第2話 危険なお茶会とまやかしの魔法

「…リオ?早く起きなさい」

おばぁちゃんの声で目覚める。木で組まれた箱に、薄い藁とシーツを掛けたベッドは固く、背中が痛む。まだ夢の中なのだろうか?周囲を見回すと、見慣れない簡素な家具と、粘土をこねたような壁に囲まれている。とりあえず起き上がり、窓を開けてみる。

「なんだ?こりゃ」

まるでRPGの世界だ。井戸水に、馬小屋、小さな鶏舎が並んでいる。道は土で出来ていて、農夫が牛に引かれて作業に向かう。階段を駆け下り

「おばぁちゃん。大変だよ」

と声を掛ける。

「何だい?朝から騒がしいね」

振り返ったおばぁちゃんを見て何を言っても無駄だと悟った。

おばぁちゃんは見たことのない綿の入ったパッチワークのワンピースを着て、シャンプーハットのような帽子を被り、真面目な顔で釜戸の上でスープを煮込んでいる。     勿論、水道なんてあるわけがない。庭に出て、井戸の水を汲む。

木のバケツに映り込んだ自分の姿を見て、再びたじろぐ。長かった黒髪が短くなり、顔つきは今までと変わらないのだが、大きく変わったのが

「おっ男?」

ペタペタと体を触ると、あちこちの丸みがそぎ落とされたようになくなり、代わりに薄い筋肉が体を纏っている。



何もかもが現実と受け入れられなくとも腹は減る。

「いただきます」

スープは薄い野菜で少しの塩だけで煮込まれた簡素な味で、添えられたパンはまるで砂を無理やり練り込んで一つにまとめたようなジャリジャリとしたものだった。

……まじか。これが夢ではないとしたら、これから毎日がこうなのか…。おばぁちゃんは、相変わらずの無表情で食事を進める。まるでこれが日常だというように。

「ごちそうさまでした」

お湯のようなスープでパンを流し込むように飲み込むと、おばぁちゃんは、木箱から黒のベストと、ズボン、新しい皮のブーツを出した。

「今日は第三王子のお茶会だろう。あまりいいものではないけれど、これを着ていくといい」

と招待状を出した。

―グラス リオ男爵 殿

コンセンス王国第三王子 アスラ王子のお披露目と正室候補のお茶会のご案内

アスラ……と、まさか異世界に来てまで、と悩むべきはそこではない。私は一体どんな設定で何をしている人物なのか?ズボンとブーツを履き、ベストを付けた時点で、その大きな疑問は解消された。おばぁちゃんが、胸当てと皮ベルトに短剣と長剣を渡し、最後にマントを渡した。

―コンセンス王国第一近衛騎士団 と肩に大きな章がついているマントだった。

「じゃあ、行ってくる」

厩に居たのはこの男爵家には見合わないような艶っとした黒い鬣の馬だ。跨ると、待っていましたと言わんばかりに駆けだした。この世界にいる自分の体が馬の乗り方を教えてくれた。目指すコンセンス王宮は、考えなくても分かった。遠くにレンガの大きな建物で王宮らしきものはもうそれしかなかったからだ。



風を切る、黒馬はぐんぐんとスピードを上げていく。立ち並ぶ木々の緑も、畑の土の色も、空の青も、世界がごちゃ混ぜになって一つになって流れていく。

不思議だ。昨日までの私はもうそこにいなかった。惺流ばかり追いかけて、感情も何もかも振り回されていた私はどこにもいなかった。



城下町に着くと、馬を引いて城の入り口まで歩く。街を行き交うほとんどは人間だが、赤褐色の大きな巨人や、耳の立ったエルフやホビットなどの異人も闊歩している。商店には、肉屋や、パン屋、魚屋などが並んでいて流通には問題がなさそうだ。これらを自由に買う資金さえあれば、今朝のような貧しい食卓にはならずに済むのだろう。

