第31話
寄宿舎での手伝いを終え、リリーは今日も訓練場へと足を運んでいた。
その目的は訓練しているラティムであり、邪魔にならないよう少し離れた位置に座ってリリーは彼らを静かに見つめていた。
「いいぞラティム! いい感じだ!」
「ギャウ!」
「……ッ!!」
ベリルの掛け声に励まされながらラティムはドラゴンの姿になり、背中に生えた翼を激しく動かしていく。
翼をバタバタと大きな音を立てていると、やがてふわりとラティムの巨体が少しずつ浮き始める。
「――っ! 浮いているぞ! そのまま、そのまま!」
「~~~ッ!!」
目を食いしばるほど必死な顔でラティムはなんとか宙に舞おうとするが、動かしていた翼が徐々に弱まっていき、やがてズシンと大きな音を立てて着地してしまった。
「う~ん……。もう少しだったっぽいけど、なかなか厳しいもんだね」
「グア……」
「グゥ……」
ラティムの課題だった飛行訓練はここ数日掛けて行われている。
はじめは浮くことすらできなかったラティムだったが最近になってようやく空中に少しだけ浮くようにはなってはいる。
問題なのは、浮くことはできても空へと飛翔することはまだ無理なことであった。
「なんか……すごく大変そう……」
「そうねぇ……。飛べないのはちょっとまずいかもねぇ……」
座ってラティムの訓練を見ていたリリーの後ろから女性の声が聞こえる。
振り返るとそこにはマルティナスの姿が立っていた。
「お姉さま!」
「こんにちわリリーちゃん。隣、座っていい?」
「はい! どうぞっ!」
リリーは嬉しそうな顔をしながら少し横にずれると、その位置にマルティナスは座ると、二人でラティムの訓練を見る。
相変わらずラティムは飛ぶことに苦戦しているのを見ながらマルティナスはゆっくりと口を開いた。
「リリーちゃんたち、最近どう? ここの生活も慣れた?」
「はい! みんな優しくて、いろいろ教えてくれます」
「それはよかった」
「お姉さまは?」
「うん? 私?」
「はい!」
「そうねぇ……。少しだけ大変かな……。いろいろとね……」
リリーの質問に少しだけ答えづらそうな声色でマルティナスは答える。
そんなこと聞いてると訓練場から大きな音が聞こえる。
そこには着地に失敗して地面に倒れてしまうラティムの姿が見えた。
「ラティムが全然飛べないのってなんでなんだろう……」
「う~ん……。
「そうなんですね……! よかったぁ……」
「ただ
「――あっ……」
彼女の言葉を聞いて少しリリーは俯くと、それを見たマルティナスはゆっくりと立ち上がり、訓練しているラティムのほうへと歩いて行った。
「精が出るわねベリル」
「……っ! 団長、来てたんですか」
「で、調子はどう?」
「それが完全とは言えなくて……。一応、飛行の応用で前にジャンプして長く跳躍するっていうのはできているんですけど」
「なるほどね。まぁでも、それだけじゃあねぇ……」
「ですよね……」
「グゥ……」
飛ぶことがうまくいかないラティムはしょんぼりとした顔になっており、その様子はかなり落ち込んでいるように見えた。
「う~ん……。どうしたものか……」
「飛ぶコツみたいなのは掴んでいるっぽいんですよね。あとは数をこなすしか……」
「でも私たちには時間があまりないのよね」
「そうなんですよね……」
二人で頭を悩ませている中、ふとマルティナスはラティムのこの様子を見て何かを察すると、そのことをベリルに聞いた。
「ねぇベリル……。もしかしてこの訓練ずっとやってる?」
「――? ええ。時間がありませんからね」
「休憩とか、そういうのは?」
「多少のやつは途中で挟んでいますけど、それが?」
「…………。もしかしてラティム君って結構参ってる?」
マルティナスの言葉を聞いてベリルは、ハっとした表情になる。
訓練には飛ぶ以外にもアイリスとの組手なども含まれており、ラティムの気は短い休憩ぐらいしか休まることしかなかったことを思い返す。
そのことに気が付いたベリルを見てマルティナスは大きくため息をついた。
「……なるほどね。それじゃあ出来そうなことも出来ないというのもわかるわ」
「すいません……」
「う~ん……。……よし、決めた! 今日は訓練はおしまい!」
「えっ?」
パンッと両手で軽い音を鳴らしながらそのことを言うと、ベリルは思わず目を丸くする。
「こういうときは根詰めたってうまくいかない。だったらラティムも今日はゆっくり羽を伸ばしましょう。それにベリルも連日大変だったでしょ? あなたも今日は休みなさい」
「ハハ、団長よりはマシですよ。ですがその言葉に甘えさせてもらいます」
「よしっ! それじゃあラティム君は元の姿に戻ってもらってっと……」
マルティナスはそういうと離れた場所にいるリリーに振り向いて手を大きく振る。
呼ばれたような気がしたリリーは立ち上がると、彼女たちのほうに走って向かっていった。
――
訓練を終了してリリーとラティムの二人はマルティナスの後ろについていく。
横にいるラティムを見ると少し疲れ気味の顔をしていた。
「たまには気を休めないとね」
そう言ったマルティナスが向かった先は中央広場であった。
人が多く、賑やかなこの場所は以前、学院に行ったときにリリーはここを通っている。
