第5話 女王の薔薇園の甘い罠

コンセンス王国第二近衛騎士団では、弓や槍などの遠隔攻撃の武器の演習をよく取り入れている。

それは、指揮官のような役割を押し付けられているコンセンス王国第二近衛騎士団員ニコライ ラヴェレンチが、狩猟の盛んなロハ出身で弓や槍の使い手だからというわけではない。

そもそも、ニコライが第二近衛騎士団の所属をした20年以上前よりこのような演習は盛んに取り入れられていたのだ。

近衛騎士団の歴史について詳しくは知らないが、元より第二騎士団は、後方支援のために組まれたのかもしれない。

このような経緯について知っている人物となると、第二近衛騎士団設立以降、ずっとこれを率いてきたルキウス プルケル コンセンス王国第二近衛騎士団長に伺うのが相応しいが、今日も今日とてその姿は演習場になく、もう最近では「指揮を頼む」なども言わず、「しばらく離席するのであとを頼む」などと曖昧に役割を押し付けたまま行方が知れない。近衛騎士団の歴史を教示いただきたいなどと言ったところで「面倒じゃ」などと一喝されるに違いない。

などと、暇つぶしの思索をしていると、目の前に矢が飛んで来て「ヒィっ」とニコライの喉から変な息が漏れた。それほど勢いがなかったため大事には至らなかったが、弓を射る場所より後方にいるはずのここになぜ、矢が飛んでくるのだろう?と落ちた矢を拾い上げる。

「すっすみません」

と頭を下げたのは、第一近衛騎士団員ルナ ワイルダーだ。赤い髪を馬の毛のように結い上げた娘のような年頃の女性がこちらに近づいてくる。

「いや、それにしても何故こんな見当違いの場所に飛んでくるのか?一度姿勢を見てみましょう」

というと、ルナは

「はい、ぜひ!」

と、にこやかに笑うと手にした弓を持ち上げた。

「うぅぅ…」

ルナは険しい顔をしながら弦を引き絞った。

「……」

これでは、確かにあの結果に至るのかもしれない。引き絞る両腕がビリビリと生まれたての馬の如く揺れていた。矢は右腕と左腕、どちらの腕も引き合いながら放ち、収縮の力で飛ぶ。どちらの腕も力が充分でなければまず放つことさえ難しいのだ。武器庫から、練習用のゴムが張ってある棒を二つ取り出して一つを渡した。

「まずこの腕の力を強化する器具で、弓を射るのに必要な腕の力と、胸を張るための筋肉をつけましょう」

棒を左手に持つと、利き手でゴムの輪を引き絞り、腕を引いて戻すという手本の動作を見せた。

「はい」

ナは手本の通りに両腕に均等に力を入れて緩める。

「うん。基本姿勢は取れているから、この練習を続ければそのうち弓矢が上手く飛ぶようになるよ」

ルナは何度かゴムを伸ばしたり緩めたりを続けて、ため息をつき、

「ニコライ先輩……これ、退屈すぎます」

と呟いた後、思いついたように目を輝かせ、腰ベルトに巻いたクナイを目に見えないような速度で取り出すと振り返り

カッカッカッ

的の中心に三本とも当てた。

「この方が早くないですか?」

屈託なく笑う彼女に

「そっそうだな……」

こちらも苦笑いをするしかなかった。



しばらく演習を続けていると、頭上から

ひゅるるる~

矢が降ってきた。慌てて前にステップを踏んで振り返れば、先ほどまでいた場所に矢が突き刺さっていた。今度は、矢に勢いがあり少しヒヤリとした。

すると駆け足で薄茶色の髪の毛の少年が近づいてくる。

今年度の近衛騎士団の実技テストで、ベスト8に残る結果を残し、第三騎士団から異例の第一騎士団に異例の昇格をしたジェイク テイラーだった。

「申し訳ございません。ニコライ ラヴェレンチ様。お怪我はありませんでしたか?」

年はまだ15だったか。あまりきつく言うのも子供をいじめているようで気が咎める。

「いっいや…大丈夫だ。それにしても、何故こんな見当違いの場所に飛んでくるのか?一度姿勢を見せてくれるかい?」

と聞くと

「はい」

と素直に答えて手にした弓を持った。

「ん?」

ジェイクは、その場に仁王立ちになって弓を天に向けるかの如く構えた。

「何か、変でしたか?」

何か…というより、そもそも全てがおかしい。

「その姿勢からどのように射っていたのか?」

興味本位で聞いてみると、大太刀を構えるか如く顔の目の前の弓を力任せにビーンとひくと、肩で力任せに押し出した。まるで投石をするようだ。確かにその無理やりな体勢からでは、矢は天に向かって弧を描くように飛び出すだろう。