……ということは、私の稼ぎに問題があるということか。

ベルト通しについている皮の巾着を覗くと、わずかにチャリンとした一円玉のような硬貨が数枚入っているだけだった。

「リオ先輩!」

ふいに呼び止められて振り返ると、白馬を曳いたポニーテールの女の子が小走りに近づいてくる。えんじ色のドレスを着ているが、上から自分と同じ近衛騎士団のマントを掛けていたので自分との関係性はすぐに理解できた。素早く肩の章紋に刺繍されている名前を確認する。

「おはよう。ルナ」

「じゃーん」

ルナはマントを取り一周してドレス姿を披露し最後にチョンとスカートの裾を摘まんで優雅に挨拶をした。

「すごく、似合っているよ」

私が素直にほめると、ルナは意外そうな顔をした。

「リオ先輩にそんなことを言ってもらえるなんて、正直驚きです。いつもなら馬子にもとかいっちゃうのに…」

そうなのか。この世界の私は思ったことを口に出すタイプらしい。

「先輩も、新しい服を用意したんですね。第三王子のお茶会のことあんなに面倒だっていっていたのに」

「あぁ。おばぁちゃんが用意してくれたんだ。正室候補を見繕うためのお茶会なんだろう?男の私が行ったところでどうにもならないだろうし……」

ルナはわけがわからないという顔をした。

「結婚するのに男も女も関係ないじゃないですか?うちの弟にも同じように招待状が来たんですけど、絶対嫌だって。父上が伯爵家から一人も参加しないでは面子が立たないからって無理やりドレスを作って強制参加させたんです」

そうか…今度は私が腑に落ちる場面だった。なぜ正室候補探しに男の自分が招待状を送られたのか。この世界では同性婚や異種婚などが当然に認められている。無論、両者の同意の元にだが。

城下町を通り過ぎると、城門が現れる。一応堀で囲まれ跳ね橋で繋いであるが、門は開けっ放しだ。槍を持った衛兵が、近衛騎士団のマントを横目で確認するぐらいで簡単に城内に入れてしまう。そこに白馬に乗った騎士が通りがかった。

「シォドア隊長!」

ルナは大きくその人に手を振った。シォドア?聞いたことのある名前に首を傾げつつ、乱れたマントを整えた。近衛第一騎士団の隊長ということは、王の騎士である。逆光で顔が見えなかったが、頭を下げると、

「どうした?リオ」

と不思議そうな声色で尋ねる。その声は馴染みがあった。恐々顔を上げると、

「……っ」

思わず声を上げそうになり、口を押える。そこにある顔、仕草、雰囲気すべてがコンセンス シォドア 克弥そのものだった。

「おはようございます。シォドア隊長」

平静を装って挨拶を済ませる。三頭を厩に入れ、水を汲み、藁を積む。シォドア隊長がドレス姿のルナを気遣って、馬の世話は二人で手分けする。ルナは、馬に括ってあったバッグにマントをしまいながら

「そういえば、ご帰還は明日の予定ではなかったですか?」

とシォドア隊長に聞く。すると、少し慌てたように

「今回は姉上…女王陛下の随行という名目だったから、森の国での会談が終わった時点で、早馬で帰ってきたんだ。急ぎまとめなくてはならない書類もあったからな」

と、誤魔化すように自分の乗ってきた馬の体を藁で拭き上げる。心なしか額に汗をかいている。

「そうなんですか。私も森の国にいつか行ってみたいなぁ。綺麗なところなんですよね」

「あぁ、七色に光る湖や、大理石で作られたエルフの町は本当に美しい」

ちらちらと、こちらを伺うような視線があるのは気のせいだろうか?

