第34話 残された時間と二人きり
翌日の紗英たちの表情は、光が当たっていないのかと思うほど暗く落ち込んでいた。ビュッフェの大きなテーブル席に並んで朝食を食べている間も無言のままで、皿とフォークが擦れる音だけが聞こえてくる。
すべてを七希に託して責任を投げ出した正司だけが一人、のほほんとした表情で朝から大きなチョコケーキを食べている。昨日寝る前にチーズケーキを食べていたというのに元気すぎる、と七希は小さくため息を漏らした。
「今日はどうしようか?」
重苦しい雰囲気の中、ためらいがちに口火を切ったのは美咲だった。他の仲間たちよりはいくらか元気があるのか、手元には正司のようにデザートのショートケーキがある。
「僕は今日も外に出てみるよ。何かヒントがあるかもしれないし、部屋にいるとなんとなく落ち着かないから」
「私は少し休ませてもらうわ。考えを整理したいの」
「俺たちもだな。午後には復帰するかもしれないけどね」
「俺は昨日休んでたから、全然いけるで! って痛っ」
一人だけ元気な声を上げた正司の耳を星夜が引っ張った。容赦ない攻撃に正司の顔は本気で歪んでいる。
「空気読め。お前には昨日何があったか報告してもらうから一緒に来い」
デザートのケーキの皿ごと星夜と麗に挟まれて引っ張っていかれた正司を見送ると、紗英もいそいそと席を立つ準備を始める。
「そういうわけで今日は二人で楽しんできて。考えるのは私の方が得意だと思ってるから」
そう言うと、隣の席に移った星夜たちに合流した。七希の目の前には美咲だけが残っている。
「気を遣わせるつもりはなかったんだけど」
言い訳のように切り出した美咲は、すぐにスマホを取り出して何かを調べている。すぐに見つかったようで美咲は自分のスマホに映ったメモを見せた。
「今日は私に付き合ってくれる?」
メモには今日のデートプランが書き込まれている。と言っても近くのカフェやスイーツ店がずらずらと並んでいるみたいだった。七希の好みそうな和菓子や和スイーツの店ばかり。本当なら数日かけて回りたいほどだった。
「修学旅行なのにいいのかな?」
「自由にしていいって言われてるし、それに七希くん前に行ったカフェ、気に入ってくれてたみたいだったから」
美咲に誘われて七希が断れるはずもない。デートの誘い、それも星夜たちが気を遣ってくれたおかげで二人きりだ。
「じゃあ、行こう。今日回れるだけ回ろうよ」
「ほんと? じゃあどこから行く? リストの上の方があんこがおいしいって有名なお店なの」
「えっと、それじゃあ一番上のお店から行こうよ」
明日までに答えが見つからなければ、七希は告白する。その決意はこの楽しい時間の中でも変わることはない。それならば、今日を目いっぱい楽しむことくらい許されてもよいと思えた。
観光地は巡回バスが一時間に何本か走っていて、地図上で見ると遠そうに見えたお店も一時間足らずで到着した。連峰になっている
「ささ、お殿様。こちらへどうぞ」
美咲も同じことを考えていたのか、役に入ったように古めかしい言葉で店の中へと誘ってくる。恥ずかしくて答えに窮していると、美咲の方も恥ずかしくなったのか、
店内は純和風というものではなく、古民家をリフォームしたコンクリートの床にテーブルセットが何組か置かれていた。お客さんの中には大学生くらいの団体が見えたが、七希と美咲のように高校生くらいの人はいない。少し浮いているような気がしながら、勧められるままに席に通された。
「怪しまれてないかな?」
「この間みたいに夜に来たわけじゃないんだから大丈夫だと思う。それよりほら。七希くんが好きそうなメニューがいっぱいでしょ?」
美咲が広げたメニュー表には、七希の頭の中を覗いたように好みのスイーツが並んでいる。最中はもちろん、大福、おはぎ、
「こんなお店があったなんて知らなかったよ」
