第27話 無力な二人と特別な夜

 薄暗くなってきた教室でようやく二人は体を離した。ずっと泣き続けていた美咲の目元は真っ赤になって腫れていたが、七希には今までで一番きれいな姿に見えた。


 二人は離れたくなかったが、暗くなっていく空を見上げてどちらともなく教室を出た。許されるならこのまま二人で遠くへ逃げてしまいたかった。だが、それは二人の右腕にはめられた腕輪がある限り、それは叶わない。明日の午後一時に教室にいなければ、二人の体に毒が打ち込まれてしまうだろう。


 二人並んで学校を出る。外は暗かったがこのまま別れる気持ちにはなれなかった。


「今日はまだ一緒にいたいよ」


 先に本音をこぼしたのは七希の方だった。


「うん。私だってそうだよ。どこでもいいから今日だけは」

「でもこんな寒さじゃ外ってわけにもいかないし、高校生が夜にお店にいても通報されるかもしれない。いい場所を探そう」


 そう言ったものの二人で街を彷徨さまよってみたが、冬の寒さを乗り切れそうな場所は見つからなかった。ファミレスもファストフードの店も高校生が制服で居座っていれば目立つ。ネットカフェも同じで条例で年齢制限がある。ホテルも保護者の同意書がなければ泊めてはもらえない。


 どこにも行き先のないまま、子供のいない公園のベンチに座り込む。ベンチの冷たさが全身を駆け巡っていく。


「私たちって無力だね」


「高校生なんて、そんなものなんだね。もうすぐ大人になるのに扱いは子供のままで何も知らないでいる。まぁ、それは僕がひきこもりをしてたからだけどさ」


「たった一ヶ月じゃ卒業できるような力なんて身に着かないのかもしれない。私たちじゃ逃げるどころか、たった一晩二人でいたいと思うことすら叶えられない」


 美咲も同じようにうなだれて、そのまま七希に体を預けるようにもたれかかる。触れた手は冷たくなって氷のようだった。早くどこか泊まれる場所を見つけないと、今夜は一緒にいられない。簡単には見つからなくて暖かくてベッドがある場所。


「一つだけ、いけるところがあるかも。もうちょっとだけ頑張れる?」


 七希の頭に一つだけ思いついた場所がある。うまくいくかはわからないが、試してみる価値はあった。公民館の辺りを抜けて、風俗街に向かう。七希は二度目だったが、当然美咲は初めてのようで、目の動きだけで周囲の様子をうかがっている。


 普通は女の子が来るようなところではないから、嫌な思いをしているかと思ったが、どうやら興味津々でいるらしい。


「こういうところのホテルって受付と会わなくて済むって聞いたことがあるかも」

「え、そうなの? よく知ってるね」

「え、えっと。昔ドラマでそういうシーンを見たことがあって、実際にはそうじゃないかもしれないけど」


 美咲の言い訳はだんだん消え入るほど小さくなっていって、最後の方は聞こえなかった。インターネットが発達した現代社会でそういった性の情報を手に入れるのは簡単なことだ。真面目そうな美咲でもそういうことに興味があるのかと思うと、また一つ美咲のことが好きになれたような気がする。


 七希は一度だけ通った道を思い出しながら歩いていく。あまり自信はなかったが、見覚えのある飾りも甲板もない無機質なドアの前に辿りついてほっと胸をなでおろした。


「すみません。上田さん、いますか?」


 ゆっくりとドアを開けて、小さな声で中に問いかける。返事はない。そっと頭を差し入れると、首筋にヒヤリとした感触があった。


「おいおい、店に入れてやるのはもうちょっと大人になってからだって言ったろ?」


 ドアの陰から上田の楽しそうな声が聞こえて首に腕を回される。上田の右手を見て、ついさっきまで七希の首に当たっていたのは特殊警棒だったと気づかされた。


「俺はうまくやってるが、こういう店をやってるといろいろと因縁をつけてくる輩がいるんだよ。間違ってぶん殴らなくてよかったぜ」


 冗談めかしているが、七希があんなもので殴られたらひとたまりもない。明日を無事に迎えられる気もしなかった。


 七希は首元を流れる冷や汗を感じながら、美咲を呼んで上田に事情を話した。七希の願いは一つだけだ。


「今晩、一日でいいんです。ここに泊めてもらえませんか?」


 目的は少し違うが、この店の監視カメラから見える部屋には人間二人が優に寝ることができるベッドが置かれている。プライベートは守られ、この監視室を通れば他の人間に会う必要もない。七希の話を聞いて、上田は少し困ったように髪の薄い頭をかいた。


「ったく、こんな仕事をしてるから誤解されるが、俺はこれでもまっとうに仕事をしてるんだぜ? それなのに子供を男女で一晩泊めたなんてバレたら大事なんだ」

「やっぱり、ダメですか?」


「バーカ。俺はまっとうに仕事をしてるまっとうな奴なんだって。ガキが助けてくれって言ってるのに断るわけがねえだろ」


 そう言うと、上田は七希の頭を優しく叩く。


「一部屋二人に使わせてやる。監視カメラも切っておいてやるから好きにするといい。ただし、鍵はかからないからそこだけ気をつけてな」


 上田はにんまりと笑顔を浮かべると、七希のズボンのポケットに何かを入れ、七希と美咲の二人を店舗の方へと促した。


 どんな部屋に連れていかれるのかと身構えていたが、上田に通された部屋はビジネスホテルのような飾り気のない狭い部屋だった。きれいにメイキングされたダブルベッドにはシミのないシーツが敷かれている。ドアのない隣の部屋は半分ガラス張りのお風呂とトイレがついている。もっと薄暗かったりピンク色じみた部屋かと思っていたが、一晩泊まるには充分どころか小旅行に来たような雰囲気だ。


 ただ一つ、一緒に美咲が泊まるということを除いては。


 この部屋の本来の目的は、男の欲望を発散するために男女が体を重ねる場所。そこに美咲と二人でいることに七希は動揺を隠しきれないでいる。


「うわぁ、初めて入ったけど意外と普通なんだ。うわぁ、このお風呂簡単に覗けちゃう」


 美咲はあまり気にしていないようで、部屋の中をキョロキョロと見回している。七希の視線に気付いたのか、美咲は少し恥ずかしそうに体を跳ねさせる。


「えっと、全然気にしてないから。こういうところ一生来ることないと思って見てるだけ」

「あ、うん。わかってるよ?」

「絶対思ってない。七希くん、本当だから」


 焦って否定すればするほど逆に疑わしく見えてしまう。女の子、特に美咲のようなおとなしいタイプの女の子はこういったことは嫌っているものかと思っていたが、興味は七希とあまり変わらないらしい。


「えっと、体も冷えちゃったから先にお風呂いいかな?」

「え、ええ⁉ あ、別々にね?」

「うん。なんか壁が透けてるから先に言っておかないと、と思っただけだよ?」


 お互いに言い訳じみた会話が続く。離れたくないからと何とかこの場所を探して二人でいることを選んだのに、さっきから顔を背けてばかりだった。


 七希は脱衣所のかごに服を入れ、ガラス越しに美咲の様子をうかがう。そわそわして部屋のあちこちを見ている。ゆっくりと湯船に浸かっている間に美咲の興味が満たされてくれるとよいのだが。ふと、さっき上田が七希のズボンのポケットに押し込んだものが床に落ちる。見慣れない銀の袋の上から中身を触ってみると、七希にも思い当たる形をしている。


「泊まるだけって言ったのに」


 七希は勢いで近くのゴミ箱にそれを投げ込むと、やっぱりと思い直してポケットの中に入れ直した。

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