第23話 大人の世界と麗の秘密

「気になるなら確かめてみるか? 吉岡も勉強に集中できないだろう」

「ううん、いいよ。みんなの勉強時間を使うわけにもいかないし、僕も勉強しないと」

「吉岡くんがそう言うならいいけど、集中しないままで勉強しても効果が薄いわよ」


 紗英に忠告をされて、七希は二度頷く。それで気持ちが切り替えられるわけもなく、相変わらず勉強の手は進まないまま上の空だった。


 結局七希に影響されたのかあまり勉強は進まず、夕食にみんなでファミレスに向かいデザートまで食べても七希の顔は曇ったままだった。


 冬の夜はまだ七時前だというのに明かりがなければすっかり暗くなっていて、夜風が冷たく吹いているのがガラス窓越しからも伝わってくるようだった。七希は時々外を見ては美咲の姿を探していたが、あの後ろ姿をもう一度見かけることはなかった。


 ファミレスを出て解散する。七希がまだぼんやりと通りを見ていると、大きな手が七希をひっつかむように伸びてきた。七希が顔をあげると、麗が穏やかな目で七希を見下ろしているた。革製の厚いコート越しでも張った胸板がはち切れそうなほどに主張している。


「やはり気になるか?」

「気のせいだと思うんだけどね」

「気のせいではない、と吉岡の本心がそう訴えているのだろう」


 麗は七希の肩をつかんだまま、その外見とは真逆の優しい声で続ける。


「少し俺に付き合ってくれ。俺だって不二が生きているなら嬉しいのだ。少しツテを頼って探してもらうだけだから、時間はとらせない」

「う、うん。わかった」


 七希が言うとようやく麗の大きな手が離れていく。嫌がったらそのまま強引に連れて行かれたのだろうか。身長二メートルはありそうな麗なら、七希くらいつまんで運んでもおかしくないとさえ思える。


 実際にはつまんで運ばれることはなく、麗に案内されながら公民館とは逆の商業区を通り抜け、登り坂になっている通りを歩く。飲み屋街で大声で叫ぶ若い男を横目に抜けていくと、看板に描かれるイラストがビールのジョッキからハートマークに変わってきた。


「あのさ、こっちの方って、高校生が来ちゃダメな感じじゃないかな?」


 恐る恐る七希は麗に聞いてみる。外に出てこなかった引きこもりの七希でも住んでいる街に何があるかくらいはなんとなく知っている。


 この一画はいわゆる風俗街で、ラブホテルと性風俗店が商業区から離れるように詰め込まれている辺りだ。間にある公民館が壁のように分断して、七希たち未成年が近づかないように守っている。


 麗は七希の質問には答えないまま、道をよく知っているようで似たような看板が並ぶ細い通りを迷うことなく進んでいく。高校生離れした体格もあって麗一人なら目立つこともなさそうだが、七希は幼さの残る顔のせいで警官が巡回していたら話も聞かずに連れていかれそうなのだ。


「ここだ。面倒になる前に早く入ろう」


 麗が足を止めたのはとある店ではなく、裏口らしい質素なドアの前だった。少し細い裏路地のような道には室外機が等間隔に並んでいて実際よりも窮屈に感じる。看板もポスターボードも出ていない。アパートの玄関でもおかしくないような飾り気のないドア。それをゆっくりと開くと、七希の視界には、スパイ映画で見たようなたくさんのモニターが縦横に目一杯に並んでいる光景が入ってくる。


「ん、誰でえ? ここは関係者以外立入禁止だぞ」


 小柄な五十歳ばかりの男が振り返って七希を睨みつける。七希と体格も変わらないくらいなのに思わず背筋を伸ばして謝りたい気分にさせる威圧感があった。


「すみません、上田さん。俺の友人です。少し聞きたいことがありまして」

「あんちゃん、ここに友達を呼んでいいのかい? 友達には知られたくない秘密だろ?」


「いいんです、コイツなら。それより探して欲しい人がいるんです。おそらく闇医者にかかってると思うのですが」

「ふむ、なんか事情がありそうだ。好きに座れ。飲み物はあんちゃんが好きなの入れてきな」


 上田に言われるままに七希は壁際の丸イスに身を縮こめるようにして座った。麗が入ってきたドアとは逆のドアから出ていき、上田は仕事に戻るようにモニターに視線を戻して黙り込む。すると、七希が聞こえないようにしていた嬌声だけが壁越しにやけに大きく聞こえるのだった。