「昨日のうちに調べておいたの。昨日みんなで回っているときに七希くんが気に入ってくれそうなお店があったから、もしかしたら近くに他にもあると思って」
「なんか悪いなぁ。いつも美咲がデートコースを考えてくれてる気がする。ここには中学の時に一度、課外学習で来たことがあるのに。その時はここからすぐ近くの登山口から山登りをして、お店なんて見る暇もなかったからなぁ」
「そうなの? じゃあ昨日のお寺巡りって行ったことある場所だったんじゃない?」
「でも中学の頃なんてちゃんと見てなかったから。それに登山の時に道を間違えて遭難しそうになって、そのことしか覚えてないよ」
「なになに? その話ちょっと聞かせて」
「別にそんな面白い話じゃないよ」
身を乗り出してきた美咲に驚いて体を反らす。遭難未遂の事件なんて楽しい話でもない。今ここに七希がいることが無事であったことの証明だから聞きやすいのかもしれないが、逆を言えば実際にあった恐怖体験みたいな話もないのだ。期待されればされるほどこの後出てくる話のスケールの小ささが際立つに違いない。
「注文が来るまででいいから。七希くんのこと、あまり知らないのってなんだか悲しいから」
少し寂しそうな声で言われると、七希が一方的に悪いような気分にさせられる。餡子入りのパウンドケーキに抹茶を頼んで待つ間、期待した目でこっちを見てくる美咲に、七希はしかたなく思い出話を始めた。
「ここの近くから登れる登山道の先には昔キャンプ場があったみたいなんだ。でも僕らが登った頃にはもう廃業になってて、でも登山道からの道だけ残ってたんだ。看板も文字がかすれてしまうくらいで、誰も使ってなかったみたい。
その日は登山の途中で霧が出てきて、あんまり前が見えなかったんだ。でも道はしっかりしているし迷うようなことはなかったんだけど、そのキャンプ場への道だけはしっかりしてたから間違えちゃったんだよ」
そんな失敗談を話していると、甘い香りとともにテーブルに注文したケーキが運ばれてくる。そこでようやく解放された気分で七希がフォークに手を伸ばすと、向かい側から美咲の手が伸びてきた。
「ねぇ、続きは? この後どうなるのか、っていういいところだと思うよ」
「約束と違うじゃない。でも、その後僕はこのまま死ぬんだって思いながら座ってたら、僕がいないことに気付いた友達が探してくれて助かったってだけの話だよ。冒険もないし何か奇跡が起こったわけでもなくて」
「じゃあ、今はどうなってるか、行ってみない?」
七希がさっと話を終えると、美咲は自分のケーキに手をつけながら、とんでもないことを言い出す。そういえば朝食でもしっかりケーキを一切れ食べていたのに大丈夫かというどうでもいいことに思考を逃がしたくなる。
「いやいや、危ないよ。特に準備してきてるわけでもないし。といっても中学生が体操服で登れるレベルだけどさ」
「だったらこの間の林間学校よりも簡単だね」
「そう言われるとその通りなんだけどさ」
いったい今の話のどこにそんなに興味のあることがあったのか、とも思ったが、有名な観光場所は昨日回ってしまったし、カフェを巡るにもお腹の具合に限界がある。それなら美咲が行きたいという場所に行く方がいいように思えた。
「危なくなったら帰るからね」
「うん。絶対に」
美咲はキャンプ場の跡地が遊園地にでもなっているかのような喜びっぷりだ。でも七希もあの時のことを少し思い出したい気分だった。
あの時友達が助けに来てくれたから、七希は他人を信じて困っている人は必ず助けることを誓った。
そして一度は裏切られ、今もう一度美咲と仲間を信じようとしている。
あの寂れた管理小屋の廃屋で死ぬかもしれないと膝を抱えて体を丸めていた自分が、ただの幼さゆえに絶望していただけと知ることができれば、今直面している困難も解決できると信じられそうだった。
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