02 よそ者

 あたたかく、柔らかい感触。

 ふさふさの何かが、顔の前にいた。正確には、乗っていた。


「…………?」


 突然のことに、レティスの思考が固まる。

 ついでに息も止まった。

 しばし、沈黙。顔の上の何かは身動き一つせず、悠々と乗っかったままだ。


「――っ」


 息苦しくなり、とっさに手を使ってひきはがす。勢いで上体を起こそうとするが、身体が思うように動かなかった。再びベッドの上へ倒れる。


 そう、ベッドの上にいた。


「…………」


 疑問符が頭の中にいくつも浮かぶ。


 視線の先には、白い物体がいた。

 レティスに首の後ろをつかまれたそれは、特に抵抗することもなく、ぷらーんと吊るされていた。一見ウサギのように見えるが、その耳は羽の形をしている。くりくりの黒い瞳が愛らしい。これが顔の上に乗っかっていたおかげで、息が出来なかったようだ。


 ゆっくりと上半身を起こし、あたりを見渡す。


 そこはどうやら、宿の一室のようだった。ベッドが二つと、小さなテーブルと椅子が二脚、小さなソファが一つとお世辞にも豪華とは言えない部屋だ。生地こそ上等ではないが、清潔なシーツに、暖かい毛布。こんなところで寝るのは久しぶりだった。

 窓から見える景色は薄曇りながら明るい。おそらく朝か昼前くらいの時間だろう。


 体力は幾分か回復していたが、まだ自由自在とまではいかない。体中の節々が痛む。けれどこのまま横たわっているわけにもいかなかった。幸い、たった一つの荷物である剣は壁に立てかけてある。


 白いウサギのようなものは枕元においてみた。敵意は持っていないらしく、器用に前足を使って毛づくろいをしている。

 それを横目に、レティスはベッドからおり、剣を手にとった。華美な装飾など一切施されていない細身の剣は、手にしっくりと馴染む。おそらく売っても三日の生活費ともならないだろうが、レティスにとってこの剣の価値は値段ではない。大切な、自分の存在を示してくれる唯一の物。


 擦り切れたマントをまとい、フードをかぶる。扉に向き直ったところで、その扉が開いた。


「――あ、気がついた?」


 現れたのは一人の若い女だった。いや、まだ少女と言えるだろう。

 ゆるく編み込まれた亜麻色の髪とエメラルドグリーンの瞳が目をひく。明らかにノルテイスラの民ではなかった。


 両手に持った台の上には、料理が乗っている。なんとも言えない香りが鼻腔をくすぐった。


「……って、今にも出て行きたそうなカッコね」


 レティスを上から下まで眺めて少女は苦笑した。


「行き倒れてたくらいだからしばらく食べてないんでしょ?」


 テーブルの上に料理を並べる。数種のパンと飲み物、香りから察するに、鍋の中身はシチューだろうか。

 レティスは微動だにせず、彼女の一挙一動を見つめていた。


 以前にも、こういうことはあった。泊まる宿が見つからず、困り果てていたレティスに一晩の部屋を貸し与えてくれた。親切な人もいたけれど、法外な金銭を要求されたこともあった。