お手本を見せようと、ニコライは的に向かって真横に姿勢を取り、両足で地面をしっかりとつかむと、両腕をダンスのように優雅に上げた。そのままスッと目の高さまで腕を下ろすと、肩や弓を掴む手を力ませず、弓と弦をそれぞれ水平になっているのを確認した。胸と背中の筋肉を動かし、腕の筋肉と連動させ弦を引く。的に照準を合わせると頬に弦を擦るように固定させ、引き絞った力で矢を放った。

シュン

と小気味よい音を残して、矢は的に吸い込まれるように中心に刺さった。

「なるほど……確かに美しい」

感想を述べたあと何やら考え込むようにジェイクは首を傾げた。

「どうかしたのか?」

何やら、ブツブツと口の中で思慮した後

「見ていてください」

思いついたように、弓を横に構え、引き絞って矢を放つ。少々雑だが先ほどよりましか…などと思っていると、やはり矢は当たらず横に逸れた。すると、矢の行方を確かめるや否や、

ジェイクは背中に刺さった大剣を抜き、無傷の的に向かって

「やぁあぁ!!」

威勢のいい掛け声とともに大剣を振り落とし、剣で的を真っ二つに斬った。下弦の月のようになってしまった的の横でにこにこしながら

「これで、矢が当たらなくても倒せますよ」

笑った。

「……あぁ、そうだな。あははは」

ニコライも、もはや、笑うことしかできなかった。



コンセンス王国第三王子でもあるコンセンス アスラに近衛騎士団の実技テストに出たいから弓を教えてくれと頼みこまれたときは困惑したが、今となってはアスラ王子には弓の才があるのではないかと思う。アスラ王子は元々美しい出で立ちだが、弓を持ち静かに呼吸を集中させるときのその顔は思わずドキリとしてしまうほど美しい。幼い頃から剣術を初め武術が好きではなくやったことがないというが、弓術においてはそれが上手く作用しているようだ。肩などに余計な力が入っていない。長い手足も、バランスを取るのに優れている。大きな空色の瞳が的の中心を捉え一直線に矢は飛んだ。

「ほら、一番中心の的、三回連続で当たったよ」

素直に喜ぶ心根の真っすぐなところも、上達が早い所以なのかもしれない。

「むぅ」

隣でアスラ王子とともに、弓の演習をしていたグラス リオ第一近衛騎士団員が少し口を尖らせた。アスラ王子が挑発しているとでも感じたのだろう。実際は子供っぽいただの喜びの感情なのだろうが、つくづくアスラ王子は損なお人柄である。リオは深く呼吸をすると、姿勢を整えた。足を左右に開くと腕を上げて下ろす。胸を張り頬の横で引き絞ると、黒い瞳をカッと見開き引き絞った弦から矢を放した。矢は真っすぐに中央に刺さった。

「ほぅ」

ニコライは思わず唸った。確かに型どおりで美しくはないが、リオの放つ矢には真摯で曲がらない姿そのものを映したような誠実さを感じた。そして良く晴れた青い空に、一点違う蒼を見つけて、ニコライは大きな声を上げた。

「打ち方止め!」



しばらくすると、タコイーズブルーの翼を持った冠羽が特徴的な青い(カレルレウス)鳥(アゥイス)が演習場に飛んでくるのがはっきりと見えた。女王が第二王子でもあるコンセンス王国第一近衛騎士団長コンセンス シォドアとの伝達に使っているのを見たことがある。青い(カレルレウス)鳥(アゥイス)はその美しい体をリオの肩に優雅に降り立った。

「久しぶりだね。テト」

肩に乗った青い(カレルレウス)鳥(アゥイス)にリオが話しかけ頬を擦り寄せると、青い(カレルレウス)鳥(アゥイス)はキュイキュイキュイと甘えた声を出した。リオは青い(カレルレウス)鳥(アゥイス)の足環に、メモが結ばれているのを見つけ、開いてみる。一瞬、驚きと、訝しい表情を浮かべたあと、胸ポケットから携帯用の万年筆と紙片を取り出すと、何かを書き留めて足環に結んだ。そして胸元から笛を出すと

