第14話 果たされた復讐と叶わなかった望み

「美咲!」


 持ってきたカバーを脱いで美咲の肌にかける。頬を叩きながら体を起こしても、美咲はピクリとも動かなかった。


「美咲、美咲!」


 耳元で大声で叫んでも、体を揺すっても反応はない。美咲の体を抱き上げると、重さなど感じないかのように七希は小屋までの山道を駆け上った。


 ドアの前には七希の叫び声を聞いたのか、紫苑や他の生徒も外に出てきていた。ぐったりとした美咲の姿を見て、誰もが言葉を失っている。


「中に救急箱とかない?」

「探してみますわ!」


 紫苑が慌てて中に戻っていく。

 美咲を抱えて中に入ろうとすると、紗英が美咲を見ながら固まっている。


「どうして。これって、まさか」

「早く中にっ!」

「その必要はありませんよ。不二さんは私が預かりましょう」


 どこからともなく、週に一度しか聞かない不快な声が聞こえた。いつものように穏やかな声で白烏が手を差し出していた。


「なんで。迎えは日曜日の夜やって、言うてたのに」

「迎えは明日の夜です。しかし、私は様子を見に来ないとは言っていませんよ。夜の見回りをどうやってやり過ごすかも林間学校の醍醐味でしょう?」


「そんなことどうでもいい。今は美咲が」

「ですから、私が預かります。暖かいところに置いておくと死体はすぐに痛みますよ」


 絶望的な言葉に七希は腕の力が抜けていく。死体と聞くと、急に美咲の体が石像のように感じられる。それでも美咲を落とさないようにすぐに踏ん張って力を込めた。


「だからって、僕たちに殺し合いをさせる奴に任せることなんかっ!」


 熱くなる七希の肩を紗英がつかむ。振り返ると、真剣な眼差しで見つめ返される。


「任せましょう。先生、不二さんのことをきちんと対応してもらえますか?」

「もちろんです。私は生徒の皆さんを大切にしていますから」


「わかりました。吉岡くん、こう言ってる先生は信じられる。昨日の話は本当だから。信じて」


 七希は黙ったまま、目を閉じて動かない美咲を見る。倒れた時に土がついたのだろうか、顔のところどころに黒い汚れが見える。かつてひとめぼれしたこのかわいらしい顔が腐っていくことを想像すると、とても堪え切れる気がしなかった。


「必ず、きれいなままで帰してください」

「はい、この身に賭けて約束しましょう」


 そう言うと、白烏は七希から美咲の体を軽々と持ち上げると、冷たい山風に乗っているかのようにさっそうと去っていった。


「美咲さんは?」


 戻ってきた紫苑が一人だけ状況がわからないまま、首を傾げていたが、七希は何も答えられずに小屋の中に戻った。


「俺があんな話したからか? 冗談やったんだって。こんなことになるなんて思ってもなかったんや」


「誰もそんなこと言ってないから落ち着け。柳、まずは全員分の飲み物を用意してくれないか?」


 正司の背中を叩いて落ち着けたのは、ここまで輪の中に入りながら、ほとんど話してこなかった大柄な男だった。加賀美麗かがみれいというらしい。


 背は一九〇センチを超えているように見えた。腕の太さはひきこもりの七希の胴より太く、足はロッジに使われている丸太のようだった。短く切りそろえた髪をオールバックに固めて鋭く切れ長の目は、七希なんかよりも殺人の経験がありそうだ。


「お前も、吉岡だったな。落ち着いて深呼吸するんだ。ストレスは体に影響する。今は事実を受け止める前に自分を取り戻すことだけを考えるんだ」


 大きな体に似合わない優しい言葉が続く。七希は美咲を包んでいたソファーのカバーに顔をうずめて、大きく深呼吸した。苦みのある匂いが鼻の中に入ってくる。


 目的は果たされた。美咲は死んだ。しかし、七希の心は晴れるどころか、どしゃ降りの大雨が続いている。


 違う、奪われたのだ。ただ美咲に死んでほしかったのではない。七希は美咲に告白されたかったのだ。告白されて自分の手で殺したかったのだ。


 七希は涙をこぼさないように顔に力を入れると、ソファのカバーから顔を離した。テーブルには温かいカフェオレが並べられている。昨日まで七つ並んでいたカップが今は六つしかない。それぞれが一つずつ手に取って、無言のまま飲み干していく。会話がないと、熱いはずのカフェオレがすぐに喉の奥へと消えていった。


「なんで、こんなことになったんやろ」


 一番最初に口を開いたのは、正司だった。まだ自分が昨夜話した冗談の殺人事件の妄想が美咲の死のトリガーになったと信じているようだった。空になったマグカップを両手で包みながらも震えが止まらないでいる。


「犯人探しはやめた方がいい。絶対にいいことにはならない」


 淡々と、しかし不快にはならない冷静さで、まだ七希が名前を知らなかったもう一人の男が言った。麻生星夜あそうせいやと名乗った男は、さっき見た丸太みたいな麗とは真逆の、尖った顎と明るく染められた茶髪をしたアイドル系だ。男の七希が見ても、イケメンという安っぽい言葉ではなく、かっこいいというストレートな表現が似合うように思える。雪のような白い肌でありながら病的ではなく、スマートな体型でありながらたくましく見える。


 この男なら誰かに告白されるこのデスゲームでも、相手に困ることはないだろう。気を許して話していれば、普通の女子ならうっかりすれば告白の言葉が口から滑って出てくる。そう言われても信じられそうだ。


「犯人探しはしないけど、無実の証明はたぶんできるわ」


 紗英の言葉を聞いた瞬間、ようやく誰もが生きた反応を見せた。立ち上がった七希が一番大きな動きをしていたが、他にも沈んでいた顔を上げ、驚き、恐怖の色が宿っていた。


「やめよう、と麻生が言ったのが聞こえなかったのか? むやみに敵を作ってどうする?」


「大丈夫よ、加賀美くん。この腕輪がある限り、たとえあなただって死ぬ覚悟で犯人に復讐なんてできないでしょう?」


 紗英は誇らしげに右手を挙げて、金属製の腕輪を見せる。紗英のバンドには告白された証拠である緑のランプが灯っていた。これを付けている限り、デスゲームのルールに縛られる。暴力や脅迫は禁止。ルールを破れば、毒が回って苦しみながら死を迎えることになる。


「それに、私は隠し事をするつもりはない。だからさっき不二さんを見て気付いたことを話す。それがたとえ不利なことでもね」


「それってどういうこと?」


 立ち上がったままの七希が問いかけると、紗英は両手で七希を制するように座るのを促した。七希がもう一度ソファに深く座ったのを見て、話し始める。

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