 目の前の人物がどちらなのかはまだわからない。用心するにこしたことはないだろう。


 そんなことを考えている間に、少女は椅子に腰掛け、鍋のふたを開いた。シチューの甘い香りが部屋中に広がってゆく。


「まぁとりあえず座って。これだけ食べていっても罰は当たらないと思うわよ?」


 再度少女に声をかけられ、しぶしぶレティスは腰掛ける。なんだかんだ言いつつ、ここ数日何も食べていない身に、この誘惑に勝つ術などなかったようだ。


「さ、どうぞ」

「…………」

「毒なんて入ってないって」


 レティスの思考が読めたのか、少女がさらりと言った。

 その証拠にと、同じ鍋から盛られたシチューを口に運ぶ。が、レティスの動きは止まったままだ。


「……これでもまだダメ? 疑り深いわねぇ」

「初対面の人間を信用する理由はどこにもない」

「うわぁ可愛くないセリフ。人の好意は素直に受け取っておくものよ」

「……信用できない」


 本心だった。

 信用したくても、できない。いつの間にこんなに臆病になってしまったのだろう。


「……まぁ、無理もないか」


 少女は苦笑を浮かべた。

 いつの間にかレティスの足元に白い動物がすり寄ってきた。膝の上に乗せ、軽く毛並みを撫でてやると、気持ち良さそうに目を細める。

 その様子を見て少女が息を呑んだ気配がした。


「オレを助けても、何もないよ。お金なんてもちろん持ってない」

「そんなの見れば分かるわよ」

「じゃあ何だ? 憐れみか? しょせんよそ者だと、見捨てるのなんて簡単だろ」

「……よそ者、ね。それを私に言う?」


 吐き捨てるようなレティスの言葉に、少女は苦笑した。

 よそ者というのであれば、この少女も間違いなくそうだろう。同郷ではないが、黒髪黒目が多いノルテイスラの民とは明らかに毛色が違う。

 エメラルドグリーンの瞳はどこまでも澄んでおり、全てを見透かされそうだ。


「よそ者であろうとなかろうと。少なくとも私は、あなたに興味がある」

「……えっ?」


 あまりにも予想外な言葉に、レティスは頭の中が真っ白になった。

 そんなレティスの様子を見てとり、少女は少し困ったように笑う。


「って、急に言われても困るわよね。どうとってくれてもいいわ。邪魔してごめんね」


 そう言って、少女は席を立った。

 特に急いでもいない足取りで部屋の扉へ向かうも、途中であ、そうだと明るい声がした。


「また後で食器下げに来るから、食べててくれると嬉しい」


 そのまま扉がぱたんと閉じられた。

 部屋にはレティスと、その膝の上にいる白い動物だけが残される。


(……なんで……)


 面識も何もないレティスを助けて、一体何が目的なのか。

 分からないことばかりだが、少なくとも悪意は向けられていないように思えた。


 テーブルの上に広げられた料理からはまだ温かそうな湯気が立っている。鼻孔をくすぐる良い香りにぐぅ、とレティスのお腹が鳴った。


「……いただきます」


 身一つの自分に、盗る物は何もない。まして、ついさっき死ぬ覚悟をしたのだから、何も怖くない――。

 そう開き直り、レティスはシチューを口に運んだ。




 用意された料理をあらかた食べ終え、ひと心地ついたところで扉を叩く音がした。


「はい」


 短くレティスが返事をすると、扉が開かれそこには少女が立っていた。


「お邪魔します。……あ、良かった、食べてくれたのね」


 テーブルの上を見て少女が嬉しそうな声をあげた。


「ごちそうさまでした。あと、ありがとう。……えぇと、名前は?」


 レティスは礼を言うついでに名前を尋ねる。

 このまま別れるにしても、助けてくれた人の名前くらいは知っておきたかった。


「私はルーフェ。あなたは?」

「……レティス」


 問い返されるとは思わなかったので一瞬変な間が空いてしまった。


「レティスね。私のことはルーフェでいいわ。で、そっちの小さいのがシズ」


 レティスの膝の上に居座る白い動物をルーフェは示す。


「鳴かない、喋らないからシズよ。安易でしょ? ウサギみたいだけど魔獣なの。あ、害はないから安心して」

「魔獣……」


 ちらりと膝の上のシズに視線を落とす。確かに耳が羽のウサギは見たことも聞いたこともなかった。

 魔獣――魔力を持った動物がこの世界には存在する。その姿は一見動物のようで、けれど何か決定的に違う箇所があると言われている。

 魔獣は基本的に人間に害を成す存在だ。例外があるとすれば魔法使いの使い魔として使役されることだそうだが――


(……魔法使い、なのか?)


 魔法使いであるならそれらしき証があるかもとちらりとルーフェを横目でうかがう。

 指や腕、首元には何もつけておらず、視線を上げると左耳につけたリング状のイヤーカフに目がとまった。青色の石が所々にはめこまれ、精緻な意匠が施された銀製らしきそれは窓からの光に照らされ硬質に煌めいている。