しかし、コンセンス王国、シォドア、シォドアの姉が女王だとすれば、第三王子アスラが誰かが察しがついた。二人に見えないところで、はぁぁあぁとため息をつく。これが夢であれば、すぐにでも目を覚ましたいところだが、傍らの馬の熱量はやけにリアルだ。

「そろそろ、失礼しよう。ルナのお茶会の準備もあるだろうし…」

マントを留めるとシォドア隊長が

「ちょっと待て」

と手の中に革ひもで括られた小さな石を私に握らせる。

「土産だ」

黄色のピカピカと光る石の中に、小さな何か生き物のようなものが閉じ込められている。

「化石ですか?」

「よく知っているな。古の生き物が石の中に閉じ込められたものだ。エルフの民が自らの化身として身に着けるらしい。生命力を高める効果があるのだと」

「シォドア隊長が頂いたのですよね。どうして私に?」

「いいから。身に着けておけ」

と、フイっと顔を背けてシォドア団長は城の方に向かっていく。

「ありがとうございます」

離れていく背中に声を掛けると、隣のルナがにまりと笑う。



第三王子のお見合い相手探しを兼ねたお茶会は、中園庭で行われた。招待客は年頃の男女と呼びかけられたので、自分と同じ17歳ぐらいの着飾った貴族、エルフやホビットなどの森の国の民、そして巨人族でもある火の国の民に合わせて、大中小と様々な大きさのテーブルや椅子が用意され、生演奏が流れている。第三王子の姿はまだなかったが、園庭のあちこちで気の合うもの同士が談笑していたり、音楽に合わせてダンスをするカップルもいた。

「今日の名目上は、アスラ王子の正室候補探しだろう?それにしては本人のご登場の前にすでにカップルが出来ているような気がするんだが……」

周辺の人の動きを観察しているように見せて、実はメイドたちが運んでくる食事にばかり目が奪われている。チキンの丸焼き、柔らかそうなパンに新鮮な野菜が挟まれたサンドウィッチ、赤い実が散りばめられたカルパッチョ。

「そりゃ、そーですよ。アスラ王子に見初められたいって思う人の方が少ないですからね。でも、それなりの身分の人が集まるこういう会で出会いを求める人はたくさんいると思いますよ」

コーヒーに紅茶やハーブティ、ワインにシャンパン、色とりどりの果実のジュースが運ばれてくる。

「ルナも、出会いを求めているんなら、遠慮せずに話しかけて来れば?」

「リオ先輩には言ったことなかったですか?私には小さい頃から、約束した婚約者がいるんですよ」

小さいころからの約束…にちくりと胸が痛むのは気のせいだろうか?

「それに…」

ちらりと中園庭の入り口のアーチをくぐって今登場した人物に、ルナは目をやった。日傘を差すメイドと、手を引く執事に両脇を支えられ、フリルやリボン、宝石が散りばめられた黄色のドレスを着たレディだ。その顔は…

「今回の本命は彼女でしょ。アイラ グゥイン公女」

ドクンドクンと、鼓動が早くなる。金髪に腰までの巻き毛に変わってはいたが、彼女の顔は間違いなく坂口 愛楽だった。

「侯爵家の娘で身分は申し分がないですし、コンセンス王国魔法研究員で才覚もあって、あの美貌ですからね。第三王子のお相手として彼女ほどふさわしい人間はいないでしょう」

最後に、背丈ほどある大きなケーキと、たくさんの焼き菓子、ゼリーなどが運ばれ、テーブルの上のごちそうが並び終える。アーチに赤い絨毯が敷かれ、両脇に国旗を捧げる衛兵と、ラッパや、太鼓、シンバルを持つ奏者が位置に着いた。

「お集りの皆様、大変長らくお待たせいたしました。只今より第三王子プリンス アスラのご登場となります」

赤い絨毯の左右に並ぶ賓客の中で、ルナとともに控える。客の動きが止まったところで恭しいラッパの曲が始まる。太鼓が曲を盛り上げ、シンバルが大きく鳴らされると、国旗を捧げる衛兵に先導された第三王子プリンス アスラが現れた。頭を下げているので顔は見えないが、黒く磨き上げられた革靴に包まれたその足音には聞き覚えがあった。アスラ王子が通った後は、客が顔を上げ拍手をする。そして目の前に跪いていた客が顔を上げ、意を決して顔を上げると、そこにあったのは、コンセンス アスラ 惺流の顔そのものだった。少しだけ髪の色が金髪に寄っているが、すっと通った鼻筋や、赤い唇、吸い込まれるような青い瞳。何年も追いかけ続けた惺流の姿がそこにいた。

