第30話

 ドラコレイク神殿の中に設けられた円卓の間に三人とその従者が難しい顔をして座っている。

 部屋の奥にはエリウムの代表者であるフレデリックが座っており、その背後にはマルティナスが護衛として立っていた。

 静かだが泥の中にいるような重苦しい雰囲気に包まれた部屋をフレデリックは左右に座っている者を両手を組んで静かに視線を向ける。

 右側に座っている男は背は小さく、座っている椅子から足が宙にぶらついている。

 子供のような大きさの体格だがその反面、体はがっしりとした筋肉で包まれており、その屈強さは服の上からでもわかる。

 肌が露出している二の腕や顔には大小さまざまな傷跡があり、それが男の武勲を象徴していた。

 ――バスクト・バリアリス。多数の部族が一つになった国【ウエスメイム】を治める長であり、その背後には彼の息子であるリグルト・バリアリスが目立たぬよう静かに立っている。

 リグルトの姿は修羅場を潜り抜けてきた老兵のようなバスクトとは違い、彼よりも一回り背が高いからか遠目で見ると立っている大人と座っている子供という風に見間違いが起きてしまいそうだった。


「つまりは例のドラゴンのせいで帝国との関係が悪化した以上、もはや戦う選択しかないということか。フレデリック公もついに腹を括ったってわけだ」

「……そういうことになるのう」

「ワシは歓迎するぞ。あいつらをついに叩きのめせるのなら、この血が沸き立つわい」


 口に蓄えた白い髭を弄り続けるのに飽きたのか、重苦しい空気を変えるようにバスクトがフレデリックの顔を見つつ帝国との戦争に賛成の意見を出す。


「やれやれ……西の者はいくさでしか語ることができないのか……」

「なんだと?」


 バスクトの意気込みに対して水を差すような言葉を聞いたバスクトはすぐに反応し、吐いた主を睨みつける。

 彼、ヴォリック=レナードは東に位置する国、イースメイムを治める長老であり金色の長髪に青いローブから僅かに見える白い肌には透明感がある。

 無骨な筋肉に覆われたバスクトとは対照的なその男の体は華奢でありながらも睨みつけるバスクトに全く動じる様子はなかった。


「前の戦争から幾分か時が経っているとはいえ、我々の傷はまだ完全には癒えていないのですよ。民も以前のように乗り気ではない」

「それは奴らも同じことだ。それにお互いが準備万端で闘るなら、もっと悲惨なことになる」

「相手がその準備がすでに出来ている可能性を考慮しているのですか? どう考えても帝国の仕掛けには何かあるのはわかるでしょう」

「だからこその短期決戦だ。前回の戦いでうまくいかなかったのは我ら三連盟の結束が遅かったことと、奴らの苦し紛れにやった遊撃的な攻撃のせいでこちらの連携がうまく機能しなかったからだ。だが今回はそうはいかない。ワシらは今こうして再び集まり、戦いの準備に足並みを揃えようとしている。あの時とは違う」

「それがうまくいくといいですがね……」


 前回の戦争。帝国側から魔染による汚染物質をエリウム、ウエスメイムに大量に流されたというのがキッカケになっている。

 エリウム、ウエスメイムはこれに非難をしたが帝国はこれに耳を貸さず、そして唐突に進軍を開始したのだ。

 その標的はまずウエスメイムに狙いを定め、不意打ちを食らったウエスメイムは大きなダメージを負ってしまう。

 ウエスメイムに被害が出たことは各国にすぐに届いたが横に広がっている地理的な問題でイースメイムはウエスメイムに満足な支援を行うことができなかった。

 幸いにもエリウムが率いる竜騎兵団によってウエスメイムはなんとか持ちこたえることができた。

 空を制する軍団はその圧倒的な機動力と殲滅力によって帝国の進軍を抑えることに成功するが決定打にはならなかった。


「あの時、イースメイムの力がなければあの戦いはもっと長引いていたかもしれん」

「それはそうでしょう。我が国が誇る優秀な魔術師の活躍は歴史に残るといってもいい。そんな優秀な彼らをまた戦争の道具として扱うのは心苦しいものだ……」

「ぐむむ……」


 休戦条約のきっかけになった重要な戦いになったとき、空を制した者が竜騎兵団であれば、地上を制していたのはイースメイムの魔術師たちであった。

 彼らが放つ魔術は高度に発達しており、知識と経験は他の国の魔術よりも凌駕している。

 実際、エリウムの魔術学院が最近になって学問や技術が発達しているのはイースメイムがその戦争に参加したというのが大きい。

 元々イースメイムは閉鎖的であり、特に野蛮な集団という目で見るウエスメイムとの関係は著しく悪かった。

 辛うじてエリウムとは交流関係はあったため、帝国に抵抗するための【三連盟】を結成することはできた。

 エリウムはそんなイースメイムに対してなんとか説得を行い、ウエスメイムとの関係を改善してここに三連盟が生まれる。

 このおかげで閉鎖的だったイースメイムとの交流も増え、魔術に関する知識を得ることができたのだ。

 そういった背景があるウエスメイムよりもイースメイムのほうが立場的に有利であり、ヴォリックの彼らに対して下に見る態度はバスクトにとって鼻がつくが、それに対してただ睨みつけるのが精いっぱいであった。