 モニターを薄目でぼんやりと見る。一部屋ずつ設置されている防犯カメラの映像らしいが、どの部屋も中央にはベッドが置かれ、ほとんどの部屋には男女が一組。それぞれ嗜好があるらしいが着衣を乱しながら体を重ねていた。


「あの、ここって、やっぱりそういうお店なんですか?」

「おう、ボーズにはまだ早い店だ。もう少し大人になったらちゃんと客の入り口から入れてやる」


「でも加賀美くんはここに通ってるんですよね?」

「それは俺がここでバイトをしてるからだ」


 片手でコーヒーカップを三つ持った麗が戻ってくる。ずいぶん小さなカップだと思ったが、七希の手元に渡されると見慣れたサイズになる。麗の手が大きすぎて錯覚を起こしていただけだった。


「このゲームの参加者はみんな秘密を抱えて脅されている。俺の場合はこのバイトだ。高校を卒業したら、俺はプロレスラーを目指してジムに入会する。そのための資金稼ぎにここでバウンサーをやっているんだ」


「バウンサー?」

「ま、簡単に言うとルールのなってない客を追い返す仕事ってトコだな」


 女性と密室に二人きり。客であることをいいことにひどいことをする人もいる。そういう時に麗が出てくれば、簡単に追い返せそうだ。


「そういう時にキャストや客だったものがケガをした時に連れていく闇医者のネットワークがある。不二が生きていて病院に通っているとすれば、状況から考えて正規の医者ではない可能性が高いだろう?」


「確かにこんなのついてたら、普通なら外せって言われるよね」


 そう言いながら七希は自分の右手首にガッチリと着いた腕輪を見る。もうそこにあるのが普通になってしまって、意識しないと存在に気づかない自分が腹立たしくなる。


 これをつけていること。ましてやこの腕輪から電流が流れて感電したなら必ず外すことになる。そうすれば今度は毒が注ぎ込まれて今度こそ死んでしまう。


「生きているなら白烏が知っている闇医者のところで治療を受けている可能性が高い」


「ふーむ、なるほどな。感電でケガなんてのは珍しいから、いたらすぐに見つかるだろ。明日にはあんちゃんに連絡したるわぁ。ま、期待せずに待っててくれや」


「いたらそれでよし。いなければ、吉岡には悪いが見間違いということにして一度忘れることだ。目の前にはもっと大きな問題がある」


「そうだね。ありがとう、加賀美くん」


 もらったコーヒーにようやく手をつけると、砂糖とミルクがたっぷりの甘い味付けだった。あまり話もなくコーヒーを飲み終わると、麗はそのままバイトに入るらしく、一人で帰ることになった。


「一応言っておくが、この件は他言無用で頼む」

「もちろんだよ。本当は誰にも話したくないことなのに、ありがとう」


 七希は麗と別れて店の裏口からこっそりと出ると、客引きに捕まらないように下を向いたまま早足で一気に風俗街を抜け出した。


 公民館の辺りまで戻ってくると気づけば夜も深くなり、通りを歩く人の数も減ってきているように思う。


「どうして秘密をバラしてまで、連れてきてくれたんだろう?」


 七希は振り返って麗のバイト先の店の方を向いてみる。もう何度も道を曲がってきているから、雰囲気すらも感じない。七希にはまだ縁遠い場所だと思っていたが、入り込もうと思えば簡単に入れてしまう場所だった。


「あの場所で持ってきた情報だって知らなかったら、確かに信じてなかっただろうなぁ」


 美咲に生きていて欲しいと思う。だが、半端な情報は逆に他人の信用を失いかねない。信用がなくなったら、このゲームでは生き残れない。自分の秘密を明かしてでも協力してくれた麗にもやはり死んでほしくないと七希は思う。


「変な心配かけないように勉強も頑張らなきゃ」


 七希は両手を胸の前でぐっと握ると、寒さに白くなる息を吐きながら、駅へと向かっていった。

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