天蓋のついたステージの下に、王座があり第三王子アスラが座り、長い足を組む。衛兵が両脇に旗を持って立つと、司会が声を上げた。

「それでは、来賓の方々には順番にお声がけをし、謁見の時間とさせていただきます。どうぞそれまでの間ごゆるりとご歓談ください」

さっそくアスラ王子の侍従がアイラ グゥイン公女のもとに駆け寄った。

私は、隅のテーブルを確保すると、皿に山盛りの食事と、菓子、ティーポッドごと紅茶を持ち寄る。

「そんなに一気に持ってきてはしたないですよ」

ルナが醒めた目でテーブルに乗った食べ物を見る。とはいっても、こちらは成長期の男子なのだ。貧乏男爵家でありつける量と質では賄えない。ルナの皮肉にも応えず黙々と食べ始めた私に

「まぁリオ先輩らしいですけどね…」

と呆れながらも、美しい所作で紅茶をティーカップに注ぎ寄与越す。

「ありがとう」

と、答えながらローストビーフを口にする。

「ところで…」

口に付いたソースを拭く仕草で、口元を隠しつつルナの耳元に小声で聞いた。

「アスラ王子の正室になりたいって思う人はいないってどういうこと?」

ルナも、懐から出した扇子で口元を隠しながら

「だって、あの無能王子ですよ。良いのは血統と見た目だけ。17にもなって職すら見極められない体たらく…」

丁度、そこまで話したところで向こうから従者を連れたアイラ グゥイン公女がこのテーブルに近づいてくる。

「ごきげんよう。ルナ ワイルダー嬢。こちらよろしいでしょうか?」

「こんにちは。アイラ グゥイン嬢。もちろん、どうぞ」

三人分の椅子を用意する私に不思議そうな顔を向ける。そして、意を汲んだのか

「ここまででいいわ。二人ともありがとう」

従者を下がらせ苦笑いをした。付き添いの人は座らせなくても良かったのか……。と、木陰になっているルナの席の横に椅子を一つ置き、自分の椅子や、カップ、皿を二人の向かい側に移動した。ルナとアイラが親しいのだと気を利かせたのだが、どうやら事情が違ったらしい。椅子に座るなり、「って」コーンとルナは脛を蹴って、睨みを利かせた表情をこちらに向けた。

「アイラ様、いつも弟がお世話になっています」

「あー…えぇ」

その答え方は本当にお世話になっているという気持ちがあればしないという歯切れの悪いものだった…むしろこちらがお世話をしてやっているというような。

「ところで、ご紹介しますね。グラス リオ男爵様です。コンセンス王国第一近衛騎士団の先輩になります」

「リオです。お会いできて光栄です。アイラ グゥイン嬢」

テーブルをぐるりと回ってアイラの前で跪く。

「こちらこそ、お噂はかねがね聞いております。お目にかかれてうれしいです」

アイラは繊細なレースで編まれた手袋で私の手を取ると、小さくふっくらとしたピンクの唇を付けた。――?!一瞬甲に感じたアイラの唇の柔らかさに驚くが、これがこの世界の挨拶の作法なのかもしれないと平静を装い立ち上がった。気のせいか、隣に座っているルナがジト目でこちらを見ていた。元の席に戻り、さすがに初対面の爵位が上の人の前でがっつくのも失礼かと思い、紅茶で口を湿らす。

