第4話 冬の国視察編


「まって何かぬめぬめする……」

場所は皇宮にあるコンセンス王国第三王子のアスラの部屋。

「大丈夫……ここは気持ちいだろ?」

アスラ王子の声が低く響く。

「うっわ…無理そんなん…」

「無理矢理なんてしないから」

アスラがため息交じりに囁く。

「わかった。優しくして…」

すると、

バァァーーーン

いきなりドアが破壊されんばかりの勢いで開いた。

「いったい何をやっているんだ!」

真っ赤な顔をしたシォドア団長が部屋に乗り込んできた。

驚いたアスラと私はベッドの上で固まって侵入してきたシォドア団長を見た。



「足つぼマッサージ?」

「あぁ。最近、やたらと肩が凝るっていったら、アスラが疲れによく効くオイルと、東の国の特別な施術を知っているというから」

散々断ったが、押し切られ、休日なのに城を尋ねた。足の裏のオイルをタオルで拭きながら答える。

「そうですよ。せっかくいいところ……ゴホン…本格的な施術をしようとしたところに何の御用ですか?兄上!」

アスラは、拗ねたような口調でいい、侍女に、今日の為にわざわざ手配したジャスミン茶と、カステラをテーブルに出させた。

「そっそれは……すまなかった…」

気まずそうにジャスミン茶をシォドア団長は啜った。

「こっこれは!」

一口、口の中に入れるだけで、どこまでも広がる卵の甘味、黒砂糖のコク、そしてプリンのような弾力がありながらも、シュワっと消えるこの独特な口溶け……。

「気に入ったか?それはタイワンカステラっていうんだよ。リオが好きだろうと思って秘伝のレシピを頼み込んで教えてもらったんだ」

焼きたてのタイワンカステラは、空気のようでいくらでも食べられる。夢中になって貪る私を、アスラとシォドア団長は小動物の餌付けのごとく、緩んだ表情で見ていた。

「よっよかったら、私の分も食べるがいい」

シォドア団長が自分の目の前の皿を寄越す。

「ズルイです!兄上、今日は私が誘ったのですから、リオ、私の分を召し上がってください」

「ムーフフームーフフフンムー」

口の中に一杯にカステラを詰め込んでいるので言葉にならない。

―どちらのもいただくのでけんかはしないでください―

というと、シォドア団長がはっとした表情になり、

「しまった!姉上からお呼びがかかったから迎えに来たんだった」

と慌てる。

「あっ姉上が…」

何かしでかしてしまったのかとアスラが顔色を青くしていると、

「いや、姉上が呼んでいるのはアスラじゃない。リオだ」

シォドア団長がいった。

「ムフムフフフ?」

―わたしですか―

と、再び言葉にならない返事をした。




「女王様と謁見だなんて、今日はアスラと遊ぶ約束だったので近衛騎士団のマントもないですし……」

躊躇していると、

「あぁ。それなら大丈夫だ。姉上は、そんなことにこだわるタチではないからな」

私服だが、自分の着ているものよりもよっぽど高級なシャツを着ているシォドア団長が答えた。

天井まである大きな白い扉の前には衛兵が二人槍を構えて立っている。

純白に磨かれた鎧、兜のとさか部分には碧色の装飾が入っている。

王専用の衛兵、王衛。

第一騎士団から選ばれし者だけが就ける栄誉職だ。

シォドア団長が軽く手を挙げると、二人の王衛は寸分違わぬタイミングで、それぞれの持った槍をばってんにして合わせ90度に方向転換すると、槍を戻し、重厚な扉の鍵を回すとハンドルを回し開いた。

パァァァァー

思わず目を覆いたくなるほど眩しい碧色の光が部屋のあちこちに反射して部屋全体が光っている。

むせかえるようなゼラニウムの香り。

「防護結界と、侵入者が入ったときに翻弄するお香だよ。私の側にいれば大丈夫」

とシォドア団長が耳打ちをした。中央まで進み、白い天蓋に包まれた王座の前で跪くシォドア団長と同じように振舞うと、天蓋の中から澄んだ女性の声が響いた。

「来たか」

「はい」

「リオも畏まらずともよい。顔をあげよ」

視線を上げると、薄いガーゼが重ねられた後ろに、うっすらとシルエットが見えてくる。

王冠を被った、長い髪。脇に6歳ぐらいの子どもが立つ影も見える。

「女王陛下にご挨拶申し上げます。グラス リオでございます」

「うぬ」

シルエットなので、全く姿はわからないが、その声は聞き覚えがあった。コンセンス アリア 碧のものだった。碧とは上京するタイミングで碧が中学を卒業する頃から会っていないが、そのときにも15歳とは思えないほど大人びた妖艶さを放っていた。

「姉上、本日はどのようなご用件でしたでしょうか?」

「うぬ。シォドアは知ってのことだと思うが、今年は冬が厳しく、三月も末だというのに雪がちらつく。北の地方では、未だに猛吹雪による雪害が続き人々は疲弊しておる。時を待てば収まるのではとも考えたが、現況はもはや猶予を許さぬところまで来ていると報告を受けた。そこで今回はシォドアとリオ、二人に冬の国の視察に行って欲しい」

「はっ御意に」



女王と二人の王子の住処は、一度敷地を出なければ出入りできない独立した宮殿になっている。中央の大きな女王の邸宅の左右にシォドア団長とアスラ王子の邸宅がくっついた感じだ。

「むっむさくるしいところだが…」

通してもらったシォドア団長のリビングは確かに団長の家といった感じだ。

先ほどまでいたアスラ王子の部屋は白を基調に金の縁取りがされた壁紙や、いかにも王子の家といった調度品が揃えられていたが、ここは何ていうか……

雑多に置かれた武器が木の樽にまるで傘置きでもあるかのように突き刺さっていて、壁にはお気に入りなのであろう大剣や、弓、槍などを設置する棚と、自分で捉えた記念なのか、立派な角が生えたエゾ鹿の頭のはく製が飾られている。

テーブルの上も

「………」

巻物や、本や、書類が山積みにされてテーブルの板が見えない。

「人がうろうろするのが苦手でな……使いを頼んでいないんだ…」

といいながら、テーブルの上のものをがさっと棚の上に置くと、スペースを空け

「よっ良かったらかけてくれ」

とシャツだのなんだのが掛かった椅子の上のものもがさっと同じ棚の上に移動させる。

「………」

とりあえず、立っているのもよくないかと、一歩を踏み出すと、何かにつまずいて転んだ。

「ぎゃっ」

「りっリオ!」

転んだ先に目の前に合ったのは……床に敷かれていたのは、変わった色の絨毯ではなく大きな熊のはく製だったのだ。

私が転んだ振動で、棚に山積みにされたモノたちが雪崩れて床に散らばった。

「………」

「リオ…大丈夫か?」

おそるおそる手を差し伸べたシォドア団長の手を思わず払いのけ、キッと顔を睨みつけた。

「シォドア団長は今日にでもメイドの手配をしてください。あと、話し合いは外でします」

「はい…すみません」

速足でシォドア団長の居住部を退出する私に、萎れたシォドア団長が付いてくる。



城門の近くに新しく出来たカフェの名物は、バターを何十層と重ねたクロワッサン生地に中から溢れ出しそうなほど濃厚で大量のチョコレートが詰まったチョコクロワッサンだ。

「なっ何でも好きなだけ買っていいから、許してくれ」

というシォドア団長の言葉に甘えて傍らには大量のパンが入ったお土産の紙袋があり、すっかり機嫌は戻った。

濃い目に入れてもらったダージリンと、バターとチョコレートの濃厚×濃厚の組み合わせのチョコクロワッサンで口の中は天国だ。

思わず頬が緩みっぱなしになっている私を、なぜか幸せそうにシォドア団長は見つめている。

「食べないんですか?チョコクロワッサン。ここの名物なのに……」

というと

「あー私は甘いものはあまり得意ではないんだ」

同じく濃いアッサムにミルクをダボダボ入れたミルクティを啜っている。

「ところで、リオは冬の国は知っているか?」

「んー。うわさ程度ですかね。北の最果ての地にあるとか…冬の国の開きぐあいによって国の季節が変わるとか…眉唾物のうわさなら聞いたことがあります」

シォドア団長は、懐から巻紙を出してテーブルに広げた。

いわゆる世界地図というもの。

コンセンス王国を中心に、押しつぶされた二重丸のように世界は描かれている。

二重丸の内側はいわゆるコンセンス王国の治める土地である。

丸の中心から北西に大きくコンセンス王国の城下があり、その真下には大きなコンセンス山脈、西南の地があり、南側には二重丸の外側からコンセンス王国を少し入り込むようにして東に長く歪な凸型の火の国の領土が続く。

地図の視点をコンセンス王国に戻すと、二重丸の外側のコンセンス山脈のすぐ横辺りから小さく広がっているのが森の国、そして真北に広がっているのが冬の国である。

「こうやって見ると、火の国の領地は広いんですね」

「あぁ、実際には、火の国はほとんど活火山の山脈でできた国だから住める平地は少ないがな。今回はコンセンス城下をつっきって、北側の領地を真っすぐに走り、冬の国に向かう」