しかしラティムは寄宿舎と訓練場という狭い場所しか知らず、ここもエリウムに来るときに上空からしかここを知らない。
「……っ!」
活気のある広場を目のあたりにしたラティムの様子はいつの間にか疲れたような顔はどこかへいってしまい、キラキラとした目で周囲を見渡していた。
「そっか。ラティムはここに来るの初めてだったね」
周りのすべてが新鮮に感じているラティムはふと何かに気が付いたようで、ふらふらとした様子でどこかへと歩いてしまう。
「あれ? ラティム君?」
「どこいくのー?」
二人は何かに吸い寄せられるように鼻を鳴らしながら歩いていくラティムを見て、その後をついていくことにした。
顔をキョロキョロとさせて何かを探すように歩いていくとその先には香ばしい小麦の薫りが心地よいパン屋に辿りついた。
「……」
「いらっしゃい! この辺じゃ見ない顔だね」
「……っ!」
店の前に並んだパンを見ていたラティムを店の中から主が声を掛ける。
その声に少し驚いたラティムを見て、彼の少し異質な風貌に店の主は不思議そうな表情をした。
「こんにちわ。オヤジさん、今日もいい匂いですね」
「ああ、マルティナスさん。こんにちわ。今日もいいパン焼いてありますよ。……ところでこの子は?」
「ウチに入ってきた新しい子よ。ラティムっていうの」
「おお! こんな小さいのに立派なもんだな。その嬢ちゃんもそうなのかい?」
「リリーっていいます! えっと……。ラティムと同じです!」
「ほお。二人は
「えへへ……」
「それにしてもこの君たち、珍しい髪の色してるね。この辺じゃ全くみないよ」
「そうなんですか?」
「ああ。マルティナスさんは赤色だし、君は青。この子は紫だ。こういうのはあまりお目にかかれないな」
「へぇ~……」
パン屋のオヤジの言葉を聞いて、ふとリリーは二人と周囲にいる人の髪の毛を比べる。
たしかに周りにいる通り過ぎていく人たちは黒や茶色が多く、目の前にいるパン屋のオヤジも茶色い短髪であった。
「う~ん?」
「ハッハッハ。まぁそう気にすることはないさ。ところでこの子……ずっとうちのヤツ見てるけど腹空いてんのかい?」
そう言うオヤジが指さす方を見ると、涎が口から垂れているラティムの姿がいた。
「あらら。そういえばお昼からずっと動きっぱなしだったしね。せっかくだし何か食べようか。リリーちゃん、気になるのあるなら言ってね」
「いいんですか!? それじゃあ……」
マルティナスに促され目の前に広がるパンを見つめる。
リリーにとってパンは村で食べた硬めで少しパサついたものだと思っていた。
だがここに広がるパンはどれも柔らかそうで、そこから漂う香ばしい匂いは少しだけ空いたお腹を刺激するのに十分であった。
どれにしようかと悩んでいるとラティムが興味をひかれたのか一つの商品をジっと見つめる。
それはパンでなく、様々なベリーなどの果実が散りばめられているタルトであった。
「これ! これがいいです!」
「お! これがいいのかい? お目が高いねぇ。これはマルティナスさんもよく頼むモンだよ」
「そうなんですか?」
「うん。正直オススメの味ね。ここに来るとつい買っていっちゃうね」
「この辺で食べるかい?」
「ええ。そうしようかな」
「それじゃあ包んでくるから少し待ってくれ」
マルティナスはパン屋のオヤジに代金を手渡すと早速タルトを三人分に切り分けて袋に包み込んでくれる。
それぞれに行き渡ると、手に持った袋からタルトの甘い匂いが鼻をくすぐった。
「毎度ね。また来てくれよ」
リリーたちはパン屋を後にすると中央広場のほうへ戻っていき、噴水の近くに座った。
「ふぅ……。それじゃあ食べようか」
「はい! いただきまーす!!」
「……っ!」
リリーとラティムはさっそく袋からタルトを取り出すと、その先端を小さい口に頬張った。
「~~~っ!」
「っ!!!」
タルトを口に入れると、パイ生地から香るバターの風味と共に盛られた果実が舌を刺激する。
優しくさらりとした果糖の後に、ベリー系の酸味が口の中を楽しくした。
リリーの村では"甘いもの"というのは森の中にある花の蜜か、酸味が強いベリー系の果実しかなく、贅沢な代物だった。
リリーにとって感じたことのないこの甘さは頬が落ちそうという表現がピッタリであった。
「おいひいです!! とってもっ!!」
リリーとラティムは目を輝かせながらタルトを食べていく様子をマルティナスは横にいたグローリーにタルトを分け与えながら微笑ましく見つめている。
「すごい食いつきっぷりね……。そこまで良い反応されるとなんだか照れるわ」
タルトを勢いよく食べていく二人を見ていると、時折ここを通っていく人たちがマルティナスに気が付き、軽い挨拶をしていく。
三人に向かって元気つけるような言葉に彼女は手を振りながら返していく中、ふとリリーたちの方に目を落とす。
こんなにも無邪気で愛くるしい子たちが帝国と聖竜教の両方の都合に振り回されている。
マルティナスは心がズキリと痛むのを誤魔化すように自分もタルトを口に運ぶ。
この束の間の平和を噛みしめるように自分の好きなタルトを味わっていった。
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