ピイィィー

と鳴らした。青い(カレルレウス)鳥(アゥイス)が飛び立つと、リオはニコラスに

「今日は演習に参加させてもらってありがとうございました。急用が出来たので失礼します」

挨拶をすると、いそいそと立ち去った。



女王宮に着くと、扉を守る女王の直下の兵である王衛にサインの入ったメモを見せる。入口にいる王衛に、腰ベルトに刺さっている短剣と長剣を外すように言われ大人しく手渡すと、重たげな鉄の扉が開いた。扉の内側には、黒のメイド服を着た侍女が待機していて

「こちらへ。リオ様」

にこりともせず無表情で案内される。

女王邸の中は、壁も床も天井も白い大理石でできている。床にだけ毛足の長い真っ赤な絨毯が敷かれている。隣接するアスラやシォドア団長の邸宅にはリビングや、寝室、客間や書斎などのドアが付いていたのに対し、女王宮は廊下には扉が一つもない。侵入経路を断つためだろう。長い廊下の先に、王衛が待つ唯一の白い扉がある。侍女がメモを見せると、仰々しい扉を開けるための慣習の後、重い扉は開かれた。

以前の眩しい結界を思い出して、反射的に目を細めたが、結界も敷かれておらず、王座を囲むカーテンは開けっ放しで空席だ。緑のベルベッドの布が敷かれた白い椅子だけが壇上にあった。

――リオ グラス殿 女王宮まで一人でお越しください コンセンス アリア

端的に書かれたメモに、どれだけ火急の要件かと冷や汗が止まらなかったので、この状況には力が抜けた。ふと横を見ると、大きく開かれた窓から広い庭が見える。

コンセンスの時期王として育てられた者の顔は、危機管理のために知っている人は数少なく、王となった後の外交時になども顔を隠すことが一般的らしい。王衛がその姿を隠すのは、王の影武者をするためなのだ。王衛を目指す年上の第一近衛騎士団員が言っていたことを思いだす。

勝手に出歩いて、うっかり女王の姿を見てしまったら、不敬に当たるのかもしれない。入った途端に閉じられてしまった入り口と、そこに開きっぱなしの窓を交互にながめていると、

「リオ、来たのだろう?こっちにおいで」

聞きなれた声がした。その声に釣られるように庭にでる。庭には春の暖かな日が差し込み、思わず手で影を作る。眩しさに目が慣れると、少し離れたところで、芝生を蠢く人影と、傍らのテラステーブルに座る小さな影が見えた。

「はいよーーようよう」

幼い子どもの声がする。

「わっわかった。ノアっやっやめてくれ!いっててて…父上の耳は飾りじゃない!」

その下で馬のように四つん這いになって、ノアと呼ばれた幼児が、背中に乗って騒ぎ、馬乗りになった人の特徴的な耳を掴んで喜んでいる。

「何をなさっているのですか……?ルキウス第二騎士団長……」

耳を赤くして幼児の相手をするその姿に、思わずこみ上げる笑いを堪えつつ聞いてみる。

「何を……とみればわかるだろう。お馬さんごっこだ。いっててて……こらっやめなさい!ノア!」

まだ、叱られているということが理解できないのだろうか、ノアはルキウス団長の反応が楽しいらしく、小さな足をバタバタして喜び、ルキウス団長の脇腹を打ち付け、そのたびにルキウス団長は、うぅとかぐぬぬとかいう小さなため息を漏らしている。

