第一章 雪降る街で
01 噂話
『巫子を怒らせた他地方の人間がいる』
そんな噂話がルーフェの耳に入ったのは、雪が降り出す前になんとか滑り込んだ宿屋のカウンターだった。
「お客さん、他地方の人間かい?」
フードを目深に被ったルーフェに、宿屋の主人が少し困ったような声をかけた。
「そうだけど、何かあります?」
話を振られたルーフェがフードをおろすと、ゆるく編まれた亜麻色の髪が零れ落ちる。エメラルドグリーンの瞳はどこまでも澄んで、全てを見透かされそうだ。
「いやあそれが、噂なんだけどさ」
と、歯切れ悪く冒頭の話をされる。
「そんな噂は初耳ですね。どちらにせよ、それは僕達ではないです」
答えたのはルーフェの隣に立つハシバだった。
ルーフェと違い、ハシバは黒髪に濃いグレーの瞳と典型的なノルテイスラの民の色。
「そうか。そうだよな。ならいいんだ」
宿屋の主人は同郷の民からの言葉にほっと肩を撫でおろし、すぐに部屋を準備すると奥へ消えていった。
精霊が住まう国、テレサリストはやや西よりの上部が欠けた三日月のような大陸と、三日月の中央の島と欠けた箇所にある諸島から成る。
三日月の東側はバジェステ、西側はリコオステ、南側はスーティラと呼ばれ、それぞれ風、地、火の精霊の恩恵を受けている。
ここはその三日月の北に浮かぶ島の一つ。残る水の精霊の恩恵を受ける、北諸島――ノルテイスラの南の島、その中央に位置する、シセルの街。
周囲にいくつかの村が点在し、各村を繋ぐハブのような役割を持つそこには、色んな情報が集まっていた。
「巫子を怒らせた他地方の人間、ねぇ」
翌朝、というよりもうお昼前の時間だった。
ルーフェとハシバの二人は宿屋の外に出て食堂へ向かって歩いていた。
「ハシバ、どう思う?」
「このご時世に他地方からノルテイスラへ来る時点で相当な物好きだと思いますね」
それはその通りだ。
昨今、ノルテイスラは苦境の最中にあった。精霊の力を治める水の魔導師が不在になり、かれこれ十六年。年中穏やかだった気候は息を潜め、水精霊の影響なのか年々雪深くなっていく。
本来ノルテイスラは自給自足出来るほどの恵まれた土地にも関わらず、ここ十年近くずっと不作が続いていた。穏やかな気候や美しい水の景色は観光客を呼んでいたが、天候が崩れることが増えると当然客も減る。人々の生活は徐々に苦しくなっていた。
何より観光や交易で大陸側と関わりを持つことはあれど、地理的な距離は埋めようがない。同じ国とはいえど文化も異なり、他地方の人間――大陸の民は所詮はよそ者。そんな意識がノルテイスラの民の間では根強かった。
「そのうえ巫子を怒らせる、って……何やったの、そいつ」
ただでさえよそ者に対する風当たりが冷たいこの地で、一体何が目的だというのか。
自分のことを棚に上げて、ルーフェはさざなみのように胸がざわつくのを感じる。
――はじまりは、少しの好奇心だった。
***
店内に入り、ルーフェがフードをおろすと場がざわつく。それは常のことだった。
黒髪黒眼が多いノルテイスラの民の中に違う色合いが混ざるのだから無理もない。
お昼前なので客足はまばらだ。酒も出す店なので、既にできあがっている者もいる。興味本位からなのか揃いも揃ってこちらを見てきて、ルーフェは苦笑するしかない。
「あまりきょろきょろしないでください」
寒い外から屋内に入り、曇った眼鏡を拭きながらハシバが呆れたように言う。
切れ長の瞳は鋭く、ついでにあたりを一瞥すると「護衛つきかよ」「でかい奴だな」そんな囁き声が周囲から漏れた。
「ナイス牽制」
「お安い御用です」
小声で呟いたルーフェに、ハシバは事もなげに返す。
そうして二人は店の奥、カウンターに腰を下ろす。軽い食事を店員のお姉さんに頼んだ。
「よぉあんた達か、久しぶりだな」
声をかけてきたのはカウンター内の店員だった。この店の店長だという。
他地方の女と、その護衛っぽい男の組み合わせは珍しいらしく、何度か通ううちに顔を覚えられてしまった。
店長は顔が広く、よそ者のルーフェにも気さくに話しかけてくれる上、何より飯が美味い。チップを弾めば表に出せないような話を聞かせてくれることもあり、シセルの街での食事はもっぱらこの店で取っていた。
「お久しぶりです」
「二ヶ月振りか? 元気そうでなによりだ」
「そちらもお元気そうで」
社交辞令ともとれる挨拶を交わして、ハシバは食事が来る前に話を済ませるべく本題に入った。
「噂を聞いたんです。なんでも巫子を怒らせた他地方の人間がいるとか。何か知っていますか?」
「あぁ、その話か? お嬢ちゃんじゃないんだろ?」
「もちろんよ」
「だよなぁ。俺も詳しくは知らないんだけどよ。なんでも南の神殿での話らしい」
怒らせた理由までは伝わってこないが、巫子さまと魔法使いを怒らせて神殿の街からつまみ出されたよそ者がいるという。