コンセンス王国の北側から冬の国へのルートをシォドア団長がなぞった。地図には領主の名前が書いてあるのだが、広い土地にロハ領とだけ書いてある。北側には大きな山や川なども記されていない。

「シォドア団長はロハ領に行ったことがあるんですか?」

「あぁ。あるよ。ロハは大きな領地だが、冬の国の近くにはほとんど人が住んでいない。一年中氷に閉ざされた地域だからな。大きな町や侯爵家はコンセンス王国の周辺に集まっていて私もそこまでしか行ったことはない。北の厳しい地域には小さな男爵家も点在していると聞いたことはあったが、今回のこの長い冬でロハ全体の流通も滞っていて余計に情報が少ない」

シォドア団長は懐から分厚い封筒を取り出した。

何気なく受け取って中身を確認してぎょっとし、周囲を見回してシォドア団長につき返した。

「こっこれなんですか?」

ひそひそと、シォドア団長の耳元で聞く。

「今回の視察の報酬だ。勿論、今月の給与とは別の手当だから安心してくれ」

「でも…こんなにいいんですか?」

「ロハ領の横断は勿論だが、冬の国の視察は大きな危険が伴う。寒さもそうだが、私たちコンセンス人は、冬の国に立ち入ったことがないのだ。ロハ領の者が何人か試しに行ったらしいが無事にたどり着いた人間はいないと聞く」

「前人未到の地ですか?」

「あぁ。それでもリオが受けるというなら対価としてこれでは不足するほどだろう」

封筒の分厚さが事態の深刻さを物語っているということか。

ごくりと、冷めた渋い紅茶を飲み干し、残ったクロワッサンを咀嚼し、私は再度その封筒を手にした。

「出発は一週間後。それまでの間は、近衛騎士団の職務から離れて準備してもかまわない。旅程はおおよそだが往復で二週間を考えている」

「わかりました」

封筒を握った手が震えているのは大金を手にしたからだろうか。ちらりと中身を確認する。50万札リポがぎっちりと詰まっていた。



コンセンス王国第二近衛騎士団員ニコライ ラヴェレンチは何でも屋である。今朝も気分屋の…いや、お忙しい身であるルキウス プルケル第二近衛騎士団長に

「今日の訓練の指示を頼む」

と指示された。

一日中難しい顔をしながら役職も付いていない自分が同僚にあれこれ指示するのがどんなに気まずいことか、おそらくルキウス第二近衛騎士団長は知ったことじゃないだろう。

そもそもあの方に人の感情があるのかさえ不明である。

「では、解散!」

と演習場の整備や、武具の最終確認をすると執務室に入り、今日の日報やら、届いた書簡の返答などを代筆する。

これだけ働いても1リポも手に入らないのだ。

まったく骨折り損のくたびれ儲けとはこのことをいうのだろう。

出稼ぎの為に近衛騎士団の実技テストを受けたのも間違いだった。

弓矢の腕が評価されて運よく一度でテストには合格したものの、期待していた一回目の給与に愕然とした。

想定の半分以下である。

考えてみれば、騎士を目指す多くの者が幼い頃から剣の英才教育を受けられた裕福な貴族出身者で、自分のように生きるための糧として弓の腕を磨くような貧乏男爵などほとんどいない。

給与とは名ばかりの栄誉のために近衛騎士団を目指すのだ。それでも、何年かやっていれば少しばかりは上がるだろうと見込んでいたが、一向に給与は上がらず、年ばかり取ってしまった。

出稼ぎの為に城下まで出てきたと言うのに何の意味もない。

故郷に帰るのも、一年に一回行ければいいという懐事情に嫌気がさし、ニコライ第二近衛騎士団員はちょうど求人が出ていたある仕事を掛け持つことにした。

「おっと、こんな時間か」

一人ごちて、取り急ぎ、封筒に印を押しろうそくの火を消すと、ルキウス第二近衛騎士団長から預かりっぱなしになっている執務室の鍵で施錠し、駆け足で外に出た。



近衛騎士団の演習場よりだいぶ離れた城内の隅にその厩はあった。

いつもならば真っ黒で人気のない厩にランプの明かりが灯っている。

誰だろう?不思議に思って近づくと馬の甘える鳴き声に混じって

「内緒だぞ。これで最後だ。おばぁちゃんの畑から盗ってきたことがばれたらどれだけお小言を食らうかわからないんだからな」

内容のわりに楽しそうに話す青年の声が聞こえた。

ランプに反射する白のマントと、艶っとした黒髪には覚えがあった。

「リオ殿?こちらでなにを…」

声を掛けると、いつもは人には懐かない馬たちが擦り寄るようにして甘えていた。

「こんばんは。ニコライ殿」

土の付いた野菜を手に、赤毛のクレブーニカと、白い毛のレーパに挟まれて両側から舐められベチャベチャになった顔でいう。


ロハ・ドラフト種の馬は、5年前、番(つがい)でコンセンス王室に献上された。

この馬は、頑丈で働き者という特性を持ちながら反面ものすごく臆病で神経質な性格である。

来たばかりの時は王宮付きの馬の世話役に任されたが、そもそも懐かず食事や水さえ口にしないときもあった。

人が触れようとすると暴れ、厩は何度も壊れた。

困った王宮付きの馬の世話役は、この馬の世話ができる者を破格の給与で雇いたいと求人を出した。

それは本来の馬の世話役の3倍以上で、馬の世話などの下働きにはありえない金額だった。始めは何人もの人が殺到したが、パタリと人は来なくなった。

というのもロハ・ドラフト種の馬というのは、体高2m半以上、体重1000kg以上という超大型の馬だったからだ。

ひとたび機嫌を損ねてしまえば、その力であっけなく人が死んでしまう、さもなくば大けがで一生の傷を負うことになる。

ほとほと困り果てていたところに求人の応募に来たのがニコライ ラヴェレンチだった。

どうせまたすぐに辞めてしまうであろうと思われたが、衰弱しきった赤毛のクレブーニカと、白い毛のレーパはニコライの手によってみるみる回復していった。そして二頭はやがて仔馬を設けた。黒の混じり毛フィーガと、茶色の混じり毛のトラスニークである。



「どうやって手懐けたんだい?」

大きな音を嫌う馬の側にいるのに、思わず声を上げてニコライは驚いて尋ねた。

「どうって?普通ですよ。私も黒馬を持っていますから」

いや…一般の馬とロハ・ドラフト種の馬は全然違うだろうと反論しようとしたのを、ばかばかしくなって辞めた。リオは堂々、馬に背を向けて厩の隅に片してあった馬具を取り出していう。

「水も、藁も十分にあげて体も拭いたのでこの子の散歩にいってもいいですか?」

と。十分な毛づくろいをしたトラスニークは、馬具を見ると散歩だと理解して軽くステップを踏んだ。

「わかったよ。いま連れてってあげるからちょっと待っておくれ」

脚立に登って、鞍を掛けると脚立を下げた。

「座れ」

と指示すると、ゆっくりとトラスニークは、前脚と後ろ脚を折り畳み、腹を付けて伏せる。

鞍がきちんと掛かっていることを確認してゆっくりと跨った。

「立て」

というと、トラスニークはスローモーションのように立ち上がった。

「やってみるかい?」

馬上から声を掛けると頷いて、フィーガを馬小屋から出した。フィーガは大人しくついてきだ。脚立を横に置くと

「よろしく頼むよ」

と声を掛け、姫にガウンを掛けるような優しい手つきで鞍を掛けた。フィーガはされるがままになっている。脚立を下げて

「お願い」

という合図で、フィーガは頷くように伏せて待った。しっかりと鞍の状態を確認して鬣を撫でながら跨るとフィーガは状態を確認するようにゆっくりと起きる。

「おぉっ空が近い!」

初めてロハ・ドラフト種の馬に乗るのにリオは恐怖ではなく感動を伝えてきた。それはいつもニコライがこの馬に乗ったときに思うことと一緒だった。

「そうだろ?星に手が届きそうなんだ」

しばらく馬上からの景色を楽しんでいると

「あっそうだ」

とリオはポケットからスノードロップを二房出して

「月(ルーメン)の光(ルナエ)」

と唱え、発光するそれを一房分ニコライに手渡した。もう一つを自分の乗るフィーガの三つに編み込まれた鬣に差した。

「フィーガはアスラ王子の馬なんですか!」

「あぁ。っていっても、生まれて一度も見に来てはくれていないんだけどな」

クスクスと小さく笑ってニコライが答えた。

「ではトラスニークはシォドア団長が乗られるということですね」

「うん。あの方は不思議な人だよ。私が馬の世話をするまでの間、どんな経験のある世話係でも手に負えなかったのを一人で世話をし続けたらしい。そうでなければ、私が来る前に二頭は命を失っていたかもしれないし、当然トラスニークもフィーガも生まれてこなかったということになる」

