第28話 勝利の可能性と子供の特権

 交代で風呂に入った美咲を見送って七希は大きなベッドに体を投げ出した。大きな溜息が自然と出てくる。定期試験の疲れもあるが、それ以上に紫苑がいなくなったという事実を忘れようとしていたのにこうして一人になるとまた脳の奥底に隠したはずの記憶がよみがえってくる。


 愛している、と言った紫苑、それを呪いだ、と言った紫苑、七希を殺したかった、といった紫苑。


 そのどれが本当のことでどれが嘘だったのか、七希にはいまだにわからなかった。


「あの、七希くん。大丈夫?」


 体を壁に隠すように顔だけ出して、美咲が声をかけてくる。透明な部分を見れば服をきちんと着ているのはわかるのだが、場所の雰囲気だけで意味が変わってくるような気がする。


 七希は少しだるい体をベッドから起こして美咲を迎え入れた。急な話だったから二人とも着替えもなく制服のままだが、少しでも楽にしたいと、ジャケットを脱いでネクタイは外している。


 美咲は慌てて出てきたのかまだ髪は濡れ、上気した頬に張りついていた。白いブラウスも湿気を吸ってうっすらと薄ピンク色のブラが透けている。七希はじろじろと見たくなる本能をぐっと我慢して美咲の目を見つめた。


「私の顔に何かついてる?」

「ううん。そういうわけじゃないよ」


 見つめているのもこれはこれで恥ずかしい。七希は視点の置き所を探して、結局自分の膝の上に向けた。美咲はベッドに腰をかけた七希の隣に座ると、溶け始めたソフトクリームのように七希の体にもたれかかった。


「僕はもう二度と美咲を失いたくないんだ。今日だってお互いの家に帰ったら明日会えないような気がしてた。だから、お願いがあるんだ。このゲームが終わるまでは絶対に告白はしないでほしい。二人とも生き残って、これからもずっと一緒にいたい」

「だったらそれぞれ他の誰かに告白してもらうしかないよ」


「それ、本当なのかなってちょっと考えてるんだ。このゲームの目的がよくわからなくて。僕らを殺すためならもっとやり方があると思うんだ。デスゲームがしたいなら武器を持たせて殺し合いをさせればいいよね? なのに、告白したら死ぬなんて僕らの自由に任せて見守るだけなんておかしくない?」


「それは、白烏先生に聞いてみないとわからないけど、教えてはくれないよね」


 防音を施した部屋では秘密の会話は外に漏れない。外で行われているであろう二人にはまだ早い行為の音も聞こえてはこない。次の言葉を探す二人の間には部屋に入ってきたばかりの頃に流れていた踏み込みたくても一歩踏み込めない空気はなくなっていた。今はただ、二人ともが生き残る方法をまだ未熟な脳をフル回転させて考えている。


「ルールには厳格なこと、必ず全員が生き残る方法が残されていること、それから白烏先生が言ってたんだ。私は生徒全員を愛している、って」


 その言葉を考えなしに信じるつもりもなかったが、紫苑に別れを告げていた時に聞いた白烏の言葉は嘘と断じることができなかった。淡々としていたのに、言葉の重さは七希と変わらないような気がしていた。


 何か別のゲームのクリア条件を探してみたが、いい方法が簡単に出てくるはずもなく、疲れと安心に襲われた二人はいつの間にか一つのベッドの上で並んで眠っていた。


 翌朝、少し遅くに目を覚まして事務室に行くと、眠そうな目で上田がコーヒーをすすっていた。監視カメラのモニターはすべてオフになっていて、もう店舗の営業は終わっているらしい。当然麗の姿もなく、残っているのは上田だけのようだ。


「おはようございます。昨日はありがとうございました」

「よう、起きたか。もう九時過ぎだが、学校はいいのか?」

「今日は午後からなので。でも遅くなってしまってすみません」


 本当なら仕事を終えて帰っているところだったはずだ。上田はそれでも嫌な顔一つせず、テーブルの上に置かれた革製の小さなケースを手に取ると、中に入っていた名刺を一枚、七希に差し出した。


「次からは事前に連絡してから来いよ。危ないしこっちもいろいろ準備があるからな」

「はい。これからもお願いするかもしれないです。すみません」


 七希が深々と頭を下げると、上田はまたコーヒーを一口飲み下して、じっと七希のうなじを見つめていた。


「あんちゃんもそうだが、最近の高校生ってのはずいぶん小せえんだな」

「え、加賀美くんはかなり大柄だと思いますけど」


「そうじゃねえよ。高校生なんてのはもっとわがままな生き物だったんだよ、俺らのときはな。大人なんてゴネれば自分に都合よく動く奴隷くらいにしか思ってなかった。だからこうして大人になったらあの時の恩返しのつもりでガキのいうことを聞いてやることにしてんだよ。

 大人になって迷惑をかけたら責任を取らなきゃいけない。でもガキの間は謝るだけで許してもらえるんだ。だから許される範囲の迷惑ならどんどんかけていけ。それがガキの特権だ」


 上田はそう言うと、今日一番の笑顔を見せた。


「迷惑かけていいんですか?」

「おう、これからも迷惑かけたくなったらそこに電話しな」


 上田に見送られ、七機と美咲は裏口から通りに出た。周囲には朝帰りらしいカップルが数組見えたが、ネオンも消え、客もいない風俗街はすっかり違う雰囲気になっている。


「どこかで朝ごはん食べてから学校に行こうか」

「うん。喫茶店のモーニングって初めて食べるかも。七希くんといるとたくさん初めてのことがあって楽しい」

「あ、うん。どこに行こうか?」


 こんな場所で初めて、と言われると別のことを考えてしまう。今は解決しなければならないことがある。七希が今考えたことはこのゲームに生き残ってから考え始めればいいことだ。


 目立たないようにさっさと風俗街を抜けて朝食を済ませて教室に着く頃には、正午も過ぎてそわそわした表情でもう席についている生徒もいる。試験を受けたのは十二人。そのうち赤点をとればさらに減ることになる。


 もう何もできないとわかっていても、七希は祈らずにはいられない。そうしているうちに全員がそろい、白烏が最後に教室に入ってきた。

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