第13話 焦燥感と冷たい朝

 自分を除いた六人がダイニングに並んだ調理器具を片付けて料理を並べるスペースを確保している。七希も手伝うべきだとは思ったが、先ほどのやりとりを思い出すと体は動かなかった。他の誰も七希を咎めることもなくせっせと片付けを続けている。


凄惨せいさんな殺人事件、か」


 あの日のことを思い出す。あの刃先の錆びたカッターナイフ一本を手にしても、人一人殺すことなどできないことを今ならよくわかっている。刃物は薄く繊細でもろく、下手な使い方をしては逆に折れてしまうものだ。


 この場で人を殺す凶器は、誰かに告白されるだけの努力と行動力を言うのだろう。

 一人で頭の中を整理していると、ようやく重苦しく感じていた空気が和らいできた。時々遠巻きに七希の方をチラチラと見ていた美咲も夕食の準備を抜け出して、七希の隣に座った。


「大丈夫?」

「うん、ちょっと冗談が過ぎたんだよ」


「みんなは本当の七希くんを知らないから。本当はいつも周りに気を配って、困っている人がいたら放っておけなくて、自分を犠牲にしてでも助けてくれる。殺人未遂を起こした問題児じゃない。それが本当の七希くんだってきっともうすぐ伝わるよ」


 美咲は七希の肩に頭を預ける。山を登ってきたはずなのに、ウェーブのかかった黒髪からはほのかに甘い香りがする。美咲の肩に腕を回そうとして、七希ははっと我に返った。自分が何をしようとしたのか、その動機を自分でも思い出せない。


 隣に座っているのは、昔憧れていた美咲ではない。いつか必ず殺すと誓った裏切り者のはずだ。


 七希は所在のなくなった自分の腕をゆっくりと膝の上に戻して、頭を動かさないように美咲を見た。安心しきって目を閉じている姿には、七希が殺意を秘めているなど少しも気付いていないようだ。それと同時に、自分のつい今しがたの行動を振り返ると、美咲は無自覚に見えて七希に告白させようとしているのではないかという疑いが生まれる。


 お互いに毎日一緒にいることで生き延びているようで、実はもう何度も喉元から告白の言葉を引き出そうと画策しているのかもしれない。


「このままじゃいられないのかもしれない」


 早く美咲を殺さなければ。そうしないと、七希の方が殺されてしまうかもしれない。


 七希の胸中のざわめきを抑えるように、美咲からかかる重さが増したように思えた。


 夕食は正司特製のビビンバで、料理人の修行をしているという話に偽りのないおいしさだった。焼けるように熱くなった石焼鍋の底にできたおこげの最後の一粒まで、箸で削ぎ落とすように食べ尽くした。


 正司の持ってきた見たことのないカードゲームをやり、山小屋を漁って出てきたウィジャボードに驚き、とりとめのない話をしていると、デスゲームに参加しているという感覚は麻痺していく。たった一ヶ月半の短い期間でもクラスメイトとして林間学校を楽しんでいるような気がしてくる。


 だが、それはまやかしだ。

 ここに集まっているのは卒業と命を賭けて戦っている敵同士なのだ。


 七希は笑い声を合わせながら何度も心の中でそう繰り返した。そうしていないと空気に酔って、美咲に不意に告白してしまいそうな気さえした。呼び出され、右手首に腕輪を巻かれてからずっと張り詰めていた心はもう限界に近づいていた。


 ゲームや話に興じていても、半日以上山登りをした疲れは溜まっていたようで、日が変わる前には全員がロフトの上のベッドに入っていった。




 小さな鳥のさえずりで七希は目を開けた。昨日一人だけ寝てしまったからだろうか、まだ窓から入ってくる光は弱く、夜明け頃だということがわかった。


 暖炉の火はしっかりと燃えているようだが、冬の山はしんとして寒く階下の暖炉の熱だけではまだ布団の外の空気は冷たかった。もう一度布団をかけて二度寝をしようかとも考えたが、だんだんと暗さに慣れてきた目で周りを見ると、一つだけ簡単に畳まれた布団が一組見えてきた。


「他にも誰か起きてるのかな?」


 布団に潜り込んでいたり向こうを向いていたりで、七希からは誰がいないのかはわからない。周りを起こさないように七希はそっと布団から抜け出し、ロフトのハシゴをゆっくりと下りた。


 キッチンや暖炉の前、昨日七希が座っていたソファにも人の姿はなかった。パチパチと燃える暖炉の薪はかなり減っていて、起きてきた誰かは継ぎ足しはしなかったらしい。


「もしかして外に行ったのかな? こんなに寒いのに」


 暖炉のおかげで山小屋の中は冬制服を着ているだけの七希でも寒くはないが、外は雪こそ降っていないものの真冬の山中だ。外に出れば数分で凍りつきそうなほど体が冷えてしまうだろう。


 昨夜の話を思い出す。山奥で山姥やまんばによる凄惨な殺人事件が起きる。あれはただの冗談で、そんなことが現実に起こるはずがない。そう思いながら、七希は体の震えを抑えるために自分の左腕を強く握った。


「探しに行かなきゃ」


 自分の体に命令する。ソファにかかっていた起毛のカバーで身を包み、七希は冷たいドアノブに手をかけた。


 外に出ると、冷たい風が首筋の隙間から吹き込んできた。枯れ木ばかりの山の中は遮るものもなく、自由に冷気を運んでいた。太陽はまだ半分ほど顔を出したところで暖かくなるにはまだ時間がかかりそうだ。夜露よつゆあふれて道に流れ、雨も降っていないのに山道はぐっしょりと濡れて薄く氷が張っていた。


「誰かいるのー⁉」


 七希の声に驚いて木の枝で休んでいた鳥の集団が一斉に飛び出していく。それを無視して、山道に沿って周囲を探してみる。山小屋から数十メートル進んだところだった。制服を着て倒れたまま、ぐったりとして動かない背中を見つける。髪を乱して倒れていても、七希にはそれが誰なのかはっきりとわかった。

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