二頭は、その大きさだからなのか、ゆったりと走る。四肢に生えた毛が波のように揺れた。

目的地であった城の北側にある深い森につくと、二頭は凍った地面の中に息を潜めている草を氷ごと食んだ。

「ところでニコライ殿、明日、お時間いただくことはできますでしょうか?」

「えっ?」

懐から一万札リポを取り出して不敵に笑う。




「こんなに簡単に休んでしまえるなんて……」

近衛騎士団に入って以来、一度の無遅刻無欠勤を続けたニコライはあっさりと事務局で通った有給休暇申請に呆けた表情をした。

「むしろ、一日も使っていないことに驚きですよ」

有給休暇を使い切ってしまっているのでうらやましいぐらいだ。ニコライとともに、馬の毛並みを整えると、クレブーニカとレーパに乗って普段は研究室の広場で済ませてしまう朝の散歩を昨夜と同じ森まで連れて往復する。ロハ・ドラフト種の馬は目立つので人通りのある道や広場では走らせられない。

今度は北口から城外に出るとフィーガとトラスニークに跨り、北のロハ領に遠乗りする。しばらくは何もない白い平原だった。30分ほど走ると、ロハ領、最初の町バラネフに着いた。

「おかしいな。ここはコンセンス王国に一番近い街だから、活気があって人も多いのに」

とトラスニークを引いてニコライは首を傾げた。確かに両脇の店はすべて閉まったままで、通りには人気がない。と、そこにロハ・ドラフト種の馬の馬車を引いた行商人が通りがかった。ニコライが手を振ると行商人はゆっくりと馬車を停めた。

「おうおう、同郷の民とは珍しい」

顎髭を生やし、耳つきの帽子からブーツまですべて毛皮で覆われた行商人はニコライに握手を求めた。ニコライも笑い返して質問した。

「なぜ、この町のお店は閉まっているのですか?」

行商人は素っ頓狂なことを聞かれたと顔を歪ませ、しばらくして質問で返した。

「もしかしてお前さんたちロハの人間ではないのか?」

と聞かれたので

「えぇ。ロハ・ドラフト種の馬に乗っていますがコンセンスから来ました」

とニコライが答えると、それなら話が長くなりそうだから先に行くと前置きをしてから、閉まっている店でも、衣料品や雑貨屋ならドアを叩けば答えてくれるだろうと伝えて去って行ってしまう。どういうことなのかさっぱりわからないとニコライは不安げな顔をして、衣料品店のドアに付いている鈴を鳴らした。しばらくすると、店主が出てきて

「行商ですか?」

と聞くので

「いや、ただの買い物だが…」

と答えると

「うちでは金品とは交換できません。小麦か、塩、砂糖なんかの食料なら引き換えが出来ます」

と返ってきた。

「どうしてか?」

と聞くと、長い冬のせいで流通が難しくなり、馬などの移動手段を持たない人は食べ物事情が切実だ。幸い洋服などは自給自足で足りているので分けることが出来る。そのため金銭ではなく足りない食べ物と、足りている服や雑貨類を物々交換するようになったのだと説明した。

「それでは、一旦、食べ物を仕入れてくるので、必要な洋服や雑貨を用意しておいてくれないか?」

ニコライは交渉する。すると店主は、

「どういったものが必要か」

と聞く。この町の中の在庫がなければ用意することは不可能だからだ。ニコライは欲しいものをリストにして渡し、店主がそれを検分した後、

「これなら、用意できそうだ」

と答えたので、交換したいものを書き出してもらい、何の収穫もできずにコンセンスに帰った。復路、ニコライは難しい顔をしたまま押し黙り、コンセンスに着くと、城下街に行き引き換えるためのものと必要なものをてきぱきと選別して購入する。思いつめた顔をしているニコライに差し出がましいようだったが言わずには言われなかったリオは、

「シォドア団長に冬の国への旅路の随伴を交代できないか聞いてみましょうか?」

と尋ねる。ニコライはしばらく考え込んだあと

「いや、女王陛下は何の考えもなしにお二人に視察を頼んだのではないと思う」

と申し出を断った。




夕方の散歩に白い毛並みの雄馬ロハ・ドラフト種のレーパに乗り、白の北側の深い森にいくと、ルキウス第二近衛騎士団長が月明りに銀色の髪を透かして玉の付いた老木の杖を支えに月を乱反射して白く光る湖面を見ていた。

「あぁ。リオではないか」

などといいながらも、顔をこちらに向けずに薄紫色の近衛騎士団のマントをつけたままぼんやりとしている。

「ルキウス団長、水をどうやって一瞬で凍らせたんですか?」

と出合い頭に聞いてみた。

「先日はかわいかったのに、何だか今回のリオは私を手足に使う気かな…」

ニコライを連れまわしていることをいっているのだろうか。ルキウス団長は、質問の答えとは別の言葉を口にした。まぁ私もルキウス団長の言葉を無視して尋ねているのだからお互い様か。

ルキウス団長との対話の仕方をようやくわかってきたような気がする。まるで木霊(こだま)だ。言葉がそのままダイレクトではなく放ってぶつかってようやく戻ってくる。と、ルキウス団長は、答えずに杖の先を湖に当てた。すると、湖を覆っていた氷がみるみる水に戻っていく。 それから、杖を上下さかさまの状態で握るとゴルフクラブの要領で水面の水をすくって手をかざした。跳ね上がった水が、一瞬で凍ってパリリっと空中で固まり落下する。

「そういえば、お前たちはこれに言葉が必要なのだったな……言葉はそうだな……

凍れ(ゲロウ)でよいのではないか…やってみろ」

間髪入れずに水を掬いあげるので、何のイメージもわかないまま

「凍れ(ゲロウ)」

と手を前に出すと、パリリっと水の滴が氷のつぶてになった。

「………ほらな?」

まるで成功するとは思わなかったように聞こえるがルキウス団長は感想を漏らした。

「それでは、冷たいものを温めるのはどうしたらいいんですか?」

と聞くと、ルキウス団長は心底面倒だという顔を一瞬して落ちた氷を拾い

「温(カリドム)」

と唱えると、手の中の氷がシュルシュルと溶けた。この人は、面倒になって適当なことをいっているのではないかという疑問が頭をよぎったが、一応落ちていた氷を手に取ると

「温(カリドム)」

という言葉で同じ現象が起きた。ルキウス団長は、これ以上の尋問は受け付けないというように

「もういいだろう…私は少し疲れた。送っていけ」

と言葉を遮った。レーパの背中にルキウス団長と相乗りして、手綱を握りはたと思ってもう一つ尋ねた。

「そういえば、ルキウス団長のお住まいはどこですか?」



翌日、厩にいけばもうすでにニコライは準備を整えた状態で

「今日は荷物を入れ替えするだけだから、一人で行ってくるよ」

と、車を引かせたトラスニークに乗り込んだニコライは挨拶だけ済ませるとさっさと出発してしまった。

その足で魔法研究所に行くと

「おはようございます。リオ様」

と目の下に真っ黒なくまを作ったマイロが出迎えた。

「とうとう、完成しましたの!」

と目の下に真っ黒なくまを作ったアイラもいう。

そこには、事務用のアームカバーを付けて一心不乱に魔法陣を書き続ける横一列に並んだ魔法師たちの姿があった。

「………」

以前言っていた量産体制って、手書きをとにかく一生懸命急いで書くという意味だったんだな。と感心を通り越して感動すら覚えた。

「それにしても…この名前はダサすぎるのでは…」

とエンセキガイセンと記された巻物の名前に頭を抱える。

「そうですか?なんか勇者みたいで、かっこいいと思いますよ」

と、マイロはなぜか目を輝かせながらいう。

「そうですわ。せっかくリオ様がお教え下さったエンセキガイセンですもの。後世に残すべく名前として採用させていただきました」

と、アイラも手を組んで訴えた。

「ところで、今は繁忙期なんだよね?」

二人の謎のテンションに些か引き気味になりながら、これがランナーズハイというものかと納得しつつ聞いてみる。

「えぇ。エンセキガイセンを寒さに弱い火の国の民が大量に注文してくださいますの。ちょうどこのタイミングでこの魔法が完成したことに運命を感じます」

といいつつ、アイラの目がお金のマークにきらっと光った。

「そうか…」

と、おずおずと、背中に隠した大きな羊皮紙の巻紙が入った紙袋を出して説明をした。

「それはいいアイデアですね。ぜひこちらも商品化してもよろしいですか?もちろんこれはタダで引き受けさせていただきます」

アイデア料の対価として……と隠れたアイラの意図をしっかりと受け止めつつ

「今日中には準備ができるかな?」

と聞くと、

「何か急ぎの用なのですね」

と頷いた。




一週間ぶりに現れた第一騎士団の演習場に

「何か、痩せたか?」

と、シォドア団長が顔を覗き込む。

「視察は明日からですよね。今日は何か精のつくものでも、ご馳走してくださいよ」

と甘えてみる。

城下町の店は普段よりも気のせいか閉まっている店が多い。店を閉じて臨時の屋台を開いている店もある。ジビエ焼きと名打たれた、猪肉とPマン、玉ねぎの串焼きを買ってもらう。