「ヴォリック殿。この決定は貴方のためでもあるのですぞ」

「ほう……。つまり?」

「魔染の影響は魔気の量に比例する。イースメイムは"魔力の海"とも言えるあの大樹海がある地域だ。もしもこちらが帝国の要求をのんで領土を譲渡すれば、その領土に最も近い国はイースメイムだ。いずれはその魔染の影響が大樹海に出るだろう。そうなれば最も被害を受けるのはイースメイムになる」

「ふむ……。確かにそれは困る。しかしイースの民は野蛮な争いごとに関して極力避けているのですフレデリック公。自衛のためであれば我らは力を示しますが自らが率先して戦いに行くなど民たちが納得するかは……」

「三連盟の約束を忘れたのか!? ワシたちはすでに三位一体の身。今更反故にして一人逃げようとしているのではないか!?」

「いやいや……そんなことは言ってませんよバスクト殿。ただ我らは軟弱な魔術師の集まり。後方支援ができるのは貴重な前衛の存在のおかげなのです」

「ぐっ……」


 お前たちは自分たちを守るための盾になれ。

 二人に放ったこの言葉にはそういう意味が込められており、特にバスクトに対して侮辱的であったが文句を言うことはできなかった。

 前回の戦争で最も活躍したのは竜騎兵団がいるエリウムであったが、その被害も多い。

 対してイースメイムが参戦したのは戦争後期であり、また後方支援ということもあってか被害は三国の中で最も少ない。

 エリウムの影響力も低くなっている今、余力を残しているイースメイムの影響は無視することはできなかった。


「……ワシの戦士たちは帝国の兵どもとは自力が違う。そう簡単にはやられん」

「それは頼もしい。では我らも存分に支援できるということですかな。ハッハッハ」

「ヴォリック殿。軍の指揮は戦に長けているバスクト殿が指揮を執る。構わないか?」

「それは構いません」

「ではバスクト殿。もしも今何か案はあるか?」

「うむ。それについてなんだが一つあってな」


 バスクトはそう言うと手を挙げて後ろに控えさせていたリグルトに合図を送る。

 リグルトは静かに地図を取り出すと円卓に広げていった。



 ――


 話し合いが終わり、それぞれの代表者が戦争の準備をするために自国へ戻っていく中、フレデリックは静かに神殿内を歩いていく。


(果たして……本当にこれでよかったのかのう……)


 帝国との戦争は回避したかったがこれ以上の被害を増やすわけにもいかない。

 この判断が本当に正しかったのかという疑念が晴れることはなく、その気持ちを落ち着かせるように足を動かしていた。


「フレデリック様。どうかなさいましたか?」


 ふと声を掛けられたことに気が付いて顔をあげるとそこには聖竜教の神官がこちらを心配そうに見ていた。

 神官はフレデリックの様子を見て何かを察すると横にいてもよいかと尋ねられ、静かに頷くと一緒に神殿内をゆっくりとした足取りで歩き始めた。


「フレデリック様、もしかして今回の事で悩んでおられますか?」

「うむ……。誰も争いなぞ望んでいないはずなのに、こういう結果になってしまった」

「しかしあちらに非がある以上、何も問題ないでしょう。皆も分ってくれます」

「民たちもドラゴンたちにもまた苦労を掛けてしまう。彼らの傷はまだ癒えきってはいないというのに……」

「こちらには竜騎兵のマルティナス殿がおられる。彼女がいれば安泰ですぞ」

「たしかに……。彼女は我々にとって希望の光だ。民がこうして聖竜教の信仰をしてくれるのは彼女の存在も大きい」

「しかし……フレデリック様も考えましたな……」

「……?」

「例のドラゴン。ラティムという子でしたかな? 人がドラゴンに変身するなんて、我ら聖竜教にとって冒涜的な存在ではありませんか。しかしをこちら側につかせるとは思いもよらなかったですぞ。つまりはその子は彼女の次……ということですな?」

