第27話
学院の門をくぐった先の光景は今まで見てきたのとはまた違う雰囲気にリリーは入ってすぐに足を止めてしまう。
門を通ってきた学生たちを出迎えるように目の前には大きな校舎が建っており、そこから左右に建物が伸びている。
校舎の中は思っていた雰囲気とは違い、かなり静かであり人の気配もない。
リリーは少し緊張気味に歩いていくと、校舎の中から僅かに人の声が聞こえてくる。
それは今の時間が講義中なのだということがわかる。
その声にリリーは興味本位で耳を傾けたが、喋っている言語は知っているのに内容がさっぱりわからない。
同じ言語のはずなのに別の言語に聞こえるような不思議な感覚をリリーは味わった。
(どうしよう……どこにいけばいいんだろう……。さっきの人にちゃんと聞けばよかったな……)
どこへ向かえばいいか聞くのを忘れ、さっきの人の場所まで戻ろうと振り返ってみるとすでにリリーと門の位置は遠く離れている。
ここに来るまで賑わっていた場所とは違う雰囲気にリリーの足は竦んでしまっていた。
この大きな敷地内の静かな雰囲気は何かがいそうな森の中とは違い、誰もいない冷たく無機質な空間にいるような錯覚を起こしていた。
慣れないこの空間の中にポツンと放り出されたような感覚はリリーの鼓動が少しずつ早くなっていくのを感じた。
(早く……早くピーコを探さなきゃ……)
この不安をかき消したいという気持ちがリリーの体を動かすように周囲をキョロキョロと見渡す。
すると校舎から少し離れた場所にポツンと建っている場所があった。
それは目の前にある校舎と比べて少し古ぼけており、建物の隅っこには苔が生えている。
この古ぼけた外観にリリーのいた村のような懐かしさを感じると、思わず足がそこへと向かっていく。
その建物は近くで見ると意外と大きく、扉は少し重苦しさを感じるデザインであった。
その場の勢いで思わずここに来てしまったリリーだったが意を決してその扉に手を触れると、ゆっくりと引いていった。
「うわぁ……」
開けた扉の隙間からリリーは中を覗き込むと思わず感嘆の声を漏らす。
中はレトロチックな内装をしており、壁際にはたくさんの本棚が並んでいる。
視線を先に向けると二階に上がるための階段が左右に伸びており、その二階もたくさんの本棚が顔をのぞかせていた。
二階側の窓から差し込まれる太陽の光がこの空間をほのかに照らしており、優しい暖かさに思わず中へとリリーは入っていく。
「おやおや……これは可愛い生徒さんですね」
横の物陰から静かな声でリリーに話しかけてくるのを聞いて、思わずビクりと体を震わせながらその方向に振り返る。
そこには黒をベースとした紳士服を身にまとい、短く整えられた白い髪が初老の男性だというのが分かる。
小さな足音を立てながらリリーに近づき、少し姿勢を低くして彼女を見るその男性の表情は柔らかく落ち着いており、その仕草は品性を感じさせた。
「あ、あの……」
「しーっ……。ここは図書館です。ここでは大きな声で喋るのはあまり好ましくありません」
いつもの元気な声を出そうとしたリリーの唇に白い手袋から伸びた人差し指を近づけて静かにと促す。
リリーは静かに頷くと眼鏡越しから見える細い糸目が優しい表情を感じさせると、小さな声なら大丈夫だと初老の男性は静かに言った。
「私はこの図書館を管理しているマッツという者です。お嬢さんはここの生徒ではありませんね?」
「えっと……初めましてマッツさん。わたしはリリーって言います。あの、この手紙をピーコに渡しに来たのです」
「ほう……」
リリーはポケットから手紙を取り出すと、マッツはその手紙を受け取ってまじまじと見つめる。
封蝋のデザインを見て、その手紙がどのようなものなのかを察したがリリーの言う"ピーコ"という人物に心当たりないか顎に手を当ててしばらく考え込んだ。
「……残念ですがリリー様。そのピーコという生徒は私にはわかりません」
「そ、そうですか……」