「この一週間で急激に物価が上がったんだ。小麦や砂糖、塩なんかが手に入りにくくなっていて、休店に追い込まれたところも多い」

この間、シォドア団長と来たパン屋も閉まっていて、店前で米粉のパンを少し売っている。店の中に並べられるほどの種類は用意できないらしい。

「米は不足しなかったんですね」

「あぁ。首都周辺ではコメを使った料理はあまり知られていないからな。東の地域ではよく食べるらしいが、この辺りでは調理法も知らない者も多いだろう」

「これはこれでムッチリしていておいしいですけどね」

「シォドア団長!あれも食べてみたいです」

バナナクレープにタピオカジュースを両手に次の屋台を見つける。キャベツにネギ、長芋、

「生きているのか?」

こわごわ、皿の中で湯気を立てる異文化の食べ物にシォドア団長は引き攣った顔をしている。食糧難でこの辺りではあまり人気のないものも輸入しているのだろう。

「そんなこと言わずに一口食べてみてくださいよ。はい、あーん」

とほかほかのそれを箸で口に押し込む。しばらく眉間に皺を寄せていたシォドア団長は、

「うまいな」

と笑う。

「まさか、ここでお好み焼きが食べられるとは思いませんでした」

と鰹節が躍るアツアツのお好み焼きを頬張った。お腹が膨れたところで

「明日は朝早いのだろう?リオの家は城下町からだいぶ離れているが…」

もじもじとシォドア団長が切り出した。

「あぁ。それなら、ニコライ殿の家に泊めていただくように話してありますから」

と答えると、

「なっそれなら…私の家に泊ればいいだろう!」

となぜか、ムキになって止めようとする。

「……でも」

「なぜニコライはよくて私の家ではだめなのか!」

と、必死になるので渋々ついていく。なぜだめか、それはあなたが一番ご存じでは?と頭の中で反論しつつ、着いたシォドア団長の家には煌々と明かりがついている。玄関の鈴を鳴らすとしばらくしてメイド姿の老婦人が出てきた。

「おかえりなさいませ。シォドア様」

「ただいま。明日からの視察に同行する近衛隊のリオだ。早朝から出かけるので今夜はうちに泊まってもらうことにした。世話を頼む」

「まぁ。かわいらしいお方。特別なお客様ならば、先にいって下さればもてなせましたのに」

と玄関を開けて迎えると

「わぁ……キレイになってる」

玄関扉のすぐ近くまでモノが溢れた埃っぽい状況は一掃され、花が生けられていた。

「ほほほほっリオ様は、以前の状況をご覧になったのですね。ご安心ください。この婆が隅から隅まで磨き上げましたから」

土がむき出しになっていた壁にはきれいな白い壁紙が貼ってあって、豪華ではないが落ち着いたカントリー調の家具が揃えられ、そして何ということでしょうというbefore afterのBGMが頭の中に流れるほど

「テーブルの上が空いています!」

と感動すると、なぜかシォドア団長は顔を赤くして両手で顔面を押さえ俯いている。



明日の打ち合わせを兼ねてきれいになったテーブルを挟んでこの一週間の話をシォドア団長に報告した。

「……そうかロハはそんな現状なのだな」

残りの時間、私はニコライとともに行商をしながらロハ各地の街を巡った。どこも長引く冬の影響で人々は飢え、燃料も底をつき寒い中、身を寄せるようにして耐え忍んでいた。それは北にいくほど状況が悪化している。

「お二人とも、明日は、お早いのでしょう。お話しはそのくらいにしてお風呂に入って今日はゆっくりなさったらいかがでしょうか?」

「お風呂!」

考えてみればもう4日も入っていないのだった。

「あぁ。ゆっくり入って来い」

「お二人で入られますか?お風呂も大きな檜の浴槽に新調しましたのでお二人でもゆったり浸かれますよ」

とメイドが茶化すと

「なっなにをいうか」

とまた顔を赤くするシォドア団長に、二人で笑う。



翌日、早朝。厩に行けば、すでに両親馬のクレブーニカとレーパ、何でも屋のニコライの姿はない。

「やぁ、トラスニーク、元気だったかい?」

トラスニークは、ヒーンと高く声を上げ、膝を高く持ち上げるステップを見せて真の主の来訪を喜んで見せた。フィーガも前日の走行の疲れはないようだ。驚くほど頑丈で働き者というロハ・ドラフト種の馬の強さはもう身をもって知っている。バケツにたっぷりの藁に人参やカボチャなどの好物の野菜に特別にリンゴも添えて朝食を用意すると二頭ともペロリと平らげる。厩に付設して作られているニコライの住居にある倉庫を覗くと、山積みにされていた小麦や砂糖、塩や、燃料にする薪などはなく代わりにたくさんの毛皮や弓矢などのロハの特産物が乱雑に置かれていた。隅にまとめて置いた旅荷物を抱えて階段を降りると、厩の方で何か言い争う声がする。

「いい加減にしろ!」

というイラつきを隠さないシォドア団長の声に

「いや、二人より三人の方が…」

とどこかで聞いたことのある情けない声が続く。

「あぁ。アスラか」

アスラは、パンパンに詰まったザックを背に、シォドア団長の前で子どものようにもじもじと手をつつき、私の顔を見ると駆け寄ってきた。

「リオ!リオも、私が旅に同行した方が、色々と役立つと思うだろう?」

アスラはガタガタと私の肩を揺らし訴えてくる。確かに、騎士団に入ってからのアスラはルナやジェイクに扱かれ、毎日泥まみれになりながら必死に食らいついてきている。何もせずに生まれた場所に胡坐をかいていた以前とは別人のようだ。

「はっはっはっはっ……」

私は大きな声で笑った。嫌味なんて吹き飛ばすくらいの大きな笑いで。

「……りっリオぉ」

そんな私をアスラは半泣きで見る。

「アスラだって君は、まだ乗馬が出来ないじゃないか?どうやって付いてくるんだい?」

とひと笑いすると、そう答えを出した。

「じゃっ、じゃあ、馬に乗れるようになったら…今度は一緒に行ってもいいのか?」

と、アスラは必死に食らいつく。

「あぁ、そうだな」

ふわりと、その柔らかい金髪を撫でた。ガチガチにかたまっていた肩が少し解れた。



ロハへの旅路は順調な滑り出しだった。冬の国への最短ルート、磁石の真北を目指しフィーガとトラスニークは新雪の道なき道をひた走る。太陽が一番高く上がったころゆっくりと手綱を引いて馬の足を止める。

「一旦、休憩にしましょう」

「調子がいい時に進んだ方がよくないか?」

「いや、馬も私たちも調子がいいと疲れを忘れているだけです。適当に休まなければ怪我や事故の原因になりますよ」

と適当な場所で薪を炊き、火を起こす。ロハ・ドラフト種の馬の特徴は強固であるというだけではない。臆病だといわれる性格も、場に慣れてしまえばいっそ逞しく頼もしい。フィーガとトラスニークは休憩だと理解すると、近くの常緑樹の近くに行ってその葉を毟り始めた。首を長くしてモミの木の葉を一心不乱に食べている。ニコライによれば、ロハ・ドラフト種の馬はどの木ならば食べていいのか、本能で理解しているらしい。旅の途中での食料は彼らに任せておけばいいとも。実際に、木の葉が食べつくされた地域ではその頑丈な歯で削り取る様に樹皮を食べ、新芽をバリバリと人参のようにおいしそうに食べつくすのだった。ザックの中から、今朝アスラから受け取った食料を開ける。リンゴに、パン、いくつかの缶詰、ビスケットやスコーンの入った紙袋。

新雪を溶かした湯が焚けると、ティーバッグで濃い目のミルクティを入れた。落ちていた枝にスコーンを差して温める。ビスケットも均等に二人分にすると

「いや、私はあまり腹が減っていないから……」

のを

「厳寒下では栄養補給も生き延びるために大切です。いいから食べてください」

と、アツアツのカップと、ほんのり温まったビスケットと、スコーンを押し付けた。リンゴは移動の最中に凍ってシャーベットのようになっている。フィーガとトラスニークにそれぞれ分けると、小気味よい音を立てながら二頭はすぐに食べきった。

夕日がわずかに見えるころ、再び馬を止める。

「今日はこの辺りで休みましょう。程よい場所を探してきます。荷物と馬たちを見ててください」

というと、もうシォドア団長は何も言わない。耳当て付きの深い帽子と、顔をミイラのようにぐるぐると羊の毛で編んだマフラーで隠した状態なので、ほとんど表情はわからないが、目元が少し赤ばんでいる。樹木の生えた根元に傾斜のある場所を見つけて