そこに、アスラ王子の従者が訪れた。どうやら、伯爵家の娘であるルナを迎えに来たらしい。

「呼ばれたので失礼しますね」

どちらにせよ憂鬱だといった表情でルナは席を立った。憂鬱なのは、こちらだ。アイラ相手にどのような話をすればいいのか皆目見当がつかない。しかし、よく考えてみるとそっくりなのは外見だけなのかもしれない。現状、元居た世界の記憶を持っているのは自分だけのように思われた。ちまちまと、ケーキを崩しながらそんな結論に至った。顔を上げると、アイラと目が合う。形の良い笑顔をこちらに向ける。こちらもなんとか笑顔らしきものを作って応え、席を立って、

「紅茶はいかがですか?」

と話を切り出した。

「えっ。はい」

少し驚いた顔でこちらを見る。また作法を間違ってしまったようだ。ルナが淹れてくれたようにポッドを高い位置に向けると、如雨露のように注いだ。ソーサーを滑らかに滑らすようにアイラの目の前に置く。

「ありがとうございます。驚きました、器用なんですね」

お茶を淹れただけで褒めてくれる。アイラが紅茶を一口飲み干しカップを置いたのを見計らって

「ところで、さっきおっしゃっていた噂って?」

と問う。

「もちろん、近衛騎士団でのご活躍のことですわ。それに狩猟大会の優勝も。私もあの場に居りましたので大層感激いたしました。シォドア隊長から栄誉の印だと、黒馬を渡されたシーンなど、物語の一節のようで目頭が熱くなったものです」

少し、興奮気味にアイラは話す。なるほど、貧乏男爵家には不釣り合いだと思われたあの黒馬はシォドア隊長から授かったものだったのか。と納得する。

「アイラ嬢は魔法研究員でいらっしゃるとか?」

次の話題を振ると、アイラは一瞬そんなことも知らないのかといった顔を見せた…しまったと思ったが、繕うより惚けた方がよいだろうとそのままにした。少しでもこの世界の情報を知りたいというのが本音だ。

「えぇ。一応、自分の研究室も持っています」

「それは、すばらしい。実力者でいらっしゃるのですね」

重ねて褒めると、アイラも気分が良くなったのか

「では、少しお見せしましょうか?」

と、胸の間から細いステックを取り出し、空中に素早く模様を描くように動かすと、テーブルの少し離れたところにある砂糖壺から角砂糖が一つ、空中をゆらゆらと浮遊してアイラのカップにポトリと落ちた。さらにアイラがステックを新たに動かすとカップの中に小さな渦巻きが発生し角砂糖がしゅわりと溶ける。

「スゴイ!」

思わず拍手をしてしまう。今の現象がアイラによって行われたのか因果関係はないが、確かにそれは目の前で起きた出来事だ。アイラは甘くなった紅茶をコクリと飲むと照れたように笑った。それは先ほどと違って作り込んだ笑いではなく自然に零れた笑顔だった。ドキリとするほどかわいい。

「そんな風に魔法を褒めていただくなんて初めてです。私たち人間が扱う魔法は、エルフやホビットなどの森の民が扱うような木々を操ったり、地を揺るがしたり、波を作るような大きな魔法ではなくって、精々、カップの水を揺らして、砂糖のように軽いものを少しだけ動かせるような小手先のものですから、この国での評価は低いんです。それでも魔法使いである現女王が即位してから魔法の地位は大分向上したのですけどね」

