帝国で将軍の地位におり、短く整えられた白髪と顔に残る古い傷痕がその風貌は歴戦の戦士である証であった。


「それでベイオ、お前はこう言いたいのだな? これから起きる戦争について意味がない、と」


 頬を手で支えながら玉座から見下ろす皇帝の目つきは鋭く、側にいる者を畏怖させる。

 口から出る言葉を間違えればすぐにでも首が飛びそうなこの張り詰めた空気の中でもベイオの態度は全く恐れを見せておらず、皇帝の言葉を聞いて顔をあげた。


「そうです陛下。この戦いは無意味であると仰っているのです」

「ふむ……」


 皇帝はベイオに鋭い視線を送りつつも、心の中で疑問に思う。

 ベイオは前の戦争で多大な功績をあげた武人であり、その実力は連盟軍の切り札であるマルティナスと互角である。

 帝国を長く支えてきた人物である故に民からの信頼も厚い。

 そんな愛国心溢れるこの者が皇帝に対して否定的な意見を申している。

 目の前で起きているこの光景を見て皇帝は言葉を詰まらせていた。


「ベイオ、お前の意見が聞きたい。申して見せよ」


 この無礼に対する処罰など後でどうとでもなる。

 その前に心の中に湧き出た疑いのを晴らさずにいられなかった。


「はっ! 僭越ながらご説明させていただきます。我が帝国は先代の時代よりも遥かに成長を遂げており、それは他の国の引けを取りません。陛下が行った魔結晶の製造の政策によって帝国の生活水準は上がり、その軍事力も飛躍的に増加しました。あの三つの国を相手にしても全くの互角であったことがその証拠でしょう」

「…………」

「しかし、その力があったのは万全の状態であるからというのをお忘れですか? 前回の戦争から受けた傷は未だ癒えきっていません。民も兵も今はまだ苦しいのです」

「今ならオルトランの開発した武器や防具があるではないか。あれを使えばいい」

「恐れ入りますが陛下、あの武器を作るのにどれだけの資源と労力が必要かご存じですか? それにあれらを扱うのにも十分な訓練がいります。今戦争を仕掛けるにしても時期が早すぎるのです」


 ベイオの言葉が終わり、張り詰めた空気がこの場を支配する。

 近くで待機している近衛兵から見ても皇帝の怒りは確実に買っているのがわかる。

 これから何が起こるのか、全く予想がつかないこの場は息が詰まるほど緊張が高まっている。


「それに……」


 突けば空気が破裂しそうなこの空間の中で、ベイオの言葉が広がる。


「なぜオルトランを使者として行かせたのですか?」


 ベイオの言葉を聞いてこの場にいる全ての者が彼に注目する。

 オルトランという明らかに使者として向かない者を送り出せば、その先でトラブルを起こす可能性が高い。

 例のドラゴンについて帝国の意を示すためとはいえ、彼が出向いたことでこの戦争のきっかけにもなっている。

 この話の本当の目的はこれであり、誰もが聞きたかったことをベイオは毅然とした様子で静かに答えを待っていた。


 ベイオの聞きたいことはまさにこれだった。

 オルトランという明らかに使者に向かない者を送り出し、さらには今回の戦争のきっかけを作り出してしまった。

 オルトランという誰が見ても異常な存在であるそれが何かすれば悪い方向に傾くのは明らかだった。


「それはだな……」

「それはボクが代わりに話すよ」


 皇帝が口を開こうとした瞬間、ベイオの背後からオルトランの声が聞こえる。

 振り向くとこの玉座の間にいつの間にかオルトランが挨拶も無しに入ってきていた。


「オルトラン! 陛下の前でそのような非常識な態度、無礼であるぞ!」

「失礼……陛下に急ぎの用があったのでね。陛下、僭越ながら申し上げます。先の会話が耳に入りましたがこの戦いに問題はありません」

「ほう……と、いうと?」

「たしかに前の戦争でこちらは大きく消耗しました……が、それは相手も同じ。いくら連盟を組んだとしても互いを庇いあう力は以前に比べてほとんどないでしょう。特にエリウムの竜騎兵、あれの数が減っているのが大きい。奴らのせいで帝国が勝利できなかったといってもおかしくはない」