宿屋の主人とさして変わらないと思いきや『南の神殿の街』という具体的な場所が出てきた。
ルーフェとハシバの二人は西の方の村から来たばかりなので、知らないのも無理はない話だった。
「街を出て北に行ったとかいう話もあるから、もしかしたらこの街に来てるかもな?」
「あ、それ知ってますよー」
話に入ってきたのは通りかかった店員のお姉さんだ。
「昨日かな? それっぽい人を見かけたって近所の人が話してました」
「うわほんとに来たのか。まぁでも、ここらじゃ誰も泊めんだろうし」
故郷に帰ればいいのになぁ、と気の毒そうに店長は呟いた。
「この冷えこみだ。多分そろそろ雪が降るだろう」
昼に差し掛かり、客足が増えてきたところで食事を終えた二人は店を後にした。
低く垂れこめた空からは、なるほど店長の言葉通り雪が降り始めていた。
「それで、どうするんですか」
「どうするもこうするも。探すわ、その人を」
ルーフェは周囲を見回し、足早に歩き出す。
「本気ですか?」
「本気」
どうやって、とは言わずハシバはルーフェの後を追う。
「ここでいいかな」
小一時間程たってルーフェが足を止めたのは、おおよそ街の中央部に位置する時計台だった。
時計台の下は広場になっていて、雪が降り始めてはいたがお昼時だけあって人通りもそれなりにあった。
そこに息せき切りながら現れた他地方の民――ルーフェに視線が集まるのは無理もない話だ。
(仕方ない、か――)
目立つのは本意ではないけれど、背に腹は変えられない。
ルーフェはポンチョ型のコートの背に手を回し、そこから細長い棒を取り出した。白いつるりとした棒の先には、ルーフェの瞳と似たような翠色の宝石がはめられている。
わずかにその石が光ったかと思うと、にわかに棒が伸びた。杖だ。
「ちょっと離れてて」
言われた通りハシバは距離を取る。
周囲の視線を感じながら、ルーフェはすぅっと深呼吸をした。
「――風の精霊よ。我が力を糧とし、彼の者を探せ」
杖の先の石が光を宿したかと思うと、ふわ、とルーフェの体も光をはらむ。
光は広がり、いつの間にかルーフェの足元に光の陣が浮かび上がった。
ルーフェを中心に風が広がる。
「……見つけた」
カン、と杖の先を地に当てる音。
刹那、陣が消え、風も止んだ。
「こっち。ついてきて」
にわかにざわめく人の間をすり抜け、足早に広場を後にする。
向かった先は中心部から東側。景色は徐々に住宅街に変わっていく。
「一体どうやったんですか?」
探すにしろ手掛かりがなさすぎだろう。
素朴な疑問にルーフェは足を止めることなく答える。
「他地方の人間だっていうから、魔力を探ったの」
生まれた地、そこに住まう精霊の力を人はみな宿している。
テレサリストは東西南北の地方それぞれ異なる精霊の恩恵を受ける。ノルテイスラは水精霊の恩恵を受けるため、民は当然水の魔力を持っていた。
他地方の人間であるなら、水以外の力が強いはず。水の魔力ではない者に狙いを絞り、探索したのだとルーフェは言った。
「そしたら案の定よ。火の魔力があったわ。それも結構強めの、ね。ただ……」
「ただ?」
歯切れの悪いルーフェの言葉尻をハシバはおうむ返しする。
「んー……なんか、変な感じだったの。水の魔力も混ざっているというか」
「近くに水の魔力の強い人でもいたんじゃないですか?」
「うーん、多分、そんなとこかなぁ」
範囲を広げた分、精度を犠牲にした自覚があったのでルーフェはそんなもんかなと自分に言い聞かせる。
けれど覚えた違和感は拭えない。もやもやしながらも歩みを続け、辿り着いたのは住宅街の外れだった。
「このあたりだと思うんだけど」
細かい位置までは分からないとルーフェは困り顔だ。
住宅地なだけあって人通りがそれなりに多い。先程の魔法を使うにしても、こう人が多いと結局誰が対象なのか分からないだろう。
「手分けして探しましょ」
雪が本格的に降り始めたこともあり、周囲は薄暗くなってきている。あまり時間はない。
「まぁ、そうなりま――わっ」
ハシバのコートの中から何かが飛び出してくる。
手のひらに乗るくらいのサイズの、白いウサギのような生き物だった。ふわふわの体毛に、くりくりの黒い瞳。唯一ウサギと異なる点は耳が羽のような形をしているところだろうか。
「シズ!」
ルーフェが生き物の名を呼び、抱き上げようとするが、シズはするりとその手から逃れてしまった。
そのまま、飛び跳ねるように路地裏へ消えていく。
「ちょっと、どこ行くの?」
困惑したまま、ルーフェはシズの後を追う。その後をハシバも追いかける。
右へ行き、突き当りを左へ、そのまま真っ直ぐ、とシズの足取りに迷いはない。気付けば結構な路地裏まで来てしまっている。
そうしてシズを追っていった先で、彼を見つけたのだった。
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