「そんな風に謙遜しないでください。本当にスゴイなって思ったんです。私にはできないことですし」

「リオ様は、魔法の裁定は受けられたことがおありですか?」

「いや…」

「では、試してみましょう」

アイラはシュフォンで膨らんだスカートを器用に捌くと、後ろの垣根の根元に生えていた猫じゃらしを一つ折って摘まんだ。

「人間の使う魔法の発動条件は、大きく2種類あります。先ほど見せたのが魔法陣による発動。そしてもうひとつは、詠唱」

そこまでいうと、アイラは目を閉じて摘まんだ猫じゃらしを顔の前に持ってきた。

「月(ルーメン)の光(ルナエ)」

アイラがそう唱えると、猫じゃらしがわずかに発光した。

「こんな感じです」

「すごい」

魔法はどこまでも不思議としか言葉に転換できなかった。

「詠唱は、基本的に森の民の古代語を使いますが、それは森の民が魔法の操る技術に優れた人種だからです。魔法を発動するのに大切なのはイメージ。この猫じゃらしが月の光を浴びて穂が白く反射し光っている…そういうイメージを強く浮かべます。そして実際にこの猫じゃらしが月の光を浴びたという事実が必要です。洞窟の中にあった木の棒では今のような魔法は発動しません」

つまり、詠唱がきっかけとなって、イメージの中の現実が呼び起こされるということだろうか?アイラから猫じゃらしを受け取る。目を閉じた。垣根の足元。誰も見向きもしないような猫じゃらしを月の光だけが見つめている。

「月(ルーメン)の光(ルナエ)」

目を開けると、一瞬、蛍の光のような小さな光が穂から発せられた。

「やりましたね」

アイラが小さく手を叩いた。

「面白い。そしてスゴイな」

手の中の猫じゃらしを見つめた。確かに普通の猫じゃらしだ。種もしかけもない。

「よければ、今度、私の研究室をお尋ねください。魔法陣ならばもっと大きな魔法の発動もできますし、何よりリオ様には魔法の素養がおありです」

あぁ、ぜひ…と応えようとしたところで、アイラの表情が曇りそれに気づいて振り返ると、白い燕尾服を優雅に着こなした第三王子アスラの姿があった。

「話が盛り上がっていたところだったかな?」

アイラはさっとドレスの裾を持ち、頭を下げた。続いて、私もその場に膝をつく。

「第三王子アスラ様にご挨拶申し上げます。グラス リオと申します」

「あぁ。知っているよ。君が最後の来客なんだ。直接、迎えに来たのだけれどいいかい?」

「はぁ…?」



アスラ王子は何も言わず、従者もつけずに中庭園を抜け、前を歩く。こういう場合、どうするのがよいのかわからず、とりあえず連れられてきた犬のように後をついていくしかない。

中庭園を抜けると、バラの生垣が現れる。中央宮廷園だ。バラの芳香に囲まれた庭園の中央には白い大理石でできた噴水、その後ろには美しい芝で描かれた幾何学模様の緑が広がる。

「……」

あまりの美しさに息を呑んだ。

「この場所は初めてだろう。賓客でも限られた者しか入れない特別な庭だ。良かったら一緒に散策しよう」

「……はぁ」

青々と手入れされた庭を踏み入るのは恐れ多いと思いつつ、またしても犬のようについていくしかない。アスラ王子は機嫌が良いようで足取りも軽く、時々振り返ってはこちらを見て無邪気な笑顔さえ浮かべる。そのたびに強張った笑顔で返しているのですっかり表情筋が疲れてしまった。一周するのに30分ほどかかっただろうか、ようやく元の噴水まで戻って来られた。これで解放か……と少し緊張が解れると

「リオ殿、何か飲むか?」

とアスラ王子から声が掛けられる。ここで下手にYESとでも答えたら、また永遠に犬のようについて歩くはめになるのだろう……何か良い答えをしなければ……としばらく考え

「アスラ王子とともに何かを口にするのは胸がいっぱいで喉が通りそうもありません」

としおらしく答えてみた。その時に何だかアスラ王子の目が怪しく光ったような気がした。

アスラ王子は、ポケットから何やら白い箱を取り出した。パカンと開くとそれは大きなダイヤのついたリングだった。

「……?」

わけがわからない。とりあえず立ち尽くしたままいると、左手を取られ薬指にそのリングが嵌められる。されるがまま左手を差し出したような状態でいると、アスラ王子が、そのリングを嵌められた手の甲に口づけをした。あぁ…そういえば、この国ではそういう習慣があったような気がする。などと呑気に考えていると、アスラ王子は胸に挿していた赤いバラを一輪手に取って跪き、

