第16話

「さすがにもう変なのはいないわよね」


 夜の道をマルティナスとリリーの二人で歩き続けている。

 彼女の姿は先ほどとは違い、鎧はすでに外しており軽装の恰好でリリーの隣を歩いている。

 きっかけはリリーの服や体が汚れており、それを見たマルティナスが水浴びをしようという提案だった。

 ラティムもついていこうとしたが、さすがにそれはまずいためピークコッドとベリルに止められ、彼はお留守番である。


「まぁ何か出てきても、私とグローリーがいるから心配しなくて大丈夫よ」

「……はい」

「……もしかして彼、ラティム君のこと気になる?」

「え?」

「顔にそう書いてあった」


 マルティナスの言葉にちょっと驚いて、思わず両手を頬に当てる。

 そんな様子を静かに見ていたグローリーがパタパタとリリーの前で来ると、その胸に飛び込んだきた。


「わわっ!」

「……グゥ」


 グローリーは翼を閉じ小さい体を丸くする姿勢になり、リリーは落とさないように抱きかかえる。

 見た目とは裏腹に重さをほとんど感じなく、グローリーの体温がほんのりと伝わってくると、どこか安心するようなホっとした気持ちになっていく。


「あらら……まぁ今日はいろいろあったし、グローリーも疲れてたのね。リリーちゃんごめんね。しばらく彼を抱っこしてあげてもいい?」

「大丈夫です。それにこの子、とっても優しいんですね」

「……そういえばリリーちゃんってモンスターと話せるってピークコッド君から聞いたけど、それってこの子の声もわかるの?」

「はい! わかりますよ。……それっておかしいんですか?」

「う~~~ん。ドラゴンと意思疎通できるのって聖竜教から選ばれた者しかいなくてね。その集まりが私たち竜騎兵団ってこと。初めからできる人は今までいなかったかも」

「そうなんですか……。そういえばドラゴンさんとお話したのは初めてだね」

「グァ……」

「ドラゴンは今は竜騎兵団にいる分しかいないからね」

「え? なんでですか?」

「ドラゴンと人はね、大昔にお互いを助け合うっていう約束をしたのよ。いわゆる共生関係ね。だから今いるドラゴンはこのグローリーにみたいに人に合わせて小さくなったりできるようになってるわ。詳しいことはフレデリック様に会って聞けばわかるわよ」

「へぇ~……」


 マルティナスとの会話が弾み、緊張していたが心が緩んでくるといつの間にか目的地である水浴び場へと到着する。

 そこは森の中に広い湖があり、水面が夜空で光る星たちで反射している。

 澄んでいる湖から吹かれる夜風は程よく涼しく、リリーの髪をすり抜けていった。


「ガァ!」

「それじゃあリリーちゃん、準備するから服を脱いでおいて」


 グローリーはリリーから離れると体を冷やさないように焚火に火を起こしていく。

 リリーは着ていた服を少しずつ脱いでいき、やがて下着姿になると湖の近くで座って待っていた。

 夜空を反射する湖と焚火の明かりで自分の姿を改めてよく見ると、あの横穴で一晩過ごしたせいか腕や足は土塗れであり、熱がこもっているように感じる。

 準備ができたのかマルティナスがリリーと同じような下着に近い姿で湖で濡らしたタオルを持ってきてリリーに手渡した。


「よいしょ……」


 まずは顔を濡れたタオルで顔を覆うと頬などを優しく拭っていく。

 冷たく濡れたタオルが心地よく、何回かそれを繰り返していった。

 そのまま首元、そして腕へとタオルを動かしていく。


「うわぁ……」


 腕の全体をタオルで拭っていくと、タオルには汚れがかなりついており自分が想像よりも汚れていたことを自覚する。

 ふと、その時に水浴びなどこういう場で人と一緒にいたことがなかったことを思い出す。

 物心ついたころにはすでにリリーの近くにはモンスターたちと過ごしたのがほとんどであり、こういう場でも何も思わなかったのだがチラりと横を見ると、そこにはリリーが隣にいても手慣れた手つきで体を拭いていくマルティナスの姿が見え、思わず目が釘付けになっていた。


「ふぅ……生き返るわぁ」


 村の人たちは年齢が高く、マルティナスのような若者はいなかったためか彼女みたいな人はリリーにとって珍しく、その体をつい見てしまっていた。

 背は高いが座高が低く、隣に座っているリリーが少し顔を上げれば彼女の表情がよく見える。

 その近くでよく見るとマルティナスの右目から頬にかけて深い傷跡があり、少し痛々さを感じさせる。

 細身の体格をしているが鍛えられているのかその腕や足の筋肉は引き締まっており、腹筋も割れている。

 彼女の体から溢れる力強さは赤く染まっている瞳と髪の色がそのことを増長させていた。


「…………」


 一方リリーは自分の体と見比べるとその体格はまだ幼く、かなり細い。

 しかも今の自分の体はかなりマルティナスよりもかなり汚れており、その汚れの酷さが拭いたタオルに痕跡として残っている。

 それを見てどういうわけか恥ずかしさを感じると、リリーはそれを振り払うようにタオルで体を拭く動作が早くなっていった。


「背中は大変でしょ? 私がやってあげる」


 体の前の部分はほとんど拭き終わるとそれを見たマルティナスが声を掛けてくる。

 リリーは言われるがままに背中を差し出すと、マルティナスが濡れたタオルで拭い始めていった。


「ん……っ!」


 濡れたタオルの冷たい感触が背中を伝わり、思わず声を漏らしてしまう。

 だがそれも一瞬であり、タオルを上下に優しく動かされるこの感触は気持ちがよく、顔が緩んでしまう。

 ふと目の前を見ると、そこには夜空で照らされる湖の景色を見てあることを思い出していた。


「……わたしの知ってるの湖と全然違う」

「ん? リリーちゃんはその……住んでいる村から出たことはないの?」

「……おじいちゃんとの約束でダメって……」

「そっか……」

「でも、楽しいことはいっぱいありました。バンティちゃんと冒険したり、お友達と湖とかで遊んだり、お花を探したり……山にいってみたり……夜はおじいちゃんがおいしいごはんを作って待ってくれました。みんな優しくて、お手伝いしたら喜んでくれて。お外のこと。気になってたけどみんな優しくて楽しかったからそれだけだった。