 そこはかとない雰囲気に魔道具なのかもと疑問には思えど聞いたところでどうするのかと、言葉にはならなかった。


 礼も言えたし名も聞いた。世話になったと挨拶をしようとした時、部屋の扉が叩かれる音がした。


「はーい」


 警戒するレティスとは裏腹に、ルーフェが事もなげに返事をした。


「――失礼します。言われた通り買ってきましたよ」


 扉を開けて入ってきたのは一人の男だった。

 随分と背が高い。黒髪に眼鏡の奥の瞳は濃いグレーと典型的なノルテイスラの民だ。

 片手に大きな荷物を抱えており、レティスと一瞬目が合うも、ふいと視線を逸らされた。


「ありがとハシバ。助かるわ」


 ルーフェに警戒する様子が見えないことから、知り合いのようだ。

 ハシバと呼ばれた男はそのままソファの上に荷物を置き、梱包を解いていく。中身はどうやら服のようだった。上下の洋服の他、コートや帽子まである。


「サイズはおおよそですから」


 ハシバは手際良くタグを外し、いくつか服を集めて袋に入れると、レティスにどうぞと差し出してきた。


「え、これ……」

「肌着も中に入っています」

「いや、その」


 困惑するレティスに、ルーフェが声をかける。


「レティス、大丈夫だから。とりあえずシャワー浴びといで。着替えて、それから話しましょ」

「そういうことです。こちらへ」


 ハシバに促されるまま、部屋にあった入り口とは違う扉を開けるとそこは洗面所だった。洗面所内にはもう二つ扉があり、そのうちの一つをハシバが開く。

 人ひとりがゆうに入れる空間に台らしきものと石鹸と桶が一つあった。壁に沿うように金属製の筒のようなものもあり、筒の先は膨らんで小さな穴がいくつも開いている。根本の方へ目を移すと青い石がはめ込まれたレバーがあった。


「……ここは?」

「浴室です。といっても浴槽はなくシャワーのみですが。使い方は分かりますか?」

「なんとなく、は。洗面所と同じような感じ?」

「そうです。ここ、このレバーをひねると水がこの穴から出ます。この魔石に魔力をこめればお湯になります。お湯加減はこめる魔力で調節してください」


 てきぱきと指示をして、ハシバは洗面所の台の上にタオルを置いた。


「もう一つの扉はトイレです。……あ、こめる魔力ですが、ごく小さくで大丈夫ですので。全力出すと熱湯になるので注意してください」

「わ、分かった」


 レティスが頷いたのを見てとってハシバは「では」と部屋へ戻っていった。

 状況整理が追いつかないが、ここまできたならなるようになれとレティスは腹をくくった。


 服を脱ぎ、ハシバから受け取った袋と合わせて洗面所の台の上に置く。洗面所には小さくも鏡があり、そこに映る自分の姿は驚くほど薄汚れていた。


 シャワーを浴びるなんていつぶりだろうか。


 ノルテイスラに渡ってきてまもなくの頃に何度か宿に泊まったことはあったが、こういった浴室がついているのは初めてだった。


(……ここまで来たんだ。もう、戻れない)


 青い石――魔石が埋めこまれたシャワーは魔道具なのだろう。故郷では高価だった水の魔石をこんな風に使うなんて贅沢だなと、水精霊の恩恵を受ける地まで来たことを改めて実感する。


 レバーをひねると勢いよくシャワーから水が出て、ハシバの忠告通りわずかに魔力をこめるとしばらくすると温かいお湯に変わった。

 ゆるゆると緊張していた心まで解してくれそうな感覚に襲われしばし放心状態だったが、ゆっくりもしていられないと思い直して頭を振る。

 手短に全身を洗い流し、体を拭くと気持ちまでさっぱりした。

 用意してくれた真新しい服に袖を通すと何ともいえず気持ち良い。

 今まで着ていた薄汚れた服を手に取るとひどい臭いがする。こんなことに気付く余裕すらなかったんだとレティスは苦笑するしかない。


(……これは捨てるか)


 空になった袋に入れ、口をきつく縛った。



◇◇◇



 レティスが浴室へ消え、水音がしてきた頃。空になった食器をまとめているルーフェにハシバが声をかける。


「それで、どういうつもりですか?」


 こんな買い物までさせて、とソファの上に広げた衣服を一瞥する。


「どうもこうも。どっちかが残ってどっちかが買い物に行くならこうなるでしょ?」


 変な噂が出回っている中、毛色の違うルーフェが行って買い物できるとは限らない。

 昨晩、レティスのために部屋を取ろうとした際も宿屋の主人には相当渋られたのだ。

 どんな部屋でもいい、割高になってもいいからと粘って、一晩だけならと受け入れてもらったくらいだ。


「そうですけど、そうではなくて」


 そんなことは分かっているとハシバは不満げだ。


「だってあのまま放っておけないでしょ?」


 路地裏でレティスは行き倒れていた。

 あのまま放っておいたら確実に今朝には凍死体になっていただろう。


「……それもそう、ですけど」


 歯切れの悪いハシバにルーフェは苦笑いを返すしかない。


「私もよく分かんない。けど、あの噂話の真偽は確かめておいて損はないんじゃない?」

「…………」


 ハシバの沈黙をルーフェは肯定ととった。


「今のうちにこれ返してくるわ」


 食器を持ち、腰を浮かしたルーフェをハシバは静止する。


「僕が返してきます」

「そう? よろしくね」


 部屋に残されたのはルーフェとシズだ。

 ベッドの上で、レティスに用意した帽子のてっぺんにあるポンポンで遊ぶ魔獣に目線を落とす。


(ほんと、どうしてなの?)


 どうしてシズは、レティスを見つけたの?


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