第16話 早すぎる別れと遅すぎた告白

「外に何かあったのかな?」


 布団の中にあった毛布を抜き取り、体に巻きつける。窓の外は昨日よりも風も穏やかで雪が降る様子もない。他の誰かを起こさないようにそっとドアを開ける。その瞬間、七希の頬には大粒の涙が流れた。


 居心地が悪いわけではない。ただ、同じ空間に他人がいることに慣れていなかった。涙なんて流す余裕がないほどに気持ちは張り詰め続けていた。


 美咲と毎日あんなに近くにいても気付かなかったというのに。それだけ美咲が特別だったことに、いなくなってようやく気付いたのだ。


 空は満天の星がまたたいて、冷たく澄んだ空気は遮ることもなく星は本来の輝きを七希の目に届けている。しんと冷えた空気が頬を冷やすのも忘れて七希は空を見上げていた。


 今朝、美咲がいた辺りまで歩いていく。彼女は誰にどんな言葉で告白したんだろう。


 この星空の下、相手はどんな気持ちでその言葉を聞いていただろう。

 それはどうして自分には向けられなかったのだろう。

 考えても答えは出るはずもない。

 七希は山道の端に腰を下ろし、毛布を顔まで寄せた。


「殺したかったはずなのに。どうして、いなくなるとこんなに悲しいんだろう」


 すぐ隣にいると思っていたのに、実際の心の距離は遠かったのだろうか。一際輝く星に手を伸ばす。七希の手ではどうやっても届きそうもない。


「なんて名前の星なんだろう。輝いて大きく見えるのに、あんなにも遠い」

「赤っぽいのはベテルギウス、白いのはシリウスだよ。あとはそこから左に見えるプロキオンと合わせて冬の大三角形だ」


 七希の独り言に答えが返ってくる。振り向くと、星夜が大きなフライパンに燃えた薪を入れて持ってきていた。準備をしていたのか、厚手のジャンパーコートを着ていて、両手にはスキー用のようなしっかりとした手袋をつけている。


 星夜は土の地面に投げ捨てるように燃えている薪を置いて、その上に新しい薪をくべる。炎はすぐに大きくなり、温かい熱が七希の冷えた手を包んだ。


「冬の山なんだ。そんな毛布だけじゃ凍える。誰にも死んでほしくないって言ったのは君だろ?」


「少ししたら戻るつもりだったんだ」

「そうかい。まぁ、たき火が燃え尽きるまでは付き合ってくれないか?」


 星夜は七希の隣に座ると、同じように空を見上げて星をなぞって星座を描いた。フライパンを地面に置くと、後で柳の奴に怒られるな、と笑う。


「あの子をとむらってたのか?」

「そんなんじゃないよ。ただ、言えなかった恨みを吐き出してただけ」


 七希は隣に座った星夜を見ないようにしながら答えた。ぱちぱちと薪がはじける音がする。星夜はただ空を見上げているばかりだった。


「星、詳しいんだね」

「俺の名前、星夜せいやって言うんだ。そのまんま星空の。中学の時はよくホストみたいだって笑われた。でもある人がいい名前だって言ってくれてさ。それで勉強するようになった」


「その人もこのゲームに?」

「いや、いないよ。うちの生徒じゃないから」


 その声には安堵あんどの色が混じっていることに七希はすぐに気が付いた。今ならよくわかる。こんなゲームに自分の好きな人が参加しているなんて耐えられない。七希が視線を向けると、考えていることを読まれたのか、星夜は慌てて話題を変えた。


「君は、不二美咲のことをどう思っていたんだ?」

「どう思ってたんだろうね? もう自分でもよくわからないんだ」


「そういうものか? 初めて見たときからお互いに危ないと思っていた。どちらかが勢いで告白してしまいそうだと思っていたよ」


「最初は、殺すつもりだったんだよ。なんでかわからないけど僕のことが好きなんじゃないかって。僕が殺人未遂をしてひきこもりになったって話は知ってるんでしょ? その相手が美咲なんだ。だから、このゲームに参加していてびっくりした。でもチャンスだとも思った。二年前の復讐がようやくできるって。