「ふむ……。だがオルトラン、お前が作っているという魔導アーマーなどに対して不満の声があるぞ」

「うん……? ああ、そのことについて心配なされていたのですか。ご安心ください。魔導アーマーや魔導ガンの量産には成功していますし、その次のも準備できています。今の状況を見ても戦力的に五分かこちらが有利でしょう。それに相手は体力的に見て短期決戦を望んでいるはずです。最初の動きで勝敗が決まるといってよいでしょう。長期戦になれば不利でしたが、短期戦なら問題ありません。従ってこの戦いは陛下の望んでいる結果になります」

「……なるほど。たしかにそれならばオルトランの言う通りかもしれんな」

「――っ! 陛下!!」

「陛下、ベイオ殿は戦いの前で少し落ち着きがないように見られます。僭越ながら彼に少しの休暇を与えてやってはどうでしょうか?」

「……それもそうだな。ベイオ、お前にはこれから働いてもらうことになるからな。少し暇を与えよう。その間に英気を養うがよい」

「……ありがとうございます、皇帝陛下」

「ベイオ、たしかにお前の言うことは一理ある。だがこの不毛の地であったここに人が住み、そして帝国が生まれた。それは彼方から追いやられた先祖たちがいつかこの大陸を統治するという想いがあり、父上も果たそうとしていた。我もこの意志を継がねばならん」

「…………」

理解わかってくれたか?」

「――はい。陛下の仰る通りです……」


 ベイオがゆっくりと立ち上がり、皇帝に一礼を済ませると玉座の間を後にする。

 彼がこの場から去ったのをオルトランが確認すると、皇帝の前まで近づき膝をついた。


「して、オルトラン。急ぎの用というのは例の計画のことか?」

「その通りです。陛下のご要望の計画である【天蓋計画】は順調に進んでおります。ですがそのためにはいくつかの準備が必要でして……」

「ふん、お前の研究つごうか。いいだろう、この計画が成就のためにどれだけつぎ込んでも構わん。なんとしても成功させよ」

「はっ! 陛下の言葉。ありがたき幸せであります」



 ――



「…………」


 玉座の間を後にしたベイオの顔は浮かないでいた。

 その表情は城の窓から見える曇天のように暗く、それらは気味悪く広がっていた。

 不安という気持ちが体全体に染みわたっていく感覚は不快であり、それを今すぐ声に出し、吐き出したい気持ちを辛うじて抑えていた。

 それもそのはず、ベイオは玉座の間という場でを働いたのである。それ則ち皇帝の顔に泥を塗ったということであった。

 ベイオは長年帝国に就いてきた人物であり、功績も十分あり人望も高い。

 皇帝の右腕と言われるほどの男がそれをすれば、処罰までいかなくてもどうなるかは目に見えている。

 まず自分の意に反したことで皇帝から目をつけられる。しかも大事であれば尚更だ。

 だがベイオのあの言葉は誰もが聞きたかったことだ。それは皇帝の真意を知るための勇気ある行動なのは誰の目から見ても明らかである。

 しかし余計な注目を浴びてしまった。これは無用な敵を増やすということを意味している。

 しかも皇帝はオルトランに多大な信頼を寄せているというのもあの場にいた者は理解してしまった。オルトランは出自も不明な明らかに怪しいな存在だが、実力と功績は見せているが尻尾を出さない。

 オルトランの背後には皇帝がいるが故に下手に手を出せないが、同じ立場であったベイオの信用は落ちてしまった。

 あの行動は完全に裏目に出てしまったのだ。


「おおっ! ベイオ殿ではないか!!」


 途方もなく歩いていると前から声が掛けられる。

 そこには自分よりも大柄な体つきに分厚い鎧を身にまとっている大男がこちたに向かって手を振って挨拶をしていた。

 ふと周りを見るといつの間にか訓練場まで歩いてしまったようで、周りには兵士たちが鍛錬をしている。


「なにやら難しい顔をして訓練場ここまでやってくるとは、兵たちに何か思うところがありますか?」

「マキスか……。いや、気分転換をしに歩いていたところだ」


 この男、ドントリオン・マキスはその優れた体格を生かした特攻を得意としており、ここでは切り込み隊長であることで有名だった。

 マキスの着ている分厚い鎧のせいで圧迫感と暑苦しさ感じさせていた。


「お前はいつ見ても訓練用のアーマーを着ているな」

「はっはっは! まさにっ! オルトラン殿が作り上げたあの魔導アーマー。あれを常時でも着こなせなければ装備として意味がないですぞ! 訓練用は負荷が大きい。着ているだけでも十分鍛えられますな!」