「…………」

「それで、ゴーストちゃんたちがラティムを見つけて、お話したら友達になって……でも」

「……うん」

「"あの人"たちが来て、それで、それで……」


 自分のことを少しずつ話していくうちにリリーの目から涙が零れていくのを後ろから見ても分かる。

 今まで抑えていた気持ちが限界に達したのだろう。

 日常が壊されるかのように帝国兵に連れ去られ、山を越えて逃げ出し、そしてリリーの村の現状を知る。

 森で出会ったラティムはまるで弟のような存在であり、それによってある種の責任感が芽生え、彼を守るために辛い気持ちをグッと押し殺していたのが震える背中を見ても分かる。


「うぅ……。おじいちゃん……みんな……」


 抑え込んでいた心の扉が決壊したかのように、リリーの中で悲しい気持ちが溢れ出てくる。

 祖父たちは今どうなっているのか。

 自分はこれからどうなってしまうのか。

 疑われているラティムを守ってあげることができるのか。

 どうすればいいのか、という考えは涙を手で拭っても全くわからない。

 溢れ出る悲しい気持ちは止まることはなく。まるで出口のない部屋に閉じ込められたかのような、そんな答えがない狭く圧迫した感情が頭の中をぐちゃぐちゃにしていった。


「……よく頑張ったね」


 背中からマルティナスの手が伸び、リリーの体を包み込んでいく。

 冷たく震える体を暖めるかのように優しく少女の体をマルティナスは抱いた。


「リリーちゃんは本当に頑張った。偉いよ」

「…………」

「大変なことも、辛かったこともあったね。でもねもう大丈夫だから」

「…………」

「村の事とか、ラティム君の事とか。これからは私たちに任せていいんだよ。だからね、今はたくさん泣いていいから……」

「……っ。あぁ……。ああああっ。うわああああっ!!」


 リリーはその言葉を聞いて大きく泣いた。

 それは先ほどよりも流した涙よりも大粒であり、枯れそうな勢いで声をあげて泣く。その様子はこの幼い少女に圧し掛かっていたのがあまりにも重かったのがよくわかる。

 マルティナスは気が済むまで泣き続ける彼女の体をいつまでも優しく抱いてあげたのだった。



 ――


 あの後もリリーはしばらく泣き続け、落ち着くまでかなりの時間が経っていた。

 すでに二人は着替えを済まし、冷えた体を焚火で温めている。

 そんな中リリーの目元はすっかりと赤く腫れてしまっており、マルティナスはその顔を濡らしたタオルで優しく拭いてあげていた。


「落ち着いた?」

「うん……」

「どれだけ溜め込んでいたのよ全く……。でもこれからは辛いことあっても私たちに頼りなさい」

「はい……」

「……ふふ」

「……?」

「いやね。私に妹がいたらこういうこと、してあげられたのかなって。そう思ったのよ」

「妹……。……お姉さま?」


 心の荷が下りたのか、リリーはふと思ったことを口に出す。

 それは村にいた時に祖父が教えてくれたことであり、祖父の考えではいずれは自分のことをお爺様と呼ばせたかったようだ。

 そんなことを思い出し、マルティナスに対してお姉さまという言葉をポツリと呟いてしまったのだ。


「…………」

「……? 変……ですか?」

「……ね……」

「え?」

「いや、正直かなり嬉しいわ。もう一回言ってみて?」

「……お姉さま」

「…………」

「……あの、やっぱりやめようと……」

「いや、いい。そのままでいいから。そうね、私もこれからは"リリー"って言おうかしら。そうすれば姉妹っぽいでしょ?」

「……っ!。はい!」

「そうだ! いいこと思いついた!」


 マルティナスはそういうと持ってきた袋の中から髪留めと櫛を取り出す。

 それは彼女が使う髪留めの予備のモノであった。

 マルティナスはリリーの後ろに回ると彼女の青い髪を丁寧に梳かしてあげた。


「そういえば髪の色が青って珍しいわね」

「そうなんですか?」

「そうね。大体が黒か茶色か金ね。私みたいなこういう色はあまり見ないかも」

「それじゃあ、わたしたちはお揃いですね!」

「……たしかに。珍しい者同士、もっと姉妹っぽいわね」

「えへへ……」

「さて、と」


 リリーの髪を梳かし終わると、持ってきた髪留めを使って結んでいく。

 その形状はマルティナスと同じポニーテールに仕上げていった。

 完成したそれを二人は湖が反射しているのを利用して互いの姿を水面で確認していく。

 形は同じであるが、長髪であるマルティナスに比べてリリーの髪は短く作られているが、逆にそれのおかげでより姉妹感が強調されている。


「うん。我ながらいい感じに出来てる……」

「お姉さまありがとう!」

「リリーもだいぶ元気になったね。よし、それじゃあ皆のところに戻りますか」

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