「楽しそうで何よりです……」

去ろうとすると、耳を赤くしたルキウス団長が上目遣いの涙目で

「助けてくれ……」

懇願する。



「まてまて」

ノアは、子猫のようにズボンに束で差し込まれた猫じゃらしを追いかけて、ドタバタと走る。

「はあぁぁ……」

ルキウス団長はテラステーブルで一息つき、冷めた紅茶を一気に流し込んで乾いた喉を潤しポケットに入っていたハンカチで顔を拭った。

「こっち、こっち」

私は時折振り返り、猫じゃらしの尾の生えた尻を揺らしながら、ノアが追いつくのを見守る。

「それにしても、リオがこんなに子どもの扱いが上手いとは……」

濁された語尾に、これからもちょいちょい呼び出して使ってやろうという言葉が伏せてあるような気がして背中に嫌な汗が噴き出る。

そもそもこの二人は誰なのだろうか?追い掛けてくるノアと、ルキウス団長の目の前にちょこんと座り、我関せずと分厚い本を開く二人の子どもを盗み見た。

誰なのかにはその出自は含まれない。聞かなくとも、その特徴で誰の子なのかははっきりしているからだ。私を追ってくるノアは、銀髪、銀眼、尖ったエルフの耳を持ち、ルキウス団長が父である。もう一人は何も言わないが、赤褐色の肌と赤みがかった長い髪を持ち、醒めた双眸は世界をどこまでも見通しているような賢さと、薄く形の良い唇は吊り上がって誰にも媚びることを知らない気高さがある。名前を尋ねてはいけないのか、小走りをしながら思索していると、ノアが足を絡ませて転ぶ。

「うぅえーーーん」

子どもらしい甲高い泣き声を上げたノアに、慌てて駆け寄る。膝に芝を何本かつけてはいるものの、どこか怪我した様子もなく単純にびっくりしただけのようだ。抱き上げて高い高いをする。

「きゃっきゃっ」

ノアは天使のような可愛らしい笑みを振りまく。おんぶをして庭を駆け回ると、そのうち小さな熱と重みを感じ、支えている両腕を組んで小さな背中を叩くと、小さな寝息が聞こえはじめる。眠ったノアを起こさないように、ゆっくりと前に抱きなおす。それから、ルキウス団長に手渡した。ルキウス団長は、肩からコンセンス王国第二近衛騎士団の薄紫色のマントを外し、それでノアをくるんだ。

「こうして、眠っている姿はまこと天使なのだが」

ノアを長い足を組んだ膝の上に抱き、注ぐ優しいルキウス団長の眼差しは父親のそのものだった。空いている席に座ると、赤褐色の肌と赤みがかった長い髪の子どもが、読んでいた分厚い本を伏せ、立ち上がり

「初めまして、グラス リオ様。私はコンセンス ダーシー アリア、彼は弟のコンセンス ノア アリアです。お目に掛かれて光栄です」

ダーシー皇女は、左手を胸の前で掬うように、右手でスカートを広げるような優雅な挨拶をした。しばらく、彼女の立ち振る舞いに見惚れ、すぐさま正気に戻ると、椅子から立ち

「コンセンスの皇女様にご挨拶申し上げます」

膝をついて頭を下げた。左手を拳にし胸の前へ、右手の拳を腰の後ろに回す。

「頭を上げてください。リオ様。私はただ娘であるというだけです」

ダーシー皇女はクスクスと行儀よく笑う。

コンセンス王国では、未成年は家名の後ろに保護者の名前を付ける伝統がある。

そしてダーシー皇女はあっさりと、自分の保護者が誰なのかを明かしたのだ。

姉弟お揃いで着ている金色の飾りとボタンがついた、鮮やかなエメラルドグリーンのラインの入った白いスーツの上下の皺をさっと直し、柔らかそうな質の良いブーツを纏った足を揃える。

「紅茶はいかがですか?」

「はい」

ダーシー皇女は白い布巾をカーテンのように腕にかけ、ソーサーとカップを音もなく重ねる。噴水の如く美しい弧を描いてポッドから紅茶を注いだ。そして

「温(カリドム)」

唱え冷めた紅茶に湯気を立たせオレンジを添えると、目の前にそっと置いた。

「どうぞ」

「……ありがとうございます」

しばらくは、ダーシー皇女が紙のページをめくるカサカサという小さな音だけが辺りに響いた。

ダーシー皇女とルキウス団長には特に会話はないが、仲が悪いというわけではなさそうだ。ルキウス団長は、膝の上のノアを気遣いながらも、春風を受けて細い銀髪を揺らし、庭へ休みに来る小鳥に、テーブルの上のクッキーを砕いて与えている。

ダーシー皇女は、読書をしているが、そこまで熱中しているわけではなく、こちらに目が合うと、にっこりと大げさでない笑みを浮かべた。ダーシー皇女の読んでいる本には『コンセンス建国歴史書』と銘が打たれている。