「…………。……っ!!」

「確かに民たちにとっては英雄の存在は大事ですからな。その子がこの戦争で武勲を挙げればマルティナスのような存在になる。それにドラゴンという共通点が幸いししている。人がドラゴンになるというのは民たちにとって良い象徴でしょう。……おっと、私はここで別れます。それではフレデリック様、ごきげんよう」


 神官はフレデリックに別れの挨拶を済ませるとどこかへと去ってしまう。

 別れた後もフレデリックはその場で立ち尽くし、同時に顔をゆっくりと下に沈める。

 聖竜教は人とドラゴンとの繋がりを象徴する宗教だ。

 だがそれも長い年月と共に歪みがおき始めているということを理解してもこの大きな流れに抗うことができない。

 フレデリックはそんな無力な自分に嘆くことしかできなかった。



 ――



「全く忌々しい! あの金髪小僧めがっ!!」


 二本足で走る巨大なトカゲ、リザードバックが引きずる車の中でバスクトが怒りの表情で座っていた。

 彼の怒りはもっともであり、元々仲が悪かったヴォリックにコケにされた挙句、戦争の主導権を実質的に握られていることに腹を立てていたからだ。

 フレデリックの計らいによって指揮権を執らせてもらえたが、ヴォリックのあの態度は本当に指示に従ってくれるのかという疑念が消えないのだ。


「ワシたちがあいつのために盾になれだと! バカにしおって!」

「父上、そこまでは言ってません」

「そう言っているのと同じようなもんだ!」


 座っても僅かに宙に浮いている足を思い切り揺らして近くにある扉を蹴る。

 溜まっていた鬱憤を晴らすように扉を蹴ったが、そのままバランスを崩して床へと転げ落ちてしまう。

 正面に座っていたリグルトは慌てて手を貸してバスクトを席へと座られると、鬱憤を晴らしたことで紅潮した顔は少しだけ収まっていた。


「父上、一つ疑問なのですが……」

「イテテ……。なんだ? 言ってみろ」

「今回の帝国の標的はウエスメイムではなくエリウムです。なぜ全面的に協力を?」

「なぜかって? なぜだ?」

「ですから、三連盟とはいえエリウムに交渉させる余地はあったはずです。状況的に見るならエリウムよりもこちらのほうが明らかに疲弊しています。なぜですか?」

「……決まっておろう。エリウムには恩がある。だから吾輩たちはそれに対して"義"で答えねばならん」

「"義"……ですか」

「そうだ。世の中には己の利のために働くものも多いだろう。だがそれだけでは民はついていけんし長も務まらん。目先に走ればいずれは足元を掬われるからな」

「その"義"の対象がイースメイムになっても……ですか?」

「……不服だが、それでも答えねばなるまい」

「…………」

「おっほん! リグルトよ。お前は我が一族から生まれたとは思えんほど頭がいい。その証拠にワシたちよりも背が高いしな! だがすこーしその頭が硬いのが問題だな。しかしそれもすぐにお前さんなら分かることさ。なんせワシの自慢の息子だからな! がっはっは!!」


 車の中で大きな笑い声をあげるバスクトを見て、リグルトは未だに納得できないような顔をしており、その視線をふと窓の方へと向けていった。


 ――


 木々が生える狭い森の中を幽霊のような浮遊する馬が馬車を率いて走っていく。

 駆けるその馬が通る先はまるで森が通してくれるように自らが退いて道を開いていっていた。

 そんな光景を窓からヴォリックがため息をつきながら静かに見ていた。


「ヴォリック様、お疲れですか?」


 ヴォリックの正面に座っている者が声を掛ける。

 その姿はバスクトと同じくらい背が低く、小さな眼鏡から疲れ気味のヴォリックを見つめていた。


「頭の悪い者と会話はいつも疲れる」

「……なるほど。それはご苦労様です。しかし今回の戦争に参加するとは思いませんでした。私はてっきり反故するのかと……」

「まさか。これは逆なのだよ」

「というと?」

「エリウムもバカなウエスもどちらも疲弊している。特にエリウムが持つ竜騎兵。今回の戦争で消耗させれば我々にとってかなりの利になる」

「……なるほど。今回の戦争でこちらは極力被害を出さずに勝利をすることで、そのパワーバランスを崩す、ということですか?」

「エリウムは今のところこちらに敵意を見せないが竜騎兵と聖竜教の力は無視できないほど脅威だ。我らが誇る魔術師でも戦えば無事では済まない。しかし、もしこれが成功すれば自ずとイースメイムがこの三ヵ国の中で最も力を持つことになる。いずれはエリウムも取り込みウエスを支配下に置きたいところだな」

「素晴らしい考えですヴォリック様。そうなるようこちらも戻り次第、案を考えましょう」



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