「ちょうどいい場所があったのでそこに雪洞を掘ります」

母親の買い物に連れられた小学生男子の如く押し黙ったまま、二人で作業を進める。シャベルで掘って掻き出した雪を、シォドア団長が少し離れた場所に固めて山にする。二人が横になれるスペースの穴を作ると、天井に小さな換気口を付け、床と出入口になめし革を敷いて掛けた。作った雪山は、二頭の馬の風よけにする。

グヅグヅに煮えたオイルサーディンの缶詰に硬くなったパンを浸して夕食にする。

雪洞の中でろうそくを点け、軟膏を取り出してシォドア団長のしもやけになっている目元に塗った。

「今日はもう寝ましょう」

と羊皮紙の包と毛布を取り出した。

「なんだ?それは」

「こう使うんですよ」

と革紐のリボンを開くと、魔法陣が一瞬光ってほのかな熱が放たれる。

「こうして床に引けば温かいので使ってください」

毛布にくるまれたシォドア団長はまもなく規則正しい寝息を立て始めた。揺らめく、ろうそくの火の下で私は懐から一冊の手記を取り出す。タイトルはある冒険家の手記。一度目を通しているので内容は知っているのだが、夜は長い。何度も開いては読まれた文字の冒頭から目を通す。

――私の旅がいつか終わるのか、終えることも出来ずに閉じるのかわからないが、後世のためにこの記録を残しておこう。まずは私の旅の理由だ。元来私の住む領土は、厳寒に悩まされてきた。そしていつからか、その寒さは冬の国という幻にも思える国が存在し、領地に厳しい寒さをもたらしているのではないかといわれるようになった。寒さに憂いでいる民が何か少しでも希望を持てるようにという迷い事ではないかと、この地域に住まない者ならば鼻で笑うのかもしれない。たとえば、悪いことが起きたら、悪魔のせいにでもするような子どもの夢想だと。でもある時期から、私はその考えが全く空虚なるものではないと思い始めた。この根拠は……

「リオ?リオ…?」

朝、私を呼ぶ声に

「おばぁちゃん、あと5分…」

と答えると、困ったようなシォドア団長の笑い声で目が覚めた。

「おはよう。リオ」

「おはようございます。シォドア団長」



手早く朝食を済ませると、二日目の走行も順調に進み、夕方を迎える。昨日はほとんど側で言われるがまま動くだけのシォドア団長は、もともと要領の良い方なのだろう

「今日は私がやってみよう」

とスコップを手にすると、私がニコライの指導の下でも何度も陥没させやり直しをさせられた天井の空気穴も難なく作り上げた。

「どうだろうか?」

出来上がった雪洞は、一度目とは思えないほど滑らかな天井に広すぎず温かさを保てるスペースが確保され、ろうそくを置くための燭台まで作ってある。

「明日からはシォドア団長にお願いしたいです」

素直に答えた。

――根拠は、領土の方向と寒さの関係だ。まず、私はこの国で最も北にある領土を南北に横断してみた。当然だが、北に位置した地域の雪が深い。それから、領地の北側に沿って東西に横断してみると不思議なことに気が付いた。雪は東西の両端ではなく、領地の中央が最も深く多い。つまり、このポイントに何かの秘密があるに違いないそう結論付けた私は……

「リオ?」

「おはようございます。シォドア団長。シォドア団長っておばぁちゃんみたいですね」

二日連続起こされてしまう体たらくにため息を溢しつつ、丸まっていた体を解した。外に出てみると、空が暗い。

「今日はなかなか、厳しい展開が待っていそうですね……」

少しでも先にと喘ぐが、昼過ぎにちらつきだした雪に断念した。

「ここでしばらく休むことになりそうです。少し広めに掘っておきましょう」

二人がかりで中腰が出来るほどの大きな雪洞を作る。二頭の馬を囲う壁も平面ではなく囲うようにしっかりと固める。すべての作業を終えると、すでに吹雪は始まっていた。ビュービューと風は低く唸り、寒さは芯に堪える。ふとすると、飲み込まれそうな恐怖と隣り合わせの現実に、私はとっておきの食料を取り出した。トマトの缶詰に、分厚い塩蔵肉をドボドボと入れて、米と玉ねぎのスライスと共に炊く。

「これは美味そうだな」

とシォドア団長がいうと

「最後にとっておきの……」

と、チーズをナイフで削り入れると

「できました。チーズトマトリゾットです」

と湯気の向こうから笑いかける。不安に押しつぶされている時間は無駄だ。脂の浮いたトマトスープを喉に流し込んだ。

――そのポイントに近い自宅から捜索することにした。最北部は密林と、崖の険しい地域だ。

時に急斜面の岩場を、雪解け水の溢れる滝を私は隈なく捜索した。そしてとうとう見つけたのだ。その場所を。

手記はここで強引に終わっている。残りのページは乱暴に破られてない。

三日目の一日を、雪洞の中で春を待つ熊のように待った。荒れた空は収まる気配はない。雪洞の中で私は繰り返し手記を読み、シォドア団長は手持ちの剣の刃を磨いて過ごした。

四日目の朝。何か騒々しい争い合う声と、馬のけたたましい鳴き声で目が覚めた。私は毛布を蹴るように起き上がると、傍らに置いていた腰ベルトに、短剣と長剣をもどかしく吊り下げながら入り口に掛けたなめし革をそっと開けて隙間から様子を伺う。

まずフィーガとトラスニークが興奮気味に地を蹴って威嚇している。その前に、立ち塞がったシォドア団長は、向かい合う人々を牽制しつつ、どうにか二頭を宥めようと手のひらを押し下げ「落ち着け、どうどう」というサインを送っていた。目の前には、男たちが薪割りの斧や、猟に使う弓や槍、動物を解体する際に使う大きな刃の付いた肉切り包丁などをシォドア団長に差し向けていた。

すぐにでも助けにいかなくてはいけないと思ったが、足がすくんだ。寒さではない震えで膝が笑った。敵の数は5人だ。力でいなすのは簡単だと理解した。だが、彼らは兵士ではない。そしてここは演習場ではない。命の…人間の命のやり取りがそこにあるのだと思ったら、途端に恐怖が襲う。私は…私は彼らを殺めてしまうかもしれないのだ。

「こんなところに旅行なんてアンタも変わっているが、私たちは命がかかっているんだよ」

男の一人が言う。

「何も乱暴なことをしたいわけじゃない。アンタの荷物で使えるものを置いていってくれればそこまではしないよ」

愛想笑いを浮かべる男の矢はシォドア団長に向けられている。ダメだ。ふらふらと、その場に出ていきかけたその時、シォドア団長の手は素早く腰ベルトに向かい一本の剣を後ろ手に投げた。

ザクッ

雪に半分ほど埋まったその剣はこれ以上行ったら許さないというシォドア団長の一線だった。もう片方の手で取った剣で、目の前の弓男の弓と矢を一刀両断すると、毛皮で作られたブーツで男の胸を蹴り雪に沈める。続いて先ほどの第一声を上げた男の逃げ出そうとしたその背中を熊の分厚い毛皮ごと断ち切った。毛皮は見事に切り裂かれ、中の皮膚が薄く裂けて血がにじむ。周りの三人は一瞬の間に二人が倒され雪に沈んだのを呆気に取られて眺めていた。

「どうしますか?私はやりたくはないですが……」

何が起こったかまではわからなくても、それがシォドア団長の手によって行われたことを理解した三人は、慌てて雪の中から二人を起こして両肩に抱えると、住宅のある方向に向かって逃げて行った。ズブリと刺さった剣を雪の中から引き出して、水気を拭いながらしまうと

「大丈夫か?リオ」

何もしていない私のことをシォドア団長は心配した。そして

「おそらく報復しに来ないとは思うが、安全のためにも早くここから去ろう」

雪洞に入り荷物を片付けはじめた。

振り返ってみると、吹雪で気付かなかったが、集落と雪洞を作ったポイントはかなり近かった。何度も

「すみませんでした」

と謝ると

「仕方がないさ。私だって、人を殺めたことはないんだ。リオが躊躇する気持ちはわかる」

と何度でもシォドア団長は私を励ました。



現世で剣道を始めた時、

「莉緒は、女の子なんだから剣道なんてしなくてもいいんじゃないの?」

と、真っすぐ立った背中でコンセンス シォドア 克弥はこういった。

「でも、強くなきゃ守れないから」

と私が答えると、

「確かに強い方が弱いよりも間違わずにすむのかもしれない」

と呆れたように笑って言う。

いや…違う。いくら強くなっても間違った道をいけば何の意味もないのだ。



老婆はその時、久々に猟に出かけていた。丘のようになったポイントで、雪うさぎを見つけた時は、正直、今日はついていると浮かれてしまう。一人暮らしの老婆にとって、うさぎは一番狩りやすい獲物だ。小さくて扱いやすい。動きが俊敏だが、熟練の弓の腕を持つ老婆には何の障害にもならない。

