第6話 知らない街と初めてのデート

 平日の昼間に制服で外に出るなんて、と思ったが、歩いていても怪しまれるようなことはなかった。市街地の通りには七希たちと同じように制服で友達と遊んでいるような高校生もいるし、仕事中に見えるスーツを着た男も壁にもたれかかりながらスマホをいじっている。


 中学生の頃までは何度も友達と遊びにきた街並みも数年でずいぶんと様変わりしていた。よく通った小さな個人経営のゲームセンターは廃業してカフェに変わり、通りには真新しいガラスの壁面が輝く高いビルが立ち並んでいる。よく家族で買い物に行ったショッピングモールも会社合併の影響か、大きな看板の店名が書き換えられていた。


 世界に置いていかれているような気分。冬の寒さと太陽の光にまだ慣れていない七希の精神にさらにダメージを与えていく。


「何かいいお店を知ってるの?」

「ううん、でも評価がよさそうなお店に行ってみればいいんじゃない?」


 美咲は赤い唇に白い人差し指を当てながら、スマホの画面をスクロールしている。

 七希には未だにどうして急に美咲がデートなんて言い出したのか、考えがわからないままだった。


 七希に告白させようとしているとしたら、あまりにも露骨過ぎる。このゲームは告白させようとしては逆に相手の警戒を強めるだけだ。だから七希もなかなか踏み込めないでいる。


「僕を見捨てた自覚くらいはあるはずなんだ。僕に恨まれてるとは思わないのかな?」


 あの時も助けてくれたから今回も助けてくれるだろう、なんて美咲が甘いことを思っているなんて考えられなかった。


「ここなんかどう?」


 七希の顔に美咲の顔が寄せられる。冬制服とカーディガンの上からでもわかる膨らみが腕に押しつけられる。美咲の体も一年生の頃からかなり成長しているようだが、美咲は気付いていないように自分のスマホを七希の前に差し出した。


「あんこパフェが有名みたい。こういうのは嫌い?」

「嫌いっていうか、これ食べ切れるの?」


 美咲が見せてくれたレビューサイトの写真には、溢れんばかりに山のようにあんこやクリームや白玉が乗っている。あんこ好きより大食い好きが通っていそうな大きさだった。


「僕も探してみるからちょっと待ってよ」


 七希は自分のスマホを取り出して、美咲が覗いていないことを確認してメモアプリを開いた。


 いつかやりたいことリスト。


 引きこもりになった七希が、もしも外に出たら、という妄想を書き溜めたメモには、一番上に大きな太字で『不二美咲を殺す』と書かれている。


 その下には、その目的を達成した後にやりたかったことが並んでいる。二年間溜め込んだ中に、鳳永堂ほうえいどうの最中を食べる、という一文があった。


 あんこ好きの七希がいつか食べたいと思いながらなかなか手が出せていないちょっと高価な老舗の和菓子。


 スマホで検索をかける。カフェ併設の店舗を見つけて、美咲に見せてみた。


「ここなんてどうかな?」

「吉岡くんは和菓子の方いいんだ」

「洋菓子も好きだけど、今は最中もなかの気分なんだ」


 美咲を殺した後に食べにいくつもりだった店に美咲と行く。自分で言っておきながら七希は不思議な気持ちで美咲と和カフェに向かった。


 店の中は上品な甘い香りが漂っていた。職人が飾った宝石のように輝く和菓子たちがショーケースに並んでいる。じっと見ていたい気持ちを抑えて二階に案内されると、掘りごたつの個室に案内された。ふかふかの座布団に腰を落として足を入れると、冷えた足が痺れるような感覚がする。和紙で包まれた照明だけが障子を閉めた狭い部屋を照らしている。薄暗さが自分の部屋と同じようで、七希はようやく落ち着けるような気がした。


 向かいに座った美咲も、両手をこたつの中に入れて冷えた手を揉みほぐしながら、落ち着いた店の雰囲気をキョロキョロしながら味わっている。こういう店に入るのは初めてのようで、美咲自身は少しはしゃいでいるようにも見えた。


「素敵なお店。誰かと来たことがあるの?」

「前から行ってみたいとは思ってて」

「そうなんだ。デートに誘ってよかった」


 美咲は温まった両手を自分の頬に当てながら目を閉じる。本当にただのデートをしているようで七希は逃げ場所を探すようにメニューを手に取った。


 七希は目的通りの最中を、美咲はカフェ限定の抹茶チーズケーキを選んでセットのほうじ茶も一緒に卓上に並べられる。こういう時、最初にどうすればいいかわからずに眺めていると、美咲はスマホで何枚か写真を撮った後、そっと手を合わせた。


「いただきます」

「あ、いただきます」


 つられて七希も手を合わせる。部屋にいる時はいつも一人で動画を見たりナイフ作りをしたりしながら食べていたからきちんと手を合わせるなんて久しぶりだった。最中を手にとってかじりつく。上品な甘みと少し残った粒あんの食感があんこの存在感を引き立たせている。パリッとした皮が味を引き締め、続いて流れ込んでくる香ばしいほうじ茶との一体感を作っている。


「おいしい」


 いつ何をきっかけにメモしたかも覚えていなかったが、七希は過去の自分に感謝する。


「うん、こっちもおいしい。抹茶とクリームチーズってこんなに合うんだ」

「そっちもおいしそうだね」


 和スイーツも好みの七希は特に考えることもなくそう言った。美咲は少し自分のチーズケーキを見つめて考えた後、大きな楊枝のような黒文字でケーキを切り分けると、七希の方へと腕を伸ばす。


「じゃあ、一口あげる」


 口の前に出されたケーキを見て、七希は少したじろいだ。こんなの本当にデート、それも結構甘酸っぱいくらいの。


 でもここで断れば、美咲に意気地がないと思われそうで七希は無言で口を開ける。ケーキをゆっくりと口の中で溶かすと、抹茶の心地良い苦味が広がる。


「うん、こういうのもいいね」


 動揺しているのがバレないように七希は口元を押さえながら答えると、美咲は小さな口を開いて、きれいな白い歯を覗かせた。


「じゃあお返しに私にも一口ちょうだい」

「えっ⁉︎」


 思わずむせて持っていたほうじ茶をこぼすところだった。不二美咲が何を考えているのかわからない。授業だと言いながらやっていることはデートそのもので、七希に告らせようとしているようにしか思えない。それなのに、教室で七希は死なないと言い切ったことがわからない。


 どこまでが本当で、どこまでが嘘なのか。


 最中を頬張って声を漏らして喜ぶ様子からは七希は何も感じ取れなかった。


「ねぇ、明日はどこに行こうか?」

「明日も?」

「一ヶ月半しかないんだから。行きたいところには全部一緒に行きましょう。ね?」


 甘えるように問いかける美咲に七希は首を横に振ることができないまま、明日の予定を決めることになった。


 ずっとひきこもっていた七希にはデートの候補地なんて思いつくものでもなく、ふらりと街を歩いてショッピングしたり、ネカフェで古い映画やアニメを一気見したりして美咲と過ごしていた。


 美咲の様子はずっと変わらないまま、クールなまま七希とのデートを楽しんでいるように見える。ほとんど恋人みたいな距離感で、登校日にあたる月曜日の今日も当然のように七希の隣の席に座っていた。

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