「ですがもしかするとその者を知っているかもしれない人なら丁度ここにいます。よければご案内しましょう」
「ほんとですか!」
「ええ。それではついてきてください」
マッツは持っていた手紙をリリーに返すと両手を後ろに組んで静かに歩き始める。
磨かれた黒い革靴の音を聞きながらリリーもマッツの後をついていくと、その先は二階の方へと向かっていく。
リリーは彼の後ろを歩きながらもこの図書館の中が気になるのかキョロキョロと見渡しながら歩いていく。
そんなリリーの興味を察したのかマッツも彼女のために少しだけ足を遅くしてあげた。
「気になりますか? ここの本たちが」
「え? えーっと……。はい。たくさんあってすごく気になります」
「ここは様々な分野の本がありますからね……。ところで本は好きですか?」
「うーん……。こういうの初めてで、読んだことがなくて……」
「なるほど。となれば、もしも機会があれば是非手にとってほしいものです。本はとても良いものです。何せこの年になっても知的好奇心が擽られます」
「ワクワクするってことですか?」
「恥ずかしながら。それほど魅力があるということです。……失礼、少し話過ぎましたね」
思わず興奮してしまったのか、マッツはそれを隠すように口を手に当ててその表情をリリーから隠す。
それを見たリリーはこの並び立っている本棚から一冊、手に取ってみたくなった。
というのもリリーの村ではこういうものが一切なかったというのを思い出していたのだ。
もしかしたら祖父の部屋にあったのかもしれない。だがそれは幼いリリーにとって興味を惹かれるものではなく、それを読むぐらいなら外で遊んでいたほうが楽しい。
そんなことを思い出しているとリリーたちは本棚が並ぶ場所を抜けると、その先には少し間が広い場所に出た。
一定間隔で長いテーブルと椅子が設置されているこの場所は自由に使えるスペースなのだろう。
さらに奥の方に進んでいき、その隅っこのテーブルの上に大量に置かれた分厚い本が見える。
大量の本が散乱し、囲まれたその中に帽子を深々と被ったヴィヴィが羽ペンを走らせている姿が見えた。
「ここにいましたか。ヴィヴィネル様、お客様です」
マッツに声をかけられ、一瞬だけヴィヴィは羽ペンの動きを止めたが、顔を上げずに開いた本に目を向けながらすぐに手の動きを再開させる。
「何?あんまり話しかけてほしくないんだけど……」
「リリー様が用事があると」
「……リリーが?」
雑音が聞こえないようにしているのか、深々と被った帽子から不機嫌な声で答えていたがリリーという言葉にヴィヴィが帽子を羽ペンでクイっと持ち上げながら顔を上げると、マッツの後ろいたリリーと目が合うと彼女は自分に向かって手を振った。
「リリーじゃない。なんでこんなところに?」
「あ……えっとですね……」
「まぁいいわ。ちょうどマッツさんも来てくれたし。えーっと……」
ヴィヴィはそういうと散乱した本を一つ一つ確認して、二つに分けていく。
テキパキと整理されていく本は見るからに難しそうな表紙をしておりリリーにはこれが一体どういうモノなのかさっぱりである。
やがて二つに分けた本のうち、数が多い方をマッツの方に力いっぱい押し出した。
「とりあえずこんなもんかな。マッツさん、悪いんだけどこれ片付けてくれる?」
「お安い御用ですよ」
「いつもありがとう」
ヴィヴィの感謝の言葉を受け取ると、マッツは両手で積み上げられた本をひょいっと持ち上げてしまうのを見て、リリーは思わず目を丸くした。
「それでは私はこれで」
マッツは大量の本を持ち上げながらそのまま片づけるために去っていくのをリリーは目で追ってしまう。
本の厚さはバラバラであるが、明らかに重量のある本たちを初老の男がこうも軽々しく持ち上げるということに驚きを隠せなかったが、逆に外の世界ではこういうものなのかも?という妙な納得をしてしまう。
「何突っ立ってるの。ここ、空いてるから座りなさいよ」
整理されたテーブルはすっきりとしており、ヴィヴィが隣の席に手をポンと叩きながらリリーに声をかける。