雪うさぎが周囲を警戒するために立ち上がったその瞬間、引き絞っていた弓を放った。矢は一直線に飛び、雪うさぎを射た。弓を背中に掛けると、丘からすべり降り近寄っていく。   あと少しでその場所だ…というところまで歩みを進めてゾクゾクとした感覚に襲われた。あぁ……この感覚は間違いない。正面に小さな雪煙が舞うのを見た。老婆は目を閉じてその時が来たのを確信した。

雪の深いこの地域では、強者が弱者に入れ替わることなんてよくあること。いつまでも訪れない春に痺れを切らせた熊が、眠りから覚めることなんてよくあること。

雪煙を視界の片隅に捉えてから、老婆はそんなことに思いを巡らせていた。走馬灯なんていうけれど、こんなに時間が余るものだろうか?と、ふと目を開けると、雪煙のあった場所に大きな黒い山と、たくさんの赤い跡が散っていた。

「大丈夫ですか?ラヴェレンチ婦人」

その声は、黒髪、黒い瞳の青年から発せられた。王紋の入った近衛騎士団の白いマントは初めて目にするのに、懐かしい。そして、後ろから二頭のロハ・ドラフト種の馬を連れた精悍な若者が頭を下げた。黒髪の青年が

「私はコンセンス王国第一近衛騎士のグラス リオです。そして、こちらがコンセンス王国第一近衛騎士団長コンセンス シォドアです」

「突然お邪魔してしまいすみません」

シォドア第二王子は気さくな笑顔を向けた。リオは懐かしい薄汚れた革の手帳を荷物から出した。それから手紙も。

手帳のタイトルはラヴェレンチ婦人が、最後に見た時からもう二十年以上経っていても覚えていた。『ある冒険家の手記』、その中身の文章も、右上がりの癖字の一字一字も開かずとも思い出せる。それから、手紙を開いた。

―お母さん

元気ですか?こちらは相変わらずです。積もる話は雪が溶けたら実際に会ってしましょう。

今目の前にいる二人はきっと冬の国にたどり着ける人です。どうか信じて冬の国の扉の鍵を渡してあげてください。

ニコライ ラヴェレンチ

相変わらずのそっけなさに思わず吹き出してしまう。あの子はいつもそう。ここを出て、王国騎士団になると言い出した日も何でもないことのように告げて出て行った。

「わかりました。でも、今日はもう夕暮れです。今夜はうちに泊まって明日にしたらいかがでしょうか?」

ラヴェレンチ婦人の提案に

「では、お言葉に甘えて」

二人は口を揃えて言う。



タンスの上には三人の肖像画が描かれていた。ニコライ、若かりし頃のラヴェレンチ婦人、そして今のニコライにそっくりなラヴェレンチ男爵。肖像画の入っていた額縁を取ると、何枚かの紙きれを取り出す。

「彼は、幼い頃から冒険家でした。わからないこと、不思議なこと、この世界の何でもを知りたがったのです」

取り出した、古い紙きれを渡した。

「冬の国を探し求めていた彼は、ある日とうとうそれを見つけたといって、意気揚々と出かけて行きました。そして二度と帰ってくることはなかったのです。翌日彼はすっかり冷たくなった変わり果てた姿で村人に発見されました。私は残ったニコライも同じ運命を辿るのではないか、と恐れました。そして、破って隠したのです。ご存じのように、ニコライは父親のあとを追うようなことはしなかった。目の前から、消えてはしまいましたが、元気で生きていてくれれば、私はそれで満足なのです」

心からの言葉とそれが真実だと思える笑顔でそういうと、ラヴェレンチ婦人は息子からの手紙をそっと抱きしめた。



「冬の国に行く道はロハ・ドラフト種の馬が通るには狭すぎるから、ここに置いていくといいわ」

その昔、ロハ・ドラフト種の馬を飼っていたという広い厩は、このところは貯蔵庫として使っているという。春から秋にかけて、燃料になる薪やら、干した野菜やら、穀物などを少しづつ集めることを習慣化していたラヴェレンチ婦人は、この長い冬、集落より離れたラヴェレンチ男爵邸でも飢えることなく細々と暮らしていけた。広い厩には今、主人を待つ二頭のロハ・ドラフト種が体を休め、昨日捕えた熊の大きな毛皮が干してある。

実は何度かラヴェレンチ婦人も冬の国に行こうとしたことがあるらしい。食卓ではそんな話をしてくれた。ラヴェレンチ婦人曰く、その入り口はまるで手記の示す通りで、不気味に思えてどうしても中に進めなかったとも言っていた。

昨夜はあたたかなこの地方特産のビーツという赤かぶのスープに、柔らかなパン、新鮮な熊肉をローズマリーオイルで焼いた串焼きを久々にたらふく食べて満足し、ニコライのベッドを借りてぐっすりと眠り、ここまでの旅の疲れはすっかり回復した。

「いってらっしゃい」

と手を振るラヴェレンチ婦人に、大きく手を振って返した。

「いってきます」

大きなザッグに携帯食料や燃料、魔法陣が描かれている巻紙などを詰めて徒歩で出発する。


――冬の国はこんなにすぐ側にあった。驚くべきことに私の家の目の前だったのだ。

ラヴェレンチ男爵邸をまっすぐ北に向かうと3つの大中小の池が現れる。その中央の池を真っすぐに進む。しばらくするとロハ・ドラフト種の馬の如く大きな岩と、その後ろに隠れた二手に分かれた道が現れる。これを西に折れると次第に狭い獣道となり、その光景は突如現れるのだ。

「まるで――冬を越すために用意されたような豊かな森――」

その景色を見ると手記の言葉と全く同じ言葉が自然に口から漏れた。薄暗い途中の獣道に慣れた目が一瞬、その光景が幻かと思えるほど眩しく感じた。辺り一面豊かな草が生え、小鹿が悠々食事を楽しんでいる。森に生えた木は、真冬だというのに葉を落とさず青々とした緑と、赤やオレンジの実が鈴なりに成っていて、リスやウサギがその果実を求めて集まっている。

――森を抜けると不思議なことに七色の光を内側から発光する不思議な洞窟がある。そこが冬の国の入り口である。

手記はそこまでで途切れていた。冬の国の内部の状況は書かれていない。そして、何かが起こりラヴェレンチ男爵は命を失ったのだ。

カシャリ

動物たちの声に包まれた森に、小さいが違和感のある金属音が響く。シォドア団長が腰の剣をためしに棹から外す音だった。いつでも剣を振れる臨戦態勢を取った合図だ。ごくりと生唾を飲む音も聞こえる。

「では、行くか」

洞窟の中から差し込む光は、まるで照明のように洞窟内を明るくさせていた。

「これは、一体どうなっているのでしょうか?」

洞窟の天井は塞がれ、鍾乳洞のつらら石が吊り下げられている。

「全く、どういう仕掛けでこんな明かりがとれるのかわからん」

シォドア団長はそう口にしながらも、私に不安を与えないように表情は平然を装っている。

地面は氷の粒が細かくばらまかれている状態だ。歩くたびに、小さな粒が潰れて片栗粉の上を歩いているごとく、キシッキシッと足跡が出来る。足跡は私たちが踏んだ以外には見当たらない。

ここが本当に冬の国だというのは、その寒さだけが証明していた。まるで巨大な冷凍庫のなかにいるように芯から冷える寒さだ。ザックから羊の毛のマフラーを取り出すと、ぐるぐると顔全体に巻く。しばらくすると、洞窟の天井と横幅が広がった空間が現れる。真ん中にキラキラと天井の明かりを反射するようなスポットがある。

「地底湖だ!」

七色に反射する湖はかなり深いように思える。

「……?」

「どうしたリオ?」

少し離れたところにいたシォドア団長が不審に思ってこちらに歩み寄ってくる。気のせいだろうか?真っすぐだった水面がすこし揺れた……

「はっ離れて!」

叫びながら慌てて後ろに飛び退く。

ザッバーーーーン

大きな水しぶきを上げながら、緑色の人魚が勢いよく水面に浮上し、そのままの勢いで湖上に高くジャンプした。私が後ろに引いたのと同時にシォドア団長が、私の目の前に立ち塞がるように前に出た。

シャララーン

「なっ何を!」

シォドア団長は剣を抜き、人魚に対峙した。人魚は、白いまつ毛の下の七色の光彩を持つ怪しげな瞳でしっかりとシォドア団長が抜いた剣を認識した。そして水かきの付いた爪の長い手で素早く湖の水を

シャッバーー

っとシォドア団長に向けて掛けた。水は空中で氷の矢となり、シォドア団長を襲った。シォドア団長は剣を円状に素早く回転させ、向かってきた氷の矢を撥ねたが、避け切れなかった何発かの矢が足や肩に当たって、着ていた毛皮がはらはらと何本か舞った。