「しかし魔導アーマーには内部に搭載してある魔結晶によって身体の負担は軽減されているからあまり問題ないはずだが」

「むむむ……。しかしですな。それでも魔結晶のエネルギーが尽きてしまえばただの鉄の塊ですからな。その事態を考えると鍛えておくことに損はないということですな」


 高笑いをするマキスを見てその脳筋っぷりにベイオは先ほどの不安などが一気に吹っ飛んだ。

 横を見ると兵たちが訓練用のアーマーを着て鍛錬をしているのが見える。

 マキスのアーマーよりも小さいが、それでもキツそうな表情をしていた。


「先ほどベイオ殿の顔を見たとき、難しい表情をしていましたな。何か悩み事をしているようなら吾輩が聞きましょうか?」


 顔に出ていたのか、ふと横にいるマキスからこの言葉をかけられる。

 ベイオは表情に少しだけ力を入れると、先ほど考えていたことを悟られないようにした。


「何も問題はない」

「はっはっは! それはよかった! 何せ吾輩に相談されても答えなんて出せる気がしないでありますからな」

「…………」

「しっかしこの魔導アーマーは素晴らしいですな。ベイオ殿の鎧から着想を得て作られたこれを兵たちが扱えるようになれば次は確実に勝つ……とオルトランが言ってましたぞ!」

「一族から伝わる我が魔装の贋作なぞ恥でしかない。侮辱にもほどがある」

「そりゃあベイオ殿に比べたらこんなもの天と地の差もあるでしょう。ですが魔装はベイオ殿のみしか扱えない。これらは適正があれば並みの者にも扱える。実に素晴らしいことじゃあありませんか! ガッハッハッハッ!!」

「たしかにマキスの言うことは一理ある。しかしあそこにいる者……あれはお前の隊の者ではないか?」

「ハッハッハ……むむむ?」


 高笑いをするマキスはベイオの一言に笑うのを止めてベイオの目線の先を見る。

 そこには他の兵たちが必死に鍛錬に励んでいる中、端の方には何人かの兵がアーマーを脱ぎ捨てサボっている姿が目に入った。


「コラー! 何サボっているんだー!」


 マキスの怒号が訓練場に響き渡る。

 その怒号によってサボっていたマキスの隊員たちはビクりと体を跳ね上げさせるとマキスが怒りの形相でこちらに向かっているのに気が付くと慌てふためきながら訓練用のアーマーを放っておいて一斉に駆け足で逃げ出した。


「おいー!なんで逃げるんだー!止まれぇぇええぇぇぇ!」


 そんな状況に対して他の兵士たちはこの光景に慣れているのか呆れたようにため息をつき始める。

 マキスの大きい声が段々遠くなっていくのを見ながらベイオはやれやれといった表情をしつつ訓練場を後にしたのだった。



 ――


 自室に戻り、ベイオは鍵をしっかりと閉じて窓の方まで行く。

 窓を開くと外はすっかり夜になっており、冷たい風が部屋の中へと流れ込んできた。

 その窓の淵に一枚の紙が挟まっておりベイオはさり気ない動きでそれを手に取って机の方へ向かっていった。


 "捕らえられた者、未だ見つからず"


 簡潔に書かれた内容を見ると一枚の紙を取り出しインクを付けたペンを走らせる。


 "捕虜の件は打ち切れ。オルトランの動向を引き続き監視に移行しろ"


 書き終えると先ほどの場所まで行き、挟まっていた位置に紙を折りたたんで窓を閉めて挟む。

 その後、返信された紙をランプの中で灯されている火に当てるとそれを焼却した。

 黒く燃え尽きていく紙を見ながらベイオは思う。

 皇帝が代替わりされてからここは少しずつおかしくなっている。

 その中心にはオルトランの存在があるのは分かってはいるが確信に繋がるようなことは未だに見つかっていない。

 この戦争も奴が巻き込んでいるような気がしてならないのだ。

 椅子に深く座り直し大きくため息をつく。

 先の見えぬ霧の中を歩いているような気分に浸っていると窓の外では小さな光が横切って行った。

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