「そろそろ、授業に戻ります」

ダーシー皇女がいうと

「では、私も失礼するか」

ルキウス団長も立ち上がった。

「今日はリオ様にご挨拶が出来てうれしかったです。奥の建物に母上がおりますのでお立ち寄りください」

ダーシー皇女は軽く頭を下げ、ルキウス団長とともに宮殿に向かう。ダーシー皇女が指したのは、ガラスで囲われた鳥かごのような建物だ。いわゆる温室という部類の建物なのだろう。

体の中に違和感が渦巻く。目の前のカップの紅茶はまだほんのりと温かい。



ガラスでできている扉の前で、これを叩こうか躊躇していると、中からメイド服姿の侍女が扉を開く。華奢な白く磨かれた取っ手にはエメラルドが散りばめられていて、小さな鈴がついた扉が開くと中からむせるような薔薇の強香が漏れてくる。

鉄面皮の表情が先ほどと同一人物かのように思えたが、よく考えるとあのメイドは重厚な扉の外だったな……など思考が彷徨う。一瞬、棒立ちになって我に還ると、すぐさま膝をつき頭を下げた。

「女王陛下、グラス リオ参上いたしました」

すると、コンセンス アリア女王陛下は、以前謁見した際の声とワントーン上げた声で

「頭を上げて、中へどうぞ」

返事があった。恐る恐る視線を上げれば、エメラルドグリーンの金の刺繍がされたドレスの裾がちらりと視界に入る。

「あなたは下がっていいわ。リオと二人で話したいから」

すると、侍従はあっさりとその場を去りガラスの扉は閉められた。

「リオ、もっと近くへ、こちらのテーブルに」

その声を無下には出来ず、顔を合わせられないままアリア女王の居るテーブルに近づく。

一歩一歩踏む膝が笑っている。バサリと紙の束をテーブルに置く音が響き、シュルシュルと衣擦れの音が続く。

「ふふっ」

ふと、零れたアリア女王の笑みに思わず顔を上げた。そこには中学生のころから変わらない美貌と華奢な細い首と肩を露わにし、妖艶さを増し大人になった金髪碧眼のコンセンス アリア 碧の姿があった。口にレースの手袋を纏った拳を当て、企みが失敗したような少し恥ずかし気な笑いを浮かべる。

そして、今までの出来事に納得がいった。

アリア女王は、宮殿に呼び寄せた後、私を直接この温室に向かわせず、ルキウス団長やダーシー皇女、ノア皇子に会わせて寄り道をさせたのか。女王としての立場ではなく、私人アリアとして今日の招待をするという意味合いを理解した。

深く息を吐き吸いこむと、椅子を引き腰掛けた。

「ローズヒップティーはお好きかしら?」

アリア女王がティーセットの乗ったカートに近づくのを横目で見送り

「はい」

と返事をした。アリア女王は、テーブルの上にあった筆記具やらを片付けてカートに置くと、代わりにチョコレートやマカロンなどが細々と乗せられた菓子皿と、ティーセットをテーブルの上に乗せるのを静かに見守った。ティーポッドの下に敷かれたマットには『エンセキガイセン』の魔法陣が描かれている。

「これは本当に便利なものだわ。アイラに魔法のヒントを教えたのはリオだと聞いたのよ」

「恐縮です」

ティーポッドから注がれるピンク色の液体は、湯気が立っている。

「では、乾杯しましょう」

アリア女王は、白いレースの手袋を外した。エメラルドグリーンのドレスとの色合いからだろうか、肌が一層、白く見える。金の細工がされたカップを少し持ち上げて、お互いの顔を合わせると湯気越しに笑い合って口に運ぶ。ローズヒップティーは甘酸っぱく、バラの芳香がより濃く感じられた。辺りを見回すと、赤や白、黄色に紫と色とりどりのバラがどれも満開だ。

「綺麗ですね。庭師の腕がよくわかります」

バラは、蔓や、アーチ、木立ちなどそれぞれの趣に合わせて丁寧に仕立てられている。

「このバラ園は、庭師の手入れはもちろんだけど、ルキウスが育てているから一年中咲いているのよ」

「ルキウス団長は、バラがお好きなんですね」

アリア女王は、菓子皿の中からリーフ型に切り取られた砂糖がたっぷりかけられたパイを一つ摘まみ、小さなくちで食べ終える。そして

「ルキウスに愛なんて熟々した感情があるのかしら?疑問だわ。勿論、彼にも好き嫌いぐらいの薄い感情はあるにしても、一つのものに執着するような強い感情があるかはわからないわ」