「リオ殿、私と結婚してください」

といった???結婚??しかし、今の私は男の体だが…。などとまたまとまらない頭を巡らせているとバラは私の右手にしっかりと握らされた。あぁ…そういえば、この国では同性婚や異種婚が認められているのだった。視点をあちこちに動かしながら、逡巡する。身分の高い人にどうやって説明すればいいのか。不敬だと、牢に捕らわれたり……。

と硬直していると、アスラ王子は立ち上がり、私の腰に手を回した。…???…男になっても、背の高さは変わらないらしい。目の辺りに、アスラ王子の上向きで肉厚の赤い唇が見えた。アスラ王子は右手で私の顎をくいっと上げた。……!!近づく顔に、さすがに状況を理解する。そしてこれは例え慣習だとしても、度を過ぎている。

――バッシャーン

アスラ王子の胸の辺りを軽く押すと、そのままの勢いで後ろにあった噴水に勢いよく尻もちをついた。何が起こったのかわからないキョトンとした表情を浮かべている。いや、キョトンじゃないだろう……。半ば諦めの気持ちと、怒りの気持ちを何とか理性で押さえながら、私はアスラ王子に手を差し出した。

「大丈夫ですか?」

びしょ濡れになったアスラ王子は差し出された手を取って立ち上がる。

「……あぁ」

アスラ王子がどこも怪我をしていないのを確認してはっきりと言った。

「大変ありがたいお申し出なのですが、私はアスラ王子とは結婚できません」

きっと、だめだ。このタイプははっきりと伝えないと伝わらない。

「えっ……」

「失礼いたします」

そのまま、バラの垣根をスタスタと抜け、茶会の開かれていた中庭園にもどると、すでに賓客は帰った後で、メイドたちがせわしく後片付けをしている。



近衛騎士団の演習場の隅にある厩に行くと、ルナがぼんやりとベンチに腰かけていた。なぜかシォドア隊長も同じようなぼんやりとした顔でぐるぐると回る夕日を見つめていた。どうしたんだろう。何か二人に悲壮感が漂っているのは……?

「二人とも何かあったんですか?」

おずおずと、声を掛けるとリオが息を吹き返したように振り返り、問い詰めてきた。

「リオ先輩!何やっていたんですか?席に戻ったら姿はいないし、アイラ嬢は、アスラ王子がリオ先輩を連れて行ったと青い顔をしていて…」

と、二人の視線が自分の手に集まっているのに気が付いた。そして、私もそういえば……と思い出す。右手のバラ、左手のダイヤモンド。これではいくら察しの悪い人間でも、なにがあったのかは自明だ。私は左手のダイヤモンドを外し、シォドア隊長に差し出した。

「大変厚かましいのですが、この指輪を弟君にお返しくださいますか」

その一言で結論を察したのか、二人はあからさまに安心した顔になった。

「さて、私はそろそろ失礼しますか」

ルナは演技くさく伸びをすると、立ち上がって厩に行った。

シォドア隊長は、胸ポケットからレースのハンカチを取り出すと手の平にあった指輪を摘まみ包んでしまう。

「確かに預かった。渡しておこう」

ルナがいたベンチのスペースに腰を掛け、肘を伸ばして丸まった背中のストレッチをする。何だか疲れた。そして緊張を繰り返したせいか……腹が減った。折角、お茶会であんなごちそうを食べたのに。などと思っていると、突然シォドア隊長がぷっと噴き出しそのまま

「はっはっはっ……」

堪えきれずにひとしきり笑うと、立ち上がり手を差し出した。

「一本やろう!」

余計にお腹が減るとか、そういえばシォドア隊長は書類制作があって忙しいとかいってなかったっけか……とか、頭の中に流れたがシォドア隊長の手を取った。考えすぎて疲れたら体を動かす方がいいのかもしれない。



厩の横に無造作に刺さっている練習用の木刀を取り出して、向かい合う。

「いつでも来い」

そう構えるシォドア隊長はただ軽く剣を握っているだけのように見えて、張り詰めた間合いを作り出している。だが、私も女の体ではない。どこまで張り合えるのか楽しみだ。試しに一発大ぶりの太刀を振りかざすと、ふっとシォドア隊長は口元を緩ませた。この程度か。ガキーン!!

