第19話

 この大陸には四つの国が存在している。

 西に存在するその大地には緑が少なく乾いた荒野に切り立った山々。岩と砂による過酷な環境に様々な部族が住み、それらが一つになったウエスメイム。

 東には森の海と呼ばれる大樹海が存在し、豊かな環境の中に身を隠すようにひっそりと作られたイースメイム。

 そしてその両国に挟まれる形で生まれたドラゴンを信仰する国、都市国家エリウムがそこにはあった。

 西と東は環境の違いから価値観が合うことがなく、両者はいがみ合いを続け、関係を築くとこはなかった。

 だが南に作られた帝国による侵略戦争を受けると、各国が力を合わせなければならない状況になった時にエリウムが両国にうまく懐柔し、協力関係になったことでバラバラだった国は一つの連盟国として力をまとめあげた。

 侵略戦争を退けて現在は休戦という仮初の平和であるが、それを手に入れるためにエリウムが所有する竜騎兵団の活躍は凄まじかった。

 帝国にとっては東西にある国に比べれば規模が小さいエリウムが最も危険視されているという状況の中でそこに訪れようとしている帝国の馬車が向かっていた。

 事前の通達によって帝国の馬車は円滑にエリウムの領内へと入っていく。

 しばらく馬車が走っていくと目的地である場所へと辿り着き、停車する。

 そこには大きな神殿が建っており、その周囲には警備兵が帝国の馬車を監視するように警戒していた。

 側近であるウィスパーが扉を開けて先に降り立つと周囲を警戒し、安全を確認した後にオルトランがゆっくりとした動作で馬車から降りてくる。


「…………」


 その姿を見た警備兵たちは思わず眉をひそめてしまう。

 その風貌は奇抜であり知らされていたとはいえ、本当に彼が帝国から送られてきた使者なのかと疑問を抱いてしまうほどだった。

 やがて馬車から降りたオルトランたちを見て一人の警備兵が駆け寄ってきた。


「帝国の使者の方ですね。お待ちしておりました」

「…………」

「あ、あの……」


 警備兵の言葉がまるでオルトランの耳に届いてないような、そんな素振りで目の前にある神殿をジっと静かに見続けていた。

 時には首の角度を変えて神殿を舐めるように観察をしているその光景は、警備兵たちに異様な雰囲気を感じさせるには十分であり、表情の模様がぐにゃりと変わっていくだけでその男の行動が全く読めない。


「警備兵の方、お気になさらず。オルトラン様は何かに興味を示したらいつもああなのです」

「は、はぁ……」


 側近のウィスパーも彼の行動に慣れているのか、全く動揺を見せない顔をしている。しかしその場から動かずひたすら神殿を見ているオルトランにさすがに痺れを切らしたのか警備兵が少しだけ前に出て声を掛けた。


「オルトラン様。中でフレデリック様がお待ちしております。そろそろ……」


 警備兵のその言葉を聞いたオルトランはピタりと動きを止め、体は静止したままゆっくりと顔だけを警備兵の方へと向ける。

 顔だけを向けた表情の模様は好奇心を表現しているのを感じ取れていたが、そういった雰囲気から一転、蠢いている模様の表情がピタリと止まっている。


「……っ!」


 これを言葉にするのであれば表情がない無の顔をしているというのが適切だろう。

 こいつは今どういう感情でどういう気持ちなのか。そういったことが一切読めない。

 人間味が全く感じられなくなったオルトランはひたすら警備兵のことをジっと見続けていた。

 目の部分がないためどこに視線に目を合わせていいかわからない。ただ彼の顔から感じる視線は背筋が凍ってしまうほど冷たいのはわかる。

 周囲の警備兵も只ならぬことに警戒を強めていくが、オルトランに睨まれた警備兵のみがこの異質さを直感で感じ取った。

 こうなる前の雰囲気はまるで子供のような存在であり、おもちゃを与えられたようにはしゃいでいるような状態であった。

 今はそのおもちゃを取り上げられたような反応に近い。

 ただし、取られた持ち主は子供ではなく化け物であったということに警備兵はここで初めて思い知ったのだ。

 止まっていた顔の模様がピクピクと動き始める。

 その模様から一本ずつ生えてきて計三本が顔の外側へと広がっていく。

 それを見続けた警備兵は透明で冷たい触手が顔に触れ、肌を通り過ぎ、体の中へと侵入していく。

 体の中に侵入した触手はやがて内臓の外側へと到達するとその触手はゾリ……ゾリっと撫で始めていった。感触は冷えた不快感があり、全身から嫌な汗があふれ始めてきた。


「う、うぅ……。……。……はっ……!」


 悍ましい感触が脳を痺れさせていった時、ふと警備兵は我に返る。

 そこにはオルトランの肩を掴んでいるウィスパーの姿があった。


「そこまでですよ」

「…………」


 側近のウィスパーが止めに入ったおかげで、悪夢のような出来事から抜け出せた警備兵は思わず後ずさりをし、手で腹を撫で自分が正常であるかを確認していった。


「…………君は」

「……?」

「君は私の近くにいるウィスパー君みたいにとても仕事熱心なんだねぇ」

「……は、はぁ」

「何? その顔は。私は褒めているんだよ? 仕事熱心なのはいいことだ。嫌いじゃない。好きでもないけど。……まぁいいさ。仕事熱心な君に免じて君の役目をさっさと終わらせてあげるよ。それじゃあ行こうかウィスパー君。もう十分楽しんだよ」


