第10話 秀才少女と自称料理人の男の子
走り去っていくバスが見えなくなっても、なかなか動き出せる者はいなかった。少しの静寂の後、一人の女子生徒がバスの通っていった山道に向かって歩き出した。
「この道を辿っていけばいいのよ! だってここまでバスが実際に走ってきたんだから、山を下りればバスでもヒッチハイクでもなんでもできるし、きっと電波も届くはず。みんなで引き返そう」
「でも、道って言っても、よくわからないし、途中で何度か別れ道もあったんじゃ」
「そうだよ。間違えたら本当に遭難するかもしれないんだぞ」
「だったらここでそのまま待ち続けてれば! どうせ帰れなかったら毒が回って死ぬんでしょ!」
自分を奮い立たせるように言い放つと、バスのかすかな
「山道は危険だ。そうだ、聞いたことがある。川は必ず下に流れるから、川を伝っていけば山を下りられるって。手分けして川を探してそこを下ろう」
次の提案が生まれる。また、何人か同じ意見を持った者が
「さて、私たちはどうしましょうか」
取り残された十人足らずの中で最初に声をあげたのは紫苑だった。ハスキーボイスにはこの状況を楽しんでいそうな気配さえある。
「どうするって言ったって、山道も川もあんまりいいとは思えなかっただけで、いい案があるわけじゃないよ」
「かといってこうしていてもただ死を待つのみですわ。私はそれもまた一興かと思いますが」
「自分の自殺願望に七希くんを巻き込まないで。でも目的なしに動いて倒れるだけなのは本当。私の持ってきたお菓子じゃ二日も持たないし」
「一つ提案がある」
重い沈黙を破る声が響く。七希が顔を向ける。声の主は、月曜日に告白されたことを指摘されたあの市川紗英だった。
「あら、秀才少女からのご提案とは魅力的ですわね」
「ただし、条件があるわ。私についてくるなら、この林間学校の間、私と一緒にいてもらう。毎日私が生き延びられるようにね」
「そうか。告白されてるから仲間がいないのか」
「何とでも言って。私についてくるなら道のもう少し先で待っているから」
紗英は一人で山道を登る方向へと向かっていく。緩やかなカーブの先で、生い茂った木の陰に姿が隠れるくらいの位置で立ち止まったようだった。
「どうしよう。ついていってみる?」
「私は面白そうだと思いますわ。どうやって告白されたのかも聞いてみたいですし」
「桂木さん、そういうなんでもズバズバ言うのはやめた方がいいよ。僕はいいと思うけど美咲はどう思う?」
「私は、七希くんと一緒ならどこでも行く」
「では決まりですね。さっそく行ってみましょう」
さらに楽しそうに声を弾ませた紫苑が紗英の待つ角へと歩き出す。
残っていた生徒たちも覚悟を決めたようで、七希と同じように紗英についていく者もいれば、山道を下り始めたり、林の中に消えていったりしていく者もいる。
「おーい、待ってくれー。俺も連れてってくれー」
この山を無事に下りるために覚悟を決めた七希の耳に気が抜けるような情けない声が聞こえる。それでも呼ばれれば振り返らざるを得ない。見ると、七希のカバンの五倍はありそうな山岳用のリュックをゲームの行商人のようにパンパンにした男子生徒がよろよろとした歩みで追いかけてきている。
「何あれ?」
「わからないけど、こんな事態を想定して準備してきた人には見えないね」
「本当に楽しみで持っていきたいものを全部詰めたように見えますわ」
亀のような歩みでようやく七希たちに追いついた男子は息を整えて、謎のサムズアップを七希の前に突き出した。
「この荷物運ぶの手伝ってくれ。中には食べ物もたくさん入ってるから、ちゃんとお礼はする」
「置いていくのも寝覚めが悪いし。後ろから支えればいい?」
男子の後ろに回り、岩のようなリュックを両手で突き上げる。重過ぎて助けになっているかもわからないが、さっきより歩く速度は速くなったように見えた。
「これって何が入ってるの?」
「山で作りたい料理がたくさんあってなぁ。材料と料理道具片っ端から入れてったらこうなってたんよ」
「家から持ち出す時に気付かなかったの?」
「朝はやる気でいっぱいやったから気付かんかったわ」
あっけらかんと笑う男子のリュックを押しながら、七希は早くも助けたことを後悔し始めていた。このゲームを甘く見て準備をしてこなかった自分を恥じていたが、ここまで来てもまだ楽しめる余裕がある人間がいると思わなかった。
「俺は
「僕のこと知らないの?」
「ん? 自分って有名人なんか? 市川紗英は学年一位の秀才ってのは知ってるけど」
「知らないなら気にしないで。自意識過剰だっただけみたい」
知らないでいてくれるのなら七希にとってはその方が嬉しい。実際に起きたことも知らないで、勝手に怖がって逃げ出されるよりよっぽどよかった。
正司は息を荒げながらも荷物を置いていく気は毛頭ないらしく、七希の助けを借りながらなんとか紗英の元へと辿り着くと、リュックを開けて中身をいくつか取り出した。
「俺は柳正司な。未来の天才料理人ってとこ。お近づきの印に色々持ってきたモンの中からすぐ食べられるものやるわ」
「それ、荷物を軽くしたいだけでしょ」
「まぁ、まぁ。ちゃんと食えるもんやからもらっといてや」
そう言うと、七希の手にはいくつかの駄菓子が乗せられる。チョコソースをディップして食べるビスケットと青や赤の着色料の入った粉を混ぜて作るグミのお菓子。どちらも小学生以来にパッケージを見た気がするくらい懐かしいものだった。
「糖分は吸収が早いし、カロリーも多い。なかなかやるじゃない」
良いように解釈した紗英だけが褒めているようだが、ほんの数メートル歩く間に正司の脳天気ぶりを感じた七希は、何も言わずに軽いカバンの中に駄菓子を入れた。
「それで、市川さんはどこに行こうとしてるの?」
話を戻すように美咲が切り出す。紗英は無言で山道の先を指で指し示す。先に山を下りて行った生徒たちとは逆方向。緩やかな坂はきっと山頂に向かう道になっている。
「山を登るの? 下りなきゃいけないのに?」
「さっきの白烏先生の話を聞いてた? 山を自力で下りてもいいけど、山小屋を探してそこでバスが来るのを待っていればいい。山を下りないと死ぬ、って考えるからどうやって下りるかばかり考える。これはただの林間学校なんだから合宿所で過ごすものでしょう?」
「でも、この道の先に山小屋があるってわかるの?」
「簡単よ。日曜日の夜に迎えが来るなら全員が山小屋にいることを考えないといけない。なら迎えっていうのはバスが来るはず。だとしたら、舗装されていないとは言っても何台も車が通った跡があるこの道は、普通に考えたらその山小屋に行き帰りしてきた車が作ったと考えるべきじゃない」
紗英の説明は当然の考えという思いが伝わってくるほど自信に満ちていた。聞いているだけで信じたくなってくるほどに力がある。七希も美咲も紫苑も、同じように紗英についてきた他の生徒たちもすでに信じたいと考えているようだった。
「私は、誰かと一緒に過ごさなければならない。だからこの話を聞いた以上、少なくともこのランプが消えるまで一緒に行動してもらう。その後は、違うと思ったら好きにすればいい」
紗英はそう宣言すると、一人先陣を切って山道を登る方へと歩き出す。その背中に導かれるように七希たちも後を追った。
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