「シォドア団長!」

「来るな!」

シャッバーー

人魚は二発目の氷の矢を射た。シォドア団長は一発目と同じく剣を回転させることによって矢を弾くが、一発目よりも多くの矢が貫通し、腕や足に傷を作った。

ホォオオオオーー

それはいつか聞いたシャチの鳴き声をより強くしたような人魚の叫びだった。思わず耳を塞ぎたくなるが、そんなことをしている場合ではない。目の前のシォドア団長の毛皮を被った背中を両手で握り締めると命一杯の力で後ろに投げた。

「何を!」

投げ飛ばされた形のまま、キッと睨むが

「こっちのセリフです!そこで伏せて!」

人魚の口からポンプのように水が噴射された。

「凍れ(ゲロウ)」

「凍れ(ゲロウ)」

両手を突き出すように詠唱魔法を発動させると、どうにか自分一人分のスペースだけは凍らせることが出来たようで、バラバラと氷のブロックになって落ちていく。しかし、

バチャっ

投げ飛ばしたはずのシォドア団長は、すぐに庇おうと立ち上がったらしい。後ろで固めきれなかった水を思いっきり浴びてしまった。

「ごめんなさい……貴女を傷つけるつもりはないんです」

人魚に謝りシォドア団長の腕を掴むようにして湖を足早に去った。人魚はそれ以上追いかけることはなかった。



湖から離れて、何も起きないことを確認すると、シォドア団長の状態を見る。上半身は毛皮の中までぐっしょりと濡れて、冷え切っている。とりあえず、濡れたマフラーを取り、湿った毛皮を脱がせた。

「温(カリドム)」

「温(カリドム)」

「温(カリドム)」

凍えた顔や首筋に熱を与える詠唱魔法を施すと、毛布にしていた布を引き裂きマフラー代わりにぐるぐると巻く。なめし革をマントのように結んで防寒着にした。

「すまない…」

シォドア団長は目に見えて落ち込むと頭を下げた。

「大丈夫です。それより体は平気ですか?」

元気づけるための笑顔を作ったが、私も頭痛がひどい。ザックからチョコレートバーを取り出してシォドア団長にも手渡すと齧り始めた。この期に及んで反発する気もないのか、シォドア団長もネズミのように齧る。

「これからどうしましょうか?」

一旦引き返してまた人魚を怒らせてしまったら、もう一度同じように魔法が発動するとは思えない。しかし、進んで何か結果を得られるのかわからない。そもそもにおいて現状把握をできるほど頭が巡らない。二人のチョコレートバーがすっかり腹の中に納まると、重い口をシォドア団長が開いた。

「進もう。わからないが、進めば何かが解決するような気がする」

理由が支離滅裂だ。妄言を吐いているのかもしれない。頭痛が収まらないので、ザックに入っていたキャラメルを取り出して口の中で溶かし、思考力の回復を待っていると、

――けて…助けて…

小さな呟きが頭の中に響いた。辺りを見回すがそれらしき姿はない。

「どうした?」

訝し気にシォドア団長が顔を覗く。その一回、微かだが確かに聞こえたのだ。小さな女の子の助けを呼ぶ声が。

「進みましょう」

声は洞窟の奥から聞こえた。



洞窟をさらに奥に進むといくつかの細道に分岐するポイントに辿り着いた。

「一個一個潰していくしかなさそうですね」

横並びの洞窟を眺めていると、後ろに何か気配を感じ振り返る。シォドア団長も同じく振り返り、

「……っつぅ」

と同時に息を呑んだ。そこには何体もの氷の騎士が立ち塞がっている。シォドア団長は柄に手を触れるが、安易に抜き身にしない。私が腰ベルトから長剣を取り出して、振ると続けてシォドア団長も剣を抜いた。ガッシャンガッシャンと、まるでねじ巻きのおもちゃのようにぎこちない動きでゆっくりと氷の騎士は距離を詰めてくる。私たちを追い詰めるように左右に寄って後ろから、人食い蟻のようにうじゃうじゃと氷の騎士は数だけ増えていく。じりじりと後退しながら様子を伺っていると一体の氷の騎士が、距離を詰めてスローモーションのように氷の斧を振り下ろした。反射的に剣で打ち返すと、氷の騎士はバラバラと地面に敷かれた氷の粒になった。

「ゴーレム?」

氷の騎士は意思を持たないただのおもちゃだったのだ。しかも、動きや攻撃がものすごく遅い。とても私たちを傷つける意図は感じられなかった。

「それにしても……」

「数が多すぎる」

一体一体は大したことない戦力だとしても、全てを倒すことは不可能だ。私たちを傷つける意図がないとしたら、このゴーレムはなぜここに現れたのだろうか。ゴーレムたちのゆっくりした動きを観察しているとある一つの可能性を感じた。私たちは、目を合わせると剣を収め、その可能性に走り出した。人一人が何とか抜けられるその道を屈んだり、横になったりして通り抜け、新たな空間にたどり着くと、後ろを追いかけてきたゴーレムたちはいつのまにかいなくなった。彼らは道先案内人だったのだ。

「どこに連れてこうとしているのでしょうか?」

と横を見ると、シォドア団長が青い顔をして肩で息をしていた。

「シォドア団長!」

慌てて支えると、意識がもうろうとしているらしい。肩にずっしりとした重さがかかる。壁際にもたれさせるようにして座らせると、マントをめくる。裂けた皮膚と、濡れた箇所が白く変色している。凍傷だ。ザックの中から遠赤外効果のある魔法陣を取り出して患部に当てて、持ち合わせたなめし革や毛布の切れ端などをすべて使って保温する。携帯燃料で火を焚き少しでも温度を上げる。だが、こんなことをしても時間の問題だ。

助けを呼ぶ?誰に?どうやって?

焦りで、背中を冷や汗が伝う。その時はっきりとした声が届いた。

――ここだよ。助けて……早く出して。

その声はすぐそばで聞こえた。立ち上がり、声の主の所に行く。

そこには、つららの檻の中に閉じ込められた一匹の子狐がいた。不思議な色合いの中型犬くらいの大きさの狐。暗闇のようにも、深い緑のようにも、鮮やかな黄色のようにも見えた。

「君が呼んでいたのか」

突き刺さったつららはちょうどパズルのピースのようにかっちりと狐の周りを取り囲むようにして配置されている。無理な力で折ったり、溶かしたりしたらバランスを崩して狐の体を傷つけてしまいそうだ。

「ちょっと待ってて」

完全に意識を失ってさなぎのように布にくるまれたシォドア団長の近くに置いてあったザックから、残りのチョコバーや、カチカチになったクッキー、飴や角砂糖をバリバリとかみ砕いて飲み込むと、焚いていたお湯で流し込んだ。

「じっとしていてね。動いちゃだめだよ」

と声を掛けて、じっと刺さったつららの構造を見極めた。太く鋭いつららの近くは触れるとバランスを崩して危ない。ジェンガのように慎重に

「温(カリドム)」

見極めたつららを一本づつ溶かし、溶かした状況も見極めてつぎのターゲットを探し

「温(カリドム)」

と溶かしていく。時折、ふらつく頭をポケットに突っ込んだ甘味で誤魔化す。

「温(カリドム)」

「温(カリドム)」

ようやく狐が通れるかどうかの隙間ができた。腹ばいになって腕を差し込むと

「大丈夫。こちらに身を任せて」

と声を掛け、狐も匍匐前進の要領でどうにか手の中に納まった。周囲の立ったままのつららに触れないようにゆっくりとゆっくりと足を引きずるように狐を隙間から出し、最後の箇所で毛皮が触れてはいけないつららに当たってしまう。

――危ない!

響いた声に、慌てて狐を胸に抱くと、横転し出来るだけ離れた。

バキバキバキン

つららがバランスを崩して落ちていく。地面の上で氷が割れて散らばる音が辺りを包んだ。

そのまま、音が止むまで狐を抱きしめて耐えると、そっと瞑っていた目を開いた。子狐を捕えていたつららの檻は大きな氷の山になっていた。そしてその前に子狐と同じような不思議な色合いのロハ・ドラフト種の馬が二頭分は優にある大狼が立ち塞がっていた。胸の中に収めていた子狐はいつのまにか大狼の足元に寄って体を擦っている。

――ありがとう。リオ。この恩は、忘れない

先ほどとは異なる大人の女性の声が頭の中で響いた。呆気に取られていると大狼は倒れていたシォドア団長を咥える。

――では送っていこう

という言葉で、大狼は伏せた。私は慌てて荷物をまとめて肩に掛けると

「いいんですか?」

と聞く大狼はコクリと頷いた。ゆっくり毛を伝って大狼の首のあたりによじ登ると

「よろしくお願いします」

と声を掛ける。

――しっかり掴まっておれ

というやいなや、大狼は竜巻のように洞窟の横穴から垂直に駆け上り、岩山のてっぺんまで辿り着くと、今度は雲の如く軽い足取りで岩山を降り地面に着くと、森の中をあっという間に通り抜け、出発したラヴェレンチ男爵邸の見える位置に到着した。大狼は咥えていたシォドア団長を静かに地面に下ろし伏せた。もそもそと大狼の背から降りて見上げると、空はすでに夜に包まれ、オーロラのカーテンを纏っていた。