 オルトランが警備兵の顔から離れると労うように彼の肩をポンと叩いて先へと進んでいく。


「彼は気分が悪いみたいだ。誰か別の案内する者、いないのかい?」


 先へと勝手に進んでいくオルトランを見て、他の警備兵が案内役として急いで行動を始めていく。

 そんな中、オルトランに睨まれた警備兵は彼が離れてからようやく体を動かせるようになると全身から嫌な汗が噴き出してきた。


「おい……大丈夫か?」


 他の警備兵が彼に近寄るとその様子を心配するように彼を見る。


「ああ……。大丈夫……なんとか……」

「なんていうか……災難だったな。帝国の野郎、あんな奴を送り込んで何考えているんだ?」

「さぁ、だけどアイツは異常だ……何故かはわからないけど」


 オルトランとの距離が離れるにつれて警備兵も体が軽くなっていく。

 そんな中で彼らは祈っていた。あの異常な存在がこの後に問題を起こさないことを。



 ――


 空を飛んでいたリリーたちは徐々にエリウムの内部が鮮明に見えてくる。

 周囲を大きく囲う城壁を通り過ぎると、たくさんの人たちが商人と話をしている光景がをリリーたちは上から見下ろしながら通過していく。

 商業地区を通り過ぎそのまま中心に近づいていくと下町へと移り変わり、その道を走り回っている子供たちが目に入ってきた。


「わぁ……」


 リリーのいた村の時とは全く違うと言っていいほどの活気とこの風景、そしてラティムを除く自分以外の近い年の子を見るとリリーはいかに自分がいた村が特殊な場所であったということが分かる。

 そんなことを思っているとエリウムの奥側に見える神殿に近づくにつれて徐々に高度を下げていった。

 その神殿の外装はドラゴンをモチーフにした像などが施されており、ドラゴンを信仰しているというエリウムを象徴しているようであった。



 アイリスはゆっくりと神殿の入り口付近に降り立つとリリーたちが背中から降りたのを見て急に小さくなっていった。


「グイィ……」

「おっとっと……」


 幼体化したアイリスはそのままベリルの方に向かうと、最後の力を振り絞るように彼の胸に飛び込んでいった。


「かなり飛ばしたからね……。お疲れ様」

「グゥ……」


 体を丸め、もう動きたくないというのを体で表しているようであり、そんな彼女の疲れを労うように顎などを撫でてあげる。

 ベリルの撫でる手に気持ちよさそうに目が緩んでいるアイリスを見ていると、ふと隣に一人だけいないことにリリーは気が付く。

 キョロキョロと辺りを見回すと、それはピークコッドがこの場から静かに離れようとしていたのだった。


「どこいくんですか?」


 少し大きめの声でピークコッドに話しかけるとピークコッドはビクりと体を震わせながら静かに三人の方へと振り向いた。


「いやぁ……まぁ、ここまで送ってくれたことにはすごくありがたいんだけど、今ちょっと学院の方に行かなきゃいけなくてさ……。いろいろお世話になったけど俺はここで解散するよ。今までありがとうな!」

「あ……」


 リリーはピークコッドを引き留めようとしたが、何かに焦っているのか彼はすぐにこの場から立ち去ってしまった。


「このローブ、返す暇なかったね」

「……」


 リリーはラティムが着ているローブを見て、これをいつ返そうかと考えていると

 三人の背後からゾワりと寒気が立つ感覚に襲われる。

 暖かい陽気の中で起こったこの違和感に三人はすぐに後ろを振り返ると神殿の方から二人の男性が外に出てくるのを見た。


「…………」


 一人は目を引くほどの異様な雰囲気を漂わせており、神殿から出て外気に当てられたのか気だるそうな様子で階段を下りていく中、その人物はリリーたちの存在に気が付いたのか彼らを横目で見ながら近くに止めてある馬車へと向かっていった。


「ん~~……」

「何をしているんですか?」


 馬車に乗る手前で立ち止まると、その人物の側近である人が後ろから声を掛ける。

 その者は少し考えたような素振りを見せた後、別に? 一言だけ言うとそのまま馬車の中へと入っていった。


「あれは帝国の者か? あんな奇抜な奴は初めて見たな……」


 彼らが馬車に乗り去っていくのを三人は異様な雰囲気に戸惑いながらも、ベリルは気を取り直してリリーたちを神殿内へと案内していった。

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