 それなのに、向こうから近づいてきて、僕のことを好きみたいな雰囲気を出して、勝手に死んで。本当に迷惑だよ」


 なぜ会って間もない麻生星夜にこんな話をしているんだろう。

 七希はそう思いながら、言葉は止まらなかった。いつの間にかまた涙が流れている。手の甲に滴り落ちたそれがたき火でゆっくりと蒸発していく。


「殺したいほど憎かったはずなんだ。殺せば、復讐を成し遂げれば、あの日から動けなくなったどうしようもない自分が変われると思ってた。

 僕を惑わせて、ためらわせて、最後には僕が生き返る方法を奪っていった」


 自分に言い訳を重ねるように七希の口からはとめどなく美咲との思い出が続いていった。


 一年生で初めてクラスでその姿を見たこと、毎日目で追いかけていたこと、イジメの現場に割り入って助けたこと、このゲームに参加して絶望しているところを助けられたこと。


 まだ合わせて一ヶ月足らずの間しか一緒にいないのに、七希のここ数年の思い出はほとんど美咲で上書きされていた。


 部屋に引きこもって美咲を殺すために様々なものでナイフを作っていた頃、どんな動画を参考にしていたかなんて意識して思い出さないと出てこなかった。


「誰かを好きになるなんて、他の誰かに強要されるものでも禁止されるものでもないはずなんだ。殺したいほど憎い相手だからって好きになっちゃいけないルールはないさ」


 すべてを吐き出した七希に星夜は、たき火に次の薪を投げ込みながらただの一般論らしい感想だけを言った。七希にはそれが嬉しかった。共感してほしいわけではない。自分と違う生き方をしている人間にわかった風に言われる方が嫌だった。星夜はまた星空を見上げて、七希には名前もわからない星を指でなぞって星座を描いている。今はその距離感が七希の行き場のない感傷を少しだけ癒してくれる。


「そういう麻生くんは誰のことが好きなの? 今の言い方だと、僕よりも大変な相手に恋したみたいだけど」


「どうしたんだ、急に」


「なんかすっきりしたら、僕だけ話してるのはずるいなって思って。もしよければ聞かせてよ」


「よければ、って絶対聞き出すつもりの言い方じゃないか。まぁ、先に聞いたのは俺の方か」


 星夜は諦めたように大きな溜息をつくと、また星空を指差した。


「前から眠れない夜にぶらぶら散歩してたんだ。それで高台の展望台に行った時にその人に会ったんだ。そのときに星座も教えてもらった。それから時々会っていたんだけど、思い切って告白しようとしたけど、逃げられた」


「麻生くんが逃げられたの? 僕と違ってモテそうなのに」


「相手が悪かったんだ。そこにいたのは、英語の高峰先生だよ。って言っても吉岡にはわからないか」


「え、先生? 先生ってことは学校で勉強を教えてて?」


 七希が混乱したように頭を抑えると、星夜はそれを見て笑った。


「吉岡に話してよかったよ。俺の心のつかえもとれた。俺がこのゲームに呼ばれた理由。高峰先生と会うために待ってるところを白烏に押さえられたんだ。だから、誰にも話せないと思っていたけど、吉岡はそんな反応をしてくれるんだな」


「誰にも話したりしないよ。生き残ったら今度こそ告白するんだもんね」


「しないさ。俺はこのゲームを生き残れない。もし生き残ったら誰かに告白させたってことになる。他人を犠牲にして、好きでもない相手を騙して告白させて生き残った奴が、誰かに告白する権利なんてない。そんなの彼女に対する裏切り以外の何物でもないと思わないか?」


「でも、僕は何をしたって生きていてほしいと思うよ」

「そうだな。でも今の俺は、そういう考えはできない」


 たき火はついに薪が尽きて少しずつ火の勢いは落ち着いてきている。まだ温かさは続いているが、それももうすぐなくなってしまうだろう。山小屋に戻る時間が近づいている。


「そっか。じゃあ、僕は頑張って生きてみるよ。美咲の分まで」


 くすぶっているたき火をフライパンで叩いて消すと、七希はゆっくりと立ち上がって、自分に巻きつけていた毛布をはぎとった。


「不二美咲! 僕は、一年生の頃に初めてあなたを見たときから、好きでした。大好きでしたっ!」


 誰もいない山の裾に向かって叫ぶ。やまびこから返ってきたその声が、七希の声ではなく美咲のものだったように感じた。


 吹っ切れたように満足感に満ちた表情をして、七希はまた自分の体に毛布をかける。その姿を星夜は愕然がくぜんとして見上げている。


「告白したら死ぬかもしれないって言ってるのに、よく言うな」

「あ、そうか。相手がいなくても告白なのか」


 いまさら気付いた七希はバツが悪そうに頬をかいた。数秒経っても美咲を殺した電流は七希には流れてこなかった。


「相手がいないなら失格じゃないみたいだね。告白される人が必要みたい」

「そうじゃないと勝手に減っていくことになるか」


 星夜は一人納得しながら立ち上がり、小さく両手を叩いた。


「それじゃ戻ろうか。このままだと凍死する」

「うん。付き合ってくれてありがとう」


 お互いに腹の中に溜まっていたものを吐き出して、二人はすっきりとした表情で山小屋に戻っていった。


 最終日の山小屋の中はやはりまだ葬式を終えて喪に服しているようで、楽しい林間学校とは似ても似つかないものだった。それでも七希は昨夜に、星夜といなくなってしまった美咲にすべてを打ち明けたことで、気持ちの切り替えは進みつつあった。


 夜に紗英の予想通り、中型バスが通れる山道を使って白烏が約束の迎えを寄越した。いくつかの山小屋を回ったが、七希たち以外に山小屋で過ごした生徒はいなかった。無事に山を下りることができたのかは、白烏の口から出ることもなく、学校の校門前で降ろされた七希たちは、軽く手を挙げて挨拶をしただけでそれぞれの帰路についた。

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