第32話 万全の準備と平和な旅行

 七希は自分の部屋に帰ってくると、机の引き出しに入っている砥石を取り出した。ここ数日は勉強の方が忙しかったこともあって取り出していなかった。


「結局集中したいときにはこれになっちゃうんだよね」


 大きめのバケツに水を張って、中に砥石を入れる。表面が水を吸って滑らかになる。引っかかりやゴミがあるとよく切れる刃物にはならない。七希はやや大振りのナイフを手に取って、ディスプレイの明かりに光らせる。元はえんぴつを削るような小刀なのだが、七希によって今はその刀身は薄くなり、刃先の先端も鋭く刺さるほどになっている。


 刃をほとんど寝かせてゆっくりと押し付け過ぎず、しかし止まることなく砥石の上を滑らせる。それで一回。これを何度も繰り返していく。七希は考え事をするときはいつもこうしてナイフを作ることで気持ちを落ち着けてきた。単調な作業が一種の催眠状態を作るのか、不思議と集中できる。


 みんなで話し合っていても整理できていなかった頭が一研ぎするたびにアルバムをめくるように記憶を呼び起こしていく。


 薄赤色の紙が送られてきた時、教室で目覚めてデスゲームの開始を告げられた時、美咲が成長していて心臓が跳ねた時。


 冷たい美咲の体を抱え上げた手の感覚もはっきりと思い出せる。もう数十年にも感じる一カ月余りの記憶を七希は砥石とナイフが擦れる音を聞きながら、追体験していく。


 ふいに、手が止まる。


「あの時、白烏先生は言ってた。生き残るためにはこの教室にいる誰かに告白される必要があるって。やっぱり告白はゲームの参加者からされなきゃダメで。そうなると、全員が助かる方法なんてないのかな?」


 最後のイベントと言われた修学旅行が近づいてきている。今までと同じように出発する日付以外はまったく情報はもらえていない。林間学校の時のようにまた山中に放り出される可能性だってある。


「うーん。でも何を持っていけばいいんだろう。それに同じパターンってこともなさそうだし」


 七希は悩みながらもとりあえず食べるものと暖をとれるものは必要だろうと準備を進めていく。ふと机の隅に置き捨てていた研いだばかりのナイフが目に留まった。


「サバイバルになったら、あった方が便利だよね」


 カバンのサイドポケットを開くと、入れっぱなしのスプーンを改造した簡易ナイフの隣にそれを放り込んだ。


 修学旅行の集合もいつもの多目的教室だった。試験を脱落者なしで越えてきたおかげか、先週の試験結果発表の時と比べて気の緩んだ雰囲気が流れている。それでも今回は誰もがボストンバッグやキャリーカートを持ってきていて、準備を怠っているような気配はない。正司は前回の反省からか誰かに怒られたのか、料理器具を持ってくるのは諦めたらしく、一人だけ林間学校よりも荷物が少なくなっていた。


「いいですねぇ。さすがここまで生き残ってきたみなさんです。言われなくても先々の展開を考えて先手を打って準備しておくのは、社会においてとても役に立つ能力です」


 もっともらしい白烏の話を誰も聞いている様子はない。それよりもこれから発表されるはずの修学旅行の内容について聞き逃さないつもりで黙っている。


 七希もカバンの中に入れてきた保存の利く携帯食料や着替えに毛布、防寒用のアルミシートを頭の中で数える。考えられる生き残り手段を準備してきたつもりだった。


「どうやらみなさん旅行が楽しみで仕方ないようですね。それでは時間ももったいないですから説明はバスに乗ってからにしましょうか」


 白烏について教室を出ると、参加者が減ったからかバスは中型になっていた。少し狭い座席に座り、七希は膝の上に大きなボストンバッグを乗せる。荷物は荷台に乗せてもよかったが、拒否した。せっかく準備してきたものを奪われる可能性もある。それを考えると手から放すことはできない。


「さて、全員乗りましたね。では目的地に向かいます。行先は、もう少しだけ隠しておきましょうか。ですが、それほど遠くないことだけはお伝えしておきます。

 行程は二泊三日。とはいえきちんとしたルールはありません。場所は変わりますが、毎日誰かと五時間以上一緒に過ごすこと。そして誰かに告白されるように努力を続けて下さい。それから、この旅行がこの試験の最後のイベントと言いましたが、タイムリミットもここが最後です。最終日の午後五時。ここまでに告白されていない生徒は残念ながら不合格となり、罰を受けていただきます。人生最後の思い出作りにならないようにがんばってくださいね」


「あの、他にルールはないんですか?」


「はい。高校を卒業するための試験ですから。ここからは他人に縛られず、自分の力で時間を管理して使い、目標を達成してください」


 白烏は微笑みを崩さなかったが、七希にはそれからは優しさよりも残念そうな憐みの感情が見えたような気がした。


「質問がなければ到着までそれぞれ自由に過ごしてください。到着したらまた案内します」


 バスは高速道路に入っていく。今回はスマホの電波も途切れることなく順調で、学校から北西方面に向かっていることがわかった。林間学校の時とは違ってまともな道路を通っていることに安心してしまう。二時間ほど走ったところで高速道路が連れてきたのは隣県の観光地の都市だった。


 山間に寺社仏閣が残っていて、修学旅行の定番の地と言っていい。二千メートル級の青美岳あおみだけを中心とした登山コースも豊富で、山道がしっかり整備された初心者コースも多くある。七希も中学生の頃にこの辺りの名前も覚えていないどこかの山に登り、霧が出てよく見えなかったせいで途中の分かれ道で間違った方向に進んで遭難しかけたことがある。


 バスはいったいどこの山道で止まるのかという不安をよそに、真新しい外観のホテルの駐車場にピタリと停まった。


「さて、着きましたよ。荷物を持ってチェックインをします。シーズンオフのおかげで部屋は二人部屋をとれていますが、残念ながら参加人数が不透明だったので団体予約ができませんでした。

 そういうわけでみなさんは一般客ですから、迷惑をかけないようにしてください。観光は自由ですが、深夜零時以降は出入りができません。締め出されないように気をつけてください」


「あの、部屋割りとかは」


「ご自由にどうぞ。法律ですから二人部屋に三人泊まるのはダメですよ」


 そう言い残すと、白烏は手本を見せるようにチェックインを済ませると自分の部屋へと向かうエレベーターに乗り込んでしまった。


 エントランスに取り残された七希たちは顔を見合わせながら、肩透かしを食らったような気分だった。

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