――ありがとう。リオ。本当に心から礼を言う。それでは冬を閉じよう

そう言い残すと、大狼は煙のように姿を消した。




「もういいんですか?シォドア団長!」

リビングに繋がる木戸を開けて、シォドア団長が顔を出した。あの夜から2日を経過していた。

「あぁ。何だか気を失ってしまったようで……ここまでどうやって帰ってきたか覚えていないのだが……」

と頭を掻くシォドア団長に

「まぁお礼はラヴェレンチ婦人に言ってください。凍傷が広がると腕を落とす可能性もありましたから」

と脅すと、

「そっそうなのか。それは本当になんてお礼を言ったらよいのか」

と慌てるとラヴェレンチ婦人は、

「凍傷なんてこの辺りでは火傷と似たようなものですから、家々ではアロエ軟膏を用意しているんですよ」

と、いつかニコライに塗ってもらった軟膏をシォドア団長に渡した。

「精悍なお顔に傷が残ってはいけませんから、しばらく塗ってくださいね」

と笑った。

ピロシキに、カツレツ、たっぷりのシチューを堪能し、三人で片づけをしていると少し寂しそうな顔でラヴェレンチ婦人は言う。

「もう、リオ様の豪快な食べっぷりを見られなくなると思うと寂しいです」

皿を拭きながら、

「また遊びに来てもいいんですか?」

と聞くと、

「もちろん」

とにっこりと笑って答える。

「それに寂しがらなくても……」

耳を澄ますと、サーサーっという小さな水の流れる音が聞こえる。雪解けの音だ。

「春になりますよ。ニコライ ラヴェレンチ男爵も近いうちに戻ってくるでしょう」

というと、ラヴェレンチ婦人も春の合図に耳を澄ませながら

「本当ね」

とまた優しく微笑んだ。

「ところで、最後のロハの思い出に、サウナに入っていかれたら?」

「えっサウナあるんですか?それはいいですね!シォドア団長も一緒に入りましょうよ」

急に話を振られたシォドア団長はビクッと肩を震わせて

「それはいいけれど……ところでサウナって何のことだ?」

と聞くと

「ロハ式のお風呂ですよ」

と答えると

「なっなにぃ!!」

と手に持っていた皿を落とした。

「あぁぁ……」

ちなみにロハの食器は木製なので割れることはなかったが……。



「何を期待していたんですか?」

と、サウナ用に縫われた木綿の服を着た私が聞くと

「きっ期待なんて……」

モゴモゴと語尾を濁しながら、熱さのせいかシォドア団長の顔は真っ赤だ。同じような木綿の服を着たラヴェレンチ婦人は

「ロハ人はもっと熱い方が好みなんですけど、お二人はいかがです?」

と、鉄にくべられた石の前で聞く。

「私はもっと熱いのでも大丈夫ですけど……シォドア団長が……」

と顔色を窺うと、シォドア団長は強がって

「私もまだまだ平気だ」

という。

「じゃあ、お言葉に甘えて……」

と、柄杓で水を汲むとラヴェレンチ婦人は容赦なく石に掛ける。

ジョワジョワジョワ

と蒸気が部屋の中を一瞬で包み視界が白くなった。さらに追い込むように木の団扇でブンブンと熱波をこちらに掛けてくる。

「あっはは…すごい!」

と思わぬ熱さに笑う横で、シォドア団長は茹でだこのように顔を真っ赤にしていた。

外に出ると、残った雪の山にジャンプして手足をバタバタさせると、

「何をやっているんだ?」

と、雪の冷たさで顔を冷やしていたシォドア団長は不思議そうに聞いた。

「何って、天使ですよ」

軽くジャンプして形を崩さないようにその場から離れると、

「ここが天使の頭で、ここが羽、そしてここがスカートです」

「はぁ。なるほど」

指さした形を説明してようやくシォドア団長は深く頷いた。それにしてもロハ人は寒さにも強いが熱さにも強いらしい。未だにサウナから出てこない。

「先に戻っていましょうか」

というと、

「そうだな」

とシォドア団長は答えた。部屋着に替えてリビングに戻ると、水を汲む。

「たくさん、汗を掻いたから水分をちゃんととってくださいね」

という言葉に

「あぁ。すまない」

とシォドア団長が手に取ったそのコップの異変に気付いたのは、丁度外から家の中に戻ってきたラヴェレンチ婦人と、振り返った私とほぼ同時だった。

「あっ!」

という声を上げる間もなくシォドア団長はコップの中のものを飲み干し

バターーン

とその場に倒れた。

「やっちゃったわね」

「はい……すみません」

と、シォドア団長の体に怪我がないのを確かめて答えた。そのコップはラヴェレンチ婦人のために注いだテキーラだったのだ。

「これじゃあ、明日の朝の出発も危ういわね」

というラヴェレンチ婦人に

「はい……すみません」

と再び同じ言葉を告げて私はリビングのソファーにシォドア団長を移動させた。




ラヴェレンチ男爵邸を出て3日。雪の降らない帰り道に、馬たちは順調に走り続けコンセンス王国に辿り着く。厩にはランプの明かりが点いている。

「ニコライが先に戻ったのだろうか?」

とシォドア団長は呟くがクレブーニカとレーパの姿はない。おそらくニコライはロハ領内の見回りを続けているのだろう。帰還するにも、ロハ領を最短ルートで横断する私たちよりも道程が長いので遅くなる。ランプで照らされた明かりの下に懐かしい姿を見つけて私は声を掛けた。

「ロゼーヌ!」

シォドア団長から譲り受けた愛馬のロゼーヌは、心底嫌気が差したというような顔で背中に…

「アスラ?」

を乗せていた。私は静かにフィーガから降りると長旅の疲れを労い、背中の荷物や鞍を外す。

厩に案内し、新鮮な水と藁をたっぷり用意した。

「リオ、ほら見てよ。馬に乗れるようになったんだ」

「あぁ。すごいな」

といいながら手を差し出し、アスラをロゼーヌから降ろした。ロゼーヌはやっとか…といいたげに体をブルルと震わせた。

「リオ、馬に乗れるようになったら…」

と騒ぎ出したアスラに苛立ちを覚えたのか、シォドア団長が口を出そうとしたのを手で制して、

「わかった。馬に乗れるようになるほど頑張ったんだな」

アスラのフワフワした前髪を掻き上げて、形の良い額に口づけた。

「あっ」

「わっ」

アスラとシォドア団長がそれぞれ驚いて声を上げそうになったのを、敏感な馬の前だとそれぞれが口を押えて我慢した。

「アスラ…悪いけど馬の世話が出来るようになったのならフィーガの食事が終えたら、体を拭いて蹄を見ておいてあげてくれ。私は帰るよ」

「あっでも……リオは長旅で疲れただろうから今夜は家に泊まっていったら?」

というアスラに

「いや、なら家に!」

と対抗するシォドア団長に

「いや…帰る!」

ときっぱりいうと、ロゼーヌの背中に乗った。



夜道を我が家に向けて黒馬は軽やかに走る。

「ロゼーヌ、気苦労掛けたな」

と案じると、全くだ、窮屈な思いをさせてというようにロゼーヌは足を速めた。



何週間ぶりの我が家だろう。燃料を節約しているのか、玄関灯は消えていて、ほのかに家の中の明かりだけが漏れている。

「おばぁちゃん……」

質素なリビングで、おばぁちゃんはいつもと変わらず、縫物をしていた。

「お帰り、リオ……。疲れただろう」

「あぁ。本当に疲れた」

リビングテーブルにうっぷするように座り込むが、おばぁちゃんは叱らずに

「お腹は減っているか?残り物のシチューならあるけれど……」

というので

「うん。食べる」

と答えた。ホカホカに湯気が立つ向こうで、おばぁちゃんはお茶を啜った。薄くスライスされたバゲットにシチューをくぐらせながら

「ねぇ、おばぁちゃん」

「何だい?」

「ずっと、この家で私の帰りを待っててね」

「何だい急に?子どもみたいなことをいって」

笑いながら

「出来るだけ、長生きするよ」

ぼそりとおばぁちゃんは答えた。何だか安心して急激に眠気に襲われた。船を漕ぎだした私に

「もう、お休みよ。リオが頼んでいたベッドは部屋に届いているよ」

「本当に?」

半分眠った頭で答える。臨時収入で得たお金で、作りのしっかりしたベッドと、綿がたっぷり詰まったマットレスと、羽毛布団を2セット買った。お陰でお金は泡のように消えたけれど。

ベストやブーツを脱ぐのももどかしく、私はベッドにダイブした。藁と木箱でできたベッドの何十倍も柔らかく包み込んでくれる新しいベッドに、すぐさま泥のような眠りが襲ってくる。

どこに行っても何をしていても待ってくれている人がいるというのは本当に安心する。

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