第12話 石焼ビビンバと笑えない冗談

 山小屋と呼ぶには大きなロッジの前にたどり着くと、ついてきているのはわずかに七人だけだった。


 中に入ると、一階は大きな暖炉のついたリビングと広いダイニングキッチンになっていて、水道こそないものの飲料水ボトルの備蓄が十分あり、暖炉の薪もたっぷり用意されていた。プロパンガスも出るようで、調理に困ることはなさそうだった。電気も鍵のしまった地下に発電機があるようで、動いている冷蔵庫には食べきれないほどの食材が詰め込まれていた。


 天井の半分ほどを覆うようにロフトになっていて、上にはふかふかの布団が並んでいて十人以上が足を伸ばして寝られそうな広さがある。


 七希はその光景を見て疲れた体を布団に預ける。紗英の予想は当たっていた。山小屋という言い方から想像するより遥かに設備もいいことを考えると、白烏のあの言い方は山を下りた方がいいと思わせて、暗に山小屋を探すことを避けるように誘導していたのだろう。


「私の言った通りだったでしょう?」


 寝転がった七希に覆い被さるように紗英が顔を近付けて耳元で言った。


「確かに。さすがに頭がいいと言われてるんだって思ったよ」

「あなたもセンスは悪くないと思う。今日のノルマ分はこれで返したから。でも、もし私とヤりたくなったら連絡して。あなたなら私がやってることを理解してくれるでしょ?」


 紗英は七希の制服の胸ポケットにメモを強引に押し込んでロフトから下りていった。メモはトークアプリのIDらしい。


「本当に生きるために仕方なくやってるのかな?」


 メモを見ながら七希は少し考える。今は電波も届かないので、答えの出ない考えを追いやって、頭と体を休めるために目を閉じた。


 ほんの少し休むつもりだったのに、いつの間にかぐっすりと眠りに落ちていたようだった。何かがぶつかったり床に落ちる音で目が覚める。階下からは金属が擦れる音と下にいる誰かの声ががやがやと聞こえてくる。美咲と紫苑、それから他にもこの山小屋までついてきた生徒の声が聞こえている。


 ロフトから下りていくと、キッチンには正司が持ってきた様々な調理器具がダイニングテーブルまで並べられていた。これだけ全部リュックに詰めていて、よく底が抜けなかったと感心するほどだった。


 その中でも七希の目を特に引いたのは、黒く輝く分厚い器だった。


「あぁ、それは石焼鍋や。火にそのままかけて食べられるんよ。俺のバイト先で借りてきたんやけど、三つじゃ足りんかったな。今日はビビンバに使うけど、それ以外にもチャーハンとかカレー入れてもうまいんよ」


「これを三つも」


 熱くないことを確かめて一つ持ってみると、片手では落としてしまいそうなほど重い。鍋なら軽いステンレス製のものもあるだろうに、正司の中では強いこだわりがあるらしい。


「それで料理の準備をしてるの?」

「そうなんやけど、包丁はさすがに持ってこれんかったからな。キッチンにはあったんやけど、古いからか切れが悪くて」


 無作法に正司が七希の方へと包丁の先を向ける。驚いて詰め寄ろうと美咲が立ち上がる。しかし、七希はさっと刃先から体を避けると、興味深そうに包丁の腹を撫でた。


「確かに錆びてないけど、刃こぼれしてるし切先きっさきも割れてる。ちゃんと研がないと使えないよ」


 七希は包丁を確かめると、キッチンに入って戸棚をいくつか開けてみる。すると、引き出しの奥深くに押し込められていた砥石を見つけた。


「それ貸して。きれいになるには時間がかかるけど今日切れるようにするくらいならすぐにできるよ」


 七希は手慣れた手つきで砥石を準備すると、受け取った包丁を斜めにわずかな角度をつけながら丁寧に滑らせていく。一回ごとに独特の擦れる音が響く。七希はこの音が、ただの薄い物体が凶器になっていく音が好きだった。


 あの時何もできなかった無力な自分が、こうしていると力をつけているような錯覚がして、七希は苛立ちや焦りを少しだけ忘れられるのだった。


「へぇ、手慣れたもんなんやな」

「別にすごいことじゃないよ。道具をきれいにしてるだけなんだから掃除や洗濯と同じ」


 七希は自分の本心を隠すように包丁だけを見て答えた。


「いいではないですか。刃物というのは切れて初めて価値があるのです。中途半端な切れ味ではこの体に生きている証を刻み込めませんから。私のナイフも七希様に美しくしていただきたいです」


「それにしても夜の山奥で包丁を研ぐ音が聞こえるなんてまるで山姥やまんばの伝説みたい」


「つまりこの後、この山小屋で凄惨せいさんな殺人事件が起こるとでも言うの?」


「そういう話だと、その犯人は包丁を研いでいる僕ってことになるんじゃない?」


 七希はおどけたつもりでそう言ったが、一瞬にして部屋の空気は凍り付いた。外はもう日も落ちていて、強く吹き下ろす山風が窓をガタガタと揺らしていた。


 その空気を吸って美咲と紫苑と一緒にいる間に自分は変わったものだ、と七希は気付く。二人が特殊なだけで、その他の生徒にとって七希は殺人未遂を犯した恐ろしい男でしかない。場の空気を元に戻す次の言葉は見つからず、美咲もどう返したものかと困惑しているようだった。


「なーに言ってんだよ。お前が犯人やったらそのまま過ぎるやろ。ミステリーでは一番犯人っぽい奴は犯人じゃない。常識や。ま、ホンマに起こるわけでもないし、気にすんなって」


 ピリついた空気を壊したのは、正司だった。七希のことを知らないと言ったのは嘘ではないらしい。七希から研ぎ終わった包丁を受け取ると、意気揚々とキッチンで腕を振るい始める。七希は砥石の片付けを済ませ、他のメンバーとは少し距離をとって部屋の隅にあるソファに腰かけた。

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