第5話 忘れない恨みと不可思議な二人

「でもこれは本物のデスゲームで、毎日誰かといないとさっきみたいになるってことか」


 誰でもいい。まずは毎日一緒に過ごしてくれる相手を作らないといけない。高校入学初日に隣の席の生徒に声をかけるような緊張感。本当に高校生活をやり直しているような錯覚がする。しかし、本当にやり直せるわけではない。特に七希にとっては二年以上が経っても消せない噂がある。


「もしかして、あれって吉岡七希じゃない?」

「え、それってあのフラれて逆恨みされたっていう?」

「うわー、最悪。一緒にいたら告白関係なく殺されるよ」


 人の波が一気に引いていくのがわかる。ここで言い訳を並べても逆効果にしかならないことは、七希自身が二年前に体験している。立ち尽くしたまま、下を向いて嵐が去るのをじっと待つ。それだけが今の七希に許されていることだった。


 ほんの三十分ほどで気の合う相手や惚れないだろう相手の品定めを終え、一ヶ月半だけのクラスはグループに分かれてそれぞれに教室を出ていった。取り残された七希は俯いていた顔をあげ、空っぽになった教室を見る。この状況から誤解を解いて一緒に過ごしてくれる人間を探さなければならない。


「とにかく追いかけなきゃ」


 口ではそう言ったものの、足に力が入らない。立ち上がることもできないまま、また顔は何もない机の上へと落ちていく。


 このまま一人でいれば明日になると同時に仲下のように罰が下るのか。苦しそうにのたうち回る仲下の表情を思い出して、七希の体が震える。あんな目に遭うのは自分ではなく美咲の方が相応ふさわしいはずなのに。現実はどうして自分ばかりに不幸が降りかかるのか。


 溜息をつく。


「もうどうしようもない」


 不幸だ、と声が漏れそうになる瞬間に七希の肩がそっと叩かれた。


「吉岡くん」


 声を聞いた瞬間に七希の足には力が戻り、俯いていた顔に生気が宿る。この二年間、一瞬たりともこの声を忘れたことはない。


 振り返った先に美咲がいた。不二美咲が立っていた。


 立ち上がった七希に驚いて一歩下がってはいたものの、七希の顔を見ても逃げ出さないで七希の言葉をじっと待っている。


 二年という月日は人を変えるには十分過ぎる時間で、編み込んでいた髪はウェーブのかかったセミロングに変わり、メガネはコンタクトレンズに替わっていた。


 時が止まったように幼さが消えない七希とは違い、真っ当な高校生活を送ってきたであろう彼女は、高校生から大人へと踏み出す準備を一歩ずつ確実に整えているようだった。


 瞳からは迷いが消え、立ち姿にも上級生らしい威厳がある。相手が美咲だと知らなければ、七希は無意識に会釈の一つでもしていたかもしれない。


 ただ一つ七希と同じなのは、美咲の手首にも忌々しい機械の腕輪が付けられていることだった。


「出ていったんじゃなかったの?」


 少し上ずった声で七希は問いかける。聞きたいことは山ほどあったが、すべて飲み込んだ。


 どうしてここにいる?

 まだイジメられているのか?

 どうしてあの時、目を逸らした?


 氷を思わせる美咲の瞳に見つめられると、自分だけが世界から置いていかれてしまったように思えた。


「あのままだと、一人きりだと思ったから。あのルールが本当なら、死んでしまうかもしれない」

「だから、助けにきたって?」

「うん。私で良ければ」


 冷静な美咲の声色が少しだけ躊躇ためらいを帯びた。その言葉に七希の心臓はカッと炎が燃え広がるように熱くなる。ポケットに忍ばせているナイフを、また美咲の眼前に突きつけそうになる。ルールを思い出してぴくりと動いた手を意識を集中させて押し留めた。