木と木のぶつかり合いとは思えない強い力で押し返されて、剣を握る腕がしびれる。怯むな。たかだか一発を凌がれたくらいで。力で勝てぬのならば…。と素早く何本もの突きを繰り出す。速く速く。もっと躱せぬスピードで。どちらの汗ともわからぬ玉が弾き、互いの息が上がっていく。シォドア隊長は単に突きを弾くのではなく、隙あらば上下左右に鋭い返しを撃ってくる。

カツーン!カツーン!ガッ!!

激しい攻防をいつまで続けられるのだろう。手のしびれが大きくなる。私の焦りに比べてシォドア隊長は息遣いに乱れがありこそすれ、持久力はまだまだ余裕のようだ。

どうせ負けるのなら……と、剣を両手に持ち直し私は勢いよく地面を蹴った。高跳びの要領で重力を込めた一発をシォドア隊長に向ける。一瞬、呆気にとられた表情をしたシォドア隊長はくるりと半身を回しながら長い足を私に蹴り込んだ。

「ごほっ…」

腹の辺りに命中した蹴りで、息が止まり思わず剣を放してしまう。負けか……。体をくの字に折りたたんで痛みを逃がしていると、シォドア隊長が申し訳ないという顔を前面に出してのぞき込んだ。

「すまなかった。医者を呼ぼうか?」

シォドア隊長が出した手を取り、立ち上がり、腹に付いた足跡をパンパンと払う。

「いえ、こちらも避けていただけなければ危ない目に遭わせていたので……おあいこです」

と、笑って答えた。

夕日はすっかり沈みかけて、辺りは暗闇に覆われかけている。厩のランプに火を灯すと黒馬の耳に鉄のプレートが打ち込まれていた。

――ロゼーヌ

この馬の名前か。

「ロゼーヌ、帰ろう」

名前を呼びながら頭を撫でると、頭の中にイメージが浮かんでくる。




麻袋一杯の獲物を狩った私が意気揚々とシォドア隊長の元を訪れた。

何しろ、私の獲物の中には、ウサギやキジ、狸だけではなく獰猛な牙を持つ猪が一頭紛れている。勝利は確信していた。荷車に乗せられた大きな猪を近衛騎士団のルナや仲間が必死に運んでいる。

『隊長!優勝はこちらのものですよ』

『そうだな…』

シォドア隊長はそういいながらも顔はちっとも悔しがってはいない、傍らの自分の獲ってきた小鹿と見比べながら、むしろ嬉しそうにしている。

『じゃあ、約束通り渡さなければならないな。いっとくが、返却は不可だぞ』

ロゼーヌは肉付きも良く美しい毛並みの黒馬だ。だが、難点があった。乗り主を選ぶのだ。彼女が認めた者でなければ振り落としてでも背中に乗らせない。乗っている最中に何か気に食わないことがあれば、わざと落馬させるような気高い馬だった。

『いいんです。私が欲しかったのはこの子ですから』

擦りよりもしない黒馬の目を覗き込んだ。



「月(ルーメン)の光(ルナエ)」

アスラ王子からもらった一輪のバラに詠唱をすると、月の光を受けて赤のバラが金色に光り出した。ロゼーヌの額の毛にそのバラを挿す。一連の様子をシォドア隊長が少し驚いたような顔で見つめていた。

「では、シォドア隊長、また明日」

ロゼーヌは帰路を走る。気持ちよさそうに黒い毛並みが月の光を反射して光っている。

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