第18話 逆転の秘策と偽りの青春

「吉岡ぁ。助けてくれぇ」

「誰⁉︎ って柳くんか。びっくりした」


「びっくりしたのは俺の方だよ。なんで一発逆転の卒業試験にテストがあるんや。俺なんかまともに授業出てなくてここに呼ばれたってのによぉ」


 正司は、七希の足にすがりつくように泣き崩れる。七希は内心仲間がいてほっとしたのだが、問題は何も解決していない。


「おやめなさい。はしたないですわよ」


 七希のスラックスに顔を擦りつける正司を紫苑が引きがして床に転がした。


「まったく。テストくらいでいちいち騒いでいたら、命がいくつあっても足りませんわ」

「そういう桂木さんは余裕そうだね」


「もちろんです。それなりに準備は必要だと思っていますが。どうやってカンニングするか、作戦を立てませんと」

「カンニングするの⁉」


「そうか、その手があったか!」

「柳くんまで⁉」


 急にすべてを理解したように立ち上がった正司にツッコミを入れる。紫苑もそれが当然というように話を進めている。七希はついさっきまで重要なことを考えていたような気がするのに、今ではすっかり頭の中から追い出されてしまっていた。


「でも、ただの試験じゃないんだ。罰があるって言ってたし、つまりそれって」

「バレたら殺される、ってことなんか?」


「その可能性は高いと思う」

「そうですわね。どうにかしてバレない方法でカンニングしませんと」

「諦める気はないんだね」


 真面目な顔で考え始めた紫苑を置いて、七希は自分が覚えている授業のことを思い出してみる。かろうじていくつかの数学の公式を思い出すことができたが、それがわずかな高校の授業で習ったのか、もっと昔に中学で習ったのかはわからなかった。普通にやれば赤点は確実。とはいえ、紫苑のようにカンニングする気にもなれなかった。


「そういう七希様は勝算はあるのですか?」

「ないけど、来週の木曜日ってことはあと十日くらいあるはずだし、勉強するしか」


「わずかに十日、しかも独学で高校三年分の勉強ができるなら学校なんていりませんわ」

「それは確かにそうだけど」


 七希は自分の両手に視線を落とした。普通の高校生が一生懸命に勉強や部活をやっている間、自分は美咲を殺すためにナイフの研ぎ方だけを必死に学んできた。その熱意と時間があれば、急にテストだと言われても落ち着いていられただろう。しかし実際は何も知らない元復讐鬼が残っているだけだった。


「たとえば、勉強できる人に教えてもらう、とか?」

「それでも赤点回避ができたら奇跡ですわ。それに、そんな相手に心当たりがありまして?」


 紫苑の言うことはもっともだった。そんな都合のいい相手がいるはずもない。ましてやこのゲームの参加者で、自分の命もかかっているのに他人に時間を使ってくれるような相手なんて。そう考えて、七希はふと一人の女子の顔が思い浮かんだ。


「いる。一人だけ」


 七希は自分のポケットを探り、目当てのものが見つからないと、カバンのあちこちを開けて中身を取り出していく。少しよれた目的の紙切れはサイドポケットから見つかった。


「なんですの、それは?」

「市川さんの連絡先。トークアプリのIDなんだけど、山にいたときは電波が入らなくて交換できなかったんだ」


「そうでしたか。さすがすでに告白されている方はお尻が軽くていらっしゃいますのね」


 紫苑は口を尖らせながら溜息をつく。紗英の話を聞いた七希は反論しようとしたが、口を閉ざした。そんなことで仲違なかたがいをしている場合じゃない。使い慣れないトークアプリの画面を行ったり来たりしながら、なんとかもらったIDの登録を済ませる。


 初めてのメッセージを送ってみる。


『吉岡です』


 短いメッセージにすぐ既読の表示がつくと、着信を知らせる音が鳴り始める。


「こんなに早く連絡が来るなんて思ってなかった。不二美咲のことは忘れたの?」


 怒りに満ちた紗英の声が七希の耳に入って反対から抜けていく。すっかり忘れていたが、元々この連絡先は紗英を抱きたい男のためにあるのだ。


「いや、そうじゃなくて」


 七希がしどろもどろに答えを返すと、空き缶を転がすような笑い声が返ってくる。


「わかってる。あなたはそんな軽薄で思慮が浅いとは思ってない」

「だったら脅かさないでよ」

「この後、あなたが要求することなんて分かりきってるんだから、このくらいいいでしょ?」


 楽しそうに笑う紗英の声に、七希はほんの少しの寂しさを感じた。美咲殺しの疑いは晴れたわけではない。七希が望んだから、あの後誰も口に出さなかっただけで心の中は知りようもない。


 無理に笑うことで自分をごまかしている。刃物を研ぐことで恋心を復讐心とないまぜにしていた七希には、感情をミキサーにかけてドロドロにしたような気分が誰よりもよくわかった。


「それじゃ、ニセモノの青春を楽しむってことで、誰かの家にでも集まって勉強してみる?」

「僕の家は、ちょっと厳しいかなぁ」


 紗英の提案は七希にとって初めての誘いで魅力的に感じられた。ただ七希の部屋は今も自作のナイフで埋め尽くされ、誰かを招くことがてきるまで掃除をしていたら、それだけで試験を迎えてしまいそうだ。


「誘っておいてなんだけど、私の部屋も勉強には向いてないわ。ヤリ部屋になってるから誰か乱入してくるかもしれないし」


「勉強する場所をお望みですか。では、私がご提供してもよろしいですわよ」

「いいの?」


「気が変わりました。私も七希様と一緒に試験勉強というのも悪くありません」


「聞こえてるわ。じゃあ、準備して教室で待ち合わせましょう。一時間後で」


 さっと話をまとめると、紗英はすぐに通話が切れる。七希はまだ答えていないのにもう何を話しても通じない。聞こえていたらしい紫苑と正司の顔を見ると、もう二人は行くつもりで教室を出る準備を始めている。


「なんかいるもんあるんか?」

「いや、教科書とか。僕は持ってないし」


「そのへんは俺が持っていくわ。なんかつまめるおやつも作っていくんで」

「勉強しにいくんだよね?」


 話を聞いていると、だんだん不安になってくる。もしかしてまだカンニングすれば生き残れると思っているんだろうか。


 命を懸けた学年末試験に、七希の不安は大きくなるばかりだった。

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