リリーは静かにヴィヴィの隣へと座ると、ヴィヴィもずっと集中していて疲れたのか被っていた帽子を脱いでテーブルに置く。
「ううう~~ん……。さすがに疲れたわね……」
顔全体を隠すような大きな帽子のせいで分からなかったが、ヴィヴィの茶色いウルフカットの髪の毛が露になり、窓から差し込まれる太陽によって少し光っている。
腕を大きく伸ばして深呼吸をするヴィヴィの前にはたくさんの紙に大量の文字が書かれていることにリリーは気が付いた。
「ヴィヴィさんはその、ここで何をしていたんですか?」
「何って調べものよ。魔術文字の」
「魔術文字……?」
「あぁそっか……あんた"こういうこと"何もわからないんだっけ?」
「すみません……」
「別に謝ることじゃ……」
二人の会話で静寂な空気に包まれていたこの場が少し微妙な雰囲気になる。
リリーが少し困ったような顔をしたのを見たヴィヴィは彼女の目の前に手を差し出すとそこから薄青く発光し始めた。
その光はやがて手首を囲むように丸い円が出来上がり、その外側にいくつかの文字が浮かび上がっていった。
「わぁ……」
「この魔法陣の外側にあるもの見える? これがさっき言った魔術文字ってやつ。この文字を組み合わせて使うといろんな魔術を発動できるってわけ」
「それってその紙に書いてある文字ですか?」
「まぁそうね。アンタって文字読める?」
「文字は……わからないです……」
「文字と知識とある程度の魔力があれば基本的なモノだけは一応誰でも使えるわよ。この浮かんでいる魔術文字も、アタシたちが使っている言語を崩した形になってるからね。ほら、この書いた文字とこの文字、なんか似てると思わない?」
「たしかに……なんか牛さんっぽいです」
「ふふ、なにそれ。こういう文字をね、こんな感じで組み合わせて……そのあとに魔力を流し込むと……」
ヴィヴィはアバウトな解説を挟みながら手に発現している魔術を実演してみせる。
その魔法陣の外側にいくつかの魔術文字を発現させ、それらを適切な位置へと組み合わせていくと魔方陣の色が青から赤へと変わり、そしてヴィヴィ手のひらから小さな火が生まれた。
「ほらできた」
「わぁ!すごい!」
「まぁこんな感じよね。あとは周囲の魔気の属性に合わせればもっと魔術の質も高くなる……。あ、ヤバッ……」
ヴィヴィは咄嗟に手を握って魔術を解除し、火を消して立ち上がる。
これを誰か見てないかとキョロキョロと見渡し、周囲に誰もいないことを確認すると安心したのか、大きく息を吐きながら椅子に座りなおした。
「そういえばリリーってアノマリティーなんでしょ? 魔力量が元から多いっていう」
「そうらしいです」
「ふーん……。それならアンタ次第だけどこの学院で頑張って勉強すればの結構イイ魔術師になれるんじゃない」
「う~~ん……」
「まぁでも、ここに入ったからといって無理して魔術師にならなくても別に問題ないしね。ここには魔術に関して色んな分野が集まってるし。植物学に薬学、それに歴史学……まだまだあるけど面白いところだとモンスター学とかもあるし」
「ヴィヴィさんは皆とそういうの勉強しないんですか?」
「えっ? しないわよ?」
「え?」
「だってアタシ、ここの授業全部終えてるから。自慢なんだけどここではアタシって首席なのよ」
ふふん、と両手を脇につけてドヤった表情でリリーに顔を向けた。
「だからこういう場所で一人で何やっても言われないわけ。まぁアタシはドラゴンの特殊個体に選ばれるほどだしね。それで竜騎兵団に入ったってわけ。つまりアタシは天才ってことなのよ」
「は、はぁ……」
ヴィヴィの自慢はリリーにとって実感がわかないほどスケールが大きく思わず目が点になってるのを見て、ヴィヴィはふと我に返ったようにリリーに声をかけた。
「そういえばアタシに用があるって言ってたけど、なんかあったの?」
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