第24話 試験開始と最後の呪い

 翌日、麗から連絡があり、美咲が上田の知っている闇医者にはかかっていなかったという連絡が入った。七希はそれを聞いて絶望することもなく、ただ目の前の試験に向かって集中できるような気がした。美咲の幻影を振り払うように七希は勉強にのめり込んでいった。


 元々ナイフに固執したように、七希は一つのことに集中しやすい性質だ。美咲の死から逃げるという目的があればなおさらだ。数日の間にさらに知識を吸い上げ、試験の日を迎える頃には、七希は参考書のほとんどを丸暗記していた。


 その日の教室は、いつにも増してピンと張り詰めた空気が流れていた。

 中学生までの経験なら一人くらいは全然勉強してないだとかいい点を取れる気がしないなんて声があがるものだが、今回ばかりはそんな冗談を飛ばせる生徒はいなかった。


 この試験に文字通り命が懸かっている。試験開始まで数十分という場面になっても自分の参考書に視線を釘付けにして一つでも脳からこぼれ落ちないように記憶の出口を必死に押さえつけている。目が血走り、大きなクマを作っている生徒も少なくない。


 七希も周囲と同じように参考書とノートを見ながら、最後の追い込みをかけていた。


「さて、皆さん揃っていますね?」


 始業のチャイムとともに白烏がいつもと変わらない様子で教室に入ってくる。座っているのは十二人。また二人が七希の知らないところで消えてしまっていた。


「試験前にお知らせがあります。みなさんの仲間が一人帰ってきましたよ。さ、入ってください」


 白烏の説明に顔を上げる者はいない。そんなことはどうでもいい。今は自分のことしか考えられない。そんな様子だった。


 ただ、教室に真っ直ぐに伸びた背筋で入ってきたその少女の黒髪が視界に入った時、七希の目はそこに釘付けになっていた。


「美咲!」


 きれいにウェーブのかかった黒髪はバッサリと切られ、ショートカットになっているが、その顔は確かにあの山小屋で別れた美咲だった。休みを経たおかげなのか、血色のいい肌に再会した頃のつややかな輝きが戻っている。


 七希が立ち上がって駆け寄ろうとする前に大きな音を立てて机が叩かれ、隣に座っていた紫苑が驚きの声を上げた。


「どうしてあなたがっ!」

「生きているのか、ですか? 確かに殺したはずなのに、ね」


 紫苑の言葉を引き継ぐように白烏が続ける。その言葉を紫苑は肯定も否定もしなかった。


 七希が横で立ち上がった紫苑の顔を見上げると、歯をギリギリと鳴らして今にも怒りに任せて罵声を浴びせ始めそうな勢いだ。


「なかなか見事な計画でしたよ。告白した人間は毒ではなく電撃が流れて退場することになる。それを逆手にとって高電圧の改造スタンガンで執拗に攻撃し、証拠は山の斜面にポイ捨て。あの山小屋にいた生徒以外にいない状況では死因の特定もできない。

 ですが、死んでいるかの確認もできなかったのは誤算でしたね。人は案外電撃には耐えられるんです。素人の改造では人を殺せるような高出力は簡単には出せませんよ。残念なことに美しい黒髪は守れませんでしたが」


「でも、あの時先生は不二さんが死んでいると」


「彼女が死んだなど一言も言っていません。私はただ一般論として死体は温かいところに置いておくと痛みやすい、と言っただけです。それが彼女のことだなんて言いませんでしたよ」


「僕たちにデスゲームなんてさせておいて、どうして美咲だけ助けるようなことを」


「勘違いしていただいては困ります。私の目的はみなさんを高校卒業レベルの人間に育て上げること。そのためにルールを守り、恋愛を経験し立派になっていただきたいだけです。当然、不当な暴力で脱落するなど私は許しません。全力で回復に手を尽くしましたよ。

 まぁ、殺人未遂など犯せば社会で生きていけなくなることは、吉岡くんが一番よくわかっていると思いますが」


 まるで見てきたように話す白烏の演説のような説明が終わると、教室内の視線は紫苑へと集まっていく。


「桂木さん、どうして美咲を。少しは仲良くなってくれたと思ってたのに」

「邪魔だったからに決まっているではありませんか」


 ハスキーボイスがいつも以上に枯れているように聞こえる。地獄の底から響くような声に誰も口を挟むことはできなかった。


「あなたを、吉岡七希を殺すためには邪魔だったんです。あなたのような孤独な人間なら社会にも将来にも絶望しているはずですから。甘い言葉で誘っていれば自分の命を私に投げ出すと思っていました。それなのにあなたのそばにはいつも不二美咲がいて、あなたの希望になっていた。

 だから、殺したんです。あなたの希望を奪えば後は生きている価値なんてないでしょう?

 それなのに、あなたは不二美咲を失っても、いえ、失ってからの方が生きる希望を見出し始めた。私は先生を失って希望を見失ったのに、あなたは見失わなかった。それが、あまりにも悔しかった」


 紫苑は大きく息を吐くと、カバンの中に手を伸ばし、大きなサバイバルナイフを取り出し、制服の左袖を乱暴に引き裂いた。左腕には幾重にも重なった赤い傷跡が肌を覆うように残っている。目を背ける生徒もいる中で、紫苑はその上に躊躇なく新しい傷を刻み付けた。


「こうすることでしか、私は生きていることを感じられなかったのに。どうしてあなたはそんな顔で生きていられるのですか。私には理解ができなかった。だから、いつの間にか私はあなたに負けていた。告白させたいはずの相手に告白しそうになっている自分がいたのです」


 左腕から流れる血は床に血だまりを作っていく。紫苑の口の端からも血が滴り落ちていた。七希はようやく気付いた。もう罰は執行されているのだ。床を転げまわるほどの痛みが紫苑を襲っている。それに耐えながら、紫苑は最期の言葉を七希に残そうとしているのだ。


「ですから、私の最期の言葉であなたを一生呪います。不二美咲より先に私があなたを救ったと、一生忘れないでください」


 紫苑は口に溜まった血を吐いて、左腕に滴る血を指で自分の唇に口紅のように赤く塗りつけた。大切な瞬間に少しでもきれいな自分でいたいという気持ちが伝わってくる。


「吉岡七希様。愛しています。私の命を一生背負って生きてください。これが私の最期の呪いですわ」


 高い音を立てて、紫苑の手からナイフが床に落ちる。それを追いかけるように紫苑の体がその場に座り込むように崩れ落ちた。それでも体を地面に倒すことなく、毒で苦しみながら死んだとは思えない花畑でお昼寝をしているかのように穏やかな表情だった。

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