 同情でもしているのか、憐んでいるのか、罪滅ぼしのつもりか。

 そんな優しさがあるのなら、使うのは今じゃなくて二年前のあの時だろう。


 そう言ってやりたい気持ちをぐっと抑え、頭を下げる。


「助かったよ。ありがとう」


 言葉とは正反対に、床を見つめる七希の顔は怒りに震えていた。


 その優しさをあの時に半分でも向けてくれていたら。結局仲間はいなくて二人きりだったとしても、恐怖も半分に薄れて、七希も嫌々ながら学校に通って、今とは違う高校三年生を迎えていたかもしれない。


 殺してやる。


 二年間ずっと貯めこんでいた気持ちが燃え上がる。部屋の中に何百と作っては放り出されたナイフが一つの殺意として形を作っていく。


 ただし、殺し方は刺殺じゃない。この卒業試験デスゲームのルールに従って、美咲を殺す。


 美咲を惚れさせて、告白させる。


 七希はぎこちない微笑みを作りながら、同じようにどこかぎこちない微笑みを浮かべる美咲を見つめ返した。




 美咲に告白させる。そう決めたはいいものの、七希には美咲をオトす手段なんて思いつく気がしなかった。この二年間、恋人どころか友人とも家族ともろくに話をしたこともない。他人に気に入られようとコミュニケーションをとったこともない。それなのにどうすれば美咲に気に入ってもらえるかなんてわかりようもなかった。


 自由登校と言われたが、七希は家にいてもすることもない。美咲と一緒にいる約束はしたものの、何かしなければならないとルールで決められたわけでもない。結果、毎日同じように他に誰もいないC棟の多目的教室に向かって、何をするでもなく美咲と隣り合って座っているだけだった。


 会話のネタも思いつかない。七希は学校の思い出もなければ、ここ数年の流行も知らない。勉強だって中学生で止まっている。高校生でありながら高校生らしい話題など見つかるはずもなかった。


 美咲とのほんの数日の思い出はどちらの口からも出ることはなかった。


 朝、教室で美咲と会い、無言のまま隣同士の席に座って夕方になると別れるだけの生活。それが耐えられなくて、七希が必死にネットで探して見つけてきた話題を口に出したのは三日目のことだった。


「僕、あんこが好きなんだよね」


 無言が続く二人きりの教室。おはよう、という挨拶を済ませた後は黙り込んでいた。そこで意を決して七希はぽつりとそう言った。


「え、そうなんだ」


 急に降って湧いたような七希の話題に、美咲が少しだけ動揺したように目を丸くした。


「あ、あぁ、うん。男なのに甘いものが好きって変かな?」

「そんなことないと思うよ。甘いものは誰が食べてもおいしいし」


 自分のことを話せば相手は親近感が湧く。それもポジティブな話題なら嫌がられることはなく、相手のことを知れたことでより仲良くなれるとか。そんなネットの記事をかじった七希が話せることはひきこもっていても毎日触れる食べ物のことくらいだった。


 ポカンとして七希の顔を見ている美咲は、再会した時のクールな印象とは少し違っていた。しかし、すぐに顔の緩みを戻すと、口元に手を当てて考えるように首を小さく捻った。


「変な話をして悪かったよ。忘れて」

「ううん。話してくれて嬉しい」


 そう言いながら美咲は立ち上がる。うーん、と大きく伸びをして、右手を七希の方へと伸ばした。


「じゃあ探しに行こうよ。あんこのスイーツがおいしいお店」

「え、なんで急に」


「別に学校にいなきゃいけないわけじゃないし、これは恋愛する授業なんでしょ。だったらデートをしてる方が真面目だと思わない?」


 口調は変わらず淡々としていた。それでもどこか楽しげな表情に七希は不思議に思う。


「恋愛するって、告白したら死ぬんだぞ。それなのにデートなんて」

「大丈夫。吉岡くんは死なないから」


「ねぇ、それってどういう」

「さ、早く行こ。お店が閉まっちゃうかもしれない」


 七希の質問には答えずに美咲は教室を出ていく。七希は半径一メートルの距離から離れないように美咲の後を追って立ち上がった。

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