お茶で口を湿らせた。確かに、ルキウス団長が女王宮に住んでいると聞いたときには驚いたが、思いのほかどこにいても不自然でないのは、彼の存在自体が不自然であることからかもしれない。

「……」

答えようがなかったのを察してか、アリア女王は、菓子皿からいくつかのクッキーを取り分けてこっちに寄与越した。

「まぁ。ルキウスの話は、今日はいいわ。それよりもリオのお話を聞きたかったの」

「私の話ですか?」

見た目は城下町に売っているクッキーと変わらないのに、材料が上等なのだろうか、クッキーは驚くほどしっとりしていて口溶けがよく、くどくない。思わずもう一つ摘まみたくなる味だ。

「えぇ。シォドアに冬の国の話を聞いたのだけれど、最後に氷の傀儡人形を倒した後の記憶がないと聞いて、結局どうやって解決したのか教えて欲しかったの」

アリア女王は、菓子皿ごとこちらに寄せて尋ねた。チョコレートを口の中で溶かしながらあの後のことを、全て包み隠さずいうべきか逡巡し、ちらりとアリア女王の顔を覗いた。その透き通ったエメラルドの瞳には、おそらく嘘や隠し事など通用しないといわんばかりに澄み切った碧だ。何もかもを、それこそあの時助けた子狐が何者だったのか、最後に現れた大狼の正体とはという私見とともに、終幕に見たオーロラまでを詳細に打ち明けた。

「冬を閉じる……ね。だから、リオはその大狼を冬の国の王と考えたのね。なるほど、冬の国の民は人型を成していないということね」

アリア女王は、深くものを考えるように頬に手を当ててしばらく考え込むと、お茶で口を湿らせ、徐に話し始めた。

「人間の治める領土を私たちの先祖のコンセンス王家が一つに統治したのは、度重なる食料や人員などを巡る争いに終止符を打ちたかったという理由が表立って入るけれど、内側に、強大な魔力を持つ森の国、そして同じく人外の腕力を持つ火の国、そして謎に包まれた冬の国への牽制があったのだと私は考えているわ」

今は森の国と人々や、火の国の人々ともコンセンス国との交流がある。私の頭の疑問を見透かすように、アリア女王は話を進める。

「国を一つに統治するに当たって、初代コンセンス国王は、領土の貿易と、交流、そしてあらゆる人の平等を優先したといわれているわ」

交易…平等…?

「それは人間同士での助け合い、奴隷制度の撤廃を掲げていたのだけれど、その展望に、異種間での交流、差別意識への警戒が当初から考えられていたのではないかと私は思っているの」

アスラ皇太子正室候補に招待された男女や人種を問わないゲスト。近衛騎士団で役職についているミレンベ ザハ団長やハテム ストラベッシー副団長。魔法研究所で見たホビットの研究員。女王宮に住むルキウス プルケル第二近衛騎士団長。

そして巨人族の特徴を持つダーシー皇女とエルフの特徴を持つノア皇子、二人のコンセンス アリア女王の子どもたち。

「冬の国は、冬を閉じたり開いたりして、この国や他国に季節をもたらす。それはずっと昔、それこそコンセンスが建国する以前から言われていた話。でも、その本当の所は誰も掴めなかった。どんな冒険家も、国から使節団を送ってもその秘密を無理に明かそうとする者は、還って来れなかった。でも、リオ、あなたは帰ってきた。冬の国の王の秘密を知っても」

戻ってこなかった探検家ラヴェレンチ男爵、ギリギリのところで命を奪われそうになったシォドア団長。そういえば、なぜ冬の王は私の名を知っていたのだろう?

「閉ざされた冬の国は誰も受け入れない。あなたは選ばれたのだと思うわ」

「選ばれた?」

「えぇ。冬の国は、季節を操るといわれているけれど、私は実際のところ時を操っているのではないかと思っている」

「時を?」

「そう。例えば、今回のように冬の国がその扉を開いたまま、閉じずにいたらどうなると思う?」

冬が終わらない。すべてが凍る。誰も生き延びず、終わりが訪れる。

「今回の調査に、リオに行ってもらったのは騎士団試験での功績という偶然だったけれど、もしかしたら冬の王に操られていたのかもしれないわ」

時を止める。時を進める。時の王……。ぞくりと寒気が走った。

「ふふふっ。いまのは冗談よ。どうも、リオを怖がらせてしまったみたいね。安心して頂戴。今のところ私自身からリオに手を出すつもりはないわ。リオを私の元に置こうと王衛に誘ったりしたら、シォドアやアスラからどんなに非難されるかわからないもの」

美しい笑顔を作ってアリア女王は立ち上がった。どこまでを冗談で、どこからが本気なのか。時の王のように、目の前のアリア女王も掴みどころがなく少し恐ろしい。そんな気持ちを察してか、アリア女王はテーブルの上にエメラルドの宝石が散りばめられた白い香炉を置いた。

「リラックス効果のあるアロマよ。たくさんお話しして疲れたでしょう」

立ち上る白い細い煙を、見つめていると確かにごちゃごちゃとした思考が白くぼやけてくる。

「あらリオ、少し眠たくなったんじゃないの?この温室にはベッドもあるのよ。少し休んでいって」

差し出されたアリア女王の白い手を取り、美しいバラ園の中を歩く。バラ園の中には本棚と庶務机も置かれている。

「今日のように陽気がいい日はここでよく仕事をするの」

広いバラ園をコツコツとアリア女王のヒールの音だけが響く。瞼が次第に重く、目を擦る。

「ほら、着いたわ」

天蓋から白いレースで幾重にも重ねられたベッドは、ガラス張りの温室の日差しが遮られ昼寝に丁度よさそうだ。アリア女王はサイドテーブルに置かれた先ほどと同じ香炉を炊いた。バラの花びらが浮いた水差しと、美しい細工がされて乱反射するコップも置かれている。

「リオ、お水飲む?」

何だか途方もなく眠たくて、無礼だと思いながら首を振っていらないと意思を示した。あぁ。今すぐにでも、そのベッドに横になりたい……。

「とても、眠たいのね。いいわ。私がやってあげるから」

すぐ近くにいるはずのアリア女王の声が水の中のようにくぐもって聞こえる。アリア女王は、私をベッドに座らせると、ブーツを脱がす。そして体をゆっくりと横たわらせた。

「大丈夫。体の力を抜いて」

ベッドは砂のように体を包み込んだ。アリア女王の白い手が、頬を包む。

……だめだ…何も…抗えない




霞みがかった思考が少しずつ現実に呼び寄せられた。

ちゃぷちゃぷと、たゆたう。

むせかえるような金木犀の香り。

魔法を使い過ぎた時のように、頭が痛い。体が鉛のように重く腕を上げるのも一苦労だ。

何とか、腕を顔まで持ってくると、手のひらで乱暴に擦った。

何だこれ、気持ち悪い。顔にベタベタと何かが張り付いてくる。顔だけじゃない、シャツの中にも何かがくっついて不快だ。

「リオ!リオ」

何とか、瞼をこじ開けると、ガバリと誰かに抱きしめられた。

「……アスラ」

空色のビー玉のような瞳にはいまにも涙が零れそうだ。というか、泣き出した。上半身をがっちりとアスラに抱きすくめられながら、状況を確認する。白い壁や、調度品からしてここはアスラの邸宅か。そして白磁の金木犀の花が散りばめられたバスタブの中に寝かされていた。シャツやズボンは着たまま。よくはわからないが

「助けてくれて、ありがとう」

と、抱きしめられた背中に腕を回した。



張り付いた金木犀の花をシャワーで落として、着替えを持っていなかったのでアスラの服を借りる。手も足も肩幅も、くやしいがダボダボだ。それぞれ捲って浴室から出ると、

「うっうわ」

まだ、しゃくり上げていたアスラが塗り壁のようにドアに張り付いていて驚いた。

「大体、油断しすぎだよ!」

どうやら、最後にアリア女王が焚いていたのは媚薬が入った香炉だったらしい。アスラはあと少しでというところに乗り込んで、連れ出してくれたのだ。

「わかった。本当に助かったよ。このお礼はどうしたらいい?」

耳元でキンキン怒るアスラの声で、頭痛が増す。金木犀は、媚薬に乗っ取られた者を正常に戻す効果があるというが、今日一日は効果に悩まされそうだ。

「お礼って何でもいいの?」

機嫌を直したアスラが目を輝かせて言う。いや…嫌な予感しかしないが。

「……内容による」

「じゃあ……」

「まぁ。それくらいなら」

と、少しかかとを上げて、私はアスラの頬にキスをした。

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